2、残されたものたち


 黒燈の店で、東雲たちと生活を共にするようになって一ヶ月。

 小炎や星羅に一通り人間らしい暮らし方を学んだ時雨は、夜遅くに戻ってきて一向に起きる気配のない男に視線を這わせた。


「東雲、いい加減起きないと小炎に怒られるよ」


 話し方も年相応の可愛らしいものになった時雨に、東雲はうっすらと片目を上げて「いいんだよ」と欠伸混じりに返事を返す。


「昨夜はアイツの無茶振りに付き合った所為で遅くなったんだから、今日は昼まで寝るって決めてんだ」

「でも、」

「ドーン!! 起きて、ドン! 稼ぎ期だよ!!」


 時雨が言い淀んでいると、襖がスッパーンと小気味良い音を奏でて乱雑に開かれた。

 今日も今日とて元気いっぱいな鬼面を被った青年が、寝転がった東雲の胸ぐらを掴んで激しく揺すぶった。


「…………朝っぱらから煩えなあ。何があったんだよ」

「あのねあのね! 闇市が新しい商品を明日仕入れるらしいんだ! 掻っ攫いに行こうヨ!!」

「またかよっ! 俺は嫌だぞ! お前と一緒に行って無事に済んだ試しがねえ」

「……東雲がこの前欲しいって言ってた暗器もリストに載ってたんだけどナァ~~」

「それを先に言え」


 商談成立と言わんばかりに固い握手を交わした東雲と小炎の二人に、時雨がぱちりと瞬きを落とす。


「また、お仕事?」

「ん。すぐ戻ってくるから、明日は星羅と二人で留守番しててくれな」

「分かった」


 大人しく頷いた時雨の頭をこれでもかと撫でると、東雲は小炎の肩に手を回して、鼻歌混じりに階段を降った。



◇ ◇ ◇

 

 黄昏通りでは、不定期に『闇市』が開かれる。

 曰く付きのものが多く、そのほとんどが表の界隈で捌くことが困難となった商品ばかりだった。

 それを買いにくる客たちもまた表では顔を晒して歩くことのできない連中が多く、まだ日も高いうちから黒装束の男たちがあちらこちらで犇めいている。


「にしても、相変わらず辛気臭い市だよネェ~」

「おい、あんまりデカい声出すな。ただでさえ、お前はその面で目ぇつけられてんだから」

「む~。何だよぅ。本当のこと言っただけなのに~~」

「お前から絞めてやってもいいんだぞ?」

「ふふっ。それはまた今度ネ」


 小炎がちらり、と首を横に傾ける。

 それは獲物が来たことを知らせる合図だった。

 面の隙間から覗く緋色の瞳が、東雲の向こう――港から入ってきた一台の馬車に釘付けになっている。


「……あれか?」

「ん。いけそう?」

「ちょっと待て」


 東雲と小炎は、今はもう使われていない漁師小屋に身を潜めていた。

 ボロ小屋は丁度よく木目の隙間が空いており、その隙間にライフルの銃口を押し付けて、馬車の車輪に狙いを定める。


「いつでもいいぞ」

「僕も準備できたヨ」


 小炎の返答を合図に、東雲が引き金に手をかける。


――ダァン!


 鋭い銃声が、馬車の後輪に被弾した。


「小炎!」

「あいヨォ!」


 東雲の号令で小炎が扉を突き破った。

 ボロ小屋から突如現れた鬼面を纏った男の姿に、路上は一瞬で地獄絵図へと早変わりする。


「ぎゃー!! な、何だお前!!」


 緋色が瞬く。

 次いで、突風のように小炎の短槍が唸った。

 馬車の護衛を撫で斬りにした彼は、次の標的だと言わんばかりの殺気を楽しそうに馭者へと放つ。


「ヒヒッ。死にたくなかったら、その中身置いていきなヨ。じゃなきゃアンタもバッサリいっちゃうかもネェ」


 助けてくれ、と悲鳴を上げて一目散に逃げ去った馭者を尻目に、小炎は馬車の中身を確認しようと幌の裾を僅かに持ち上げた。

 リストに載っていた通り、東雲が好きそうな暗器と小炎が目当てにしていた宝石などが所狭しに詰め込まれている。


「ドン、早く帰って中身をかっ捌こう! 思っていたより上物が多い!」

「はいはい。分かったから、その返り血を拭けっての。何で、ちょっとビビらせるだけでいいのに、最低でも一人は斬るんだお前は……」


 小炎の足元に転がった用心棒の死体を蹴っ飛ばしながら、東雲はあらかじめ隠していた飛々とその後ろにくっつけた荷台を引っ張ってくるとその中に荷物をそっくりそのまま移し替えた。


