第9話 新しい年へ
年末年始、佐藤家の人間が実家に戻ってくる。
本当の意味での実家はそれほど広くないので、母屋の方も普段は使っていない部屋まで開放する。
叔父などの家族もやってくるのだが、それほど長い期間ではない。
ただ直史や武史がプロ入りしてからは、遠い親戚が時々やってくることが多くなった。
有名になると親戚が増える、というのは本当である。
中には金を無心に来る人間というのも本当にいて、直史は内心慄然としていたものである。
そういう場合はその金の使用用途を尋ね、場合によっては借用書なども書かせて金を貸したこともあるが、たいがいは拒否して、一部は自己破産させた。
自己破産するにもある程度の金が必要だということは、けっこう知らない人間が多い。
その点では今年は、直史が引退宣言をしたこともあり、さほどの客は来なくなっている。
武史などは正月をこちらで過ごせば、妻の恵美理の実家に向かうので。
ただ知っている人間は、大介がこちらに来ているとも知っているので、彼に対しては遠慮がなかったりする。
単純に資産という意味であれば、大介は直史よりもはるかに金持ちである。
純粋にプロでの活動期間が長いというのもあるが、妻であるツインズがそれを上手く運用しているからだ。
直史の場合は実は生活費だけなら、瑞希が片手間で書いている記事だけなどで、充分に暮らしていけたりする。
ただ彼は田舎の土地持ちの長男として、この佐藤家の土地や山を将来的に、子孫にも残さないといけないと考えている。
昭和か! と言われるかもしれないが、これが佐藤直史という人間である。
「それで、調子の方はどうなんだ?」
「ある程度なら別に、来年も投げられなくはないみたいだな」
日本の医師の言葉はそうであったが、やがて擦り切れるのは分かっている。
もしも直史が35歳以降も三年ほどピッチャーをするつもりなら、トミージョンは間違いのない選択肢なのだ。
だが元々直史は、プロに行くのは五年間と決めていた。
それが七年まで延ばしてしまったのは、この大介との対決などが果たせていないと思ったからだ。
おおよそは直史が勝った。
負けた時もあったが、致命傷ではなかった。
集団競技であると、本当に誰が勝ったのかということは、なかなか判別しにくい。
それでも直史自身が勝ったと思っているなら、それは直史の勝ちなのだ。
逆に大介は考えている。
ドリームゲームと言われている一月下旬の試合で、直史が決定的な敗北を喫したら。
前言を撤回して、トミージョンを受けてでも、もう一度MLBに戻ってくるのでは、ということを。
(いや、それは無理か)
MLBで登板間隔を空けて、球数を少なくして年間25試合ほど。
それぐらいであれば直史も、投げられなくはないかもしれない。
ただそれでも直史は、全盛期ではなくなった今、現役を引退しようとしている。
そもそも普通のピッチャーなら、球威が衰えれば技巧を磨く。
球威だけで勝負していたピッチャーは、20代の後半から30代の前半で通用しなくなる。
対して直史の場合は、既に前から技巧は極みに達していた。
ならば球威が衰えれば、あとは数字はどんどんと落ちていくだけだろう。
経験によって読みを磨くにしても、ほぼそちらも極まっている。
そして直史は、フォアボールで逃げたくはない。
故障しなくても、そして約束がなくても、今年か少なくとも来年で、直史はプロの世界は去っていただろう。
本質的に頑固な直史が、二年間を延長したというだけで、充分に驚きであると言えようか。
「みかん食うか?」
「食う」
九州ではないが千葉の田舎でも、こういう時に動くのは女の役目、という意識はある。
だが恵美理がいたりすると、そういった習慣が通じないのは誰もが理解している。
なので直史と大介は、自分の世話は自分で焼いている。
恵美理は善良で、間違いなく人格もいい人間だが、郷にいれば郷に従えという点だけは、どうにも限界がある。
もっとも彼女の場合は、クリスマスの時などは自分で、ケーキを焼いてくれたりはするのだが。
直史はこの休みに、少し悲しいことを聞いた。
出身の中学が過疎化の影響で人数がさらに少なくなり、野球部は単体では大会に出られなくなったのだ。
この悲しさだけはさすがに、共有できる人間は少ない。
