二章 ドリームゲーム

第11話 イベント

 伝説に残る草野球と、世間では言ったりしている。

 もっと短く、ドリームゲームなどと言ったりもされている。

 直史としてはシンプルに、下の方がまだマシだなと思っていた。


 全体的な試合前のイベントから、試合後のイベントまでがしっかりと決まったのは、試合まであと三日というギリギリであった。

 そもそも草野球のつもりでいるのだから、ギリギリでもなんとかなるだろう、と無茶な考えでいるのが直史である。

 普段はそんないい加減なことは考えないのだが、自分のこととなるとかなりいい加減になってしまう。

 最初に言い出したのが大介だから、という責任転換も出来るだろう。

 だが直史にとってみれば、単純にこれは、自分のためだけの試合だと思っていたのだ。

 そこにセイバーなどが現れて、色々と余計なものを付け足していっている。

 とても魅力的で、拒否することが難しい、余計なものをだ。


 東京ドームで試合をするにあたっては、大介が当初は全額を出す予定であった。

 だがチケットを売ることで回収どころか利益まで出てしまい、それをどうするかにむしろ困ったものである。

 最終的には、余った分を全て寄付し、その寄付の先もセイバーが決めてくれたが。

「日本の団体はだいたいが左翼に資金が流れる元になってたりするからね」

 セイバーは笑っていたが、その笑みの中にあったのはどす黒い感情であったと思う。




 重要なのはこのイベントで、利益を出してもそれで誰かが得をしないこと。

 まあ放送する各社に対しては、収益を一定額寄付することで、納得してもらっているが。

 参加する選手にしても、交通費と宿泊費、滞在中の食費などは施設とレストランで出すが、それ以外は自分で出せというものだ。

 そしてなぜか本多や織田が、ターナーやブリアンと一緒に東京を回っていたりする。

 まさに外国人らしく、寺だの神社だの、そういったところを観光している。

 お前ら、本当に何しに来たんだ?

 交通費と宿泊費がタダだから、ついでに観光もしているのか?

 観光のついでに試合とかは考えていないよな?


