第6話 来訪者

 冬が深まっていく。

 寒さに体が硬くなるシーズンであるが、直史は充分な準備をして、無理のないように練習やトレーニングを行っていく。

 生まれてから今まで、一度も肥満体と言われたことのない直史は、引退後の運動はどうしようか、などとも考えている。

 とりあえずしばらくの間は、離れていた仕事に慣れるのが大変であろう。

 しかし頭脳労働であろうと、大事なのは体力だ。

 二月以降に事務所に通うためのマンションを探したりもしている。

 こういったことまで義父に頼るのは、ちょっと悪いなと思いながら。


 そんな直史は今日も、千葉のSBCに通い、練習を行っていた。

 事務所からであると家とは正反対になるが、それでもそこそこ近い場所にあるのだ。

 日本の左側通行の車線には、微妙に違和感があったりもする。

 ここで事故でも起こしたら間抜けだな、と直史は慎重に運転をしていた。


 アメリカにいた頃は、試合への往復には、チームのマネージャーが付いていてくれたものだ。

 そのあたりMLBは、NPBよりも選手にかける金が多いと言える。

 もっともNPBの場合は普通に、運転するのが好きだという選手も多いのだ。

 基本的に直史は、怪我や事故につながることは、出来るだけ避けるべきだと考えているのだが。


 SBCのキャッチャー相手に今日も投げ、ノルマを終了する。

 そこで着替えようとしたところで、直史を待っている人間と出会ったのだ。

「真田……」

 ある意味ピッチャーとしては、直史にとって最大のライバルであった選手。

「うす」

 手術した左腕を吊った真田が、直史のことを待っていたのであった。




 世の中の話題が直史の引退一色になっていても、事件は色々と起こっている。

 その中の一つがこの、真田の故障である。

 真田は過去にも、軽い故障はして復帰している。

 だが今回の故障は、かなり深刻なものであった。

 直史と同じく、トミージョン手術を必要とするもの。

 真田は迷うことなく、手術の方を選択したのだ。


 甲子園では最後の夏で頂点を争い、プロ入り後も数少ない直史と投げ合えるピッチャーであった。

 使用している公式球とのミスマッチもあり、MLBに挑戦することはなかった真田。

 その代償というわけでもなかろうが、NPBでは今年プロ14年目にして、200勝に到達していた。

 だが後半戦で靭帯の損傷が明らかとなり、今年の残りと来季いっぱいがおそらく絶望。

 それでも当人は34歳のシーズンを迎えるべく、手術を選択したのであった。


 同時代に他の怪物がいたのが、真田の不幸であったと言おうか。

 彼が頂点に立っていたのは、中学のシニア時代のことで、日本代表の主力ピッチャーとして、世界一の栄冠に輝いている。

 だが高校以降は、佐藤兄弟に上杉と、まさに対決するピッチャーが悪かった。

 リーグが違えばタイトルの一つや二つは、絶対に獲得していたであろうに。


 直史と真田の交流は、さほど多いものではない。

 少ないその交流にしても、だいたいが敵として対戦することが多かった。

 味方となったのはオールスターの他には、国際大会のWBCぐらい。

 あとはことごとく、真田の頂点への道を、直史が叩き潰してきたように見えている。

 もちろん実際には、真田も日本シリーズなどで、優勝投手になっていたりはするのだが。


 着替えた直史は、近くのフランチャイズ店に真田を誘った。

 片手では運転も出来ないだろうにと思ったら、タクシーでわざわざ来たらしい。

 別に事務所に来てもらっても良かったと思うのだが、どちらにしろタクシーが必要にはなるのか。

「そっちの目安はどうなんだ?」

 見た目には真田は明らかに重傷なのだが、手術を決断するあたり、まだ可能性は充分なのだろう。

「再来年のシーズンには間に合わせる」

 真田の幸運であったところは、今年が三年契約の一年目であったことだ。

 これが契約最終年とかであれば、チームの手配もここまではしてくれなかったであろう。


 プロ生活14年間で、そのうち13年が二桁勝利。

 普通に怪物であるのだが、本当に生まれた時代が悪かった。

 あるいはリーグが違えばとも思うが、対戦を希望してセ・リーグに残り続けたところが、真田の青さとでも言おうか。

 単純な給料などを考えるなら、パ・リーグのチームにFAで移籍すれば良かったのだ。

 だが上杉などを見てきたため、ライガースに残り続けてしまった。