バスケ部はまだどうにか、単独で出場が可能であるらしい。
そもそもサッカー部なども、野球よりは最近人気とは言え、やはり人数は足りていない。
直史を輩出したというだけで、そのチームには価値があるように思われていたりする。
だが卒業してから18年ほどで、そこまで過疎化が進んでいるのか。
少子化もあるし人口減もあるが、代わりにこのあたりの農地をまとめて、農業法人を作ろうという動きはある。
直史としては地元の農業については、子供の頃に手伝っていたことがあるので、どうしても廃れさせたくはない。
ただ子供たちの教育は、もう少し街に近いところで行いたい。
綺麗ごとを言っていても、そのあたりはさすがに限度があるのだ。
白富東ではないが、他の高校については、公立ながらも中高一貫校というところが増えていたりする。
また白富東に関しても、一時期ほどに野球部の勢いはない。
引退したら指導資格を取得して、また顔を出してもいいだろうか。
三年の時は大学受験のために、秋までは後輩の面倒は見ていなかった直史である。
また大学の時は、大学の野球部はそっちのけで、勉強にばかり身を入れていた。大学生としては何も間違っていないことだが。
郷土愛というか、自分の中にある感傷には、比較的素直な直史である。
今度の試合はまさにラストゲーム。
どのような結果になるのかは、この最高のエースにさえ分かっていないことである。
年末は師走と書くが、だいたいの職業が忙しい月である。
特に直史よりも、今年に関しては瑞希が忙しかった。
瑞希の父の弁護士事務所は、基本的に市内の商店組合や、中小企業を顧客に抱えている。
新しい顧客が増えるのも、そこからの話が通っていくのだ。
本当に忙しいのは、この時期ならむしろ会計士や税理士であろう。
自営業者を顧客の中に抱えていると、決算は年末であることが多い。
年度末の企業もあるであろうが、通常は決算は年末に行い、確定申告などに備える。
実のところは事務所自体が、仕事納めのために忙しくはしている。
例年ならそれを手伝っていた直史であるが、今年だけは免除してもらった。
これが最後なのだから。
子供たちは直史の実家か、もしくは瑞希の実家に預かってもらっているが、年末年始は一緒にこちらへ来ませんか、と直史は言ったりしている。
だが瑞希の両親は瑞希の両親で、まだ埼玉に実家自体はあるのである。
一人娘を嫁には出したが、おかげで事務所は娘と婿が継いでくれる。
これで婿養子にでも入ってくれれば満点だったのだが、さすがにそれを直史に求めるのは厳しい。
現在の日本では、実は弁護士というのはかなり余っているのだ。
需要を考えずに、政府が徒に弁護士を増やしてしまった弊害である。
大手弁護士事務所に所属できなかった弁護士は、どうにかこうにか中小の事務所に、ノキ弁として間借りするか、イソ弁でも条件の悪いところで働くしかない。
難関試験を突破しても、今では弁護士というのは、さほどおいしい職業ではなくなっている。
ただ瑞希の父のように、古くからの付き合いをしっかりとこなしていれば、かなりの収入になるのも確かだ。
もっともそれもまた、中小企業が合併などされてしまうと、一気に顧客を持っていかれたりするのだが。
弁護士というのは正義の味方ではない。
法律を武器として戦う戦士であり、被害者にとっての傭兵や代理決闘者のようなものだ。
また中小の弁護士としては、法律相談に乗ったりもするので、そういうところから仕事が出てくることもある。
最近、というほどでもないが美味しい仕事は、離婚調停におけるお仕事である。
どれだけの慰謝料が取れるかというのが、そのまま収入に直結する。
あとは遺産相続などだが、こういったものも古くからの付き合いがものをいう。
ともかく今年も、無事に仕事は終わった。
直史と瑞希は実家に戻り、祖母や母の作るお節料理の手伝いなどをする。
佐藤家の女の序列は、基本的に祖母が一番強い。
そして次が母であるのだが、母と瑞希はそこそこ仲が良く、祖母の前では瑞希は緊張してしまう。
だがこれでも明史が生まれてからは、だいぶ態度は軟化したのだ。
田舎の旧家というのはいまだに、跡取りというものを重要視する。
直史は自分の代までは、この土地に骨を埋めるとは思っている。
