第2章『栗花落』

7、銀に燻る

「最悪だヨ」と、小炎はこれ以上ないほど顔を顰めた。

 常であれば、その顔は鬼の面に隠れて見えない。

 真っ二つに破られた面と窓枠に腰掛ける銀とを見比べて、小炎はもう一度「最悪」と毒吐いた。


「何でこんな奴と一緒に行動しなくちゃいけないワケ!!」


 天敵である彼の同行を承諾した己が相棒を睨みつけるも、当の東雲は呆れたように肩を竦めるだけだ。


「仕方ねえだろ~。勝手に侵入したのはこっちなんだから、穏便に済ませてもらうにはこれしかなかったんだよ」

「……」

「いい加減、機嫌直せって。それよりお前の面を調達するのが先だろ?」

「それは、そうだけど」


 綺麗に割られた面を小炎はスッと撫でた。

 肌の上を潮風が通り過ぎていく感覚に、知れず眉間に深い皺が刻まれる。


「行き先が決まったところで、一つ朗報だぜ」


 そう言った銀の手に小さな紙切れが握られていた。


「それは?」

「昨日、旦那が言っていた特徴の女がどこへ向かったのか調べさせてたんだ」

「見つかったのか」

「ああ。――どうやら『幽世』に渡ったらしい」


 銀の言葉に、小炎が片眉を僅かに持ち上げる。

 次いで、にたりと人の悪い笑みをその顔に貼り付けた。


「なら、丁度いい。僕の面を直せる人もそっちにいるし、面を待っている間に人探しといこう」


 いつもは隠れて見えない緋色の瞳が嬉しそうに弧を描いていた。


 ◇ ◇ ◇


「…………もう二度とお前に運転させねえからな」


 東雲はそう言うや否や、車から転がり出た。

 おえ、と響いた男の汚い声に小炎は片眉を上げると、久方ぶりに帰ってきた故郷の地を踏み締めた。


「言っておくけど、僕の運転が理由じゃないからネ? 『三途の川』自体がいつもあんな感じなんだヨ」

「それならそうと先に言え!」

「言ったところで揺れることに変わりないし、常世の人間が五体満足で渡れただけでも褒めて欲しいナァ」


 ヒヒ、と物騒な笑いを浮かべる小炎に東雲は口の端を拭いながら盛大にため息を吐き出した。

 銀と時雨はと言えば、車の中でぐったりとしており、身動きを取ることすら出来ない様子である。


「それで? これからどうするんだ?」

「どうするも何も、僕の面が最優先に決まってるデショ。伯母の旅館は目と鼻の先だし、ここからは徒歩で行こう」

「伯母の旅館??」

「あれ、言ってなかったっけ? 僕の面を作ってくれた伯母はこっちで旅館を経営してるんだヨ」


 あちらでもまだ物珍しい舶来の車は、幽世では更に奇異なものとして人々の目を惹くようだった。

 仕方なしに人通りの少ない場所へ車を停めて徒歩で旅館を目指すことになった一行は、辿り着いた旅館の外観を見て息を呑んだ。


「ようこそ~。和笑亭なごみていへ~」


 ただいまぁ、と呑気に暖簾を潜った小炎の後ろ姿を見送りながら、東雲は銀と顔を見合わせる。


「お、おい待て小炎! 本当にここで合ってんのか?」

「合ってるってば~。いいから早く入んなヨ」

「いや、でも、お前……」

「何、固まってんの?」


 来い来い、と手招きされて初めて東雲たちは恐る恐る一歩を踏み出した。


「……すいません。まだ、営業時間やないんですけど、」


 受付に立っていた銀髪の女性が遠慮がちにこちらを見遣る。

 そら見ろと東雲と銀が眉根を寄せれば、小炎が不敵な笑みを浮かべた。


「僕だヨ、柚月ゆづき」

「…………小炎?」

「そ。久しぶりだねェ」


 ひらひら、と両手を振りながら女性――柚月に近付こうとした小炎の前に黒い影が立ち塞がった。

 赤い瞳の青年が小炎から柚月を守るように、彼らの間に割って入る。


「それ以上、柚月に近付くな。縊り殺すぞ」

「わあ、物騒。君の方こそ、これ以上彼らを刺激しない方が良いヨ。頭に一発喰らいたいなら、話は別だけど」


