流沙河と墨水と赤水との落合う所を目指して、じようは北へ旅をした。夜はあしかりの夢を結び、朝になれば、また、はて知らぬ水底の砂原を北へ向かって歩み続けた。楽しげにぎんりんひるがえす魚族いろくずどもを見ては、なにゆえに我一人かくは心たのしまぬぞと思いびつつ、かれは毎日歩いた。途中でも、目ぼしいどうじんしゆげんしやの類は、あまさずその門をたたくことにしていた。


 どんしよくと強力とをもって聞こえるきゆうぜんねんを訪ねたとき、色あくまで黒く、たくましげな、このなまず妖怪ばけものは、ちようぜんをしごきながら「遠きおもんばかりのみすれば、必ず近きうれいあり。たつじんは大観せぬものじゃ。」と教えた。「たとえばこの魚じゃ。」と、ねんは眼前を泳ぎ過ぎる一尾のこいつかみ取ったかと思うと、それをムシャムシャかじりながら、説くのである。「この魚だが、この魚が、なぜ、の眼の前を通り、しかして、とならねばならぬいんねんをもっているか、をつくづくと考えてみることは、いかにもせんてつにふさわしき振舞いじゃが、鯉を補える前に、そんなことをくどくどと考えておった日には、獲物は逃げて行くばっかりじゃ。まずすばやく鯉を捕え、これにむしゃぶりついてから、それを考えても遅うはない。鯉はなにゆえに鯉なりや、鯉とふなとの相異についてのけいじよう学的考察、等々の、ばかばかしくこうしような問題にひっかかって、いつも鯉を捕えそこなう男じゃろう、おまえは。おまえのものげなの光が、それを告げとるぞ。どうじゃ。」確かにそれに違いないと、悟浄は頭を垂れた。妖怪はそのときすでに鯉を平げてしまい、なおどんらんそうな眼つきを悟浄のうなだれたくびすじそそいでおったが、急に、その眼が光り、がゴクリと鳴った。ふと首を上げた悟浄は、とつに、危険なものを感じて身を引いた。妖怪の刃のような鋭いつめが、恐ろしい速さで悟浄の咽喉をかすめた。最初の一撃にしくじった妖怪の怒りに燃えたどんしよく的な顔が大きく迫ってきた。悟浄は強く水をって、泥煙を立てるとともに、そうこうと洞穴を逃れ出た。こくな現実精神をかのどうもうな妖怪から、身をもって学んだわけだ、と、悟浄はふるえながら考えた。


 隣人愛の教説者として有名なちようこうこうえんに列したときは、説教半ばにしてこの聖僧が突然えに駆られて、自分の実の子(もっとも彼はかにようせいゆえ、一度に無数の子供を卵からかえすのだが)を二、三人、むしゃむしゃべてしまったのを見て、ぎようてんした。

 にんにくを説く聖者が、今、衆人環視の中で自分の子を捕えて食った。そして、食い終わってから、その事実をも忘れたるがごとくに、ふたたび慈悲の説を述べはじめた。忘れたのではなくて、先刻の飢えをたすための行為は、てんで彼の意識に上っていなかったに相違ない。ここにこそおれの学ぶべきところがあるのかもしれないぞ、と、じようくつをつけて考えた。俺の生活のどこに、ああした本能的な没我的な瞬間があるか。かれは、とうとおしえを得たと思い、ひざまずいて拝んだ。いや、こんなふうにして、いちいち概念的な解釈をつけてみなければ気の済まないところに、俺の弱点があるのだ、と、渠は、もう一度思い直した。教訓を、かんづめにしないでなまのままに身につけること、そうだ、そうだ、と悟浄は今一遍、はいをしてから、うやうやしく立去った。


 あんしつは、変わった道場である。わずか四、五人しか弟子はいないが、彼らはいずれも師の歩みになろうて、自然のやくを探究する者どもであった。探求者というより、陶酔者と言ったほうがいいかもしれない。彼らの勤めるのは、ただ、自然をて、しみじみとその美しい調和の中に透過することである。

 「まず感じることです。感覚を、最も美しく賢くせんれんすることです。自然美の直接の感受から離れた思考などとは、灰色の夢ですよ。」と弟子の一人が言った。

 「心を深く潜ませて自然をごらんなさい。雲、空、風、雪、うすあおい氷、べにの揺れ、夜水中でこまかくきらめくけいそう類の光、おうがいせんむらさきすいしようの結晶、柘榴ざくろいしの紅、ほたるいしの青。なんと美しくそれらが自然の秘密を語っているように見えることでしょう。」彼の言うことは、まるで詩人の言葉のようだった。

