楽をしても、結局は自分の為にならない

 俺の住んでいる県は海に面してはいるものの、実際に海を拝むにはそこそこの距離を移動しなければならない。


 海イコール夏。夏の海には陰キャお断りの制限が掛かっているため、残念ながら海で女の子と戯れるなどといった、青春っぽい素敵メモリアルなど俺には無い。よって夏の海は嫌いだ。

 対して冬の海は良い。観光シーズンから外れ、人気のない寂れた雰囲気は陰キャの心に優しく寄り添ってくれる。いや、海からしたら迷惑かもしれないけれど。


 さて、何故いきなり海に言及したかと言えば、伏雷と学校に向かうべくバスに乗り込んだのも束の間、景色に見惚れる彼女は降車を拒否。バスはどんどん進んでいき、いつの間にやら乗客は俺と伏雷だけになっていた。まもなく終点、海沿いの小さなバスターミナルに到着するのだ。

 現在時刻を確認すれば、午前十時を回っている。


 途中で遅刻は確定だと悟った俺は、スマホで二人の人物に連絡を取っておいた。

 一人は福原。何となくサボりたい気分だから上手く誤魔化しておいてくれ、とだけメッセージを送っておいた。

 普段から無気力な生活態度の俺はまだしも、むつみの場合はそうもいかないので、遊馬さんへ事情を説明し、学校側への連絡をお願いした。


 『俺とむつみ、二人が同時に休むとあらぬ誤解を産みそうな気がするので……』

 『確かにその通りだ』

 『遊馬さんが急性アルコール中毒でぶっ倒れた体にしません?』

 『言い訳にしては謎のリアリティがあるね』


 最終的に遊馬さんが、どんな言い訳を採用したのかは定かではない。でも彼女のことだから上手く根回ししてくれているだろうと妙な安心感はある。

 バスが終点に到着し、運転手から怪訝な目で見られるといったアクシデントもなく、しばらく無言で歩く俺と伏雷。


 俺も初めて訪れた土地だったので、スマホのマップを起動しつつ海を目指してみる。

 だだっ広い国道を渡り、古びた住宅街の隙間を抜け、十分ほど歩くと不意に視界が開けた。

 波の音と香る潮風。曇天と海のコントラストは、映え文化とは真逆の味わい。

 砂浜の手前に造られたコンクリの階段に腰を下ろす伏雷に倣うようにして、俺も座る。


 「……ごめん。学校、行かなくちゃだったよね」


 寄せては返す波に目を奪われながら、伏雷が口を開く。


 「……ま、別に良いんじゃないか? 誰にだってサボりたい時はあるさ。優等生のむつみは知らんけど、俺は頻繁にそうなる」

 「……あはは、何それ」


 俺の気の抜けた返答がツボだったのか、伏雷が破顔する。

 思いがけず目にした彼女の笑顔に、少し嬉しくなっている自分がいた。


 「海、見たかったのか?」


 焦らせまいと気を配り、ゆっくりと質問する俺。伏雷はかぶりを振る。


 「……そういう訳じゃないけど……バスに乗って景色を見てたら、不思議な気持ちになった。もっと見ていたいって」

 「なるほどな」


 じっくりと、彼女のペースに歩幅を合わせるつもりで、言葉の意味を噛み砕いていく。

 恐らく伏雷もバスに乗るのは初めてだったのだろう、自分の足では決して味わえないスピード感は、心奪われるに足る経験だったはず。バスの辿り着く先にどんな景色が待っているのか、俄かに湧いた好奇心と探求心。


 学校に行かなくてはいけない、と口にした以上、それが本来許されない欲求だと理解はしていても。口下手な伏雷は上手に言語化する術を持っておらず、ワカちゃんやクロのように頼み込む行為ではなく、無言で俺の手を叩き落とすにとどまってしまった。


 「……よく言われるんだ、何を考えてるのか分からないって……でも話すのが下手だから、何て言葉にしたら良いか分からない」


 俯いて力なく伏雷は呟く。今にも泣き出してしまいそうな脆さが、揺らめいた気がした。


 「それは難しいよなぁ、俺だって苦手だよ。いや――苦手だったよ。でもさ、神様がどうなのか分からんけど、俺たち人間は言葉でコミュニケーションする生き物だからさ。大事なことほど、言葉にしなきゃ伝わらん訳よ」


 動物と人間の大きな違いの一つに、言葉でのコミュニケーションが挙げられる。

 野生で生きる動物たちも、様々なコミュニケーション方法があるけれど、言葉で交流するのは人間をおいて他にない。

 自分の想いや感情をストレートにぶつけたり、婉曲な言い回しで匂わせてみたり、あるいは――素直になれず、わざと逆の想いを吐き出してしまったり。


 「……きっと、神様も一緒」

 「じゃあ、答えは簡単だな。思ってること、考えてること、あれこれ考えるよりも言葉にしていこうぜ。大切なこと程、言葉にしないと伝わらない場合もある」

 「……大切なことほど、言葉にしないと伝わらない」

 「ま、無理はせずに少しずつな」

 「……うん、わかった」


 などと偉ぶって語る俺自身、手痛い過ちにより気づけたのだが。

 むつみに対して向けた言葉が、どれだけ彼女を傷つけていたのか。

 今すぐに会って謝りたい、俺の本当の気持ちを伝えたい。

 しかし、逸る想いを必死に抑えつける。


 目の前にいるのは、むつみではなく伏雷。本人そっちのけで思い悩むのは、褒められたものではないから。

 それでも――遠くない未来。むつみが戻ってきたら、呆れられるくらい好きだと伝えよう。ウザがられる程に想いをぶつけてやろう。

 

 再び無言の時間が訪れ、波の音だけが耳に届いていたが、その静寂を間抜けな音が破っていく。

 腹から聞こえた間の抜けた二人分の音。

 俺は無言で笑いながら、伏雷に言葉を促す。

 彼女も、笑って応じた。


 「……八雲、お腹空いた。何か食べよう?」

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