第2話 式典

 MLBのシーズンはワールドチャンピオンが決まって、全ての試合が終わった。

 だがそれから約一ヶ月の間に、各種の表彰などが行われていく。

 直史はいつもなら、そういった催しにはあまり参加しない。

 そもそもMLBというリーグに対して、本当は興味がないからだ。


 傲慢であることは間違いないであろう。

 だが彼にとって優先するべきことは、他にもあるのだ。

 それは主に家族との時間であって、半年間の間に162試合も行うMLBでは、なかなか子供たちとの時間も取れない。

 それでもローテーションピッチャーの直史は、まだマシだったと言えるのであろうが。


 おおよそ中四日で投げて、一試合あたりは100球まで。

 もっとも直史の場合は、100球も投げれば試合が終わってしまう場合も多かった。

 最後のシーズンも結局、30勝以上を達成してついに、日米通算で200勝を突破。

 おそらくこれだけの短期間で、名球会入りの資格を手に入れた選手はいないのではないか。

 そうも言われたが、そもそもNPBとMLBでは年間の試合数が違う。

 登板した試合数で数えれば、確かにそうだと言えるのだが。

 

 今年はまず、ゴールドグラブ賞に選ばれた。

 ピッチャーにも様々な種類がいるが、直史は基本的に打たせて取ることを重視している。

 それもフライではなく、ゴロを打たせるのだ。

 フライボール革命によって、バッターはフライを打ちに来る現代、ゴロを打たせることは難しい。

 あるいは素直に三振を奪いにいった方が、よほど簡単である。

 だが直史は、長期的な視野に立って、自分のスタイルを貫いていた。

 球数が少ないことによって、試合間隔が短くても回復する。

 それが直史のスタイルであり、実のところ奪三振率も、先発ピッチャーの中では相当に高かったのだ。


 重要なのは、固定観念に縛られないこと。

 フライを打たれるのは嫌いだが、相手バッターの狙いをかわす目的があれば、フライを打たせてもいいのだ。

 特にこの一年は、それなりにフライを打たせることがあった。

 ホームランにさえならなければ、フライを打たせていい場面は多い。

 高校野球などはむしろ、フライよりはゴロを打て、という時代も長かった。

 いや、現在でも相手次第では、ゴロを打つことがいい場合もあるのだ。


 とにかく直史は勝つためのピッチングをした。

 勝つために一番重要なのは、負けないこと。

 そして負けないためにするべきは、点を取られないこと。

 野球というのはピッチャーが点を取られなければ、絶対に試合に負けることはない。

 もっともMLBはNPBと違い、レギュラーシーズンは延長がいつまでも続くので、どこかで降板することはあるが。

 今年も完投した試合が、31試合もある。

 途中で継投したために、勝ち星を消された試合も一つあった。


「とんでもないな……」

 マスコミの人間も、この悪魔のような数字を積み重ねるピッチャーに、適切な罵倒の声を投げかけるのは難しい。

 結果が全てのプロであれば、まさに直史は結果を出しているのだ。

「ピッチャーゴロの処理失敗が、年に一回だけか」

「マダックスみたいなピッチャーだな」

「いや、あれはサトーだろ」

「違いない」

 唯一無二という存在で、直史は語られることがある。


 80球以内で試合を完封するという、グラウンドボールピッチャーにとっても異次元の領域。

 いつの間にやらそれは、サトーと呼ばれるようになっていた。

 全打者を三球三振で終わらせても、81球はかかるのが野球というスポーツだ。

 それをより少ない球数で終わらせてしまうというあたり、本当に技巧派の鬼と言える。

 いや、鬼より怖い魔王であるか。




 ゴールドグラブには、大介も選ばれていた。

 キャッチャーの部門で樋口も選ばれているので、日本人選手がそれなりに揃ってしまっている。

 どの選手も今年が、33歳のシーズンであった。

 およそ野球選手が、身体能力の絶頂と技能の円熟の融合を見せる年齢がこのあたりだ。

 ただ直史の場合は、全ての年が別格と言える。


 MLBに5シーズン所属し、途中でクローザーを務めた一年を除けば、全ての年で30勝以上。

 そもそも最後に30勝以上を達成したのは、直史が登場するまでは、もう半世紀以上も前のピッチャーであったのだ。

 年間無敗を当たり前のように達成する。

 今日の試合は一点でも取られるだろうかと、ファンもアンチも偏った楽しみ方をしてしまう。

 それが佐藤直史というピッチャーであった。


 そんな直史に対し、マスコミの質問も多い。

 これだけの偉業を達成して、どう思うかというものだ。

 直史はファンも多いが、アンチも多い人間である。

 むしろ日本に比べると、アメリカの方がそのアンチは多くなっているような気もする。

 元々アメリカにおける野球では、ピッチャーよりバッターの方が、人気が出やすい、ということもあるのだろうが。


「今年で契約は切れるわけですが、来年からの予定は何か決まっていますか?」

 直史は二年契約で、その年俸はインセンティブまで含めると、リーグナンバーワンになるものであった。

 そしてそんな契約であっても、高いとは思われないほどの実績を残した。

 直史としては別に、こんな質問に答える必要はない。