 「それだのに、自然の暗号文字を解くのも今一歩というところで、突然、幸福な予感は消去り、私どもは、またしても、美しいけれども冷たい自然の横顔を見なければならないのです。」と、また、別の弟子が続けた。「これも、まだ私どもの感覚の鍛錬が足りないからであり、心が深く潜んでいないからなのです。私どもはまだまだ努めなければなりません。やがては、師のいわれるように『観ることが愛することであり、愛することがることである』ような瞬間をもつことができるでしょうから。」

 その間も、師のは一言も口をきかず、鮮緑のじやくいしを一つてのひらにのせて、深いよろこびをたたえた穏やかなまなざしで、じっとそれを見つめていた。

 悟浄は、この庵室にひと月ばかり滞在した。その間、かれも彼らとともに自然詩人となって宇宙の調和をたたえ、そのさいおうの生命に同化することを願うた。自分にとって場違いであるとは感じながらも、彼らの静かな幸福にかれたためである。

 弟子の中に、一人、異常に美しい少年がいた。はだは白魚のようにきとおり、こくとうは夢見るように大きく見開かれ、額にかかるまきはとの胸毛のように柔らかであった。心に少しの憂いがあるときは、月の前を横ぎる薄雲ほどのかすかなが美しい顔にかかり、よろこびのあるときは静かに澄んだひとみの奥が夜の宝石のように輝いた。師もほうばいもこの少年を愛した。素直で、純粋で、この少年の心は疑うことを知らないのである。ただあまりに美しく、あまりにかぼそく、まるで何か貴い気体ででもできているようで、それがみんなに不安なものを感じさせていた。少年は、ひまさえあれば、白い石の上にうすあめいろはちみつを垂らして、それでの花をいていた。

 じようがこのあんしつを去る四、五日前のこと、少年は朝、いおりを出たっきりでもどって来なかった。彼といっしょに出ていった一人の弟子は不思議な報告をした。自分が油断をしているひまに、少年はと水に溶けてしまったのだ、自分は確かにそれを見た、と。他の弟子たちはそんなばかなことがと笑ったが、師のはまじめにそれをうべなった。そうかもしれぬ、あのならそんなことも起こるかもしれぬ、あまりに純粋だったから、と。

 悟浄は、自分を取っておうとしたなまず妖怪ばけものたくましさと、水に溶け去った少年の美しさとを、並べて考えながら、蒲衣子のもとを辞した。


 蒲衣子の次に、かれはんけつの所へ行った。すでに五百余歳を経ているじよかいだったが、はだのしなやかさは少しも処女と異なるところがなく、たるその姿態はてつせきの心をもとろかすといわれていた。肉の楽しみをきわめることをもって唯一の生活信条としていたこの老女怪は、後庭に房を連ねること数十、容姿たんせいな若者を集めて、この中にたし、その楽しみにけるにあたっては、しんじつをもしりぞけ、交遊をも絶ち、後庭に隠れて、昼をもって夜に継ぎ、月に一度しか外に顔を出さないのである。悟浄の訪ねたのはちょうどこの三月に一度のときに当たったので、幸いに老女怪を見ることができた。道を求める者と聞いて、けつは悟浄に説き聞かせた。ものういつかれのかげを、せんけんたる容姿のどこかに見せながら。

 「この道ですよ。この道ですよ。聖賢の教えもせんてつの修業も、つまりはこうしたじようほうえつの瞬間を持続させることにその目的があるのですよ。考えてもごらんなさい。この世に生をけるということは、実に、百千万億ごうしやこうげんの時間の中でもまこといがたく、ありがたきことです。しかも一方、死はあきれるほど速やかに私たちの上に襲いかかってくるものです。遇いがたきの生をもって、及びやすきの死を待っている私たちとして、いったい、この道のほかに何を考えることができるでしょう。ああ、あのしびれるような歓喜! 常に新しいあの陶酔!」と女怪は酔ったようにえんよういんな眼を細くして叫んだ。

 「貴方あなたはお気の毒ながらたいへん醜いおかたゆえ、私のところにとどまっていただこうとは思いませぬから、ほんとうのことを申しますが、実は、私の後房では毎年百人ずつの若い男が困憊つかれのために死んでいきます。しかしね、断わっておきますが、その人たちはみんな喜んで、自分の一生に満足して死んでいくのですよ。誰一人、私のところへ留まったことをうらんで死んだ者はありませなんだ。今死ぬために、この楽しみがこれ以上続けられないことを悔やんだ者はありましたが。」

