第12話 プレイボール

 選手たちが集まり、ロッカールームで会話をする。

「日本のクラブハウスは少し狭いな」

「無茶なことをする選手があまり多くないからな」

 ターナーの言葉に応じているのは、数年前まではここを使っていた本多だ。

 本来はクラブハウスはドームとはまた別の施設ではあるのだが、ここも使わせてもらっている。

 もっともビジター側の施設に、両方のチームが集まっているので、それは狭くも感じるではあろう。


 試合の先攻と後攻については、コイントスなどではなく、話し合いで決定した。

 直史の所属チームが先攻である。

 これは九回の裏まで、攻撃が見られるようにという配慮からなされた。

 直史の所属チームが先制するか、あるいは0-0で試合が進行することが前提の条件である。


「しかし随分と人が入ってるみたいだな」

「そもそもチケットは売り切れて、増設した客席も瞬殺だったんだろ?」

「売店とかはどうなってるんだ?」

「それに関してはあっちはあっちで自由にしてるそうだぞ」


 別に商売っ気を見せているわけではなく、五万人以上の観客がいれば、食べ物や飲み物は普通に必要になる。

 そのため提供する店舗は営業しているのだが、この日のためだけに営業してもらうのも酷ということで、利益は全て懐に入れてもらう契約になっているのだ。そもそも利益を出すための試合ではないのだし。


 一度きりの試合と思い、次などはないと思って企画してある。

 そして選手たちは、報酬の出ないボランティアのようなものだ。

 一応黒字になった分をどうするかなどは、全て契約はしている。

 問題なのは故障でもした場合であり、それは保険を用意して、それにも金を使っている。

 あくまでも草野球なので、本業に支障が出てはいけない。

 だが直史を打つ最後のチャンスと考えれば、参加したいと思う者もそれなりに多いのだ。




 時間が来て、選手たちが呼ばれる。

 途中の通路で別れて、それぞれのベンチに入っていく。

 ここから各チームの、最終的な守備練習が行われる。

 既に仕上げてきた選手が多く、その動きにはキレがある。

 表示された先発ピッチャーは、先攻チームが直史であり、後攻チームが上杉であった。

 この二人はNPBで、伝説の試合を残している。

 両者12回を投げて、一人のランナーも出さなかったという、参考パーフェクトの試合である。

 ただこの試合、残念と言うべきか、上杉は完投する予定ではない。

 キャンプ直前のこの時期に、一試合を丸々完投などしてしまったら、絶対に調子が悪くなるのは目に見えている。

 他に集まったピッチャーにも、出番を与えてやらないといけないだろう。


 そしてここで、試合開始前のセレモニー代わりに、ドレスアップしたケイティがマウンドに登る。

 マイクを前に彼女が歌うのは、イリヤが残した歌。

 直史と大介と、その他の数人のための歌だ。

 今でも母校では試合にブラスバンドが入ると、これを演奏するのだ。

 なおそれが何度も甲子園で続いたために、今では普通に他の学校でも、この曲を演奏することがある。


 夏の戦い。

 高校球児にとっては、最後の夏を思い出させる曲になる。

 春の甲子園では、あまり演奏されることがない。

 灼熱の夏の中で演奏されることを前提に、イリヤが作曲したものだ。

 真冬の今、この曲を演奏し歌うのは、本来なら時期はずれではある。

 だが甲子園を経験している者たちは、否が応でも戦意を高めていく。


 あの時代、大阪光陰と白富東が、高校野球の頂点を牛耳っていた。

 白富東が初出場を果たしたセンバツから数えて、六季のうち大阪光陰と白富東は五回の対決が甲子園で行われ、そしてこの二校以外で優勝を果たしたのは、準決勝で大阪光陰相手にボロボロになっていた白富東に勝った春日山のみ、などと言われている。

