ファイアーサンダー
静止も聞かぬまま、俺の両肩を力強く掴むワカちゃん。普段の言動からは想像も出来ない程の腕力に驚きを隠せない。
「わ、ワカちゃん……だいぶ良くなったから、後は自然治癒で大丈夫かな……」
「まぁまぁまぁまぁ。八雲にはいつもご馳走して貰ってるから、たまにはお返しさせてよ」
確かにワカちゃんが出てきた際には、ファミレスに繰り出しスイーツに舌鼓を打つのが恒例になっているけれど、あくまでもネゴシエーションの一環としての必要経費と割り切っている部分はある。それにワカちゃんは俺の癒し枠でもあるので、特に負担と考えている訳でもない。
更に言えば、ホノさんの治療行為ですらあの有り様だったのに、ワカちゃんに身を委ねた場合どんな事態になるのか、想像するだに恐ろしい。
どうにかして彼女の拘束から逃れられないか目論んでみるも、雷神由来の力強さかモヤシ体型由来な俺のひ弱さ故か、ビクともしない。肩を掴んでいた手が背中に回り、抱き締められるような形になった瞬間、俺の思考はフリーズしてしまう。
「ちょ……ワカちゃん!?」
「んぁ? ふふおああああ、おっおれれれれ」
ホノさんが如何に気を遣っていたか嫌でも理解してしまう程、遠慮なく体を密着させてくるワカちゃん。のしかかられ押し倒され、むつみの体の感触と匂いがダイレクトに伝わってきてクラクラしてくる。
悪気も他意も無いと分かってはいても、もう少し触れ合いには恥じらいを以て然るべきだと思わざるを得ない。ワカちゃんには初対面で指摘しているのだが、当然ながら理解をしている様子は皆無だ。
唯一の救いと言えば、繊細な舌遣いのホノさんと比べ、ワカちゃんは豪快かつ大雑把な、飼い犬のじゃれ合いにも似た舐め方だった為、ギリギリ踏みとどまることが出来た。
とはいえ傍から見たら、かなりマズい状況に変わりはない。
年頃の男女のスキンシップとしては完全にアウトだ。
そして俺の予想が正しければ、間もなく事態を悪化させる厄介な人物が戻ってくるはず。
「――これはこれは……肉親としてはだいぶショッキングな光景だけれど」
煙草を吸い終えた遊馬さんがベランダから帰還し、俺とワカちゃんを見下ろしながらボソリと呟く。言葉とは裏腹に口元を歪めた表情からは、今の状況を面白がっている捻じれた性格の悪さしか感じない。
「言いながら動画の撮影を始めないで貰えます?」
「むつみに見せたら、どんな反応をするか気になるねぇ」
「本当に、マジで辞めてくださいね」
経緯を事細かに説明すれば、きっとむつみも分かってくれると思うものの、視覚情報としては衝撃が強すぎる。拳の二、三発は確定事項に違いない。
悶絶の悲鳴がしばらく続いた後、俺はようやく解放された。
ワカちゃんは一仕事やり終えた満足感を前面に出し、ニコニコしながらゲロ甘カフェオレで喉を潤している。
「八雲くん。あまり
「嬌声って言わないで下さい」
「男子高校生をアパートに連れ込んでいる状況は、私にしてみれば非常に危うい」
「ははっ」
カラカラと渇いた笑い声が俺の口から漏れる。
普段散々弄られている身としては、少しだけ溜飲が下がった。ざまあみろ、と声にしなかっただけ上出来だろう。
遊馬さんにここまでナイーブな一面があったとは驚きだが。
「『そんな事をする人には全然見えなかったです』とかワイドショーやネットで叩かれてしまう」
「あれ、おかしいな。『いつかはやると思ってました』の間違いでは」
自己評価と周囲の評価は必ずしも一致しないという良い例だった。
「でも八雲、よく黒雷を説得できたね。すごい!」
「こっぴどくやられたのは事実だけどね……俺の気持ちが通じたみたいで何よりだよ」
満身創痍の末に
「あれから大変だったんだよ? 火雷にメチャクチャ怒られてたから。見てるこっちが可哀想になっちゃった」
「え、ホノさんが? 意外だな……」
優しさの擬人化みたいなホノさんが、怒るイメージは全く無いのだけれど。
あまりにも見知った彼女との
「意外じゃないよ? いつもは穏やかだけど、怒ると激ヤバなんだから。まさしく名は体を表すってやつだね」
火雷――か。
普段は笑顔な彼女でも、ひとたび逆鱗に触れれば烈火の如く怒り狂うのであろう。
以前話した多様性の一つとも言えるのかも。神様が持つ様々な側面。完璧に見える彼女にもそんな一面があるとは、驚くと同時に親しみが持てる気がする。
……絶対に怒らせない方が良いのは間違いないけれど。
「これで火雷、土雷、黒雷――三人も説得出来たね!」
「ん? あれ? ワカちゃんは入ってないの? もう説得出来てる気でいたんだけど……」
何てことだ。最初から友好的だったので高を括っていた。
今だって楽し気に会話を交わしているのに、未だネゴシエーションが足りないのか。
「むふふ、残念ながら私はまだまだ納得出来ていないんだなぁ」
えへん、と胸を張るワカちゃん。
「あと五回……いや十回くらいスイーツをご馳走してくれたら、考えないでもないかな!」
「あ……はは……なるほど」
俺の財布は深刻なダメージを負うが、むつみが助かるなら喜んでご馳走しようではないか。
目から一筋の涙が零れ落ちたのは、きっと気のせいだ。
「……他の雷神たちと比べて物理かつ現実に則した要求をしてくる辺り、何気に曲者かもしれないねぇ」
「……確かに」
遊馬さんの意見は鋭く真理を言い当てているのかもしれなかった。
八色雷神の性格は様々で、考えや望むものもバラバラだ。
未だ見ぬ雷神たちとのネゴシエーションがどう転がっていくのかは、予想も付かないけれど、これまでの経験を無駄にせず全力でぶつかっていくしか道はないのだろう、と俺は頭の片隅で考えていた。
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