3、輝ける石
ある夜、道端に落ちていた光り輝く石を拾った男がいた。
男はその石があまりにも美しかったので、露店で売って銭にしようかと考えた。
明日の朝一番、露店に持って行こうと考えた男は、その足でさっさと家に帰り着く。
すると、不思議なことが起こった。
誰もいないはずの家に、明かりが灯っていたのだ。
扉を開けると、そこには死んだはずの女房が立っていた。
――おかえりなさい。
久しぶりに見た女房の姿に、男は涙を流して喜んだ。
女房は、男に食事を与えると、生前と同じように男と夜を共にした。
そして、明くる朝。
男はあれはてっきり夢だったのだ、と思っていたが、褥には女房が横たわったままだった。
――この石が不思議な力で女房を甦らせてくれた。
男の枕元にあった輝く石は、それに応えるよう一層強い光を放ったという。
「ってのが、この石にまつわる御伽噺だ」
「へえ? それで? どうしてわざわざそんな御伽噺を俺たちに聞かせるんだ?」
「これには続きがあるからだよ」
「続き?」
黒燈は苦虫を噛み潰したような表情になると、自身の部屋から持ってきた分厚い書記を東雲に投げつけた。
「何だよ、これ」
「俺の親父が書いたものだ。読んでみろ」
黒燈に渡された書記を開くと、そこには流麗な字がびっしりと刻まれていた。
――その内容のほとんどが、先ほどの石に関する記述ばかりである。
そして、ページが中間に差し掛かろうとしたとき、そこに書かれた単語に東雲は息を詰まらせた。
「……おい、これって」
「そうだ。その光る石――親父は見た目のまま『
常の二割増しで眉間に濃い皺を刻んだ黒燈と東雲に、小炎は東雲の持っていた書記を横から掻っ攫って自身も目を通した。
ページが進むごとに物騒な記述の増えるそれに、思わず舌を突き出す。
「どうしてこんな危ないモンが『
「これを見たのは親父の亡骸を見たときが最後だ。少なくとも、こんな辺鄙なところまで流れつくことは早々ねぇだろうよ」
だから聞いているんだ、と黒燈は一つしかない目で東雲と小炎を交互に見遣る。
「春海と言えば、思いつく組織は全員一緒だろ」
「……なるほど、それで俺と小炎に頼みたいってわけか」
「ああ。俺は下手に動くと命がないからな」
黒燈が眼帯を抑えながら、緩く微笑んだ。
その顔はここ最近で見た中でも、一等穏やかに見えるのに、目だけが爛々と不釣り合いに輝いてゾッとする美しさを放っている。
「『
黒燈の紡いだ名称に、東雲と小炎が肌を突き刺すようなひりついた殺気を同時に醸し出す。
それに中てられた時雨がぎくり、と肩を強張らせると、小炎がその小さな頭をくしゃりと撫でつけた。
「だいじょーぶ。二、三日ここを空けることになるかもしれないけど、すぐ帰ってくるヨ」
「ほ、ほんと?」
「ああ。黒燈たちと一緒に留守番できるか?」
「うん」
「いい子だ」
東雲と小炎に交互に髪を撫で回されて、時雨は擽ったそうに目尻を和らげる。
その姿が、遠い日に見た梅雨のそれと瓜二つで、黒燈は眩しいものでも見たかのようにスッと目を細めることしかできなかった。
宣告通り、東雲と小炎は準備を済ませると早々に春海へと向かう計画を立て始めた。
名はもちろん、顔すらも知られている小炎にとっては、潜入が厳しい街である。
ひとまず、その一つ前にある紺山という街で情報収集から始めようと算段をつけた。
「必要なものがあれば言ってくれ。こっちで用意する」
「……めっずらしい~。何から何まですごい高待遇じゃん。そんなにしてくれなくても大丈夫だヨ。黒燈は成功報酬の準備だけしておいて」
「だが、」
「しつこいな~~。そんなに言うなら、しーちゃんのお守り徹底してよネ」
「あ、ああ! もちろんだ」
少しだけ常の調子を取り戻した黒燈の姿に、小炎はホッと気付かれないように小さく鬼面の下で安堵の息を漏らした。
「小炎」
そんな彼らのやりとりを傍で見守っていた時雨で、遠慮がちに小炎の袖を引っ張った。
「ん~? なあに、お姫様。何だかご機嫌斜めだネェ~」
「やっぱり時雨も一緒に行っちゃダメ?」
「昨日はあーんなに聞き分けが良かったのに、どうしたのサ」
