第27話 イーストエンド
ターナーは現在のMLBにおいて、バッターとしては五指に入るであろう実力を持っている、と思われている。
実際に各種指標を見れば、確かにその評価は間違っていないのかもしれない。
ただかつてセイバー・メトリクスが選手の評価を変えたように、実は今の指標も会社によって、何をどう評価しているのかが変わっていたりする。
もっともどの会社の指標であっても、一位が大介で二位がブリアンなのは変わらない。
スプリングトレーニングまでにわざわざ日本まで来て、いったい何をやっているのか。
そう思う人間もいるかもしれないが、それは人それぞれであろう。
何よりも、直史を打っていない選手は、そんなことを言うべきではない。
アジア人への差別意識からか、そんなことを言う選手もいたりする。
彼は幸いにも、直史との対戦経験のない選手であった。
ブリアンは目の前に存在する、人生において最大の障害に対して、逃げる己を許さなかった。
金になろうがなるまいが、それはどうでもいい。
彼はクリスチャンであるが、それと同じぐらいにストイックでもあった。
また貪欲ではないが、ハングリー精神は持っていた。
対するターナーとしては、直史はチャンピオンリングを一緒に取ってきたチームメイトだ。
多くの名選手が、生涯に一度もチャンピオンリングを取れないことを考えれば、それだけで直史には感謝をしたくなる。
そして同時に、敵と味方の立場で、本気でやりあってみたかったのだ。
来てみれば非公式戦のはずが、ドームいっぱいに観客が入り、テレビやネットの中継は世界中のスポーツチャンネルで配信されているという。
ここまでの事態になるとは、ターナーも思っていなかった。
そして前の二打席、ターナーは凡退している。
それなりに惜しい打球はあったりもするが、それすらも計算の範囲内という気がする。
MLBにはまだまだ、直史と対戦していない強打者が存在する。
それは出てきたばかりの若手であったりもすれば、偶然一度も対戦していなかったりもする。
過去にそういったバッターが直史と対戦した場合、必ずマスコミには問われるのだ。
対戦した印象はどうですか、と。
負けたバッターにそう尋ねるのだ。
直史の投げるボールは、絶対に手が出ないスピードボール、などというものではない。
確かに変化球の精度は素晴らしいし、ストレートもバックスピンはしっかりとかかっている。
だがターナーが味方の側から見て一番すごいと思うのは、そのメンタルである。
ここ一番という場面に集中するのではなく、試合の間はほぼ集中力を途切れさせない。
それによってそもそもピンチの場面を作らない。
徹底したグラウンドボールピッチャーで、球数を少なく試合を完封する。
確率と統計でコンビネーションを、それぞれのバッターに対して作り上げている。
ターナーから見ると、特に樋口が来てからの直史は、まさにパーフェクトを目指す機械のように思えたものだ。
ある番組では、こんな企画があった。
直史の投げたその試合のボールを全て、マシンで再現するというものである。
マシンであれば当然ながら、その設定どおりにボールは投げられるはずだった。
しかし実際は、ボールの重心の偏りや、わずかな縫い目の差によって、変化やコースがずれていく。
その結果明らかになったのは、直史のコントロールはマシンより正確だということであった。
数多くの異名の中には、マシーンというものもあった。
だがこの企画の後は、マザー・マシーンなどとも言われた。
あまり響きがよくもなかったため、さほど長い期間ではなかったが。
この試合もここまで、直史はほとんどパーフェクトな数字を残している。
だが見慣れたターナーからすれば、むしろかなり危険なピッチングにも見える。
MLBの試合ではおおよそ、フライを外野に飛ばされたり、ファールとはいえスタンドに入れられるのは、ほとんどなかったのが直史だ。
しかしまだブリアンや大介を、封じるだけの力はある。
ここはどうにか出塁して、四打席目を確保したい。
