どうだろう、少し肩の力を抜いてみては
意味ありげな表情を浮かべたまま何も言わない遊馬さん、口元に手を当てて思案に耽るホノさん。
部屋の中に微妙な空気が広がっていくのが分かり、元凶である俺は居たたまれなくなってしまう。慌てて話題を引き戻そうとした声色は、きっと上ずっていたのではないか。
「桃が重要なのは分かりましたが……内への働きかけはどういったものになりますかね? まさか一人ひとり頼み込む訳にもいかないでしょうし……」
「いえ、八雲くん。そのまさかよ」
凛としたホノさんの声が、室内に静かに響いた。表情は至って真面目で、今のが冗談などではないと語らずとも証明している。
「オオカムヅミを手に入れたところで、雷神たちに出ていく意思が無ければどうしようもないの。話を戻すようだけれど、むつみさんの体を取り戻す為に必要なのは肉体と精神を引き離すこと――外側からいくら圧力を掛けても、精神面で拒否されたらお手上げ」
桃を投げつけるか手渡すかはともかく、憑りついた雷神たちがむつみの体から出ていくことに納得しなければ、意味がないということ。
説得。ネゴシエーション。大雷さんを始めとする、一癖も二癖もありそうな雷神たちをである。
……とんでもない。難易度の高さに情けない声が漏れてしまいそうだ。
「でもあれじゃないですか? 他の雷神たちだって全員が全員、むつみの体に憑りついていたいって思ってる訳じゃ――」
目の前に突如として現れた巨大すぎる壁から思わず目を背けたくなり、根拠のない光明を見つけた俺は一目散に飛びついてしまうが、ホノさんの返答は無慈悲なものだった。
「残念ながら……八雲くんの思惑は外れ。私を含め八色雷神はね、余程のことがない限りこちらの世界に干渉はしないの。姿を変えて人間の世界を見て回りはしても、人に憑りついて人として振る舞うなんて――長い歴史の中でも初めてに近いかもしれない。見聞きするもの、味や匂い、触れ合うもの全てが新鮮で刺激的――本音を言わせて貰えれば、私も物珍しさに心が躍っているわ。だから断言出来る――今のままでは、むつみさんの体から出ていきたいと思っている雷神は皆無だと」
「…………」
眩暈がする。
途方もない現実に打ちのめされそうだ。
それでもやるしかない。むつみは俺のせいでこんな目に遭っているのだから。
だから、だから――
「――八雲くん」
「っ!?」
遊馬さんがキンキンに冷えたペットボトルを顔に押し付けてきて、思わず変な声が漏れてしまう。どうやら自分でも気づかない内にお茶を飲み干してしまった俺の為に、いつの間にやら二本目を取りに行ってくれていたようだった。
チクチクと細かいところを突いてからかってくる割りに、変に気を回してくるから毒気を抜かれてしまう。
……いや、逆だ。遊馬さんが人を良く見ているが故なのだろう。
「随分と怖い顔をしているじゃないか――少し気負い過ぎだね? いや、責任を感じているのかな?」
「……責任を感じるなって方が無理じゃないですか」
「さっきも言ったが、私には神社でのやり取りが引き金になったとは、どうしても思えない。責任を感じるなとは言わないが、過剰な力みや気負いはフットワークの妨げにしかならないさ。もう少し肩の力を抜いたらどうかな」
唇の端を釣り上げて笑う遊馬さん。俺を小馬鹿にしたような煽り顔には、ほんの少しむつみの面影があって不思議な気持ちになる。
「不謹慎だとか罰当たりだとか、クレーム覚悟で言わせて貰うよ――八雲くん、これは君にとって千載一遇の機会かもしれない。考えてもみたまえ、八色雷神は全員女神――女性の神様だ。彼女たちを一人残らず説得出来れば、愚妹を口説き落とすなんてヌルゲー過ぎて涙がこぼれるだろう?」
身も蓋もない物言いの遊馬さんに、俺はとうとう苦笑が漏れる。
なんて不謹慎で罰当たりな人だ。むつみの姉として、民俗学を学ぶ身として、自分の立場や肩書きを微塵も理解していないのか。
もしくは――誰よりも理解し、愛しているからこその言葉なのか。
「はは……ありがとう御座います……気を遣わせてしまったみたいで」
「なに、未来の義弟の為さ」
「……ですから俺は別に」
「やれやれ――君も誰かさんに似てだいぶ頑固だねぇ。まあ、この一件にカタがついたら自ずと結果は分かるかもね」
何もかも見透かしたかのようにニヤニヤと笑う遊馬さんに弄られ続ける俺を見て、ホノさんは愉快そうに笑い声をこぼす。
羞恥プレイにも似た状況に逃げ出したくなってしまうのは、無理からぬことであろう。
「覚悟は決まった? 八雲くん」
「ええ……あそこまで発破を掛けられたら逃げられませんからね」
「ふふ、ちょっと目の色が変わったね。格好良いよ」
ノーモーションで繰り出されるホノさんの褒め殺しは非情に心臓に悪いし、慌てふためく俺を見ながら笑いを堪える遊馬さんは、相当に性格が悪いと思う。
俺は流れを変えるべく、ホノさんへ質問をしてみる。
「八色雷神についてなんですが――ホノさんと同じように友好的な雷神は他にもいるんでしょうか?」
「同じ姉妹として恥ずかしいのだけれど……即答しても良いと思えるのは
幼い雷神。
入れ替わりが数回続いたタイミングで、確かにテンションが高くてあどけなさを感じる雷神が現れたのを思い出す。
あの子が若雷か……確かに敵意は見受けられなかった。
「良く言えば天真爛漫、悪く言えば何も考えていないので……説得は難しくないはずよ」
「逆に気を付けろっていう雷神はいますかね?」
「そうね……あとは――何を考えているのか分からない末の
「は、はぁ……」
黒雷。
ホノさんを以てしてここまで言わせるとは、一筋縄ではいかなそうである。
一見まともに見えるというのも、癖の強さを物語っているではないか。得体の知れなさは怖くもあるが、ビビってばかりもいられない。
むつみの体を取り戻す為、しっかりと向き合って説得を行う必要があるのだ。
こうして――八色雷神へのネゴシエーションとお祓いの日々が幕を開けた。
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