 小炎の背後でかちゃ、と金属の音が小さく反響した。

 東雲が銃を、銀が長刀を構えて、青年に鋭い殺気を放っていた。

 髪と同じ真っ黒な猫耳をひくり、と動かすと、青年は大人しく身を引いた。

 だが、柚月の側を離れるつもりはないのか、彼女の背後で低い唸り声が響く。


「もう、夜雨よう。お客さん相手に威嚇しいなや」

「何が客だ。こいつ鬼の臭いが酷いぞ。お前を狙ってやってきたのかもしれないだろ」

「うちのお母ちゃんの従兄弟やっちゅうねん。人の話は最後まで聞きや」

「桜に従兄弟が居たのか? 初耳だぞ」

「ばあちゃんの妹の子やねん。ばあちゃんと妹さんは仲悪いから会うたことはないけど、小炎は何年かに一回来るんよ」


 そこまで青年――夜雨に説明して柚月は、はたと瞬きを一つ落とした。


「面してないやん!!」

「そーなんだヨ。こっちのアホヅラに叩き割られちゃって……。まあ、経年劣化もあるかもなんだけど、白梅に新しいの作ってもらおうと思ってサ」

「……ばあちゃん、昨日から経営者の集まりで隣町に行ってるねんけど」

「いつ戻る?」

「明後日」


 小炎は眉間に指を押し当てると、東雲を振り返った。


「面が出来るまで僕動けないんだけど、待てる?」

「お前が居ないと困るしな。その間に例の女を探すことにしよう」

「そうしてもらえると助かるヨ。そんじゃ、早速温泉にでも入りますか~~」


 肩の力を抜いた様子の小炎に柚月は再度瞑目すると、彼らを部屋に案内すべく客間への廊下を目指した。

 東雲の腕の中でぐったりとしていた時雨が、眼前で翻った銀髪を辿るように手を伸ばす。


「きれい」

「ん? 起きたか?」

「うん」


 少女の額にそっと口付けを落とす。

 擽ったいと言わんばかりに身を捩った時雨に、東雲が満足そうに目を細めた。


 既知の場所へ辿り着いた気の緩みか、部屋に通された途端に、身体の中で燻っていた炎がぐらりと傾いだ。

 拙い、と思ったときには既に遅く、小炎の背筋を冷や汗が伝う。


「……離れて、」


 それだけ伝えるのがやっとだった。


 すぐ隣から発せられた殺気に、最初に反応を示したのは銀だった。

 音もなく唸りを上げた短槍を自らの愛刀で防ぐ。


「穏やかじゃねえな」

「ゔゔゔ、」

「離れろ! 銀! 攻撃されるぞ!」

「わーってるよ。それよりも旦那。ありったけの水を用意しな。この分だと、そのうち鬼火が飛んでくるぜ」


 小炎の攻撃を往なしながら、銀が襖を蹴り上げ、中庭へと躍り出る。


「……久々に見たな、その姿」


 燃えるような緋色の髪に、金色の瞳。

 常の姿と対を成すような正反対の色合いに加え、額に生えた黒い一本角は、小炎が人間とは違う生き物であることをありありと語っていた。

 獲物を威嚇する獣のように低い声を上げる小炎の姿はまさしく『鬼』そのもので、初めて見る彼の姿に、時雨が引き攣った悲鳴を上げる。


「ひっ、しゃ、小炎?」

「しっ! 黙ってろ」

「で、も」

「いいから。ここは銀に任せて、俺たちは水を調達しに行くぞ」


 銀が突き飛ばした拍子に廊下へ襖ごと倒れていた柚月を助け起こすと、東雲は時雨を抱えたまま彼女の腕を引いて部屋を飛び出した。


「ああなったら、体力が無くなるまで暴れ続ける。この旅館、水風呂か池はあるか?」

「あるけど、どっちも遠い! 強いて言うんやったら、池の方が近いけど……」

「十分だ。時雨、出来るか?」

「……! うん! 出来るよ!」


 ここにきて、時雨は東雲がこれから何をしようとしているのかを理解した。

 時雨に宿る潮の力を使って、小炎に水を被せようと考えているのだろう。

 柚月一人だけが訳も分からないまま、池のある庭へと足を急がせた。


「ったく、俺が居なかったら、あの子のこと真っ二つにしてたとこだぜ?」

「ゔ、ゔあ」

「……何言ってんのか、全然分かんねえな」


