最初にじようが訪ねたのは、こくらんどうじんとて、そのころ最も高名なげんじゆつたいであった。あまり深くない水底にるいるいと岩石を積重ねてどうくつを作り、入口にはしやげつさんせいどうの額が掛かっておった。あんじゆは、ぎよめんじんしん、よく幻術を行のうて、存亡自在、冬、雷を起こし、夏、氷を造り、を走らしめ、走者けものを飛ばしめるといううわさである。悟浄はこの道人に月仕えた。幻術などどうでもいいのだが、幻術をくするくらいならしんじんであろうし、真人なら宇宙の大道をとくしていて、かれの病をいやすべきをも知っていようと思われたからだ、しかし、悟浄は失望せぬわけにいかなかった。ほらの奥できよごうの背に座ったこくらんどうじんも、それを取囲む数十の弟子たちも、口にすることといえば、すべてしんぺんの法術のことばかり。また、その術を用いて敵をあざむこうの、どこそこの宝を手に入れようのという実用的な話ばかり。悟浄の求めるような無用の思索の相手をしてくれるものは誰一人としておらなんだ。結局、ばかにされわらいものになったあげ、悟浄は三星洞を追出された。


 次に悟浄が行ったのは、しやこういんのところだった。これは、年を経たえびの精で、すでに腰が弓のように曲がり、半ば河底の砂に埋もれて生きておった。悟浄はまた、月の間、この老隠士に侍して、身のまわりの世話を焼きながら、そのしんおうな哲学に触れることができた。老いたる蝦の精は曲がった腰を悟浄にさすらせ、深刻な顔つきで次のように言うた。

 「世はなべてむなしい。この世に何か一つでもきことがあるか。もしありとせば、それは、この世の終わりがいずれは来るであろうことだけじゃ。別にむずかしいくつを考えるまでもない。我々の身の廻りを見るがよい。絶えざる変転、不安、おうのう、恐怖、幻滅、闘争、けんたい。まさにこんこんまいまいふんぷんじやくじやくとしてするところを知らぬ。我々は現在という瞬間の上にだけ立って生きている。しかもその脚下の現在は、ただちに消えて過去となる。次の瞬間もまた次の瞬間もそのとおり。ちょうど崩れやすい砂の斜面に立つ旅人の足もとが一足ごとに崩れ去るようだ。我々はどこに安んじたらよいのだ。まろうとすれば倒れぬわけにいかぬゆえ、やむを得ず走り下り続けているのが我々の生じゃ。幸福だと? そんなものは空想の概念だけで、けっして、ある現実的な状態をいうものではない。ない希望が、名前を得ただけのものじゃ。」

 悟浄の不安げな面持ちを見て、これを慰めるようにいんは付加えた。

 「だが、若い者よ。そうおそれることはない。なみにさらわれる者はおぼれるが、浪に乗る者はこれを越えることができる。このてんぺんをのり超えてどうの境地に到ることもできぬではない。いにしえしんじんは、く是非を超え善悪を超え、我を忘れ物を忘れ、しようの域に達しておったのじゃ。が、昔から言われておるように、そういう境地が楽しいものだと思うたら、大間違い。苦しみもない代わりには、普通の生きもののつ楽しみもない。無味、無色。まことあじないことろうのごとく砂のごとしじゃ。」

 悟浄は控えめに口をはさんだ。自分の聞きたいと望むのは、個人の幸福とか、どうしんの確立とかいうことではなくて、自己、および世界の究極の意味についてである、と。隠士はやにたまった眼をしょぼつかせながら答えた。

 「自己だと? 世界だと? 自己をほかにして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射したまぼろしじゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしいびゆうけんじゃ。世界が消えても、正体のわからぬ・この不思議な自己というやつこそ、依然として続くじゃろうよ。」

 悟浄が仕えてからちょうど九十日めの朝、数日間続いた猛烈な腹痛とののちに、この老いんじやは、ついにたおれた。かかる醜い下痢と苦しい腹痛とを自分に与えるような客観世界を、自分の死によってまつさつできることを喜びながら……。