 それで200勝投手が誕生したのだから、ライガースにとっても真田はフランチャイズプレイヤーなのだろうが。




 今年、真田が故障した原因は、ペナントレースが始まる前にもあったのではないかと思う。

 直史も出場したWBCに、公式球のレギュレーションがしっかりと定まったため、真田も選出されたのだ。

 NPBで使っているよりは、やや重いMLBのボール。

 この負担によって、ペナントレース開始前に、真田の肘には疲労が溜まっていたのだろう。

 それがシーズン終盤になって、苦しいところで爆発。

 その結果がこれである、という意見もある。


 正直なところ、真田のやってきた理由が分からない。

 真田はピッチャーであるので、もう一度直史と投げ合いたかったというところだろうか。

「もう、本当に投げないのか?」

 わざわざやってきて、質問されたのがそれであった。


 真田にとって自分は、どういう存在なのだろう。

 高校時代もプロ時代も、真田は直史によって、その栄光を邪魔されることになった。

 直史のいないところで勝っても、意味がないとでも思っているのだろうか。

 それはプロの思考ではないな、と直史などは思うのだ。

「元々、体全体にガタが来ていたからな」

 これは事実である。


 MLBの過酷な試合間隔。

 もっともそれは、直史が自分で計算し、可能であるぎりぎりをあえて求めたからであるが。

 それによってチームはポストシーズンに進み、ワールドチャンピオンにまでなっているのだ。

 体力の限界ではない。だが直史の理想とするピッチングの、これが限界。

 負けるような試合が多くなるならば、もう引退してもいいだろう。

 そんな状態であれば、少なくとも大介には勝てないのだから。


 真田はそれ以上は、さほど説明を求めなかった。

 彼もまた直史の人生の中では、一つの大きな壁であった。

 一歳年下ではあるが、真田は直史の経験しない、故障からの復帰というものに挑戦していくのか。

 もはや敵でも味方でもなくなった今、直史はそれを応援したいとも思う。


 駅まで送った直史は、最後に言った。

「チケットが必要なら、せごどんなり誰なりに言えば、人数分揃えるからな。早いもの勝ちだけど」

 頷いた真田は、駅の構内へと歩いていく。

 その去りようがまるで、自分にとってのライバルがまた、一人去っていくように見えた。

 野球という世界は、そうやって直史から遠ざかっていくのであった。




 冬の間のコンディション調整は、大変難しい問題である。

 直史はそれを、年齢を重ねるごとに感じるようになってきている。

 30代前半というのは、そうそう確実な衰えを感じるものではないのかもしれない。

 ただ肉体の衰えを感じるのは、ある程度の個人差もある。


 直史の場合は、確かに衰えと言うか、回復力が低下してきたのを感じていた。

 その場合に重要になるのは、登板間隔を空けるのか、それとも球数を減らすのか。

 どちらかしかないように思えるが、直史はわずかに球数を減らしたが、それでもリーグトップの完投完封を記録。

 衰えていると感じているのは、おそらく本人だけであったろう。あるいはバッテリーを組む樋口もか。


 しっかりと時間をかけてアップしなければ、軽いランニングでも肉離れを起こしたりする。

 今の直史にとって、怪我で休んでいられる時間などはない。

 最後の豪勢な草野球、おそらく大介は直史と対決を望む。

 そしたらいっそのこと申告敬遠でもしてやろうか。

 もちろん思うだけで、実際にはやらないが。


 そんな直史の元を訪れる者は、色々といる。

 それはレックス時代の人間ではなく、高校の同級生や後輩などが多かった。

 一番多かったのは、大介などの身内を抜けば、千葉にいる鬼塚であろうか。

 彼もまた草野球への参加を希望していたが、果たして出番が回ってくるのか。

「そん時はバックを守りますよ」

 なにせ相手は、直史を相手に打ちたい選手がやたらと多いのだ。


 誰が出場するのだとか、そういうことはツインズに任せてある。

 なんだかんだ言ってお兄ちゃん大好きっ子であったため、そこは頑張ってくれるだろう。

 ただしどのバッターにも、三打席回すというのは、ちょっと難しいらしい。

 調整だけで頭が痛くなりそうだが、そんな直史の元をセイバーが訪れてくれた。




 セイバーが直史の元を訪れたのは、簡単に言えば趣味である。

 自分が趣味で始めた事業において、重大な役割を果たした直史が、その舞台から去るのだ。

 そして黒字化しそうな件については、セイバーは相談にもってこいの人間であった。

