生涯初は何事でも慎重にいこう

 腹が減ったのは事実だとしても、土地勘がない場所での店探しは難易度が高い。文明の利器であるスマホを駆使して地元民御用達の店に足を運んだとて、常連をベースに構成された雰囲気の中に入り込むのは、ちょっと勇気がいる。かといってファミレスのチェーンでは面白味がない。


 「伏雷は食べてみたいものとかあるか?」

 「……せっかく遠くまで来たから、普段食べないものを食べてみたい」

 「俺と同じ意見だな、もう少し見て回ろうぜ」


 俺と伏雷のリクエストも合致して、踏み出す足にも力が入る。寂れたメインストリートと思しき道をダラダラと歩き、飯屋を探していく。


 海岸で二人仲良く腹が鳴ってから三十分が過ぎようとしていたが、どうにもビビッとくる店は見つからない。完全な昼飯難民状態である。

 妥協はしたくないけれど、いい加減空腹にも耐えられない。

 もう五分だけ粘ってみるかと考えていた矢先、伏雷が俺の制服の裾を引っ張ってきた。


 「……八雲、ここはどうかな」

 「海鮮丼か……ところで伏雷は魚って食えるのか」

 「……知識としては知ってるけど、未食」

 「チャレンジ精神旺盛だな」

 「……何事も挑戦」


 伏雷の熱意に押され、二人で立て付けの悪い引き戸を開けて暖簾をくぐる。店内は想像以上にボロ――味のある内装だった。

 嫌な予感が沸々と湧き上がって来るものの、案外こういう店の方が美味しかったりするものだ、と自分を納得させて席に着く。

 腰の曲がったお婆ちゃんが温いお茶を持ってきてくれて、啜りながら伏雷とメニューに視線を落とす。

 余談だがメニューも、テーブルも、椅子も床も心なしかペトペトしていた。

 腹が減り過ぎて飢えた狼と化した俺と伏雷は、ほぼノータイムで海鮮丼を注文する。

 ほどなくして運ばれてきた料理をお互い黙々と平らげ、会計を済ませて早々に店を後にした。


 「…………」

 「…………」

 「……なあ伏雷、せーので感想を一言で言い合おうぜ」

 「……わかった」

 「いくぞ? せーの、」

 「「……マズかった」」


 一言一句違わずに重なる、俺と伏雷の感想。

 やがてどちらともなく笑い声を上げてしまう。

 気の良さそうなお婆ちゃん店員の手前、店内では絶対に言及出来なかったが、近年稀にみるレベルで微妙な海鮮丼だった。

 お世辞にも鮮度が良いとは言えない魚の切り身、やたらと味の濃い醤油、元気のない米粒は立つどころか、全員寝転がって爆睡していた。

 海沿いでも海鮮丼は当たり外れがある。また一つ賢くなった。


 「だよな? あの絶妙な味わいは狙っても出せないぜ」

 「……ご飯もネチャネチャしてたし、魚って思ったより美味しくない」

 「いや、美味い魚はちゃんと美味いんだぞ? 今度は外れない店に行こうな」

 「……やった」


 小さくガッツポーズをする伏雷。

 生涯初の魚があの有り様では、同情するほかない。昼飯を盛大に空振って落胆してはいないだろうかと不安だったが、心配はいらなそうである。

 初顔合わせから半日近く経って、次第に表情豊かになってきた気もするな。


 「こうやって自分の思ってることを口に出すのって楽しいだろ?」

 「……うん」

 「今日は俺たちの意見が合致したけど、当然逆のパターンだってある。でも自分の意見を話したり、相手の意見に耳を傾けたり――ぶつかった時は納得いくまで話し合うのも一興だったりな」

 「……言葉での、コミュニケーション」

 「その通り。焦らなくていいから、伏雷のペースでな」


 緩やかに頷いた伏雷は、俺の顔と地面を二、三回往復させてから照れ臭そうに呟く。


 「……八雲……あの……ありがと」

 「どういたしまして――その調子だ」

 「……えへ」


 ご機嫌な伏雷の右手を掴み、二人で腹ごなしに未だ見ぬ町の散策と洒落込む。

 田舎特有のシュールな看板や、クセが強めのポスターに突っ込みを入れたり、野良猫と威嚇し合う伏雷にホッコリしたり、業務スーパーでも見かけないレベルの謎ジュースを販売する自販機と一戦交えたりもした。


 取り留めのない時間の中で交わす会話は、学びや生産性が皆無だとしても。見聞きして感じて口にした言葉は、かけがえのない思い出として刻まれていくはずだ。

 気が付くと日が傾き始め、夕方の喧騒が顔を出していた。


 「良い時間だし、そろそろ帰らないとな」

 「……うん」


 伏雷は賛同の形を取ったものの、表情からは不満の色が滲んでいた。

 俺は思わず開きかけた口を必死に噤んで、彼女の言葉を待つ。程なくして、何かに気づいた伏雷が言う。


 「……もっと八雲と遊んでたい」

 「嬉しいこと言ってくれるじゃんか。でも何事もメリハリが大事なんだよ、今度はもっとたくさん遊ぼうな」


 途端に顔を綻ばせる伏雷の顔を見て、今日のネゴシエーションは大成功だったと確信が持てた。


 帰りのバスの中、暖房の温かさと心地よい振動で眠りの世界に誘われた俺と伏雷は、爆睡状態で夢の中。降りるバス停目前の急ブレーキで運よく目が覚めなければ、行きとは逆方向の終点まで運ばれてしまうところだった。


 遊馬さんのアパートに帰り、今日一日の感想を伏雷がたどたどしくも自分の言葉で話していると、話題はサボりの言い訳に及んだ。


 「先手を取られて学校から母親に連絡が行ったみたいでね、むつみがどうしたか知らないか聞くもんだから上手くフォローはしておいたよ」

 「お手数お掛けしました……で、何て誤魔化してくれたんですか?」

 「――青春を探しに行ったって答えておいたよ」

 「いや、ダッサ!」


 キメ顔で言ってのけた渾身の言い訳を一刀両断されて、遊馬さんは困惑する。


 「え? そんなことないだろう? 私なりにベストな言い訳だったと思うんだが」

 「……ダサい」


 突如として登場した援軍である伏雷の追撃に、流石の遊馬さんも苦笑いを浮かべるしかない様子。

 物が溢れたアパートの一室に、所狭しと三人分の笑い声が響き渡っていくのだった。

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