 悟浄の醜さをあわれむようなつきをしながら、最後にけつはこうつけ加えた。

 「徳とはね、楽しむことのできる能力のことですよ。」

 醜いがゆえに、毎年死んでゆく百人の仲間に加わらないで済んだことを感謝しつつ、悟浄はなおも旅を続けた。


 けんじんたちの説くところはあまりにもまちまちで、かれはまったく何を信じていいやら解らなかった。

 「我とはなんですか?」という渠の問いに対して、一人の賢者はこういった。「まずえてみろ。ブウと鳴くようならお前は豚じゃ。ギャアと鳴くようならちようじゃ」と。他の賢者はこう教えた。「自己とはなんぞやとむりに言い表わそうとさえしなければ、自己を知るのは比較的困難ではない」と。また、いわく「眼は一切を見るが、みずからを見ることができない。我とはしよせん、我の知るあたわざるものだ」と。

 別の賢者は説いた、「我はいつも我だ。我の現在の意識の生ずる以前の・無限の時を通じて我といっていたものがあった。(それを誰も今は、記憶していないが)それがつまり今の我になったのだ。現在の我の意識がほろびたのちの無限の時を通じて、また、我というものがあるだろう。それを今、誰も予見することができず、またそのときになれば、現在の我の意識のことを全然忘れているに違いないが」と。

 次のように言った男もあった。「一つの継続した我とはなんだ? それは記憶の影のたいせきだよ」と。この男はまた悟浄にこう教えてくれた。「記憶の喪失ということが、おれたちの毎日していることの全部だ。忘れてしまっていることを忘れてしまっているゆえ、いろんなことが新しく感じられるんだが、実は、あれは、俺たちが何もかも徹底的に忘れちまうからのことなんだ。昨日のことどころか、一瞬間前のことをも、つまりそのときの知覚、そのときの感情をも何もかも次の瞬間には忘れちまってるんだ。それらの、ほんのわずか一部の、おぼろげな複製があとに残るにすぎないんだ。だから、悟浄よ、現在の瞬間てやつは、なんと、たいしたものじゃないか」と。


 さて、五年に近いへんれきの間、同じ容態に違った処方をする多くの医者たちの間を往復するような愚かさを繰返したのち、じようは結局自分が少しも賢くなっていないことを見いだした。賢くなるどころか、なにかしら自分がフワフワした(自分でないような)訳の分からないものに成り果てたような気がした。昔の自分は愚かではあっても、少なくとも今よりは、とした──それはほとんど肉体的な感じで、とにかく自分の重量をっていたように思う。それが今は、まるで重量のない・吹けば飛ぶようなものになってしまった。そとからいろんな模様を塗り付けられはしたが、中味のまるでないものに。こいつは、いけないぞ、と悟浄は思った。思索による意味の探索以外に、もっと直接的な解答こたえがあるのではないか、という予感もした。こうした事柄に、計算の答えのような解答を求めようとしたおのれの愚かさ。そういうことに気がつきだしたころ、行く手の水が赤黒く濁ってきて、かれは目指すじよ氏のもとに着いた。


 じよ氏は一見きわめて平凡なせんにんで、むしろとさえ見えた。悟浄が来ても別にかれを使うでもなく、教えるでもなかった。けんきようは死のにゆうじやくは生の徒なれば、「学ぼう。学ぼう」というコチコチの態度を忌まれたもののようである。ただ、ほんのときたま、別に誰に向かって言うのでもなく、何かつぶやいておられることがある。そういうとき、悟浄は急いで聞き耳を立てるのだが、声が低くてたいていは聞きとれない。月の間、渠はついになんの教えも聞くことができなかった。「けんじやが他人について知るよりも、しやおのれについて知るほうが多いものゆえ、自分の病は自分で治さねばならぬ」というのが、女偊氏から聞きえた唯一の言葉だった。月めの終わりに、悟浄はもはやあきらめて、いとまいに師のもとへ行った。するとそのとき、珍しくも女偊氏はとして悟浄に教えを垂れた。「目が三つないからとて悲しむことの愚かさについて」「つめや髪の伸長をも意志によって左右しようとしなければ気が済まない者の不幸について」「酔うている者は車からちても傷つかないことについて」「しかし、一概に考えることが悪いとは言えないのであって、考えない者の幸福は、船酔いを知らぬ豚のようなものだが、ただ考えることについて考えることだけは禁物であるということについて」

