じようのことゆえ、ほんぜんたいとか、だいかつげんぜんとかいったあざやかな芸当を見せることはできなかったが、徐々に、目に見えぬ変化がかれの上に働いてきたようである。

 はじめ、それはけをするような気持であった。一つの選択が許される場合、一つのみちが永遠のでいねいであり、他の途がけわしくはあってもあるいは救われるかもしれぬのだとすれば、誰しもあとの途を選ぶにきまっている。それだのになぜちゆうちよしていたのか。そこでかれははじめて、自分の考え方の中にあったいやしい功利的なものに気づいた。けわしいみちを選んで苦しみ抜いたあげに、さて結局救われないとなったら取返しのつかない損だ、という気持が知らず知らずの間に、自分の不決断に作用していたのだ。骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに、決定的な損亡へしか導かない途に留まろうというのが、しようで愚かで卑しいおれの気持だったのだ。じよ氏のもとに滞在している間に、しかし、渠の気持も、しだいに一つの方向へ追詰められてきた。初めは追つめられたものが、しまいにはみずから進んで動き出すものに変わろうとしてきた。自分は今まで自己の幸福を求めてきたのではなく、世界の意味を尋ねてきたと自分では思っていたが、それはとんでもない間違いで、実は、そういう変わった形式のもとに、最も執念深く自己の幸福を探していたのだということが、悟浄にわかりかけてきた。自分は、そんな世界の意味をうんぬんするほどたいした生きものでないことを、かれは、感をもってでなく、安らかな満足感をもって感じるようになった。そして、そんな生意気をいう前に、とにかく、自分でもまだ知らないでいるに違いない自己を試み展開してみようという勇気が出てきた。ちゆうちよする前に試みよう。結果の成否は考えずに、ただ、試みるために全力を挙げて試みよう。決定的な失敗にしたっていいのだ。今までいつも、失敗へのから努力をほうしていた渠が、骨折り損をいとわないところにまでしようされてきたのである。

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