どうにも言語化できない、やりづらさ

 初めは手探りで右往左往していた八色雷神たちとのネゴシエーションも、回数を重ねることで次第に順応してきている自分に驚く。

 それでも未だに慣れず、緊張が走る瞬間というものは存在している。

 初めての雷神との顔合わせだ。


 日も暮れかけて寒風が身を突き刺す下校の道中、隣りを歩くむつみの中にいるのは、俺自身気づかぬ内にサクと入れ替わっていた初対面の雷神、鳴雷だった。

 長いようで短かったネゴシエーションも正念場、残す二人の片割れともなれば嫌でも肩に力が入ってしまう。


 俺の緊張が伝播したのか、はたまた元より口数が多いタイプではないのか、鳴雷との会話は探り合いにも似た上っ面だけのやり取りが行き交い、どうにも居心地が悪かった。

 互いに気を遣いつつ、当たり障りのない言葉の応酬を繰り広げる様は、ステレオタイプな日本人を象徴しているかのようだ。いっそ無言の時間の方がマシなのではと思考が逃避を始めるが、流石にそれは御免被りたい。


 「流石に十二月も終盤になると寒さが厳しいな」

 「そうだね、私は寒いの苦手だから憂鬱」

 「俺も寒いのは苦手だな」

 「じゃあ夏の方が好き?」

 「暑いのは暑いので勘弁して貰いたいな」

 「あはは、何それ」


 鳴雷の第一印象は――普通。

 月並みで表現力に乏しい俺の語彙では、彼女を表する術がなかった。

 サクやクロと同様に自分を「ナル」と呼んでと言ってきたり、人間として違和感のない言動、立ち振る舞いの馴染みっぷりは雷神の中でも上位レベルで。

 個性豊かな八色雷神と相対してきた身としては、少々肩透かしを食らった印象だ。


 第一印象に欺かれ、痛い目を見たクロとのネゴシエーションを忘れた訳ではないが、あの時はホノさんも事前に注意喚起をしてくれていた。今回もアドバイスを頂いてはいるものの、クロの時ほど危機感を煽られている訳でもない。

 強いて気になる点を挙げるとするならば――

 

 『――鳴雷とのネゴシエーション、頑張ってね。八雲くんならきっと……乗り越えられるって信じてるから』


 休養期間に入る前、ホノさんが言い残したあの言葉。含みのある物言いが引っ掛からなかったと言えば嘘になる。

 クロの一件での失敗を忘れずに臨もうとするあまり、彼女の忠告を深読みし、雁字搦めになっている気分だ。


 「…………」


 思考に没入するあまり、ナルが俺を凝視していると気付くまでに相当の時間を要した。

 信号待ちで足を止めたのを合図に、俺は口を開く。


 「どうした、ナル。俺の顔に何か付いてるか?」

 「……や、えっと……」


 話題に挙げた途端、彼女は口ごもり俯いてしまう。

 ツチちゃんのようなコミュ障には見えないし、フッシーのように会話が苦手なタイプにも見えない。

 敢えて例えるならば、必死に言葉を取捨選択し、結果として口に出来ないループを繰り返している感じ。

 当たり障りのない会話であれば問題なくこなせるのに、踏み込んだやり取りを怖がって足を止めてしまう。フッシーとの違いはそこだし、更に言うならば臆病な心構えは俺に通ずる部分があった。


 制限速度をオーバーしたトラックが過ぎ去り、髪と頬を冷たい風が撫でていく。

 顔を上げたナルが再び俺を見据えた。俺の顔――というよりも首筋、クロに噛み付かれた箇所に視線を注いでいるのだと気付く。


 「……まだ痛む?」

 「いや、もう大丈夫だよ。痕も綺麗サッパリ無くなったと思うし」


 嬉し恥ずかしな治療行為の結果、噛み付き傷は痕を残すことなく消え失せている。

 今となっては視認できない傷痕のため、ナルは恐らく雷神の誰かに事の顛末を聞いたのであろう。


 「そっか……良かった」


 冬の風に溶けて消え入りそうなボリュームで呟いたナルはホッとした表情を浮かべ、ゆっくりと俺の首筋に手を伸ばしてくる。

 そっと、癒えない傷口に触れるかのように優しく。

 覆われた首筋から感じる、ナルの手のひらの感触。

 初めこそ冷たさに身を震わせそうになったものの、次第に俺の体温と彼女の体温が混じり合っていき、心地い温もりと化して染み込んでいく。

 下手くそなドラマーの叩くリズムキープの如く、跳ねる脈はテンポを上げる。


 「……黒雷が迷惑を掛けてごめんね。私、話を聞いて心配で……」


 先ほどまで浮かべていた安堵の表情は一変し、今にも泣きだしそうな危うさを覗かせた。

 俺の動悸と体温は、上昇の一途を辿る。

 グラグラと揺らぐ視界と思考が、立ち位置をあやふやにさせてしまう。

 ……何だ、これは。

 ナルの一挙手一投足が、俺の感情を強引に揺さぶり続ける。


 「……本当に、八雲が無事で良かった」


 泣いているような笑顔を浮かべるナルは、直視できない程に輝きを放っていて。

 彼女が絞り出した声が、落雷を思わせる重低音で耳を、心を、打ち抜いていく。

 

 真冬の寒空の下、俺の心はひどく熱かった。

 

 ――落雷がもたらすものは光や音だけではなく、火災にも転ずるのだと、この時の俺は未だ知る由もない。

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