第28話 バイプレイヤー

 人間は誰もが、己の人生の主人公である。

 それは主観であれば、完全に正しい事実だ。

 生まれ、育ち、選択し、あるいは親となり、育て、そして残りの人生を数えるようになる。

 ただ野球においては、絶対的なスーパースターというのは必ずいるものだ。

 それでも脇役と見なされた人間がいなければ、試合という舞台は成立しない。

 打順で言うなら下位打線。

 しかし野手として守備に就けば、その華麗な動きでランナーを出さない。


 八回の表、いよいよ試合も佳境である。

 この回のAチームの攻撃は、八番の緒方から。

 プロとしては小柄で、筋肉もさほどについていないように見えるが、実はそこそこ体重はある。

 贅肉がないという意味では、大介や悟と似たタイプである。


 高校時代はこの体格で、そこそこホームランも打っていた。

 しかしプロでは厳しいのでは、とも言われていたのだ。

 だが彼は三年の夏、大阪光陰を全国の頂点に立たせた。

 そしてプロ入り後も、初年度から積極的に一軍で使われ、新人王まで受賞してしまったのだ。


 ただ安定した成績は残し続けたものの、そこからさらに覚醒して、パフォーマンスを発揮することはなかった。

 しかし10年以上もずっと、上位打線を打ちながら、ショートを守っている選手がスターでないはずもない。

 童顔の緒方は昔から女の子の受けがよく、結婚後も人気は高かった。

 またプロの選手の中でも、特に礼儀正しく、敵の少ない選手である。

 そんなところが逆に、殻をもう一枚破れなかったという馬鹿もいる。

 だが緒方ほど成功した選手が、他にどれほどいるのだろうか。


 その緒方と対戦する、Bチームのピッチャーは本多に交代。

 本多は緒方とは正反対のように、一年の夏に甲子園を制覇していた。

 それから名門の帝都一で、ピッチャーで四番を打ちながら、プロにまでやってきた。

 現在はMLBでプレイしているが、直史との付き合いというか接触は、かなり古かったりする。

 直史が一年生の春には、白富東と帝都一は、練習試合をしているのだ。

 もっともその時の本多は、直史のことなど全く意識していなかったが。


 おそらく身体能力の才能であれば、本多の方が緒方を圧倒的に上回る。

 しかし緒方の特徴は、その身体制御の上手さである。

 本来は中距離打者であるのだが、時には理想的なスイングをして、ホームランも打ってしまう。

 レックス時代には頼りになるバックとして、直史も樋口も彼のことは高く評価していた。

 しかし相手が悪かったと言うべきか。


 本多はMLBに移籍後も、その決め球であるフォークの改良に成功していた。

 単純に言うとフォークを、スプリットと投げ分けるようになったのだ。

 優れた動体視力で、ストレートとフォークを見抜くバッターのために、凡打狙いのスプリットを習得。

 これによって凡退の山を築くことになる。

 粘っていった緒方であるが、さすがに最後はスプリットで内野ゴロにしとめられる。

 そして続くバッターは、大阪光陰では緒方の後輩であった蓮池であった。


 蓮池と本多。

 この二人の共通点は、名門で一年から主役であり、さらにピッチャーながら四番を打ったということ。

 そしてプロ入り後は、ピッチャーに専念していることだ。

 上杉などと共に、二刀流が可能なのでは、と言われていた選手の中の一人である。

 確かに上杉も本多も、プロ入り後にも試合でホームランを打っている。

 大して蓮池は、パ・リーグであったのでバッターボックスにすら入らない。

 ストレスがたまった時などは、バッティングの練習もしていたりしたらしいが。

 もしピッチャーとして故障でもあったら、即座に野手転向をさせていただろう。

 本多と蓮池、二人の対決である。




 今日の蓮池は、完全に脇役として、背景の中に生きている。

 元の目的は直史のピッチングを間近で見て、少しでも自分の糧とすることであった。

 MLB移籍後はヒューストンにいたので、同地区のアナハイムで直史相手に投げ合ったこともある。

 そして一度も勝てていない。

 これはリーグが違うのに、ハイウェイシリーズでアナハイムと対決する、トローリーズにいる本多も、同じことが言える。

 NPB時代も含め、直史と対戦しても勝っていない。

 そんな二人の対決は、直史という人間を軸に考えた場合、ちょっと皮肉なものにも思えた。


 だがここで、何か劇的なことが起こるわけでもない。