 実際のところはボロボロになっていたのは直史だけで、それもすぐに治る指の血豆ぐらいの怪我しかなかったのだが。


 決勝戦が三季連続で同じカードであったのは、ネットなどでも散々に揶揄されていたものだ。

 その間に決勝に進んだのは、他に帝都一と明倫館だけである。

 そう思うと大阪光陰の三連覇と、白富東の四連覇の間に入っている春日山は、本当に場違いな印象を与える。

 樋口の引退した年からは、一度も甲子園に行っていないのが春日山で、いまだに優勝候補になる大阪光陰や、その後も春夏連覇を達成している白富東とは、本当に存在感が違うのだ。

 上杉兄弟と樋口を世間に送り出すためだけに、輝いた春日山。

 それもまた歪ではあるが、高校野球の中では面白い輝きであったのだ。


 なお上杉兄弟は、兄は出場しているが、弟はなぜか直史のチームにいたりする。

 出場する予定はないが、控えのピッチャーの一人なのだ。

 こんな試合において、自分に出番があるとは思わないし、あっても困るのであるが、人数を合わせるためにも、また途中で直史がパンクした時のためにも、何人かはピッチャーが必要であったので。

 ブルペンで待機はするが、投げる予定はない上杉正也である。

 置物としてはあまりにも、立派過ぎる存在であった。




 グラウンドにいるのは選手ばかりではない。

 さすがにボールボーイなどは地元の人間を雇ったが、審判が問題であった。

 吉村がやってやろうか、などと言っていたが彼は立場的には直史に近いと思われるはずだ。 

 実際のところはどちらにも、それなりに恨みがあるのだが。


「う~ん、確かに高校野球なら練習試合とかで、かなり審判もしてたけどね」

 苦笑しながらも球審を行うのは、無茶振りが過ぎた国立である。

 なお塁審は北村、ジン、倉田が行っている。

 過去の白富東キャプテンが集結しているわけだが、これは互いの主力に、どちらのチームも白富東の人間が入っているので悪くはないだろう。

 ちなみに潮と、農業なので毎日が日曜日でありながら、休日は一日もない耕作が線審を行っている。

 完全に白富東キャプテン集結である。

 潮まではともかく、耕作はもうかなり野球からは離れているのだが。

 手塚はマスコミ勢として排除されている。


 まったくもって理解に苦しむ人選である。

 ただプロにお願いするのは問題であったし、引退した選手などに頼むにも、どこの誰に頼むかで荒れしそうであった。

 実際にネットでの話では、かなり荒れていたものだ。

 いっそのことと、企画の中心であった直史と大介から、頼んだものである。

 公務員もいたがこれはボランティアなので、副業には当たらないから問題はない。

 それでも念のため職場に確認を取るという、面倒なことを自分でしてさえ、この場所にはいたかったのだ。

 この中では国立が浮いているというのが不思議な事実である。




 実況と解説については、放送するネット局とテレビ局が、自前で用意した。

 普通にCMが入るテレビ局は、それでも地上波が入るならば、かなりの視聴率は稼げると見ている。

 実際に試合前から視聴率は30%を超えていて、これにネット視聴の人間を足すならば、50%をも超えているとさえ思えた。


 かつてサッカーのワールドカップにあったように、街角から人間が消える、という現象が起こっている。

 別に野球が好きなわけではない人間でも、実況をしたり翌日の話題にするためにと、この試合だけは見ている。

 これは同調圧力だなと見ている人間もいたが、その同調圧力を強いるほどのコンテンツを作れる人間が、果たして何人いるのだろうか。


『なお実況は、私遠藤と』

『解説は小林がお送りいたします』

 昨今の実況と解説は、この二人が人気であるらしい。

 日本を離れていた直史は知らなかったが、とりあえず実況も解説も試合には関係しないのでどうでもいい。