 なにしろこのたった一つの非公式戦は、海の向こうのアメリカや、台湾に韓国、はたまた野球の行われている地域では、おおよそ関心を持たれていたのだから。

「いっそチャリティにしましょう」

 セイバーはそう言って、放送のことまでも企画を始めた。

 彼女は去年までと違って、今年は球団の単独オーナーではない。

 なので、はっきり言ってしまえば、暇だったのである。

 もちろんそれは彼女なりの配慮であり、彼女は仕事をしようと思えばいくらでも、仕事はやってくる人間なのだ。

 

 かかった経費に関しては、全てチケット代から出せばいい。

 選手にはその経費だけを負担し、報酬は一切出さない。

 もしも出せる報酬があるとすれば、半分怪我人とはいえ、直史との最後の勝負をするという権利。

 今まで散々ひどい目にあってきたから、怪我人相手に勝ってやろうという浅ましい思い。

 もっともセイバーなどからすると、それでも直史ならきっとなんとかしてくれる、と思うのだが。


 また彼女は経費以外の全てを、どこに寄付すべきかも考えてくれた。

 これが参加するのが、NPBの人間だけなら、日本国内の団体でも良かったのかもしれない。

 だがメジャーリーガーもいる中では、日本に限るのも問題があるだろう。

 国境なき医師団に寄付するのがいいのでは、と彼女は提案した。

 これがアメリカなら、寄付の制度が整っているため、話はもっと簡単だったのだろうが。

「高野連からも寄付の話はありましたね」

「出さなかったんでしょ?」

「出しません」

 高校野球でスーパースターになりながらも、また甲子園で大活躍しながらも、直史の高校野球に対する愛着などは全くない。

 彼は極めて保守的で、伝統的であって、リベラルではない、非権威主義者であった。

 偽善というものが大嫌いで、どちらかというと言動などには露悪的なものがある。

 そういうところに引かれる人間も、いないではないのだ。



 

 セイバーが参加したことによって、この試合の開催に関する諸事務は一気に進んでいった。

 そもそも野球などというものは、プレイヤーが集まればそれで、試合は開始出来るものなのだ。

 審判に関しても、基本はボランティアであって、交通費と宿泊費、そして試合前後の食費のみを出すというもの。

 一人がずっと審判をするものでもなく、数人で順番にやってもらおうという話になっている。


 公式戦でもなく、しかも背景に大きな組織があるわけでもない、本当にただの大規模な草野球。

 これが巨大なイベントになってしまうあたり、本当に昨今の野球人気の復活があると言えようか。

 それもまた、直史が去ると共に、ある程度は失われるだろう。

 大介のような巨星はまだ残っても、ライバルとなる存在がいない。

 上杉がNPBにとどまる以上、あとは誰がいるというのか。

 武史は力量はともかく、メンタルで既に負けている。


 最後の祭りなのだ。

 それを理解して、多くの人間が参加したがっている。

 止めようとするのはせいぜいが、直史の肘を心配する医者ぐらい。

「理解に苦しむ」

 日本において直史がかかっている医者は、慶応大学の医者であった。

 全く知らない仲ではないその男は、あの甲子園でも対戦した、明倫館の村田である。

 もう少しすれば父の医院を継ぐため、山口に帰るというタイミングで、直史が日本に戻ってきた。

「君は法曹界で生きていくはずではなかったのかね」

「世の中、色々としがらみがあってな」

 なんだか怒りながらも、しっかりと診断はしてくれる。


 やはり肘の調子は悪い。

 ただ村田の見立てでは、トミージョンをしなくても別に、一年使わなければ元通りに投げられるぐらいには回復するのでは、というものだった。

 とりあえずトミージョンという今の時流には、逆行しているものであったが。

「本気で投げるなら、来年のオフを待つべきだな」

 結局プロには行かなかったこの男は、自分や樋口とはまた違った、ピッチングの組み立ての理屈を持っていた。

 それを完全に捨てて、医学の道へ進んだのだが。


 最後の舞台へ、直史を送り出してくれる。

 彼の診断には、患者に下手に配慮したものなどはなかったのであった。



×××



 本日は限定ノートでパラレルの新作を公開しています。

 またそれに合わせて全公開のパラレルも18時より一話投下します。

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