6、鬼ごっこ
びり、と背筋に走った電流のような殺気に、東雲は顔を曇らせた。
どす黒く重い、その感じには覚えがあったからだ。
(……小炎の野郎、トチリやがったな)
トラブルメーカーである彼のことだ。
見張りにしては派手な鬼面を咎められたか、はたまた何か盗もうとして見つかったか。
どちらにしろ、助けに向かうつもりは更々なかった。
腕の中ですやすやと眠る時雨がいたからである。
気持ち良さそうに寝息を立てる時雨を抱え直すと、東雲は一足先に春海から宿場町へ向かうことにした。
小炎と別れてから半刻も経っていなかったが、男たちから聞き出した特徴の人物――白い頭巾を被った女を、見つけられなかったのである。
高い場所からなら見つかると踏んで、甲板を見渡せる場所で暫く粘ってみたのだが、それらしい女は一向に現れなかった。
ひとまず、時雨を静かな場所で寝かせてやろう、と人の波を避けながら歩いていると、不意に視線を感じた。
職業柄、人の視線には敏感な方ではあったが、この人混みでは誰がこちらを見ているのかはっきりとは分からない。
舌打ちを溢した東雲の視界の端で、白い布切れが翻った。
(今のは、)
不自然に、まるでこちらへ来いと言わんばかりに、風に揺れた白い頭巾を被った女が数歩先でこちらをじっと見ていた。
にた、と不気味な笑みを貼り付けた女と、東雲の視線が交差する。
女は東雲が自分を捉えたことを察すると、軽やかな足取りで人々の間を縫うように駆け出した。
「……待てっ!!」
時雨を片手に抱え直し、女の後を追う。
頭巾を目深に被っている所為で顔までははっきりと見えなかったが、あれはこちらを挑発している笑みであった。
「くそ! 女にしては足が早すぎないか!?」
「ん~……。東雲? どうしたの?」
「悪い! 起こしたか!」
走っている振動が伝わった所為で目を覚ました時雨が不思議そうに当たりを見渡す。
次いで、眼前の白頭巾を見咎めると、それと東雲の間で視線を行ったり来たりさせた。
「鬼ごっこしてるの?」
「え? ああ、そうだな。鬼ごっことも言えなくもないか……」
「あの人、捕まえる?」
「……出来るか?」
東雲は、腕の中の少女にそう問いかけた。
空色の目がスッと猫のように細められる。
「時雨、鬼ごっこ得意だよ」
可愛らしく微笑んだ少女は年相応のそれであるというのに、並べられた言葉を額面通り受け取っていいものか分からず、東雲は「ほどほどにしろよ」と告げるのがやっとだった。
「潮、あの人追いかけて」
『――ええ』
時雨の身体が淡い光を放ったかと思うと、東雲と時雨の二人を雨の匂いが包み込んだ。
二人の眼前に、半透明の少女――潮が現れる。
『邪魔よ』
ふう、と潮が短く吐息を漏らす。
彼女が漏らしたそれは風を呼び、その風は女神の意志を汲むように突風となった。
嵐のような強風が春海の甲板を撫でる。
「きゃあ!?」
「な、何だ!」
「うおっ!!」
潮の起こした風によって、甲板の上を歩いていた人々が屋台の方に身体を寄せる。
そのおかげで人波が真っ二つに割れた。
「……便利だな」
「ふふっ。行こう、東雲」
擽ったそうに笑った時雨に、東雲はこくりと頷きを返すと人波が喧騒を取り戻すより早く駆け出した。
白頭巾の女が時折こちらを嘲るように振り返る。
それがどうしようもなく癇に障った。
(子連れだからって舐め腐りやがって……!)
くそ、と鋭い舌打ちを落とすと、東雲は地面を強く蹴った。
速さを増した東雲に、時雨が思わず彼の肩をきつく握りしめる。
「し、東雲! は、速い、よ……!」
「悪い! しっかり捕まっとけ!」
「う、うん!!」
東雲は時雨の小さな手が自分の服を強く掴んだことを一瞥すると、更に速度を上げた。
女との距離はすぐそこまで狭まっていた。
手を伸ばせば捕まえられる。
東雲が、そう確信したときだった。
――ドゴォオン!!