あと二人出ないと、三番打者に四打席目は回ってこない。
もっともこのままであれば、延長戦にも突入しそうな気はするが。
MLBにおいては、引き分けという試合がない。
天候による中止などはあるが、基本的にどちらかが勝つまで、試合は続くものだ。
それによってピッチャーが足りなくなる、というのも時々あったりする。
もっとも野手がピッチャーをやるのは、むしろ大量点差のついた時であるが。
延長に入った場合、試合はどこまで続けるのか。
そのあたりの説明を、ターナーは受けていない。
また延長まで、直史が一人で投げきるのか。
それはさすがに主役の引退試合とはいえ、無理が過ぎるというものである。
ターナーには迷いがあった。
バッターボックスの中に持ってきては、絶対に駄目なものである。
しかし三打席目まで、ブリアンを抑えている直史を見て、どうしても色々と考えてしまうのだ。
既に名声は、誰もが知ることとなっている。
そもそもパーフェクトゲームをここまで何度も達成する選手は、二度と出てこないであろう。
それがここまでやる理由を、ターナーは知りたいのだ。
限界が近づいているのかもしれない。
そもそもこの試合、直史は球数が多く、そして比較的奪三振が少ない。
グラウンドボールピッチャーで、打たせて取るのが得意な直史。
それでもやはり肝心なところでは、三振でアウトを取るのが上手かったのだ。
単純にやはり、相手のバッターが強力すぎる。
大介を抑えて、ブリアンを抑えて、そして西郷。
西郷は予定通り交代したが、大山も西郷ほどではないが強打者で、西郷よりも計算は上手いと言える。
今投げる相手で厄介なのは、球数を増やすバッターだと思っている。
シーズン中ならばともかく、一試合に全力を注ぐなら、そういった作戦も妥当であるのだろう。
プロとしては情けないが。
樋口はターナーに対しても、インローへのボールを上手く使っていった。
MLB選手を、NPBで打ち取るなら、やはり内角低目が重要になる。
デッドボールへの対応が厳しいMLBは、ストライクゾーンがボール一つ分ほど外になっている。
それを想定した上で、ボールに左右の角度をつければ、厳しいコースでもストライクのコールが取れるのだ。
スライダーで空振りを取る。
肘への影響が気になるが、パンクするかどうかは直史の判断だ。
樋口がやってやることは、最高のコンビネーションを作ることへの手伝い。
アウトローをさらに一個外したが、ターナーはこれを振って、ファールグラウンドに打球を飛ばした。
ツーストライクまでは取ることが出来る。
しかしここからはファールをいくら打たせても、ストライクカウントは増えないのだ。
アウトを取るのに一番確実なのは、三振である。
もちろんこれも、キャッチャーのパスボールという危険はあるが、それでもフライやゴロに比べると、アウトへの工程が少ない。
一番多いゴロを打たせるのが、直史の本来のスタイルであるが、これは野手に守備へのリソースを割かせることになるので、バッティングでの援護が少なくなるという現実も孕んでいる。
なので三振、特に見逃し三振が望ましい。
空振り三振というのは、相手が打とうとしてくるものだからだ。
最初の二球は、左右のコースでストライクカウントを増やすことが出来た。
なので三球目は、左右のコースでボール球を投げる。
そこからカーブなどの落差をつけたボールを使い、そちらに目を慣らすようにさせてしまう。
ボール球が二つ増えて、平行カウント。
そして最後には、左右の角度をつけたボールを、プレートの端から投げる。
これは内角すぎる、とわずかに腰を引いたターナーは、途中でそれに気がついただろう。
しかしもはや打つのは不可能で、せめてカットをと中途半端なスイングをする。
打ったボールはサード正面のゴロとなり、そこで別に呪いなど働かない。
緒方が問題なく処理して、これでツーアウト。
アメリカ人メジャーリーガー二人は、三打席連続で封じられたこととなった。
ここからは未知の領域である。