 軽口の応酬がないだけで、こんなにも寂しい。

 口からだらしなく涎を垂らしながらも、小炎の槍は衰えを知らないようだった。

 激しく唸る槍の穂先を寸でのところで躱す。

 次いで、往なした反動を利用して、彼の背後へ回り込んだ。


「そら。いい加減、落ち着けよ。お前らしくもねえ」

「ぐあああ!!」

「うおっ!? ったく、このじゃじゃ馬め……!」


 身動きが取れないように、両腕を押さえ込もうとした銀を、然して小炎は振り払った。

 理性を失っているかのように見えて、無意識で反撃を繰り出すあたり、流石小炎と言ったところである。


「んも~~。面倒臭えなあ! おい、淡! まだかよ!」

『もう少しよ。今、潮がこちらに向かっているわ』

「早くしろってせっついてくれ」

『はいはい。全く堪え性がない子ねぇ』

「るせえっ!」


 これでも我慢している方だ、と銀は歯噛みした。

 本当はもっとお互いに貪り合うような、そんな殺し合いがしたい。

 けれどそれは、小炎が正気のときでなければ、意味がないのだ。

 刃を交えるときにしか見ることが叶わない、あのギラギラと燃え激る眼光を思い出して、銀はぶるりと身震いした。


「待たせたな!!」


 頭上から東雲の声が聞こえた。

 それに一片の視線も遣らずに、銀は小炎に真っ向から突っ込む。

 少しでもこちらに意識を向けておく必要があると判断したからだ。


「小炎、ごめんね!!」


 時雨の声と同時に彼女の小さな手が合わさる乾いた音が反響を繰り返す。


――ばっしゃーん!!


 文字通り、バケツをひっくり返したような大量の水が滝のように二人へ向かって降り注いだ。


 ◇ ◇ ◇


「いやあ、面目ない。やっぱり面がないと鬼火の制御が効かなくってさ~」

「本当に勘弁しろよな。銀に礼言っとけ」

「え~~」

「『え~~』じゃねえ。アイツがお前の腕掴んだおかげで、その程度で済んだんだぞ」


 時雨の放水は小炎の炎を鎮火するのに十分すぎる威力を発揮した。

 二階から落とされた大量の水の勢いは留まるところを知らず、小炎や銀を押し流そうとその場で渦を巻いた。

 岩にぶつかりそうになった小炎を、銀が咄嗟に手を掴んだことで事なきを得たのである。

 急を要していたとはいえ、乱暴な手段を取ってしまったことに落ち込んだ時雨を膝の上であやしながら、布団の上で眠る銀色の男に目を向ける。


 銀の前で本性を晒したのは二度目だった。

 一度目は、彼が仕切っていた賭場で、不意に面を弾き飛ばされて。

 あのときの銀の顔は今でもはっきりと覚えている。


『……お前、そっちの方がいいな』


 馬鹿にされているのだと思ってその後すぐに斬りかかった。

 踊るように刃を交えて、楽しかったことだけが鮮明に焼き付いている。


(ああ、やだな)


 夜を彷彿とさせる時雨の髪が、指の隙間から滑り落ちていく。


(これじゃ、まるで)


 猫のように目を細める少女の髪をよしよしと優しく撫でた。


(銀のことが気になっているみたいだ)


 誰に聞かせるでもなく、胸中で呟いた言葉に、小炎は深いため息を吐き出した。


「小炎?」

「ん~~?」

「変な顔、してる」

「……何でもないヨ」


 時雨の目が、疑いの色濃く小炎を射抜く。

 それを誤魔化すように、彼女の両目を掌で覆ってしまうと、小炎は再び銀に視線を遣った。

 規則正しく寝息を立てる青年の姿に、唇を噛む。


「ねえ、ドン」

「何だ?」

「…………やっぱり、何でもない」


 東雲に答えを求めるのは違うような気がして、小炎は短く息を吐き出した。

 胸中を燻る不安定なこの炎はいつかきっと己の身を焦がすだろう。

 漠然とそんな考えが頭を過っていった。

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