 それより心配していたのは、審判の問題である。

 当初は秦野に打診したのだが、お前らのボールのスピードで判定出来るはずないだろ、などと言われてしまった。確かにそれは間違いではない。


「しかし本当に俺が一番で良かったのか?」

 織田はそう言っているが、出塁率で勝負した場合、アレクよりも織田の方が優れてはいる。

 アレクは打てると思ったボールは、ボール球でも打ってしまうので。

 なのでランナーをさらに進めたいときは、アレクの方が良いということになる。

 また相手チームのピッチャーは上杉が先発である。

 甲子園においては上杉から、一番多くのヒットを打ったのが織田だ。

 もちろんそれは組み合わせなどの運も関係してはいたのだが。


 向こうのチームと違って、こちらはあまり代えの選手に余裕がない。

 出来ればこのスタメンで最後まで戦い、勝負を決めてしまいたいものだ。

 一番から四番までで、かなりの得点力は見込める。

 もっとも樋口などは完全に序盤は諦めていて、上杉が降板してからが本当の勝負だと、割り切っていたりもするが。

 MLBにいる織田としては、上杉相手も久しぶりの対決である。

 スピードに優れたパワーピッチャーとしては、MLBで何人も見てきた。

 ただ武史のスピードを上回り、なおかつコマンドにも優れたピッチャーというのは、一年間だけMLBでクローザーを務めた上杉ぐらいであろうが。

 NPB時代もリーグが違ったため、あまり上杉との対戦はない織田である。

 もっともそれを言うなら、直史のチームは三番まで、パ・リーグのチームなのであまり上杉のボールには慣れていない。正確には途中から悟はセに移籍しているので、それなりの対戦経験は積んでいるが。


 この試合は暗黙の了解ならぬ密室の密約で、直史以外のピッチャーは80球までと球数制限が決めてある。

 直史にそれがないのは、レギュラーシーズンに合わせて調整をする必要がないからだ。

 忘れてはいけないが、この開幕戦や日本シリーズより注目されている試合は、草野球の引退試合なのだ。

 まだ現役である人間は、変な疲労を残してキャンプ入りするわけにはいかない。


 それにしても全機材を使用し、観客は満員で、ドームなので鳴り物も盛大に使われている。

 この雰囲気は普通のプロの試合でもないことだ。あちらのベンチではターナーやブリアンの戸惑っている様子が見える。

 ビジョンも全て利用して、今は上杉と織田が交互にアップになって映されている状態だ。

(久しぶりに生で見るけど、全然衰えてないんじゃないか?) 

 上杉が肩を故障し、全盛期の力を出せなくなったことは、織田も承知の事実である。

 しかし現実の上杉は、通算勝利数が300勝を既に超えた、化物と言うよりは神の次元のピッチャーである。

 実際にMLBで一年だけプレイした時には、圧倒的な数字を残した。

(それでも、雪辱を晴らすチャンスか)

 プレイの声がかかり、いよいよドリームゲームが始まる。

 

 


 一応このゲームにおいて、直史のチームはAチーム、大介のチームはBチームと呼称されている。なんだか特攻してどんな任務もこなしてしまいそうなAチームと違い、Bチームは弱そうだが気のせいであろう。

 直史のNと大介のDでもいいのだが、他の選手をその他大勢にしてもいいのか、という問題が出てくるのだ。


 そのAチームの先頭である織田は、久しぶりの威圧感に立ち向かうことになる。

 MLBでは直史とも散々に対戦しているが、タイプが違うのだ。

 直史にも威圧感がないわけではないが、それは氷のような感触。

 上杉は巨大な山脈のようなものだ。

 その山から岩が崩れ落ちてくるような。上杉のピッチングというのはそういうものである。下手に打つとバットが折れる。


(正直なところ、佐藤にはあまり脅威とかは感じなかったんだよな)