 アメリカからやってきたのは、野球選手だけではない。

 そのタイムスケジュールはあるいは、一流のメジャーリーガーなどよりも、さらに高いオファーが出てくる、ケイティなどがやってきている。

 彼女は特別、野球に興味があったわけではない。

 だがイリヤが、彼女にとっての神にも近い友人が、直史のピッチングを愛していたのだ。

 それはもちろん男女の愛とは、違ったものではあるのだが。


 彼女もイリヤの死後、ずっと直史のプレイは見ていた。

 ついでに他の試合も見ていたが、直史の投げる試合というのは、他の誰かが投げるどの試合とも、全く展開が違ったものだ。

 ポップスでもロックでもない、緊張感に満ちたクラシックが近いような。

 全く乱れることはないが、確かな主張をそこに感じる。

 直史の完成度というのは、ケイティが聞いてもそれほどに感じるものだった。

 そう、彼女は直史のピッチングを、目で見ながらも音楽として聞いていた。


 そんなケイティはまさしくボランティア代わりに、試合前に一曲歌ってくれるそうな。

 一曲とはいえ彼女が無料で歌うというのは、あまりにも破格である。

 そもそも日本に来るために、かなりのスケジュール調整をしたのだが、かなり無理があったものだ。

 しかしそんなわがままが、ケイティならば許される。




「結局、イリヤの子供の父親は誰だったの?」

 試合前の球場の清掃などが行われている様子を見つつ、ケイティはセイバーに尋ねていた。

 それはもうイリヤの死んだ今となっては、明かすべきではないものなのかもしれない。

 ただケイティとしても、単純に気にはなったのだ。


 おそらくその秘密を知っているのは、あの双子。それとこのセイバーぐらいであろうとケイティは目星はつけていた。

 ただイリヤが産みたいと思うような男が、果たしてどれだけいるのやら。

 彼女の価値観的には、おそらく直史の遺伝子をほしいと思ったであろう。

 しかし芸術的な才能というのは、別に遺伝するわけではない。


 セイバーとしてはその秘密は、イリヤの娘が望んだ時に、明かされるようにはなっているとは知っている。

 だがケイティに伝えるようなことではない。

「イリヤの娘に、イリヤのようにあることを望んでいるの?」

「まさか。彼女はイリヤじゃない。イリヤのようなことを出来るのは、他には誰にもいない」

 ケイティはその点では、とても謙虚な人間ではあった。


 イリヤが彼女に対して残した曲は、まだ100曲以上もある。

 だがその中から、試合の前に彼女の歌う歌を初披露するというわけではない。

 歌を失って、絶望の中からどうにか、希望の欠片を見つけたイリヤ。

 その彼女がこの日本で、誰かのために作った最初の曲。


 Battle of the Summer

 夏の戦いと、そのまま訳せば日本語にはなる。

 だがこれが高校野球で演奏される時は、全く違う名称になるのだ。

 甲子園の戦いと、呼ばれることになる。

 ケイティはこれを歌う。おそらくはイリヤの代わりに。

 あまりにも早くイリヤは逝ってしまったが、直史が引退した後には、誰からインスピレーションをもらうつもりだったのか。

 そういった諸々の謎を含めても、いまだにケイティはイリヤの影を追いかけている。


 死者は語らず、そして演者も舞台を去る。

 だが世界は続いていく。

 そんな世界に何かを刻み付けるように、ケイティはこれからも生きていくのだ。

 



 世界中が待っていた、と言うほどの壮大なものではない。

 と言うよりは誰もが、こんなものは想像していなかった。

 試合が近づくにつれ、取り上げられることがあちこちで増えていく。

 最初はたった一人、大介の思いついたことが、ここまでの大袈裟なことになってくる。

 直史と勝負したいというバッターは、探せばNPBの中にいくらでもいると思っていた。

 また直史のバックを守る人間は、主に高校の後輩を当たればどうにかなるかなと思ってもいた。

 それが現役のメジャーリーガーまでやってきて、スプリングトレーニング前のこの時期に、ガチで対戦を望んでいる。

 日米のバッティングの頂点部分が、東京に集まっている。

 