 蓮池のバットは本多のボールを捉えることなく、空振り三振。

 道化とまでは言わないが、脇役としてアウトカウントを増やす。

 そして脇役であることを許容しない、織田がバッターボックスに入る。


 織田は黄金世代と言われたドラフトの中でも、玉縄と一緒にそれぞれのリーグで、一年目で新人王を獲得している。

 そして首位打者や最多安打など、バッティングでも魅せているし、守備でもゴールデングラブ賞を連続受賞と、代表的な外野手としてNPBに君臨していた。

 そしてFAを間近に迎えたところで、ポスティングにてMLBに移籍。

 それ以降はずっとレギュラーの座を守り続けるという、スーパースターの一角ではあったのだ。


 彼の不幸、あるいは幸運であったのは、その後に歴史に名を刻むプレイヤーが、日本から続々と渡ってきたことだろうか。

 日本時代はリーグが違ったので、上手くタイトルも取れた。

 しかしもしも、大介が同じリーグであったら。

 今日の織田が直史の側に立ったのは、そういったことも理由であったのかもしれない。




 ツーアウトからであっても、まだチャンスはある。

 織田の後ろがアレクで、その後ろが悟。

 とにかく塁にさえ出れば、一気にチャンスは広がるのだ。

 そして樋口は本当に打つ時には、絶対に打ってくれる気がする。

 あの夏の甲子園、敗退した織田であったが、決勝までずっと見ていた。

 次の自分のステージは、もうプロだとも思っていたのだが。


 樋口のあの鮮烈な一発は、おそらく甲子園の歴代ベストシーンに選ばれてもおかしくはない。

 上杉の連続奪三振や、直史の実質パーフェクト達成など、他にも衝撃的なシーンは色々とあるが。

 あれを超える衝撃となると、もう大介の甲子園での場外ホームランぐらいしかないのではなかろうか。

 大介でさえもう二度と、場外弾は甲子園では打っていないのだから。


 織田と本多の対決は、基本的に読み合いにはならない。

 織田は理論の最後に直感で打っていくが、本多は完全に直感頼りなのだ。

 もちろん完全に直感ばかりというわけではなかろうが、理論派の織田とは相性が悪い。

 そもそも本多のコマンド能力は、理論を成立させるほど、正確でもないのだ。


 初球からパワーで押してくる本多。

 織田はそれを分かっていながら、ジャストミート出来ない。

 しかし本多も意識はしているらしく、ボール球も投げてくる。

 低めに外れると思っても、本多のボールは失速しない。

 毒島ほどではないが、わずかに動いてもいるのだ。


 そしてフルカウントになってから、織田はどちらかに絞る。

 ストレートか、それともフォークか。

 ほどよくスプリットということも考えられるが、本多はこういう時には、フォークを決め球として投げてくるのだ。

 それを前提の上で、ボールを待つ。

 投げた瞬間に、それがフォークだとは分かった。

 ジャストミートしたボールは、高く掲げた本多のグラブに収まる。

 スリーアウトで八回の表も0のままである。




 九回の表に点が入らなければ、心理的にはAチームが圧倒的に不利になる。

 ずっとサヨナラの可能性が残り、一発で試合が終わってしまうことになるからだ。

 確率的に言えば、先に点が入る可能性だってある。

 そしてもし先行で点を取っていたならば、逆に裏の攻撃は心理的に不利にるはずであったのだ。

 なにしろ投げているのが直史なので。


 一点あれば安全圏、と言われる直史。

 だが実際は負けている試合は、二点以上は取られている。

 幻想から最も遠いのが、本人であることは幸いであろう。

 八回の裏、Bチームの五番はバッター交代で谷。

 大学時代に直史と対決し、完全に封じられながらも、対決回数が少なかったために、完全に心を折られることは少なかった。


 バッターのタイプとしては、打率よりも長打力。

 一発で試合が決まる可能性があるこの戦い、ホームランバッターを揃えた方が有利なのは確かだ。

 ただ元から傑出したバッターが揃っているというのに、わざわざそれを交代させていく。

 それは直史のボールに慣れていないバッターを次々に送り出していくということであり、見た目は派手だが合理的ではない。

 谷にしても、これまで五番を打っていた正志より、打撃指標はわずかに劣る。

 もっとも論理的に考えるタイプは、直史と樋口のバッテリーにとって、絶好の獲物となってしまうことが多い。

 なので交代自体は正解だったのかもしれないが、交代する選手は他がよかっただろう。