「だって東雲が、」
「ドンが?」
携帯用食料を買いに出かけた相棒の姿を頭の中に思い浮かべながら、小炎が首を傾げる。
東雲が、と譫言のように繰り返す少女に、小炎は眉根を寄せた。
「東雲がちゃんと朝起きられるか、気になるんだもん……」
意を決して告げられた時雨の言葉は、小炎の思考を停止させるのに十分な威力を持っていた。
至極心配そうに、それこそ、死地へと向かう親に別れを告げる子どものような深刻な表情でそんなことを宣うものだから。
理解が及ぶと同時、声高に笑い声を上げてしまった。
「ひひひひひっ! あーおっかしい! そんなこと、気にしてたの?」
「だ、だって、いつも起こしても起きないから……」
「まあ、それはそうだけど」
小炎は確かに、と力強く頷いた。
東雲の寝汚さは目を見張るものがある。
傭兵家業だというのに、叩いても、大声を上げて起こそうとしても、目を覚まさないのだ。
一度、無理に起こしたときは大変だった。
宛ら冬眠中に空腹で目を覚ました熊のように不機嫌を隠そうともせず、守るべきはずの護衛対象を終始怯えさせてしまって、危うく報酬がもらえなくなるところだった。
「ま、最悪の場合、こいつで斬りかかれば、流石に起きるデショ」
自身の相棒――短槍をパシパシと叩いた小炎に、時雨が弱々しく首を横に降る。
「あ、危ないよ、小炎」
「だいじょーぶだって。それに今度ばかりはいつもみたいに二度寝されると僕が困るし、」
鬼面の目抜き穴から覗いた緋色の眼が鈍い光を放つのに、時雨は心の中でそっと東雲に手を合わせることしか出来なかった。
「……小炎がそう言うなら、時雨は黒燈たちとお留守番してるね」
「ン。良い子だねぇ。良い子のしーちゃんには、僕とドンがとびっきりのお土産を買ってきてあげるから、楽しみにしててネ!」
「分かった!」
先ほどまで曇っていた表情が幾分か晴れやかになった時雨の頭をこれでもか、と掻き回すと、小炎は彼女に気づかれないようにスッと目を細めた。
駄々を捏ねられたときはどうしようかと思ったが、存外に聞き分けの良い子だ。
大人を――身近な人間を困らせまいとする幼気な姿に少しばかり胸が痛んだ。
「それじゃ、僕も買い出しに行ってくるヨ」
「うん、」
「出発は明後日だから、あと二回、一緒の布団で眠れるネ」
「ほんと!?」
「ホント、ホント」
くしゃり、と撫でつけた髪の柔らかさと時雨の嬉しそうな顔に、小炎は何とも言えない面映い気持ちが胸の中を占領していくのを感じた。
グッと言葉にならない擽ったい何かを何とか飲み込んで、奥から様子を伺っていた星羅に時雨を託す。
「気をつけてね!」
小さな掌を千切れんばかりに振って見送った時雨の姿を見納めて、小炎は頭の中に必要なものを思い浮かべるのだった。
◇ ◇ ◇
「時雨ちゃん」
黒燈からもらった色紙で遊んでいた時雨は、星羅の声にハッと顔を上げた。
色鮮やかに染められた紙は、時間を忘れて見惚れてしまうほどに美しく、つい先日も昼過ぎから夕方になるまで透かしたり、重ねてみたり、を繰り返していて昼餉を食べ損ねてしまったのだ。
「ごはん!?」
「……ふ、ふふっ。まあ、そうね。今日のお夕飯を買いに行くのだけれど、一緒に行かないか、お誘いに来たの」
「晩ご飯??」
「そうよ。昨日は小炎様の好きな麻婆茄子にしたでしょう? 今日は時雨ちゃんが食べたいものを言う日よ」
星羅は料理上手な上に、気配りも上手だった。
東雲たちが長期滞在しているときは決まって隔日でそれぞれが好きな料理を作ってくれるのである。
以前、黒燈に「良い嫁をもらったな」と東雲が戯れに言っていたことを思い出し、時雨はにっこりと笑顔を浮かべた。
「星羅のご飯、美味しいから迷っちゃうなあ」
「あら、嬉しい。でも、何でもいいはダメよ? それが一番困っちゃうんだから」
「え~~。難しいよぉ……」
「ふふっ。もう、黒燈様みたいなこと言って……。ほら、行きましょう。食材を見て決めた方が早いわ」
星羅の髪がきらきらと夕日に反射して眩しい。
見たこともない不思議な色だ、と豊かな川のように流れるその髪にそっと手を伸ばす。