 織田は直史からホームランを打っている、とんでもなく珍しいバッターである。

 それにMLBで何度も勝負をしているので、格付けは終わっているとも思っているのだ。

 なのでここでは直史の最後のピッチングを、外野からゆっくりと見たい。

 おそらく不世出のピッチャーが、果たしてどういうピッチングをするのか。

 WBCなどでもバックを守ったが、この試合とはまた違ったものになるだろう。


 対して初球から上杉は、170km/hのストレートを投げてきた。

 今のMLBで170km/hを投げるのは、武史以外にもう一人いる。

 だが球速だけが全てではないと、自身も高校まではピッチャー兼任であった織田には、ちゃんと分かっている。

 低めにコントロールされたボールが、ばしりと決まる。

 国立はストライクをコールして、織田は懐かしい感覚を覚えた。


 織田の役目としては、第一打席は上杉の様子を確認すること。

 上杉もまた不世出のピッチャーであることは間違いない。タイプは全く違うものであるが。

 二球目もストレートであるが、これはコースが高い。

 織田は振っていったが、ボールの下をバットはくぐってしまった。

 これでツーストライクと、簡単に追い込まれてしまう。

 だがここからが織田の真骨頂である。


 織田を相手に三連続ストレートは、さすがにないだろうと考えていた。

 上杉は器が大きく、そして驚くほど傲慢さがない。

 巨体ゆえに圧力を感じるが、そこからにっこりと微笑んでくるので、人はむしろギャップで親近感を抱くのだ。 

 これは西郷なども似たような評価をされている。


 上杉の球種はムービングの中でも、カットボールとツーシーム、そしてチェンジアップ。

 あくまでも目先をかわすためのものだが、カーブも投げるようになった。

 チェンジアップとカーブなら、ボール球でも織田なら打てる。

 だがここから上杉が投げてきたのは、ツーシームであった。

 ボールにバットが当たっただけでも凄いが、その打球は勢いよくファールグラウンドに飛んでいった。

(掬い上げるのはちょっと無理か)

 むしろ長打を狙うだけなら、高目を狙うべきであろう。

 上杉の投げる、抜けたわけでもない高めのストレートなど、まともに打てる者が果たして何人いるだろうか。


 四球目のボールは、大きく低めに外れたチェンジアップ。

 これで目を下に向けて、遅いボールを印象付けて、最後に投げるのは何か。

(来る、来る、来るぞ)

 全力のストレートを、織田もまた振りにいく。

 ジャストミートするつもりでいたが、まだボールの下を叩いてしまった。

 高く上がったボールは、上杉の頭の上は越えたが、それでも外野にまでは届かない。

 セカンドフライにて、まずはワンナウトである。




 アレクにとって直史は、面白い人間である。

 彼にはそもそも、誰かを尊敬するという意識はない。根本的にそういう概念のない家庭で育ったためだ。

 それでも高校時代のことなど、親しみは感じている。

 なのでこうやって、金にもならない試合に出ては、色々と借りを返しているような気分にはなっている。

 MLBでも同じチームに来たように、対戦したいという考えはほぼない。

 むしろ同じチームで三年を過ごした大介が、よくもまあ何度も立ち向かっていけるものだと不思議に思う。


(試合は勝つほうが楽しいだろうに)

 それに負けるとしても、自分だけはそれなりに打ってみたい。

 上杉はともかく他のピッチャーからなら、それなりに打てるだろうと考えているアレクである。

 彼の打算の心は、直史や樋口よりも、より生存に適して優れている。


 上杉のストレートを、全身で感じ取る。

 これは一球目から打っていった方が良かったかな、とアレクは感じた。

 織田もそうであったが、上杉のボールは強烈であり、ストレートを打つのは難しい。

 同じ剛速球でも、武史の方がまだ球質は軽いのだ。

 自分も織田がそうやったように、球数を投げさせるべきであろう。

 そうは思ったのだが、上杉のボールは基本ゾーン内であり、チェンジアップぐらいしか狙えるものはない。

 アレクがNPB時代には使っていなかった、あのカーブならば打てるだろう。

 しかしゾーンには使ってこず、明らかな見せ球としている。


 ただアレクは、その見せ球のカーブを打った。

 完全なボール球であるため、ベースに落ちるようなカーブであったが、それでもアレクにとってはそれが一番狙えると思ったボールだったのだ。

 センター方向に上がったボールは、前進してきた柿谷が簡単に捕ってしまった。

 これであっさりとツーアウトだが、上杉が三振を奪っていないのは、彼を見慣れた者にとっては珍しいものであった。


 そして三番は、パからリーグも移ってきて、上杉との対決が最も多い悟。

 彼が全く手が出ないのなら、少なくとも上杉が投げている間は、Aチームが得点することは不可能であるだろう。

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