分厚い装甲を食い破るように破壊した小炎の姿が、東雲の視線の先で宙を舞う。
「ったく! しつこいんだヨ!」
「お前の往生際が悪いんだろーが!」
「しつこい男は嫌われるって言葉知らないワケ!?」
「諦めも肝心って言うだろ!!」
宛ら虎と龍の啀み合いである。
短槍と長刀の応酬から逃れようと、屋台の店員はもちろん、辺りの客がワッと東雲たちの方へ押し寄せてきた。
「今日はここまでみたいですね」
そう東雲にだけ聞こえるように呟くと、女は頭巾を深く被り直した。
人波の中に、白い頭巾が紛れて消える。
東雲は時雨を落とさないように、女の姿を睨みつけることしかできなかった。
「……ったく、アイツらの所為で逃げられちまったじゃねえか」
「小炎、大丈夫かな」
「アイツがそう簡単にやられるかよ」
何とか人混みを抜け出すことに成功した東雲と時雨の二人は、騒ぎの元凶である小炎たちを探して土煙が舞う方へと向かった。
金属がぶつかり合う音が激しさを増している。
東雲は時雨を地面に下ろすと、懐から銃を取り出した。
「いい加減、大人しくしろ!!」
空に向かって銃声が二つ。
次いで、それまで激しく響き渡っていた金属音がぴたりと止んだ。
「何だよ! 東雲の旦那! せっかくいいところだったのに、邪魔すんなよなァ~」
「『何だよ!』じゃねえ!! お前らが暴れた所為で逃げられちまっただろ!!」
土煙の中から現れた銀の口元は血で汚れていた。
よく見れば脇腹からも出血しており、白い衣服を真っ赤に染め上げている。
「も~~! ドン遅いヨ! 面が壊される前に来てよネ!」
そんな銀を突き飛ばす勢いで現れた小炎はと言えば、こちらも額から血を流しており、自慢の面が真っ二つにかち割られていた。
「しゃ、小炎! ち、血まみれ!」
東雲の後ろから様子を見ていた時雨が、小炎の姿を見るや否や彼の元へと飛んでいった。
おい待て、と東雲の静止も聞かずに、小炎に飛びついた時雨が慌てて潮を呼び出す。
「ちょ、しーちゃん! だめだよ、こいつの前で!」
「怪我してる! から、じっとして!!」
「でも、」
「小炎」
「はい……」
小炎が大人しくなったのを確認すると、時雨は宙に浮かんだ潮へと視線を移した。
「潮」
『……仕方ないわね』
名前を呼ばれただけで、時雨が何を言いたいのか察したのだろう。
渋々と言った様子で小炎の額に手を触れた。
じんわりと心地良い温もりが小炎を包み込む。
『はい、おしまい』
「あ、ありがと」
『貴方も治療が必要かしら?』
潮が意味深な視線を送れば、銀がぱちりと瞬きを一つ落とした。
「何だ。バレてたのかよ」
『気が付いていたのはお互い様でしょう?』
「だってよ、淡(ダン)」
銀の呼びかけに、彼の身体から半透明の女性が姿を現した。
頬に片手を当てて、こてんと首を傾げたその女性――淡は、困ったように眉根を寄せた。
『やっぱり、貴方の血の気が多い所為で気付かれたんじゃなくって?』
「ハ~~? お前にだけは言われたくないっての!」
『まあ、失礼ね。私は少し戦闘に長けているだけよ。貴方たちみたいに好んで血を見たいとは思わないわ』
屋敷を飛び出してからこっち、自分以外の蓮によく遭遇するなと時雨は目を剥いた。
銀は時雨の様子を気にも留めず、自身の傷を淡の力で癒した。
すう、と消えた傷を見遣りながら、東雲一行へ「それで?」と促す。
「あ? 何だよ」
「おい、まさか本気で観光に来たとか言わないよな? 一体、何が目的だ?」
「……『輝石』」
東雲が小さく溢した言葉に、銀の目がスッと猫のように細められた。
次いで、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、その額に深い皺を刻む。
「ンア~~。まーた面倒なモンの名前聞いちまったじゃねえか」
「ドン! 何でこいつに言うのサ!」
頭を抱える銀を指差しながら小炎が吠える。
「白蜂会とは無関係だってことを証明した方が、解放されるのも早いと思ったんだよ」
「?」
「……見てみろ」
くい、と東雲が顎で示した先には、白い外套に身を包んだ男たちが数名立っていた。
銀が呼び寄せたのか、すっかり退路を断たれていたことに遅れて気が付いた小炎の顔が嫌悪に染まる。
「キレると周りが見えなくなるところ、直した方が身のためだぜ?」
「チッ」
嬉しそうにニッコリと笑った銀に小炎が鋭い舌打ちを返す。