自分が死んだ後のことは、それはもう子供たちに任せることだ。
親というものは子供たちの未来の可能性を、閉ざしたいと思う者は少ない。
それは自他共に認める保守的な直史でも、やはり同じことが言えるのである。
コタツをいくつも出して、紅白歌合戦を見る。
子供の頃から変わらない、年末の光景である。
ただ、昔から多かった子供の数が、今では制御不能なほどに多くなっている。
直史のところは娘と息子の二人であるが、大介とツインズの間には、養子を含めて今年生まれたばかりの赤ん坊を含め、七人の子供がいる。
そして武史のところにも三人の子供がいるのだから、騒がしくても無理はない。
残念ながら女の子が多いので野球チームは作れないが、直史の娘である真琴は、女の子ながら野球を始めていたりする。
この中で一番の年長は、武史の長男である司朗だ。
佐藤家の男子の名前の付け方は、あくまでも惣領息子に限られている。
ただ武史がそうであるように、長男の息子はおおよそ、史の字が付けられるものなのだが。
あと一人ぐらいは男の子がほしいなというのは、まさに田舎の価値観と言えよう。
そこまで古臭くはないはずであるのだが、基本的に女の偉さは、子供を産んだ数による。
その意味では直史たちの嫁の中では、四人の子供を産んだ桜が一番偉いことになるはずだ。
しかし桜は女の子ばかり産んでいるため、男の子を二人産んだ椿の方が、基本的には偉いことになる。
なんとも田舎の風習であるが、それもやがては薄れていくだろう。
それに桜はまだ、あと数人は子供がいてもいいなと思っている。
何しろ教育に使える資産が莫大であるため、ここで白石の血を増やすのだ。
また自分の産んだ子供が、偶然とはいえ女の子ばかりというのも、なんだかムキになっていたりする。
ツインズは古い因習とは無縁の、現代的な考えを持っているように見える。
だがこういう不思議なところでは、やはり佐藤家の人間なのだ。
「本当に可愛がるのはね、息子の子供じゃなくて、娘の子供なのよ。だって息子の子供だと、お嫁さんと意見が対立したりするでしょ」
直史の母もこんなことを言っているが、果たしてどうなのだろう。
基本的に合理的な直史は、あまりそういった人間の心の機微に敏感ではない。
だがこうやって一緒に紅白を見ながら、新しい年を迎える。
そしてもう、慌しい一年はやってこないのだ。
除夜の鐘が鳴り終わる。
最後の試合の一年が始まった。
直史は基本的に、年末年始はしっかりと休む。
ずっと夏の盆などには休めなかったので、ここだけは譲れない条件だ。
彼の価値観は、いい意味でも悪い意味でも昭和が残っており、漬物、梅干、味噌、餅などといったものは自分の家で作っている。
パートナーを尊重し、掃除も選択も育児も分担する直史だが、このあたりは自分に合わせてもらう。
なお料理に関しては、瑞希の方が上手いので比重がかかっている。
直史も出来なくはないのだが、彼は年末年始の大掃除の力仕事が担当だった。
今年だけはそれも免除してもらったが。
ぐっすりと眠っていた大人たちは、早々に眠りに就いた子供たちに起こされる。
新しい年の始まりである。そして直史にとっては最後の年だ。
実質的には、去年でもう終わってしまっていたし、去年も同じように考えていたのだが。
ただ去年はWBCなどもあったため、やはりオフシーズンから既に忙しかった。
赤ん坊などはともかく、まずはお年玉の授与である。
ぴったりと正座をした子供たちが、並んだ大人たちの前を順番で移動し、ポチ袋をもらっていく。
基本的に幼稚園、小学校、中学校、高校とお年玉の額は上がっていくのが佐藤家である。
なお白石家もそれに倣っているというか、ツインズがそのまま導入している。
よくあった強制郵便貯金などはさせず、上手くお年玉を使わせるのが、佐藤家の考えである。
限られた金額にプラスして、誕生日とクリスマスが、子供たちにとっての財産取得のチャンスである。
基本的に相当高額でも、プレゼントは問題なく買ってもらえる。
このあたりで金銭感覚がおかしくならないかな、とは直史もずっと懸念していることである。
近所の神社にお参りをするわけだが、お賽銭は全員でまとめて紙幣を入れる。