 バッテリーとしては正志よりも、直感型の柿谷の方が、打ち取りにくかったのは間違いない。


 谷に対しても、フレーミングを駆使して見逃し三振。

 柿谷の代わりに出てきたのは、蘇芳であった。




 勝負したいバッターが多い、というのは仕方がない。

 だが途中から交代させていくというこのシステム、やはり直史の方が有利である。

 確かに前の打席までの配球を伏線にして、直史は投げることが多かった。

 しかしボールの球筋を次の打席に活かすということを、この打線のバッターであったら誰でも出来るはずなのだ。


 見ている側からすれば、オールスターでコロコロとバッターが代わるのを、見ているのと同じ楽しさはあるだろう。

 しかしこの試合に監督が存在すれば、こういった選手運用はしない。

 まるで儀式めいたように、バッターをどんどんと生贄として投入していく。

 そして直史はそれを抑えていくのだ。


 MLBでもあったフライボール革命は、NPBにも浸透している。

 そもそも昔から、フルスイングを上等とする思想自体はずっとあったのだ。

 スラッガーは全員、ホームランを打てるようになっておく。

 場合によってはスイングを変えるなどの技術は、その後に身につけるのだ。

 理想的なのはどのスイングでも、ホームランを狙っていけることだ。


 そんな理想を中途半端に追ってしまうから、直史にとってはいい獲物となってしまうのだ。

 このイニングは久しぶりに、一桁の球数で打線を抑えることに成功する。

 ただそれでも、この時点で球数は100球を超えた。

 ベンチに戻る直史であるが、純粋に体力自体は、まだまだ余裕がある。

 疲れているのは脳であろう。


 そしていよいよ九回の表、ここで点を取らなければ、Aチームはずっと心理的に不利な状況で戦っていくことになる。

 しかしながらBチームは、ついに武史をマウンドに送ってくる。

「けっこう一発病があるのに、よく出してきたな」

 実兄の容赦のない台詞に、無言で頷いている樋口である。


 クローザーとしての適性は、その数字だけを見るならばある。

 だが実際に運用すれば、ないことが分かる。

 そんな武史に対して、Aチームはアレクからの打順。

 終幕が迫ってきていた。




 アレクは高校時代に加えて、MLBでも直史とチームメイトになっている。

 大学時代の丸四年と、プロでもバッテリーを組んでいた樋口を除けば、武史よりもチームメイトとしての関係は長い。

 だから直史の築いてきた非常識な多くの記録を、実際に目の前で見てきたのだ。

 それでもさすがに、この試合は相手の打線が強すぎる、と思っている。


 延長戦になったら、どこまで投げるつもりなのか。

 この九回の表に点を取らなければ、裏には大介に打順が回る。

 それを別としても、直史の球数が多いのは事実だ。

 高校時代など150球以上も投げている試合はあった。

 そしてその翌日も、完投していたのだから化け物である。


 だが今の直史は、八回を投げて既に100球を超えている。

 そして投げる相手にしても、高校生とは違うのだ。

 直史自身もレベルは上がっているが、同時に肘に爆弾を抱えている。

 引退試合なので、パンクするまで投げてもいいと、直史は思っているのだろうか。

 しかしそのピッチングからは相変わらず、圧倒的な負けず嫌い精神を感じる。


 この回に、一点を取る。

 そして裏に、0で封じてもらう。

 それで勝ちだとは思うのだが、Bチームが九回に出してきたのは、本多に代わって武史であった。

 現役メジャーリーガーにして、去年のサイ・ヤング賞受賞者。

 アレクもワールドシリーズで、散々に対戦している。


 奪三振率においては、直史よりもずっと高く、MLBの記録を更新した。

 彼もまた日米通算200勝を達成し、球速でもMLBでほぼトップを誇っている。

 だが直史と違って、めったにノーヒットノーランはないし、また負けている試合もそこそこある。

 それでもMLBにおいては、二番目に優れたピッチャーではあるだろう。


 そしてそれとは別に、武史には本来、クローザー適性があまりない。

 ものすごいスロースターターであり、50球ほどを投げてからようやく、本格的にエンジンが動き出す。

 もちろんこの試合においては、ブルペンでかなり投げ込んできたのは確かであろう。

 しかしブルペンで投げても、やはり代わった直後は球威が充分でなく、それゆえに先発を投げるのだ。