 ただ彼としては、引退するという宣言よりも、より後に残る人間を利する発言を考えている。

「まだ交渉は開始していないが、最優先するのは当然、所属している球団だろう」

 実際にそのオーナーと話して、来季はもうMLBにはいないという話はしているので嘘ではない。

 それを聞いた記者が、嬉々として記事にするのだろうなと、直史はいささか意地の悪い気持ちで見ていたのであった。




 ゴールドグラブの約10日後に、サイ・ヤング賞の発表が行われる。

 全米野球記者協会所属の記者による投票で決まる、それぞれの二つのリーグで最も優れたピッチャーに送られる賞。

 直史はこれまで四年連続で、これに選ばれていた。

 他の主観が混じる賞と違って、サイ・ヤング賞はかなり数字で評価がされる。

 たとえば日本の沢村賞であると、勝利数や防御率、また奪三振数が評価の対象となる。

 しかしながらサイ・ヤング賞でその中で重要になるのは、せいぜい奪三振数ぐらいである。


 なぜなのか。

 それは勝利数も防御率も、ある程度はピッチャーではなく、野手の責任によることが多いからだ。

 デグロムなどは11勝や10勝しかしていないのに、サイ・ヤング賞を取っている。

 その理由が、ピッチングの内容を詳細に検討しているからである。


 ピッチャーの評価というのは極端に言えば、奪三振と四球、そしてホームランの三つだけが、ピッチャー個人の能力である。

 もちろん反論は多いだろうし、直史自身も反論する。だが一定の評価基準とはなると思っている。

 それはこの三つが、ほとんどバックの守備が関係ない、ピッチャーのみによる数字だからだ。

 奪三振はそのアウトの取り方は、ほぼピッチャーの能力による。

 正確にはキャッチャーのフレーミング技術などもあるが、基本的にはピッチャーの力によるアウトだ。


 そして四球、つまりフォアボールであるが、これはピッチャーのみの責任による出塁。

 ゴロやフライを打つことによって、バッターはヒットを打つかアウトになる。

 そういったものは打球の方向など、ある程度は運の要素が絡む。

 しかしフォアボールを出してしまうのも、三振と同じくほぼピッチャーの責任だ。

 これが少ないピッチャーは、やはり優れたピッチャーなのだと言える。


 あと残るはホームランであるが、これもやはりピッチャーの責任だ。

 ゴロでもフライでもなく、守備の活躍する余地が、全くない失点。

 それがホームランである。


 これらの要素にはキャッチャーのリードなども、ある程度は含まれるべきであろう。

 ただNPBとMLBで違うのは、ピッチャーの投げるボールを組み立てるのは、バッテリーのどちらに主導権があるのかということだ。

 MLBはあくまでも、打たれたのはピッチャーの責任であるという。

 ただ抑えたのもピッチャーの功績となる。

 このあたりなぜかNPBは、抑えたらピッチャーの功績で、打たれたらキャッチャーのリードミスと思われることが多い。

 実際のところはリードミスというのは、ピッチャーのコントロールミスなども多いのだが。




 直史はまず、フォアボールが極端に少ない。

 年間に200イニングだの300イニングだのを投げて、一つか二つか、ということが珍しくない。

 パーフェクトを逃す試合があった場合、そのほとんどは野手によるエラーとなる。

 そもそも何度もパーフェクトをするのが、異常であるというツッコミは置いておく。

 だが勝ち星はともかく、パーフェクトなどの回数は、今年はやや少なかった直史だ。

 他のピッチャーで、生涯に二度以上パーフェクトをする者など、片手で数えられるほどだというツッコミも置いておく。


 奪三振率は、先発の中では高いが、クローザーなども含めれば平均的な直史。

 だがそれは彼が、年間に35試合も先発して、31試合も完投したことと関係する。

 短い間隔で何度も完投するには、球数を投げていてはいけない。

 出来るならば一人一球、打たせて取るのが理想だ。

 それが出来ているからこそ、直史はあまり奪三振率自体は突出していない。

 だが奪三振数自体は突出している。

 なぜなら投げているイニング、奪っているアウトの母数が違うからだ。


 ナ・リーグでは実弟の武史が、今年も奪三振王となっていた。

 しかしア・リーグにおいては直史が、数ではずっと劣っているが、やはり奪三振王なのである。

 球数が少なければ、多くのイニングに投げられる。

 するとそれなりに、奪三振数も増えていくのだ。


 そしてホームランであるが、これも年に一つか二つ。

 直史はバッターにゴロを打たせる、グラウンドボールピッチャーである。

 ただそれはプロ入り直後のことであり、MLBに来てから二年目以降は、それなりにフライも打たせるようになっている。 

 直史のピッチングの特徴を挙げるなら、それはハードヒット率、つまりジャストミートされたボールが少ないということだ。

 多くが内野ゴロで、それでなければ内野フライ。

 アウトにおけるキャッチャーフライの割合が、最も多いピッチャーが直史である。




 直史は今年のア・リーグのピッチャーの中では、勝ち星が最も多く、投げたイニングも最も多く、奪った三振も最も多く、与えた四球は最も少なく、打たれたホームランも最も少ない。