 MLBなどでは現在、もうオールスターなどよりも、ホームランダービーの方が盛り上っている。

 日本においてはどうかと言うと、オールスターの価値は確かに昔ほどはない。

 交流戦のなかった、はるか昔においては、セとパの普段は対決のない組み合わせで、勝負が行われる風景が見れた。

 それもピッチャーもバッターも、二つのリーグから人気投票で選ばれた選手。

 ある意味においては選ばれるだけで、名誉なことではあったのだ。


 これまたMLBでは、特に賞金などもないため、オールスターに欠場する選手も増えてきている。

 NPBと違ってMLBは、リーグが違えば対戦する試合はかなり少ない。

 ただしトレードが活発であるため、いつかは同じリーグになって、普通に対決することは充分にありうる。

 直史と大介のように、ワールドシリーズでしかほぼ対戦がないという、極端な関係もあるが。

 一応は三年に一度、インターリーグで対戦の可能性はあるのだが、NPBよりはずっとチーム数が多いのがMLBだ。

 同じリーグでも地区が違えば、六試合から七試合だけしか、一年に対戦することはない。

 同じバッターと何度も、数年に渡って対戦しないといけない、NPBのピッチャーが比較的MLBで通用するのは、そういう背景もあるのだろうか。


 少なくともオールスターよりは、よほど注目されているこの試合。

 誰がどちらのチームに入るかは、おおよそ決まっている。




「これが最後だと思って、またえげつない打線になってるな」

 必死でまとめているのは、主にセイバーとその部下である。

 彼女とそのスタッフについては、この試合における給料などは出ていない。

 もちろんスタッフには、セイバーがしっかりと自分で金を払ってはいるが。

 おそらくボランティアで集めても、ちゃんと人は集まっただろう。

 それぐらいこの試合は、日本のみならずアメリカをはじめとする世界で注目されている。


 この数年のMLBの急激な人気回復と、むしろ拡大された市場においては、直史の存在は本当に大きかった。

 結局のところ致命的な敗北を、レギュラーシーズンで直史に与えることは、一度として出来なかったのだ。

 その直史は渡された相手チームの打線を見て、心底うんざりといった表情になってしまう。

 大介と対戦することは、どうしようもないこととして、既に受け入れていた。

 最終戦にフォアザチームということもあって、大介に第四打席を回すことなく終えてしまったからだ。

 だがそれに加えて、ブリアンとターナー。

 また西郷などもいて、多くのバッターが直史との対決を望んだのだ。


 本当に幸いと言えるのは、樋口が向こうにいないことと、悟が向こうにいないことであろう。

 樋口の厄介さは、本当に打つべきときに打つ、という勝負強さにある。

 決勝打や逆転打を打つことが、本当に多いのだ。

 悟に関しては四度のトリプルスリーに代表されるように、出塁、打率、長打、盗塁の全てが備わった選手である。

 もっとも全ての数字で、大介の劣化版などとも言われるが。


 直史と対決するのは、史上最強の重量打線。

 入っていないのは、ポストシーズンで故障して、出場自体が不可能な井口くらいであろうか。

 以前のWBCといい、本当に直史と対戦するには、色々と邪魔が入ってしまう選手である。さすがに直史としては、井口がいないことは幸いであったが。


 1 (遊) 白石

 2 (右) ブリアン

 3 (三) ターナー

 4 (一) 西郷

 5 (左) 児玉

 6 (中) 柿谷

 7 (D) 後藤

 8 (捕) 福沢

 9 (二) 西岡


 一番から三番までが極悪すぎる上に、その後が西郷。

 そこからも全く休めることなどなく、正志や柿谷といったメジャークラスのバッターが続く。

 最近は走力が落ちてはいるが、打撃力は相変わらずの後藤が、七番に入っているというのも驚きだ。

 去年のシーズンでホームランを30本打っていないのは、キャッチャーの福沢ぐらいである。

 それでも20本と三割をキープしているので、いくらなんでもひどいと直史は思うのだが。

 もしもここに悟が入っていたら、西岡と代わることになっただろうか。

 西岡も守備力のある選手であるが、それでもホームランは平均、年に20本ほどは打っている。

 WBCでもスタメン起用こそなかったが、普通に選ばれてはいたのだ。

「それでピッチャーの方は……」

 結局のところ、ぎりぎりまで保留していた上杉が、参加の意向を示してくれた。

 ただ上杉がいなかったとしても、武史が投げたであろうし、本多や蓮池、小川に阿部などといったあたりが、リリーフとしても控えている。


 おそらくこれは、0-0のまま延長に入る試合になっていくだろう。

 その時どこまで、直史が投げることが出来るか。

 球数制限はかけていないが、メジャー組はさすがに80球程度しか投げないだろう。

 それ以前の問題として、上杉以外のピッチャーが必要なのか、という話も出てくる。

 チーム力、特に打撃力において、圧倒的な差が出ている。

 佐藤直史VS世界、という構図が、ほぼ冗談ではない試合になりそうであった。




 問題はいくつかまだあった。

 ギリギリになってまでも、まだ問題の対処を潰しきれていない。

 延長になったらどうするのか、そして指揮は誰が採るのか。

「うちのチームはお前だろ」

 樋口は直史にそう言うが、指揮官に向いているのは樋口だと思うのだ。

 将来的には上杉の下で、人間を動かしていくであろう樋口。