 もしもピッチャーをきちんと運用するなら、むしろ武史には先発をやらせるべきであったろう。

 そして上杉はクローザーから、延長に入ればそのまま投げ続けてもらう。

 さらに言えば、武史を活かすほどのリードが、福沢に出来るのか。

 坂本がいたならば、上手くリードをしていたであろう。

 だが彼とは連絡が取れず、福沢が今はキャッチャーをしている。

 現在のNPBにおいては、間違いなくトップクラスのキャッチャーであるが、武史と組んだことなどあまりない。

 ましてこのような極限状況で、武史の力を引き出すことが出来るのか。


 ここが点を取るチャンスだ。

 一点あればいいのだ。そして試合を終わらせる。

 直史には勝ち逃げしてもらおう。アレクにとっては、それが彼なりの筋の通し方であった。




 フロリダのビーチで朝の陽光を浴びながら、坂本はモニターまで外に持ってきて、試合を見ていた。

 この一大イベントであるが、彼の選択したのは、観客の位置であった。

 坂本は極めて計算高い男だが、この試合の意味も理解している。

 そして自分もまた、これについては呼ばれると思っていたのだ。

 だから身を隠した。


 日本シリーズよりも、ワールドシリーズよりも、話題となってしまったこの試合。

 もちろんWBCよりも、注目度は高くなっている。

 ただこの試合で、故障などをしてしまっても、最低限の保障しかない。

 MLBの公式戦ではないのだ。

「それでも、戦いたいちゅうがか……」

 朝から既に、ビーチで泳ぐ人間がいる。

 こちらは日本よりもはるかに暖かく、そしてこれから一日が動き出す。

 しかし街中の人々の数は、少ないように思える。


 ベースボールはアメリカの国技であるのだ。

 それなのにその偉大なる記録のほとんどを、直史は塗り替えてしまった。

 アメリカは外からの力を受け入れる社会であるが、それにも限界というものがある。

 実際のところアメリカは、移民などに対する差別は、とても大きい。

 特に東アジア系などは、比較的カーストの下なのである。


 だが各種スポーツの大スターは、そんなカーストを破壊する。

 もちろんその選手個人が、というものであるが。

 直史や大介の場合は、そもそもそんな感情など気にせず、とにかく相手を蹂躙していった。

 だが坂本はそこまでの力はなく、上手くMLBの世界の中で、成功者となっていったのだ。


 そんな自分が、この試合に出るのか。

 出たがる人間が大量にいるのだから、譲ってやったと言っていい。

 そして試合の展開は、おおよそ坂本の予想通りに進んでいる。

 直史は一点も許さず、そして対戦チームも、毒島のデッドボール以外はほぼ問題なく安定している。

 坂本からすると、悟がここまでいい選手だったのか、というのは意外ではあったが。


 坂本がそうやって試合を見ていると、周囲にも人間が集まってくる。

 この季節の野球の試合など、普通はないのだ。もちろん南半球の独立リーグなど、試合自体はそこそこあるが。

 直史の引退に関しては、アメリカでも大きなニュースとなっていた。

 結局直史をまともに倒したのは、大介が一度だけである。

 怪物が、怪物のまま去っていく。

 それに寂しさや悔しさを覚えるのは、選手だけではなくファンであっても同じであるらしい。




 この試合の主人公は、言うまでもなく直史である。

 副主人公とでも言える存在がいたとしたら、それは大介であるだろう。

 他の人間は全て、脇役に過ぎない。

 だが物語というのは、主人公が栄光をつかむだけのものでもない。


 世界には悲劇というものが存在する。

 そして単純に悲劇と言っても、それは主人公の死を意味するものでもない。

 映画を題材に考えれば、それは分かることであろう。

 映画でもいいが、日本の誇るマンガであっても、最終的に主人公が死ぬものは珍しくない。


 重要なのは主人公の生死や勝敗ではなく、それによってテーマが描かれるかだ。

 この試合についても、直史が勝つことが、完全に正しいとは言えない。

 これから去っていく野球の世界に、未練を残したくはない。

 だがほとんどの人間は、なんらかの未練を残したまま、その人生を終えていく。

 そもそも高校野球などというのは、未練の塊のようなものである。

 負ければ未練が残るというなら、結局最後まで未練なく終わるというのは、優勝チームのベンチメンバーだけとなるのか。

 そうではないはずである。