 女偊氏は、自分のかつてっていた・ある神智を有する魔物のことを話した。その魔物は、上はせいしんの運行から、下は微生物類の生死に至るまで、何一つ知らぬことなく、しんじんみような計算によって、既往のあらゆる出来事をさかのぼって知りうるとともに、将来起こるべきいかなる出来事をも推知しうるのであった。ところが、この魔物はたいへん不幸だった。というのは、この魔物があるときふと、「自分のすべて予見しうる全世界の出来事が、なにゆえに(経過的なではなく、根本的な)そのごとく起こらねばならぬか」ということに想到し、その究極の理由が、彼の深甚微妙なる大計算をもってしてもついにさがし出せないことを見いだしたからである。何故向日葵ひまわりは黄色いか。何故草は緑か。何故すべてがかくるか。この疑問が、このじんずうりき広大な魔物を苦しめ悩ませ、ついにみじめな死にまで導いたのであった。

 じよ氏はまた、別のようせいのことを話した。これはたいへん小さなみすぼらしい魔物だったが、常に、自分はある小さな鋭く光ったものを探しに生まれてきたのだと言っていた。その光るものとはどんなものか、誰にも解らなかったが、とにかく、しようようせいは熱心にそれを求め、そのために生き、そのために死んでいったのだった。そしてとうとう、その小さな鋭く光ったものは見つからなかったけれど、その小妖精の一生はきわめて幸福なものだったと思われると女偊氏は語った。かく語りながら、しかし、これらの話のもつ意味については、なんの説明もなかった。ただ、最後に、師は次のようなことを言った。

 「聖なる狂気を知る者は幸いじゃ。彼はみずからを殺すことによって、みずからを救うからじゃ。聖なる狂気を知らぬ者はわざわいじゃ。彼は、みずからを殺しも生かしもせぬことによって、徐々に亡びるからじゃ。愛するとは、より高貴な理解のしかた。行なうとは、より明確な思索のしかたであると知れ。何事も意識のどくじゆうの中に浸さずにはいられぬあわれな悟浄よ。我々の運命を決定する大きな変化は、みんな我々の意識を伴わずに行なわれるのだぞ。考えてもみよ。お前が生まれたとき、お前はそれを意識しておったか?」

 じようは謹しんで師に答えた。師の教えは、今ことに身にしみてよく理解される。実は、自分も永年の遍歴の間に、思索だけではますますどろぬまに陥るばかりであることを感じてきたのであるが、今の自分を突破って生まれ変わることができずに苦しんでいるのである、と。それを聞いてじよ氏は言った。

 「渓流が流れて来てだんがいの近くまで来ると、一度うずまきをまき、さて、それからばくとなって落下する。悟浄よ。お前は今その渦巻の一歩手前で、ためらっているのだな。一歩渦巻にまき込まれてしまえば、らくまでは一息。その途中に思索や反省やていかいのひまはない。おくびような悟浄よ。お前はうずきつつ落ちて行く者どもを恐れとあわれみとをもってながめながら、自分も思い切って飛込もうか、どうしようかとちゆうちよしているのだな。遅かれ早かれ自分は谷底に落ちねばならぬとは十分に承知しているくせに。うずまきにまき込まれないからとて、けっして幸福ではないことも承知しているくせに。それでもまだお前は、傍観者の地位にれんれんとして離れられないのか。ものすごい生の渦巻の中であえいでいる連中が、案外、で見るほど不幸ではない(少なくとも懐疑的な傍観者より何倍もだ)ということを、愚かな悟浄よ、お前は知らないのか。」

 師の教えのありがたさはこつずいに徹して感じられたが、それでもなおどこか釈然としないものを残したまま、悟浄は、師のもとを辞した。

 もはや誰にも道を聞くまいぞと、かれは思うた。「誰も彼も、えらそうに見えたって、実は何一つわかってやしないんだな」と悟浄はひとりごとを言いながら帰途についた。「『お互いに解ってるをしようぜ。解ってやしないんだってことは、お互いに解り切ってるんだから』という約束のもとにみんな生きているらしいぞ。こういう約束がすでに在るのだとすれば、それをいまさら、解らない解らないと言って騒ぎ立てる俺は、なんという気のかない困りものだろう。まったく。」

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