昔の話であるが、銀行が両替の有料化をした時に、とてつもなく困ったのが、硬貨でのお賽銭であったという。
今ではそれも特別処置で上手くこなしているらしいが、一時的なものがそのまま続いてしまっている。
これは別に悪いことでもないだろうが。
新年のお参りを終えて、ようやく家に帰ってお節料理とお雑煮を食べる。
そしてここからは、近所のやや遠い親戚の家を参っていくわけだ。
一応佐藤家の母屋は、このあたりでは一番偉いというか、しっかり家系が残っている。
近所の佐藤さんは、五代前とか六代前に、分家した家が多いのだ。
さらに都会に出てしまった佐藤さんもいるが。
この町の、佐藤家周辺の100軒のうち、30軒ぐらいは佐藤さんである。
元々鈴木さんと全国一のデッドヒートを繰り広げる佐藤さんであるが、由来的に佐藤さんの方が全国的に広がっている。
一般で言われるのは、佐藤の藤の字は、藤原氏の藤であるという。
そして佐の字は、補佐の佐の意味であるとか言われる。
律令にあった官職においては~~の守、~~の介などとあったが、この「すけ」というのが佐という字であったりもするのだ。
織田信長などは最初、勝手に上総介を名乗っていたが、そういった感触の一部が、名字の一部になった代表例だ。
なお関係ないが、近藤さんは近江の藤原さん、遠藤さんは遠江の藤原さん、などといった由来であったりもする。
全く関係なく藤がつく家もあるし、そもそも明治に国民皆姓があったりしたので、全てが藤原さん由来ではない。
ただ南さんとか西さんとか、そういうのは本当に村の中の方角であったり、村中さんとか中村さんもそういったものであったりはする。
佐藤家はそういったものではなく、江戸時代のはるか以前から、佐藤姓であった。
江戸時代も庄屋の家系で、農民ながら苗字帯刀を許されていた、と一応は言われている。
武史一家が恵美理の実家に向かった後、直史と大介は散歩がてら、裏の私有地である山に登った。
さすがに元旦はSBCも休みであるので、体を動かすのは自分でやらなければいけない。
直史は子供の頃から、山に入っては山菜などを採取していた。
こういった足場の不自由な場所になれているからこそ、足首が柔らかくも強靭で、バランス感覚もいいのだろう。
大介も東京出身とはいえ、それなりに周囲には自然が残っていた。
だがすぐ裏手が山という佐藤家とは、さすがに環境が違う。
「よくこんな山が残ってるな」
「それなりに手入れしないと、すぐにダメになるんだけどな、こういう里山は」
先祖代々伝わってきたこの山は、本来は村全体の物であったらしいが、土地改正で佐藤家のものとなった。
とはいっても近所の人間なら普通に入って山菜を取るし、ある程度は協力して共有財産化していると言っていい。
なおこの山はしっかりと管理されているため、本場の松茸が普通に取れる。
だが佐藤家は別に松茸をありがたがったりはしない。
曽祖父の代までなどは、松茸など普通に食事に出ていた茸であるのだ。
味はしめじや椎茸の方がいいというのは、田舎の人間にとっては当たり前のことである。
「俺の代でどうにか、これを持続的に維持できるようにしないとなあ」
「それはけっこう大変そうだな」
「まあ後半生の目的の一つにしてもいいだろ」
なるほど、と大介は納得する。
こうやって伝わってきたものを、そのまま後世に残していく。
そういうこともまた、直史にとっては重要なことなのだ。
大介には理解出来ないことだが、それも仕方のないことだ。
そもそも伯父夫婦などは、こういったことを継承していくことを、それなりにやっているのではないか。
山頂の開けた台地からは、冬の空気で澄んだ景色が見える。
盆地の中の畑や集落、そして後ろを振り返れば鬱蒼とした山々。
その山もまた、佐藤家の管理なのである。
「残すのも大変だろうなあ」
「かといって国の管理に任せると、大変なことになったりもするからな」
昔は林業が盛んで、また一時的に木材が必要とされたりして、その時は儲かったりもしたものだ。
遠い未来へ残していくものを持っている。
それは幸せなことなのだろうな、と大介は直史の内心を想像した。
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