 勝敗だけにこだわってはいけない。

 だが勝敗にこだわらないなら、別のスポーツをしてもいい。

 陸上系の競技などなら、自分との対決ではないか。

 他人との競争に疲れて、他のスポーツを選ぶ人間はいる。

 もっとも陸上系であっても、結局は他人と比較することになるが。


 満足するまでやりきったら、それで充分なのだろう。

 直史の知る限り、北村も手塚も、そして他の先輩たちも、満足して高校野球を終えていった。

 優勝できなくて我慢ならなかったのは、結局直史なのである。

 そして優勝を目標として、やるだけのことをやってみた。

 上手く優勝できて、後の自信にもつながったのがジンである。


 大介などは結局、甲子園でも確かに決定的な役割を果たしたが、それでも主人公となったのは直史であった。

 決勝戦を結局、一人で投げきったあの夏。

 あの夏と同じように、直史はこの試合を投げきるつもりだ。

 ただ直史は忘れてはいけないが、とてつもなくストイックで、そして負けず嫌いな人間である。

 結局のところは、勝負にこだわるのだろう。

 そしてパンクしてでも、満足を手に入れる。


 ワールドチャンピオンのまま引退してしまえば、勝者の栄光と共に次のステージに向かえる。

 それをわざわざこんな面倒な舞台を作ったのは、理由があったからだ。

 あのジャンピングキャッチで、大介に回さないために、無理をしてしまった。

 こうなることが分かっているなら、勝負してやってもよかったと。

 理屈に合わない。

 直史が去年のシーズンで引退することは、周囲の親しい人間は知っていた。

 アレクもその一人である。

 野球で稼ぐのが第一のアレクとしては、直史はもっとずっと、MLBにいてほしい人間であった。

 だがそもそも、野球で食べていくことなど、考えていなかったのだ。


 プロ入り時のことなども、アレクは後に知らされている。

 大介に対する恩が、直史にはあるという。

 しかしそれは建前であって、大介は直史が断っても、普通に金は出したであろう。

 そして直史は約束の五年間を過ぎても、延長戦をすることになった。

 結局のところは、まだまだ続けるつもりであったのではないか。

 あるいは本当に二度と、シーズンでは投げられないことを、証明するためのこの舞台ではないのか。


 アレクとしては、どちらの先輩も恩人であり戦友である。

 ただあちら側に、武史がいるのだから、自分はこちらにいよう。

 それぐらいの考えだったのだが、よりにもよってこの状況。


 九回の表、先頭打者のアレク。

 対するのは高校時代の戦友であり、プロ入り後は敵であった武史。

 武史も実の弟だというのに、なぜに直史の敵側に回っているのやら。

 もちろん数人のピッチャーがAチームに来てくれたことで、直史が途中でパンクしてしまったとしても、試合は成立するようにはなっていた。

 ならば兄と対決し、超えたいとでも思ったのか。

(絶対そんなこと考えてないよね)

 アレクの見込みは正しい。




 武史としては、どちらでも良かったのだ。

 直史は実兄であるが、大介もまた年上の義弟ではある。

 家族間抗争でもあるまいし、本当にどちらでもよかったのだ。

 ただ上杉がこちらにいたので、武史もこちらに入った。

 妻である恵美理が、上杉の妻である明日美の親友だったので。

 他の人間がシリアスしている中、武史だけは気楽な気分だ。

 だがそういう時こそ、武史は力を発揮する。

 ポカミスもすることは多いが。


 そして九回の表、充分に肩を作って、最初の対戦相手がアレク。

 高校時代には白富東で、二代目ビッグ4などとも呼ばれたものだ。

 アレクは脅威の一番打者で、武史は二年の秋からエースとなった。

 それ以降はさほど、接触はない。

 高卒でプロに行くなど、武史の頭になかったからだ。


 ただMLBでは、対決することがあった。

 そしてだいたい、アレクは負けている。

 武史のボールは、分かっていても打てるものではない。

 直史の異常さに隠れているだけで、武史も充分にMLB史上屈指のピッチャーではあるのだ。


 不思議な因縁は、主役意外にも存在する。

 九回の表、助演男優賞を、二人は争うのかもしれない。



×××



 限定近況ノートにて第八部パラレル公開しました。

 また限定していない方でも新たに一話公開しています。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る