「……さて、と、お前さんらの処遇をどうしたもんかねェ」
「できれば、このまま見逃してもらいたいんだが」
「それは出来ねえな」
「だよな」
東雲が苦笑いを浮かべると、銀は彼の後ろに控えさせていた部下に視線を送った。
「詳しい話を聞かせてくれ。解放するか否かは、それから考えさせてもらう」
「分かった」
東雲は二つ返事で頷くと、時雨と小炎をこの場に残すことにした。
殺気立った彼を銀と対峙させたままでは、話も真面に出来ないと判断してのことだ。
「ドン!」
「……落ち着けって。白蜂会の中でもこいつは話が通じる方だろ。お前以外には、な」
「…………」
不満そうな顔を隠そうともしない――常は面で隠れているため、恐らく失念していたのだろう――小炎の頭を乱暴に撫ぜると、東雲は大人しく銀の背を追いかけた。
◇ ◇ ◇
構成員に挟まれながら銀に案内された部屋は、元は艦長室だった場所を改造したらしい豪華な部屋だった。
「それで? さっきの話だが……。どこで聞いた」
「どこで、とは?」
「ああ、悪い。『誰から』と聞いた方が良かったか?」
「俺が雇い主のことを簡単に話す奴に見えるか?」
「見えないねぇ」
「なら、聞き方を考えるんだな」
銀はくつくつと肩を震わせながら笑い声を漏らした。
「だが、今ので大体分かった。――黒燈の兄さん。まだあの石を追ってたんだな」
「いいや。もう諦めようとしていたところに、石の方が転がり込んできやがった」
「へえ? それは興味深い」
「アレの作り方が分かったと言えば、どうする?」
銀の目が驚愕に見開かれる。
東雲は、ゆっくりと彼から視線を離すと、小炎から聞いた『輝石』の製造方法を伝えた。
全てを話し終える頃には、銀の目は爛々と怒りの炎に燃えており、東雲の背中を冷たい汗が流れていく。
「作ってる奴とここで落ち合うという話を聞いて、確かめに来たんだ」
「……なるほど」
「誓って、白蜂会に手を出そうとはしていない。用があるのは輝石を売り捌こうとしている連中だけだ」
真っ直ぐに己を見つめる眼前の男に、銀は僅かに口角を上げた。
「旦那の言い分を信じよう。正直に言うと、俺らも迷惑してたんだ」
「と、言うと?」
「末端の奴らがおかしなもんを捌いてるって話がここ何ヶ月かで一気に増えやがった。――丁度、アンタがあの嬢ちゃんを屋敷から連れ出した頃からな」
「……まさか、」
「多分、『青蘭』が一枚噛んでる」
青蘭の名を聞いて、東雲は思わず天を仰いだ。
忌まわしい記憶が脳裏を掠める。
『ごめんね、東雲。でも、あなたにしか頼めないの」
腕の中で弱っていく梅雨の言葉が、耳元で反響を繰り返す。
それを振り払うように頭を振った東雲は、鋭い視線を銀へと向けた。
「その末端の連中を俺たちに差し出す気はあるか」
「ある、と答えたら、何をするつもりなんだい?」
「決まってんだろ。口を割るまで痛めつけた後、俺が知っている限り最も残酷な方法で殺してやる」
「――じゃあ、言えないねぇ。でも、おかげ決心がついたよ」
「何のだ?」
顔を顰めた東雲を意にも介さず、銀は呑気な様子で彼の前へと手を差し伸べた。
「俺たちも手を組もうじゃないか」
「?」
「旦那たちは『輝石』そのものを、俺たちはそれに手を染めた連中を消し去りたい。――どうだい? 悪い話じゃないと思うんだが」
好青年然とした表情を貼り付けた銀に、東雲はますます眉間の皺を濃くする他なかった。
自分一人だけの感情で答えていいものか否かと思案を巡らせていると、扉の向こうが騒がしいことに気付く。
「ぜーったい、ヤダッ!!!!」
またしても扉――分厚い戦艦の扉をまるで障子でも蹴破るように破壊した小炎の叫びに、東雲は頭を抱えた。
「まだ何も答えてねーよ」
深いため息を吐き出した東雲と裏腹に、飛び込んできた小炎の姿を視界に収めた銀は満面の笑みを浮かべる。
「小炎の了承も得たし、交渉成立ってことで!」
「僕の話、聞いてた!? やだって言ってんだヨ!!」
「お前の『やだ』は『いい』ってことだろ? 照れるな、照れるな」
小炎の言葉を都合良く解釈することにしたらしい銀は、彼の後ろに隠れた時雨にゆるりと視線を向けた。
「そんじゃ、嬢ちゃん。これからよろしく頼むぜ」
こうして半ば強引に銀が一行に加わることとなったのであった。
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