 こんなピッチャーがいるのなら、サイ・ヤング賞に選ばれても当然である。

 海外からやってきて、アメリカの文化に染まろうともせず、逆に影響力を周囲に与えてしまう。

 直史はカリスマ性にはそれほど富んでいない人格なのだが、その残した数字を見れば、彼を神と仰ぐものが出てきても仕方がない。

 マウンドでのあまりにも、相手バッターに対する無慈悲さ。

 そこから直史のことを魔王などと呼び、そして直史のファンのことを魔王信奉者と呼ぶ。

 そんな文化を生んでしまったピッチャーが佐藤直史という人間で、彼は今年も無事にサイ・ヤング賞を受賞したのであった。


 五年連続の受賞は、MLBの歴史上最長。

 ただそれを言われた直史は特に感慨もなさそうに答えたものである。

「怪我をしなかったら、おそらく弟に塗り替えられるだろうな」

 そしてその言葉を否定する材料は、コメントを求めた記者を含めても、誰も持たなかったのである。




 サイ・ヤング賞がピッチャーの賞であるのに対し、バッターの賞もある。

 三冠王などや、それを構成するタイトルとはまた違う、ハンク・アーロン賞である。

 なのに過去には「ピッチャーにはサイ・ヤング賞があるのだから、MVPは野手から選ぶべきだ」などと言ったホームラン王がいたらしい。

 まあこのMVPはワールドシリーズMVPのことを指していたらしいが、そういう人間もいることはいる。


 そもそもMVPという言葉が、最も価値のある選手、という意味である。

 それを考えるなら、年間無敗で30勝以上をあげた直史が、選ばれないわけもないのだ。

 これもまたシーズン終盤を移籍した三年目以外、他の年は続いていることだ。

 五年間しか、まだプレイしていない。

 しかし既にして、伝説の存在となっている。


 スポーツの記録というのはだいたい、長く続けることによって蓄積されていく。

 それは直史のライバルとも言われる大介や、NPB最強のピッチャーであり直史と伝説のパーフェクト合戦を繰り広げた、上杉などにも同じことが言える。

 ただその中で、やはり直史だけは異質なのだ。

 プロデビュー初年度が、最高の成績になるかと思われた。

 それほどの圧倒的な成績を、一年目に残したのだ。

 だが二年目にはさらにそれを上回り、妹の巻き込まれた事件でローテを外れたが、それでも一年目を上回る成績。

 そしてわずか二年を日本で過ごした後、MLBでデビューした。


 100マイルに全く届かない球速のピッチャーが、果たしてMLBで通用するのか。

 そんなことも言われたりしたが、通用したどころではなかった。

 ピッチャーのタイトルはほぼほぼ全て獲得し、またワールドシリーズにおいてもMVPとなる活躍をした。

 その後の成績についても、むしろ成長を続けたと言うべきであろうか。

 MLBの選手というのは、基本的にはFA権を取って本当の意味での成功者と言える。

 それまでは基本的に、年俸は低く抑えられるからだ。

 直史にとっても最後の二年はともかく、最初の三年はそれほどの年俸でもなかった。

 とは言っても日本時代とは比べ物にならない、10億以上になったのだが。


 投げれば投げるほど、その精度は高まっていくようであった。

 実際にバッターや審判のデータを集めるほど、確かにそのピッチングの幅は広がったのだが。

 たった一人で、ピッチャーに求められる技術を高めてしまった人間。

 ある意味では単純なパワーピッチャーよりも、よほど恐ろしい存在だ。




 MVPに選ばれた直史は、それについてのコメントを求められる。

 既にMLBを去るつもりの直史は、特に遠慮する必要などはなくなっていた。

