シンボルとしての桃

 「むつみは自宅に帰らせず、ここで私と一緒に暮らした方が良さそうだね」


 遊馬さんの提案に、俺とホノさんは頷く。

 荒ぶる雷神だとは思えない程に、落ち着き払って常識的なホノさんならともかく、他の雷神たちの性格や危険度も不明瞭な現段階では、他の選択肢は検討にすら値しない。


 「……そうだ。ホノさん、ちょっと確認しておきたいんですが――」


 ホノさんに向けて言葉を発した俺の発言のどこに引っ掛かったのか、遊馬さんは興奮を隠せない様子で、身を乗り出して割り込んでくる。


 「さっきはスルーしたんだが……八雲くん、神様をあだ名で呼ぶだなんて、随分とロックな真似をするじゃないか」

 「え……」


 やはりマズかったのか。

 現代社会において、目上の人を敬う慣習は根強い。学校という狭いコミュニティの中でさえ、たかだか一才年上の先輩にタメ口を利こうものなら、手痛い仕打ちを受けるのは必至。神様となれば比べるべくもない。

 常識的に考えればとんでもない愚行のはずだが、持ち前のビビりが発動して即座にホノさんへ確認を取っているし、呼びやすいように呼んでくれて構わないと温かいお言葉も頂戴しているのに。


 「ふふ……遊馬さん、本来であれば信じられないかもしれませんね……特にあなたのような立場の人からすれば。しかし郷に入っては郷に従え――意味が違いますか? その場その場で求められる流儀というものが、存在すると私は考えます」


 ホノさんは上品な所作でペットボトルのお茶を口に含む。

 大衆メーカーの大量生産品だというのに、まるで上等な代物であるかのように見えてくるから不思議である。


 「なるほど……では私もホノさんと呼んでも構いませんか?」

 「ええ、お好きなようにどうぞ」


 ホノさんからの了承を得て、遊馬さんはキャラに似合わないレベルで顔を輝かせる。


 「神様と言葉を交わすだけでなく、あだ名呼びの許可まで頂けるなんてね……人生何があるか分からないねぇ」

 「別人かと思うようなテンションの上がり方ですね。平凡な男子高校生としては、その興奮ポイントにいまいち共感できないです」


 手近な対象で例えてみようと思ったけれど、適切な表現が浮かばない。

 自分の敬愛するアーティストなんかと知り合いになって、ニックネーム呼びを快諾して貰った的な……うん、確かにちょっとアガるかもしれないな。


 少々話が脱線した。

 俺は先ほどホノさんへ投げ掛けようとした疑問を、再び口にする。


 「ホノさん。まずは一番大事な部分、どうすれば雷神たちはむつみの体から出ていってくれるのか――なんですが」


 とにもかくにも、最初に明確にしておかねばならない部分。

 ゲームで言えば勝利条件、映画や小説で例えるならばハッピーエンドまでの道筋である。


 「――むつみさんと雷神たちが一つになっている現状から見て、大前提となるのは肉体と精神を引き離すことね」

 「内側と外側から、二通りのアプローチが必要になるという訳か……内はともかく外から働きかけるとすると……やはり鍵はオオカムヅミ――でしょうか」

 「流石は遊馬さん、仰る通りかと」


 俺は完全に置いてけぼりを食らったまま、二人の間で議論が白熱していく。流れをぶつ切りしては申し訳ないと思い、借りてきた猫のごとく大人しくしているしかなかった。

 しかし、流石ホノさん。目ざとく俺の疎外感を察知したのか、すかさずフォローを入れてくれる。理想のお姉さん像といっても過言ではない。


 「オオカムヅミって何だ……? という顔をしているわね、八雲くん」

 「……お恥ずかしながら、その通りです」

 「八雲くん、私ほどのめり込めとは言わないが、もう少し日本の歴史に興味を持った方が良いかもしれないねぇ」


 対して遊馬さんはニヤニヤ顔で煽ってくる。こっちのお姉さんは全然優しくない。

 やがてぐうの音も出ない俺のリアクションに満足したのか、ひと呼吸置いて続きを始めた。


 「オオカムヅミというのはね――端的に言えば桃だ。桃であり神でもある。イザナミから逃げるイザナギが、黄泉比良坂よもつひらさかの麓に生えていた桃の実を投げつけたところ、イザナミと八色雷神は退散していったことから、功績を称えてイザナギ直々に神名を与えられたとされている。この事から桃は邪気避けのシンボルとなった。日本で一番メジャーな昔話なんて最たる例だね」

 「桃太郎……ですね」

 「その通り。他にも――形代の人形に災いや厄を移して川に流す風習が元になった、女の子の健やかな成長を願う年中行事――雛祭りも別名は桃の節句と言うね。旧暦の三月三日がちょうど桃の花の咲くタイミングだったから……と言われているけれど、偶然ではないだろうねぇ」


 歴史に裏付けされた邪気避け、オオカムヅミ。

 なるほど確かに、これほど信憑性のあるアイテムは存在しない。


 「じゃあ桃を投げつければ――」


 反射的に口走った俺の視線と、柔らかい笑みを湛えたホノさんの視線がぶつかる。

 投げつける……こんな慈愛に満ち溢れた彼女に?

 いくらむつみの体を取り戻す為とはいえ、人としてどうなのだろうか。何に抵抗を感じるって、ホノさんなら笑顔で受け入れてくれそうな気配があるからだ。


 「――食べ物を粗末にするのは良くないので……そっと手渡しで」

 「お歳暮かな?」


 すかさず揚げ足を取ってくる遊馬さんに少々思うところはあったものの、ホノさんの取った行動の衝撃で全てがどうでも良くなってしまう。

 身を乗り出したホノさんが、俺の左頬に手を添えてクスリと笑ったのだ。


 「……八雲くん、優しい」

 「――っ!?」


 柔らかい手の平から伝わる体温、ふわりと香る甘い匂い。

 あまりの破壊力に、顔が真っ赤になるのを感じると同時に空気を読まない――否、読み過ぎる茶々が入る。


 「おっと、これは浮気の決定的な場面なのでは」

 「からかわないで下さいよ……俺とむつみは、別にそんなんじゃ」


 俺が消え入りそうなボリュームで否定の色を示すと、ホノさんが不思議そうに首を傾げた。


 「あら――違うの?」

 「……ええ」


 自分の中で感情の整理を付けているつもりでも、いざハッキリと言葉にすれば想像以上のダメージが胸中に広がっていく。

 偽り、欺き、自分を騙し。

 無理やりに自分の感情を押し殺して、半ば脅迫に近い形で納得させて。

 飲み込んで、消化して、気のない振りを幾度となく繰り返してきた。

 でも。

 それでも。

 心の中に居座った想いはずしりと重く、蛇のようにとぐろを巻いて鎌首をもたげ続けているのだった。

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