 悟浄はねんごろにあとをとぶらい、涙とともに、また、新しい旅に上った。


 うわさによれば、ぼう先生は常にぜんを組んだまま眠り続け、五十日に一度目をまされるだけだという。そして、睡眠中の夢の世界を現実と信じ、たまに目覚めているときは、それを夢と思っておられるそうな。悟浄がこの先生をはるばる尋ね来たとき、やはり先生はねむっておられた。なにしろりゆうで最も深い谷底で、上からの光もほとんどして来ない有様ゆえ、悟浄も眼の慣れるまでは見定めにくかったが、やがて、薄暗い底の台の上にけつしたまま睡っているそうぎようがぼんやり目前に浮かび上がってきた。外からの音も聞こえず、魚類もまれにしか来ない所で、悟浄もしかたなしに、坐忘先生の前にすわって眼をつぶってみたら、何かジーンと耳が遠くなりそうな感じだった。

 悟浄が来てから四日めに先生は眼を開いた。すぐ目の前で悟浄があわてて立上がり、らいはいをするのを、見るでもなく見ぬでもなく、ただ二、三度まばたきをした。しばらく無言のたいを続けたのち悟浄は恐る恐る口をきいた。「先生。さっそくでぶしつけでございますが、一つお伺いいたします。いったい『我』とはなんでございましょうか?」「とつ! しんらくさん!」という烈しい声とともに、悟浄の頭はたちまち一棒をくらった。かれはよろめいたが、また座に直り、しばらくして、今度は十分に警戒しながら、先刻の問いを繰返した。今度は棒がりて来なかった。厚いくちびるを開き、顔も身体もどこも絶対に動かさずに、坐忘先生が、夢の中でのような言葉で答えた。「長く食を得ぬときに空腹を覚えるものがおまえじゃ。冬になって寒さを感ずるものが儞じゃ。」さて、それで厚いくちびるを閉じ、しばらくじようのほうを見ていたが、やがて眼を閉じた。そうして、五十日間それを開かなかった。悟浄はしんぼうづよく待った。五十日めにふたたび眼を覚ました坐忘先生は前にすわっている悟浄を見て言った。「まだいたのか?」悟浄はつつしんで五十日待った旨を答えた。「五十日?」と先生は、例の夢を見るようなトロリとした眼を悟浄に注いだが、じっとそのままほど黙っていた。やがて重い唇が開かれた。

 「時の長さを計る尺度が、それを感じる者の実際の感じ以外にないことを知らぬ者は愚かじゃ。人間の世界には、時の長さを計る器械ができたそうじゃが、のちのち大きな誤解の種をくことじゃろう。たい椿ちん寿じゆも、ちようきんようも、長さに変わりはないのじゃ。時とはな、我々の頭の中の一つの装置しかけじゃわい」

 そう言終わると、先生はまた眼を閉じた。五十日後でなければ、それがふたたび開かれることがないであろうことを知っていた悟浄は、睡れる先生に向かってうやうやしく頭を下げてから、立去った。


 「恐れよ。おののけ。しかして、神を信ぜよ。」

 と、りゆうの最も繁華な四つつじに立って、一人の若者が叫んでいた。

 「我々の短いしようがいが、その前とあととに続く無限のだいえいごうの中に没入していることを思え。我々の住む狭い空間が、我々の知らぬ・また我々を知らぬ・無限のだいこうぼうの中に投込まれていることを思え。誰か、みずからの姿の微小さに、おののかずにいられるか。我々はみんな鉄鎖につながれた死刑囚だ。毎瞬間ごとにその中の幾人かずつが我々の面前で殺されていく。我々はなんの希望もなく、順番を待っているだけだ。時は迫っているぞ。その短い間を、自己まんめいていとに過ごそうとするのか? のろわれたきようものめ! その間をなんじみじめな理性をたのんでうぬれ返っているつもりか? ごうまんな身のほど知らずめ! 噴嚏くしやみ一つ、汝の貧しい理性と意志とをもってしては、左右できぬではないか。」