「帰るぞ」

「あーい」


 嵐のように過ぎ去っていった男たちを、喧騒が取り巻く。

 だが、誰も彼らを咎めたり、声を掛けたりしようとはしなかった。


――弱肉強食。


 それが『黄昏通り』の掟だったからだ。

 あの荷馬車は運がなかった、と誰も彼もが東雲と小炎の横を通り過ぎながら、壊れた馬車の残骸に憐憫の目を向けることしかできなかった。


「ただいま~! いやァ~、大漁大漁ォ~!!」

「おけーり。何だ、そのデカい荷物は……。オメー、まさかまた闇市の卸を掻っ攫ってきたのか?」

「えへへ~」

「『えへへ~』じゃねえっつの。まァた俺がじーさんに嫌味聞かされるじゃねえか」

「ごめーん。これあげるから、許して黒燈ィ」


 ははあ、と王に頭を垂れる臣下のように恭しい仕草で高級絹を差し出した小炎に、黒燈が「うぐ」と喉を詰まらせる。


「……これっきりだからな! 次はねえぞ!」

「お前、毎回そのセリフ言ってるからな。いい加減、諦めろよ」


 煙管片手に東雲が笑い声を漏らせば、黒燈が恨めしそうに東雲を睨んだ。


「そんなこと言って、お前さんも付いて行ってんじゃねえか。同罪だ同罪」

「お、いいのか? こいつ一人で行かせるともっと被害被ることになるぞ?」

「…………やっぱりてめえのことは好きになれん」

「奇遇だな。俺もお前のことは嫌いじゃないだけで、好きにはなれそうにねえ」


 からからと喉を逸らして笑う傭兵崩れに、黒燈の額に青筋が浮かぶ。

 だが、これ以上怒っても体力の無駄だということが分かりきっていたので、気持ちを切り替えるべく荷台に積まれた商品の物色を再開した。


「おかえり」


 ふと、この場に似合わない、鈴を転がしたような可愛らしい声が響いた。

 二階へと伸びる階段の真ん中あたりにちょこんと立った時雨が、玄関の騒ぎを聞きつけて眠そうに目を擦っている。


「ただいま。何だ、まだ寝てなかったのか?」

「んーん。小炎の声がしたから、東雲も帰ってきたのかなと思って」

「ひひっ。ただいま、しーちゃん」

「ん。小炎もおかえり」


 擽ったそうに笑ったかと思うと、小炎は靴を脱いで時雨の元に手を伸ばした。

 まだ意識がはっきりとしていないのか、ぼうっとした様子のまま小炎に抱き上げられた時雨は、そのまま彼と一緒に玄関まで戻ってくる。


「これ、なに?」


 舌足らずな口調で告げられた言葉に、東雲が「あー」と言葉を濁しながら、今日の仕事の報酬であることを少女に伝えた。


「それは、わかるよ。そうじゃ、なくて、これ」

「これ?」

「水の匂いがする」

「は?」


 時雨が手を伸ばしたのは、美しい装飾が施された水瓶だった。


「それ、さっき見たけど中身は空だったぞ?」


 黒燈が不思議そうに首を傾げれば、時雨はふるふると弱々しく首を横に振った。


「違う。見てて」


 そう言って、時雨は胸元に抱えるようにその水瓶を小さな手で抱きしめる。

 ふわり、と雨の匂いが鼻先を擽ったかと思うと、水瓶が小刻みに震え始めた。


「潮、これの記憶見せて」


 時雨が宙に向かって何事かを告げると、彼女の周りを淡い光の膜が覆った。

 次いで、水瓶が何の前触れもなく宙に浮かんで、くるりと一回転する。


「……これ? そう、ありがとう」


 ぽた、と時雨の上に落ちたのは何かを削り取ったような荒い小石だった。

 大人たちが目を丸くして固まっている中、時雨だけが冷静に掌に落ちてきた小石を物色している。


「何だろう? ねえ、東雲、」

「え、お、おう。つーか、お前、今のって」


 一瞬だけ、時雨の傍らに半透明の少女が立っていたように見えた。