絹のような手触りのそれに、時雨は思わず「ほあ……」と気の抜けた声を漏らした。
「きれい」
するり、と喉を衝いて出た言葉に、それを発した時雨も、受け取ることになった星羅も目を丸くする。
「……ありがとう」
恥ずかしそうにしながら微笑んだ星羅の表情と、いつか見た姉の――梅雨のそれが重なる。
『あのね、時雨。今日、面白い人に会ったのよ』
そう言って朗らかに笑った姉は、もうこの世にはいない。
ちくり、と痛んだ胸に、時雨は気が付かないふりをした。
黄昏の街から抜け出すと、辺りは途端に賑やかさを取り戻す。
シン、と冷えた空気を纏っている黄昏通りと違い、街の本通りは人で溢れかえっていた。
「今日は、こっちで買うの?」
「ええ。お肉が安かったって酒場の女将さんに教えてもらったから」
「時雨、こっちのお店は初めて」
「じゃあ、ゆっくり見て回りましょうか」
「うん!」
初めて見る光景に心躍らせる時雨を他所に、星羅は多すぎる人並みに眉間へ皺を寄せた。
「ねえ、星羅! あれは何!?」
時雨が振り返るとそこに星羅は居なかった。
先ほどまで、手が触れる距離にいた彼女は見る影もない。
「
『……匂いを辿るわ。少し待って』
時雨の肩にゆるり、と手を置いた潮だったが、星羅の気配を感じ取った途端にその顔を顰めた。
『時雨、急いで。星羅の気配がぐんぐん遠ざかっている!』
「え?!」
『こっちよ!』
潮が人並みの中に溶けて消えた。
その方角に向かって、歩を早める。
気が付けば、時雨は走っていた。
地下牢を出てから、自分の足で『走る』なんてことは初めてのことで、あっという間に息が上がってしまう。
「……してっ! 離しなさいっ!」
「いいから、来い! お前を連れてこいとお頭に頼まれているんだ!」
「今更、私を連れ戻す理由なんてないでしょう!」
「お前しか知らない流しのルートがあるんだろう! それを吐かせろってお達しだ!」
「そんなもの……!?」
物陰から見えた空色に星羅は言葉を詰まらせた。
急に大人しくなった星羅を不思議に思って、彼女を取り押さえていた男たちがその視線の先を辿る。
時雨がじっと星羅を見つめていた。
漆を溶かして煮詰めた艶やかな黒髪が、生ぬるい風に弄ばれている。
「んだ、このガキ! 見せもんじゃねえぞ!」
「やめて! その子は関係ないでしょ!!」
離して、と星羅が羽交い締めにされている男の腕から逃れようとするも、びくともしない。
男の一人が、時雨にゆっくりと近付いていくのを、黙って見ていることしかできなかった。
「――星羅」
聞いたこともないような冷たい声で、時雨に名前を呼ばれる。
星羅は思わずぎくりと肩を強張らせた。
「この人たち、知り合い?」
拙いながらもはっきりと発せられたそれに、星羅は弱々しく頭を振った。
時雨の、彼女の顔に嵌め込まれた冬の朝を彷彿とさせる双眸が声と同じか、それ以上に冷たい光を宿していた。
「じゃあ、バイバイしてもいいよね」
告げられた言葉の意味を星羅が理解するより先に、時雨の身体が閃光を放つ。
あまりの眩さに星羅は目を瞑った。
一陣の風が頬を撫でる。
次に目を開けると、そこには地面に仲良く転がった男たちの姿があった。
「だいじょーぶ?」
「え、ええ。ありがとう。でも、今のは?」
「星羅、知らないふりするの、とっても上手だね」
「え?」
時雨はそう言って困ったように眉根を寄せた。
星羅の身体には蓮の匂いが染み付いている。
それはかつて、その身体に蓮を宿していた証だ。
「……ごめんなさい。黙っていたのは、貴女を巻き込みたくなかったからなの」
「うん」
「でも、もうそんなこと言っていられないわね。居場所を知られた今、黒燈様の所にも戻るわけにもいかない」
「どうするの?」
「小炎様はまだ出発していなかったはずよね?」
「星羅のご飯、食べてから出るって言っていたよ」
「なら、少し付き合ってくれる?」
悪戯を思いついた子どものように笑った星羅に時雨は二つ返事で頷いた。
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