 だがそれでも、無駄に攻撃的にはならないのが、この冷徹なる男の本質である。

 普通に取材会見には応じたが、何も面白いことなどは言わない。


 マスコミならずともMLB全体が気にしているのは、直史の次の契約のことである。

 直史はアナハイムとの二年契約を結び、それが今年で終わった。

 つまりFAとなるため、資金に余裕がある球団は、どこも彼をほしがる。

 もちろんこのままアナハイムとの契約、ということも考えられる。

 だが契約を延長するなら、既にシーズン中にその話が出ていてもおかしくない。

 そう思ったマスコミが、直史へと質問を投げかけたわけである。


「特に何も考えていない」

 引退するのだから、それが正直なところだ。 

 しかしここで引退のことを言わないのが、直史の義理立てと言おうか。

 アナハイムのオーナーであるセイバーが、アナハイムの売却を交渉している。

 耳ざとい者であれば、契約の延長がされていないのは、それが原因だと分析していただろう。


 もしもセイバーが、再度直史に契約の話を持ってきたら。

 彼女との関係は、直史にとって自分の人生の半分よりも長い。

 高校一年生のころからであるから、もう18年にもなるのか。

 ただそんなセイバーでも、もう直史に投げろとは言わないのである。


 決定的な故障は、靭帯の損傷であった。

 損傷と言うと軽く聞こえるが、靭帯がある程度断裂しているのである。

 これをまともに直すには、医師の言っていた通りトミージョン手術が必要となる。

 普通に休めていても、少しの間は投げられるようになる。

 だが決定的なボールを投げることは出来ず、また痛めるようになるだろう。

 直史のピッチングの練習は、常に投げ込みと共にあったのだ。




 中学時代、毎日300球を投げていた。

 軟式のボールではあったが、それでも多すぎる球数であった。

 才能という点では、自分に幻想を持っていなかった直史は、コントロールと変化球で勝負しようと、それを磨いたのだ。

 結局はキャッチャーが捕球できず、それは中学時代は勝利に結びつかなかったが。


 高校においてようやく、直史はその才能に相応しい勝利を得ることが出来た。

 それを開花させたのは間違いなく、セイバーである。

 正確には彼女が連れてきたコーチ陣であったろうが。

 プロ入り後のオフにも、ほとんど毎日の投げ込みは忘れない。

 直史の技術の背景には、そういうものがあるのだ。


 それを続けられないとなった時に、直史は終わったのだ。

 丸一年は投げられず、34歳のシーズンは全休。

 そこからリハビリをしても、元のようには投げられない。

 そもそも今年で引退の予定だと、親しい人間は知っていたのだ。

 合わせたようにこんな故障をしたのは、それが相応しいと思われたからだろうか。

 誰に?

 おそらくは野球の神様に。


 直史は静かに、記者会見を終えた。

 普段から記者泣かせなところはあるが、それでも今年は式典に出席しただけ、まだマシであったと言えるだろう。

 来年の直史がどうなるのか。

 多くのファンのみならず、アンチまでもがそれを考えていた。

 33歳で完全に全盛期と思えるそのピッチング。

 それが失われたのだと世界が知るのは、もう少しだけ後のことである。



×××



 ノベルピアでランクとってみたいから、そちらもよろしければ……。

 少し先行して投下してますんで……(チラチラ

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