エピローグ

 金切り声が揶揄うように森で響く。

 男は背後に迫る小さな脅威から逃げるように獣道を走り続けた。

 息を切らし、ボロボロの衣服で、素足で駆けていく。

 無造作に生えた髭とボサボサの短い黒髪。

 鍛えられた筋肉にしなやかなバネのような体を使い、枝を飛び掴んで土から露出した根っこを避けたり、狭い木々の隙間をぬって逃げたりして森の外を目指す。

 金切り声が前方から迫った。


「く……」


 渋く光る声が漏れた。

 男の膝より下ほどしかない背丈の小人が、鋭い牙をニヤリと上げた口角の隙間から見せてくる。


「こぉらぁああ!」


 小人が横へ宙を舞いながら飛んでいく。

 男の視界に映ったのは太い木の枝。

 逆さまの状態で巨木に激突し、小人は気絶する。

 赤茶の髪を後ろに結び、落ち着いた赤いシャツと丈夫なズボンにブーツ姿の少女。

 木の枝を肩に乗せ、やれやれと肩をすくめている。


「おじさん大丈夫? 外を出歩くなら武器持っとかないと、喰ってくださいって言ってるようなもんじゃん」


 男は目を逸らした。

 口を押さえて頷く。


「喉痛めたの? このままだと危ないし、近くの診療所まで案内してあげよっか」


 男は拒否を示すように首を振る。


「いいからいいから、困ってたら助け合うんだってば。ほら、こっち!」


 強引に先導する少女に、肩を強張らせながらもゆっくり後を追う。

 町の診療所に入ると、医者は怪しそうに男の風貌を眺めた。


「ロット、お前また変なのを連れてきて……この前は怪我した子熊で? 今度は素性も分からない奴とは」


 ロットと呼ばれた少女は口角を下げる。


「困ってたんだし、助けるのは当然じゃん! 喉痛くて喋れないみたいだしさ、診てあげてよ!」

「バカ言うな、こっちは慈善事業じゃないんだよ。文無しは帰れ」


 冷たくあしらわれてしまう。


「治療代なら私が出すってば」

「貧乏人が何言ってんだ……まぁ姉妹揃って容姿はいいんだ、体で払えば町の男が助けてくれるんじゃないか」


 医者はジロジロとロットの足先から顔まで舐めまわすように見ている。


「はぁ? どういう」


 傾げるロットの横から飛び出た豪腕。

 白衣の襟を掴み、片腕で簡単に持ち上げてしまう。

 一瞬のことで呆然とする医者はそのまま壁へ。

 男は低く唸り、獣のような眼光で睨む。


「ひっ! な、なんだ」


 怯えた表情になる医師に向けて、小さく渋い声を漏らした。


「相変わらずだな、町の人間は」

「あ…………す、す、たすけ」


 凶暴を絵に描いたような眼差しに、医者は何かを思い出して声を震わす。


「わか、分かった、けど、見た感じ何もない、元気だ! 治療もいらないぐらい元気だから! エーリヒのところへ連れていけ!」


 腰を抜かし、解放された後は床に座り込んだままへなへなと顔を緩ませる。

 追い出された男とロット。


「すげぇ力じゃん! そんだけ力あったら小人なんか捻り潰せるって」


 エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、ロットは興奮気味に言う。

 男は黙って小さく微笑んだ。

 町の小さな本屋に到着。

 扉を開けると、まず目に飛び込んだのは何冊も積まれた本。

 本棚にある本という本を読み漁る明るいブロンドヘアの少女がいた。

 赤みがあるクマのやや釣り目はひたすら文字を追いかけている。

 カウンターの内側にはエーリヒの姿があった。

 男は、目を伏せた。


「おおいらっしゃいロット。それと……」

「森で小人に襲われてたから助けた! でも診療所に行ったら文無しがどうとか言って追い出されてさぁってワイス、また夜更かしてるじゃん!」

「おはようございますロット、もうそんな時間ですか?」

「ちがーう、もう昼だっての!」


 目線を本に向けたままワイスは応える。

 エーリヒは男にニコニコと笑う。


「やはり王子に似つかわしくない容姿だったね。さぁ、すぐに帰ってこなかった言い訳を聞かせてもらおうじゃないか。そこに座りなさい」


 ワイスとロットは手を止めて、男を見上げる。

 伏せていた目を上げ、男は小さく鼻で優しく笑った……――。

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ワイスとロット、おまけの喋る熊(渋め) 空き缶文学 @OBkan

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