 はくせきの青年はほおを紅潮させ、声をらしてしつした。その女性的な高貴な風姿のどこに、あのような激しさが潜んでいるのか。悟浄は驚きながら、その燃えるような美しいひとみに見入った。かれは青年の言葉から火のようなきよい矢が自分の魂に向かって放たれるのを感じた。

 「我々のしうるのは、ただ神を愛しおのれを憎むことだけだ。部分は、みずからを、独立した本体だとうぬれてはならぬ。あくまで、全体の意志をもって己の意志とし、全体のためにのみ、自己を生きよ。神に合するものは一つの霊となるのだ」

 確かにこれはきよすぐれた魂の声だ、と悟浄は思い、しかし、それにもかかわらず、自分の今えているものが、このような神の声でないことをも、また、感ぜずにはいられなかった。訓言おしえは薬のようなもので、痎瘧おこりを病む者の前にはれものの薬をすすめられてもしかたがない、と、そのようなことも思うた。

 その四つつじから程遠からぬぼうで、悟浄は醜いじきを見た。恐ろしい佝僂せむしで、高く盛上がった背骨にられてぞうはすべて上に昇ってしまい、頭の頂は肩よりずっと低く落込んで、おとがいへそを隠すばかり。おまけに肩から背中にかけて一面に赤くただれたはれものが崩れている有様に、悟浄は思わず足をめてためいきらした。すると、うずくまっているそのじきは、くびが自由にならぬままに、赤く濁っただまと上向け、一本しかない長い前歯を見せてニヤリとした。それから、上につりがった腕をブラブラさせ、悟浄の足もとまでよろめいて来ると、かれを見上げて言った。

 「せんえつじゃな、あわれみなさるとは。若いかたよ。わいそうなやつと思うのかな。どうやら、お前さんのほうがよほど可哀想に思えてならぬが。このような形にしたからとて、造物主をが怨んどるとでも思っていなさるのじゃろう。どうしてどうして。逆に造物主をめとるくらいですわい、このような珍しい形にしてくれたと思うてな。これからも、どんなおもしろいかつこうになるやら、思えば楽しみのようでもある。の左ひじが鶏になったら、時を告げさせようし、右臂がはじき弓になったら、それでふくろうでもとってあぶり肉をこしらえようし、しりが車輪になり、魂が馬にでもなれば、こりゃこのうえなしの乗物で、ちようほうじゃろう。どうじゃ。驚いたかな。の名はな、輿というてな、れいらいという三人のばくぎやくの友がありますじゃ。みんなじよ氏の弟子での、ものの形を超えてしようきように入ったれば、水にもれず火にもけず、寝て夢見ず、覚めてうれいなきものじゃ。この間も、四人で笑うて話したことがある。わしらは、無をもってかしらとし、生をもって背とし、死をもってしりとしとるわけじゃとな。アハハハ……。」

 気味の悪い笑い声にギョッとしながらも、悟浄は、この乞食こそあるいはしんじんというものかもしれんと思うた。この言葉がほんものだとすればたいしたものだ。しかし、この男の言葉や態度の中にどこか誇示的なものが感じられ、それが苦痛を忍んでむりに壮語しているのではないかと疑わせたし、それに、この男の醜さとうみくささとが悟浄に生理的なはんぱつを与えた。かれはだいぶ心をかれながらも、ここでじきに仕えることだけは思い止まった。ただ先刻の話の中にあったじよ氏とやらについて教えをいたく思うたので、そのことをらした。

 「ああ、か。師父はな、これより北のかた、二千八百里、このりゆうせきすいぼくすいと落合うあたりに、いおりを結んでおられる。お前さんのどうしんさえ堅固なら、ずいぶんと、教訓おしえも垂れてくだされよう。せっかく修業なさるがよい。わしからもよろしくと申上げてくだされい。」と、みじめな佝僂せむしは、とがった肩を精一杯せておうへいに言うた。

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