四番の西郷に代わって、代打は大山。
西郷とは従弟の関係にあり、直史や樋口とも同学年だ。
もっとも最後の夏の甲子園では、対戦することもなかった。
プロ入り後もリーグが違うので、あまり対戦経験はない。
本来ならそれは、ピッチャー側に有利なことになるのだが、とにかくこのバッテリーは相手の情報が多ければ多いほど、より対戦成績も良くなっていく。
何度対戦しても難易度が変わらない相手は、それこそ大介ぐらいだ。
大山も去年40本近くのホームランを打っており、打点も多い。
打率はやや西郷と比べると低いが、より長打力の高い西郷と、出塁率はほぼ変わらない。
打てるボールと打てないボールを明確に判断して、それで打たないという判断をしているのだ。
大山が西郷より優っているのは、走力ぐらいであろうか。
それも西郷が平均よりかなり低いからであって、大山は平均よりやや速い程度である。
総合的に見て、難易度の高い選手ではある。
それでもスタメンで出ていないところに、Bチームの打線の、とんでもない分厚さがあると言おうか。
もう少しぐらいこちらに来てくれてもいいのよ、と直史だけならず樋口はもちろん悟や孝司も思っている。
その大山は実のところ興奮していた。
MLBに行かなかった彼は、もう直史との対決はないと思っていたのだ。
直史とは甲子園では対戦はなく、NPBでもわずかに一試合だけの対戦。
なおその試合、直史は珍しくも三振を25個も奪っている。
引退後のマスターの試合などで、対戦することもあるのかもしれない。
だが本当の意味で本気で対戦出来るのは、もうこれが最後の可能性がとても高い。
延長戦に突入すれば、まだ打席は回ってくるかもしれないが。
この大山に対しては、バッテリーはかなりスタンダードな攻略を考えている。
既にツーアウトになってはいるのだから、最悪でもホームランさえ防げばいい。
次もまたもや代打が回ってくるが、今度は大学時代にも対戦した、谷が出てくるらしい。
もっとも彼とも、リーグが違うのであまり対戦はない。わずか一試合だけである。
直史が二年しかNPBにいなかったため、こんな事態になっているのだ。
五年間の海外での活動は、日本で新たな才能が出現するのには充分な期間である。
もっともそれよりもさらに、直史に完全に封じられていた、同世代の選手たちの執念の方が、上回っているようだが。
単なる憧れなどで、直史との対戦を譲ってしまうほど、プロの世界は優しくはないのである。
さて、では対戦を始めよう。
樋口と直史の間で、サインの交換がされる。
この大山を抑えれば、残りは2イニングなのだ。
もっとも延長戦の可能性は、かなり現実味を帯びてきたとも言える。
上杉が高校野球にデビューしてから、直史と大介が卒業するまでの間が、甲子園の本当の黄金時代とでも呼べるだろう。
実際のところは次の年も、武史と真田の対決など、見所は多かったのだが。
その人気がプロ野球にまでつながり、日本において野球というスポーツは、また活性化した。
そもそも競技人口も多く、報酬もかなり高い野球は、潜在的にマーケットの力が高かったのだ。
サッカー人気により逆転した競技人口が、またも拮抗している、というのはやはり同時代に、スーパースターがいるからである。
上杉と大介の対決は、ついに甲子園では見られなかったものだけに、プロの世界で大きく注目されていた。
特にライガースなどは、関西では地上波での放送も多かったので、さらに大阪はまたも大きな野球人気の波に包まれたと言える。
大山は同じ世代であり、プロ入り二年目からは主力になってもいるが、それでも時代が悪かったと言えるだろうか。
上杉から始まるスーパースターは、全員ではないがセ・リーグの方に偏っている。
ただ競争心のない人間であれば、それだけ成績も残しやすい、などと考えたかもしれない。
おそらく蓮池などは、それを考えてパ・リーグの球団を好きな球団に挙げていた。
とにかく直球に強いのが、桜島の野球であった。
変化球などはカットして、勝負に来たストレートなどは、多少は外れていても力で持っていく。