 ぱしゃり、と東雲の足が何かに触れる。

 室内だというのに、時雨の立っている場所を中心に大きな水溜まりができていた。


「え、と、これは……」

「――すっごいじゃん、しーちゃん! 『蓮宿リィエン・スー』だったの!?」


 困惑する東雲を押し退け、小炎が時雨の肩を揺さぶる。

 時雨は、あまりの勢いに若干目を回しながら「う、うん」と小さな声でそれに応えた。


「てっきり、東雲は知っていると思っていた……。姉ちゃんも『蓮宿』だったから」


 ツンと鼻の奥を刺激した痛みに、時雨は思わずぎゅっと目を瞑った。

 瞼の裏に浮かぶのは、いつだって泣いてばかりの時雨を励ましてくれた優しい姉の姿だ。


「俺はそういうの見えないタチだからなぁ。梅雨のやつも、何かいっつも濡れてるなってくらいにしか思ってなかったんだわ」

「も~! 言ってヨ~! 大事なことじゃん~!!」

「そう言われても、俺と梅雨が一緒に暮らしていたのは一ヶ月そこらだぞ? 覚えてる方が怖いだろ……」


 頭上で交わされる大人たちのやりとりを心地よく感じながら目を開けると、時雨の手の中で小石が淡い光を放った。

 やがてそれは、眩いほどの閃光を放ち、次いで赤黒い邪悪な色へと変貌を遂げる。


「しーちゃん!」


 小炎が咄嗟に時雨の手から小石を叩き落とした。

 ジュッと水溜まりが一瞬で蒸発するほどの熱を発した小石が、床の上で綺麗な真っ二つに割れている。


「な、何だったんだ?」


 東雲が床に跪いて手近にあった箒の柄で石を突くも、先ほどのことが嘘だったかのようにおとなしい。


「分かんない。でも、とても嫌な気配がした。――大丈夫だった? どこか怪我してない?」

「う、うん。大丈夫。ありがとう、小炎」


 時雨は驚きのあまり、すっかり怯えて小炎の衣を掴んでいた。

 唇を一文字に結び、自身の袖を必死で握るその姿は、弱った小動物のように愛らしく、面の下で小炎の口元が僅かに緩んだ。


「いまの、」


 それまで気配を殺していたかのように静かになっていた黒燈が、絞り出すような声で時雨と、床に転がっている小石とを見比べた。


「黒燈?」


 どうしたんだ、と東雲が放心した彼に近付くと、黒燈は弾かれたように廊下を走り出していた。

 そして、どこかの部屋の扉が開け放たれた音が響いたかと思うと、ものの数分で玄関へと舞い戻ってくる。


「小炎、お前これどこの荷馬車の荷だったか覚えているか!?」

「う、えぇ? え~っと確か春海からのだったような、」

「…………やっぱり、そうか。お前さんらに頼みたいことができた」

「お? お仕事のお話?? なら、お給金はたっぷり弾んでもらわないと」


 鬼面がくすくすと笑みを浮かべれば、黒燈は片方しかない目に真剣な光を宿して、こくりと頷いた。


「言い値で払う」

「うそでショ!? あのケチで有名な黒燈が!?」


 これには小炎だけではなく、東雲も目を剥いた。

 何故なら、小炎に「言い値で払う」と言ったが最後、全財産の三分の一は持っていかれることが確定事項と言っても過言ではなかったからだ。


「お、おい、考え直せ。有金全部持ってかれちまうぞ」

「ちょっと? それどういう意味? 僕だって、友情割引くらいしますケド!?」


 ぎゃん、と噛みついてきた小炎の顔面を片手で掴みながら、黒燈に問い直すも彼の真剣な表情は変わることがない。

 余程の事情があるのだろう。

 こんなにも真剣な顔つきの黒燈を見るのは、梅雨が死んだあの晩以来だった。

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