 どちらかと言うと指揮官よりは、参謀の方が向いているとは思うのだが。


 延長戦の場合も、果たしてどこまで直史が投げるのか。

 いつも通りのピッチングをすれば、12回までは問題なく投げられるとは思う。

 いつも通りにピッチングなど、かなり難しいとも思うが。

 それでもどうにか、打線までは組めたところである。


 1 (中) 織田

 2 (右) 中村アレックス

 3 (遊) 水上

 4 (捕) 樋口

 5 (二) 小此木

 6 (DH) 赤尾

 7 (左) 鬼塚

 8 (三) 緒方

 9 (一) 蓮池


 あれ?と思う人間が意外なところに入っていたりする。

 小此木は魔王信奉者なので、こちらのチームに入ってくれてもおかしなことはない。

 織田とアレクがこちらのチームに入ってくれたおかげで、外野の守備力は向こうのチームよりも高いと言えるだろう。

 悟と孝司も同じ学校出身ということもあるが、こちらのチームに入っている。

 同じことは鬼塚にも言える。千葉のチームキャプテンであるのだが。


 意外なところは緒方と蓮池であろうか。

 レックスの同僚だった緒方がともかく、蓮池はわざわざこの試合に出るために、日本に戻ってきたというのか。

 そもそも本職がピッチャーであり、プロ入り後はずっと打席に立っていないので、全く信頼出来ない。

 ファーストならそれなりに、入ってくれる選手もいたであろうに。宇垣とか。


 とにかく直史チームの方は、あまり控えの選手もいない。

 一応内野も守れる鬼塚はいるが、サードかファースト限定であろう。

 緒方をショートに入れて、悟は打撃に専念だとか、樋口はキャッチャーに専念させようとか、色々と言いたくなることはある。

 ただ樋口としては高校以来の四番ということで、どうにか三番までに点を取ってほしいなと思っているのだ。


 チーム力の差は歴然としている。

 いや、守備力はそれほどでもないが、とにかく打撃力が圧倒的に違うのだ。

 得点力はともかく、長打力に差がありすぎる。

 あちらのチームは年間40本打っている者が多数いるが、こちらは一人もいない。

 悟と樋口は惜しいところまでいったが、悟は点の入る場面では下手に長打は狙わないし、樋口としても無理に量産するタイプではない。

 ただ一番から四番までの打率と出塁率については、かなり恐ろしいものがある。




 相手チーム、これは日米混成なので、連合軍とでも呼ぼうか。

 名称だけで勝利フラグになっている気もするが、チームDだと違う意味が出てくる。

 アメリカではないがブラジル人のアレクも入っているから、直史チームはそのままでもいいだろう。

 これで引退という花道を飾ろうというピッチャーへの、配慮が全く感じられない打線である。

 これを公表したことにより、まさにガチのイベントであると言えるようになってきた。

 現役メジャーリーガーでもトップ3に入るバッターが全員入っている。

 間違いなく直史が経験した中で、最も強力な打線だ。

 日本代表やアメリカ代表よりも、これが確実に強い。

 なにしろ直史の力を、甘く見る選手がいないのだ。


「お前、相当に嫌われてないか?」

 樋口の言葉にも、そっと視線を逸らす直史である。

「高校の後輩たちはたくさん来てくれてるし……」

 それはまあ、間違いではないのだろうが。

 連合軍は二打席連続凡退したら、三打席目は交代というルールが出来ている。

 あちらのチームに参加したバッターが多いので、これは仕方がないだろう。

 それにしても向こうのチームは、ピッチャーの調子が悪くても、次々に入れ替えられる陣容である。

 先発は上杉が投げるとしても、武史もあっちに行ってしまっているし、蓮池が裏切ってこちらに入ってくれたものの、阿部に毒島に小川といった、トップクラスのピッチャーが向こうにばかりいる。


 ピッチャーだけではなく交代要員についても、直史チームは層が薄い。

 とは言ってもこのスタメンだけで、普通に日本シリーズを戦うだけの強さはあるだろうが。

 いや、守備さえしっかりとしていれば、一点さえ入ってくれるなら、ほとんどの試合に勝つことが出来る。

 直史が投げるというのは、そういうことなのだ。


 


 世間はこの試合の話題で一色になっていた。

 これまでにもプロ野球選手の引退で、大きく報じられたことは少なくない。

 だがそれは選手が、衰えて引退する折になされる引退試合だ。

 セレモニーなども派手にはなるが、もう全盛期からは遠いレジェンドの試合。

 オープン戦の一部や、公式戦の最終戦などで、それが行われることが多かった。

 しかしこれは違うのだ。


 全盛期のレジェンドが、その壊れかけた腕を使って、対決を願うバッターたちと対戦する。

 こういった形の引退試合などは、間違いなく一つもなかった。

 そして今後も、出現することはないだろう。

 上杉にしろ大介にしろ、いずれは引退の時はやってくる。

 だがそれは自分なりに、限界までやった果てにくる、最後の舞台のはずなのだ。

 直史としても、自分の肉体の限界を感じている。

 それでも近しいところ以外からは、まだまだ通用すると思われている。

 30代の後半で、トミージョンを受けて復帰した例もあるのだ。

 直史の本当の限界が分かっているのは、直史自身。

 そして試合が始まろうとしている。

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