時代錯誤な頭の悪いバッティングに思えるかもしれないが、これで結果を残しているのだ。
重要なのは徹底してやるいということで、このフルスイングを相手に守備練習もしているので、左右はともかく近くの強い打球には、それなりに強い守備も持っていた。
大山への初球は、ナックルカーブから入った。
落差の関係上、ストライク判定が難しいこのボールは、ノーストライクの状況では見逃されることが多い。
実際の話、直史と樋口は球団の分析班と統計を取って、審判の傾向も分かっている。
日米の区別なく、また高校野球にまで手を伸ばしても、審判は初球の落差のあるカーブと、ツーストライクからの落差のあるカーブであれば、スイングしない場合後者はボール判定となる確率が高い。
ただこの判定はストライクであった。
わずかに変化量の差をつけていくのが、直史のコントロールである。
大山はこれを打っても、長打にはならないな、と判断したのだ。
西郷にも言えることで、しかも現代のトレンドでスタンダードなのが、フルスイングである。
パワーのあるバッターはまず、ホームランを狙っていくというもの。
ホームランの打ち損ないがヒットになることはあっても、ヒットの延長にホームランがあるわけではない。
まずはフルスイングをして、そのパワーで上手くミートしていくことが、重要なのである。
もっともこれは、短期決戦では当てはまらない常識にもなりうる。
既にツーアウトであり、次のバッターは厄介な柿谷からは交代である。
谷が準備をしているが、自分で打っていかなければ、点は入らないと思う。
自分で決めてやる、という強い意志を持つこと。
逆に何がなんでも後ろにつなぐ、という執念を持つこと。
これはどちらも重要なことで、柔軟性が必要とされる。
大山が確信しているのは、一つにはこのピッチャーから、フォアボールで出塁するというのは無理であろうということ。
そして下手に狙いを絞っても、パターンがありすぎて対応できないであろうこと。
来た球を打つ。それが単純でありながら、単純であるからこそ優れた対応なのかもしれない。
はっきり言えば、どうしようもないのだが。
スルーを投げられて、どうにか打っていった打球は、ピッチャーライナー。
二球目で終わってしまって、スリーアウトチェンジ。
早めに打っていったのは、直史対策としては間違いではない。
だが試合に勝つためには、球数を投げさせる必要があったであろう。
しかしこうも思うのだ。
そこまで削っていって勝ったとして、それは男の勝負ではないだろうと。
桜島の精神が、悪い方で出たと言おうか。
もちろん本当にこれがいいのか悪いのかは、人の見方によって決まる。
ただもう一打席、自分に回ってくる可能性があるとしても、この打席が最後のつもりでバッターボックスに入ったのだ。
それをあっさりと打ち取られてしまうのも、また野球なのだ。
樋口としては、球数だけは節約することが出来た。
だがピッチャーライナーというのがまずいのではないか。
スリーアウトでベンチに戻る直史。
その表情に疲労の色は見せていないが、今のワンプレイだけでも、かなり消耗しているはずである。
佐藤直史VS最強打線陣。
それは巨大な戦力を次々に使ってくるのに対し、直史が孤立奮戦するようなものである。
ピッチャーにしても向こうは、メジャーリーガーを含めても何人も、継投してきているのだ。
これほど不利な状況なのに、点差としては0-0で拮抗している。
正確に言えば直史が、一人でこの状況を作り出しているのだ。
(たいしたもんだ)
Bチームはまたもピッチャーが交代して、Aチームは打順が八番から。
ここもまだ、点が入る気がしない。
「こういう試合、一発で試合が決まることが多いよな」
「よせ、それはフラグだ」
直史の言葉に、ジンクスを信じない樋口でさえ、そんなことを言ってしまっていた。
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