4、空を舞う

 ――パァン!!


 赤い花火が空を彩る。

 黄昏通りの向こう、街の中央通りの外れで花開いたそれに、小炎は顔を曇らせた。

 黒燈や星羅に危険が迫ったときのために持たせていた信号弾の色だったからだ。


「ったく、もう! 忙しい時に限って……!」


 春海にこれから帰る商人たちを物色している最中だというのに、持ち場を離れざるを得なかった。

 今、街に東雲はいない。

 先に偵察を兼ねて既に出発していた。

 そんなときに時雨の身に何かあったと知れたら、間違いなく小炎の身体のどこかに穴が開く。

 それだけは何としてでも避けたかった。

 何より、小炎自身も時雨のことが心配で堪らない。

 最悪の想像が脳裏を過ぎる。

 

「くそっ!!」


 鋭い舌打ちが宙を割く。

 あとに残されたのは、馬蹄を思わせる鈍い地響きだけだった。


 

 信号弾が風に流されて色が薄くなった頃、鬼気迫った様子の小炎が息を切らして時雨たちに合流した。


「何!? どうした! 怪我は!?」


 息切れと興奮と、少しの焦りで、舌がうまく回らない。

 爛々と不気味な光を宿す小炎の目を見て、星羅が恐怖のあまり喉を引き攣らせた。


「お、落ち着いてくださいまし、小炎様。時雨ちゃんのおかげで、皆無事です」

「みんな?」


 星羅が発した言葉の違和感に、小炎は首を傾げた。

 ガラ、と勢い良く開いた古い建物の入り口から幼い少女がひょっこりと顔を覗かせる。


「小炎!」

「しーちゃん! ああ、良かった……! みんな、ってそれ、どうしたの?」


 時雨の背には、彼女よりも更に幼い少年少女たちがずらりと控えていた。

 小炎の鬼面を見て「ひっ」と悲鳴を上げた子どもたちを他所に、時雨は軽やかな足取りで彼へと近付く。


「星羅がね、ここに蓮宿が閉じ込められているって教えてくれたの」

「……どういうこと?」

「順を追って、説明いたします」


 星羅はぎゅっと自身の手をきつく握りしめた。


「私は元・白蜂商会所属の商人です。末端も末端だったので、商会がマフィアだということも知りませんでした」


 小炎の口元が鬼面の中で僅かに歪んだ。

 白蜂商会は、この国でも指折りのマフィアである。

 だが、同時に海路で富を築いている巨大な商会でもあった。

 構成員の一部には何も知らない生粋の商人もいると聞いたことはあったが、星羅がそうだったとは初耳だった。


「片田舎から出てきたばかりの私を拾ってくれたのが、商会に所属しているとある男でした。私は何度かその男から仕事を下ろしてもらい、商会での地位を築いていったのです」


 星羅はそこで言葉を濁した。

 伏せられた瞼の先には、時雨と他の蓮宿の子どもたちが立っている。


「しーちゃん。ちょっとだけ中に入って、待っていてくれる?」

「うん」

「ごめんネェ」


 いい子いい子と時雨の頭を撫でてやると、彼女は機嫌良く子どもたちを引き連れて建物の中へと戻っていった。

 ぴしゃん、としまった古い扉を尻目に、小炎が軒先にしゃがみ込む。


「それで?」


 小炎の声に含まれた棘が、星羅の胸を穿った。

 ぐ、と唇を噛み締めながら、何とか言葉を絞り出す。


「その中に、蓮宿の子どもたちを売り捌くというものが含まれていました」

「穏やかな仕事内容じゃないネ」

「はい。そして、私は知ってしまった」

「何を?」

「――あなた方が今最も知りたい『輝石』の製造方法について、です」


 星羅の声は震えていた。

 声だけではない。

 身体が何かを拒絶するかのように小刻みに震えている。


「君は、一体何を見たんだ」

「……悍ましいものです。あれは、蓮の流す涙を人為的に作り出し、加工しています」

「女神の身体を弄ったっていうの?」

「いえ、正しくは守人の方を、です」

「はーーーっ」


 守人、というと蓮を宿した器である人間のことを指す。

 それはつまり――時雨と同じ年頃の幼い子どもたちの身体を素体にしたということだ。


「胸糞悪いネ」

「……」

「それで、君は嫌になって逃げ出したんだ?」

「これ以上、犠牲者を出したくなかったというのもありますが、一番の理由はあの石との関わりを断ちたかったからです」


 星羅がぎり、と奥歯を噛み締める音が鈍く響いた。


「あれは人間の生命力を吸収します。それは勿論、商人も例外ではありません。幸い、私は数回しか運び人を任されたことなかったので事なきを得ましたが、他の運び人が何名か亡くなったと人伝に聞きました」

「それは黒燈のところに転がり込んだ後の話なワケ?」

「黄昏通りには時折昔馴染みがやってくることがあったので、その時に聞いたのです」

「……黒燈は、君の素性を知っているの?」

「恐らく、」


 星羅は伏せた顔を上げることなく己のつま先をじっと睨みつけた。

 浅葱色の美しい履物は、黒燈が星羅のためにと取り寄せてくれたものだ。

 夜空に散りばめた星のようにきらきらと輝いて見えるそれに、鼻の奥がツンとした痛みを訴える。


「――星羅!!」


 馬の嗎が聞こえたかと思うと、今まさに脳裏に思い浮かべていた人物が星羅の肩を激しく揺すった。


「無事か!」


 一つしかない目が、星羅の姿を捉える。

 真っ赤に燃えた緋色の眼光が痛いくらいに突き刺さった。


「めっずらし~~! 万年引きこもりが、黄昏通りから出てくるなんて、明日は大雨確定だネ!」


 そう言って小炎が揶揄うも、黒燈には聞こえていない――はたまた聞こえているが聞こえていないふりをしている――のか、その目には星羅以外何も映っていない。


「あ、あの、どうして?」


 やっとのことで声を絞り出した星羅に、黒燈が呼吸を整えながら「信号弾を撃っただろ」とぶっきらぼうに言葉を返す。


「お前たちに何かあったのか、と思って」


 飛々でかっ飛ばしてきたのだ、と言った彼に星羅は今度こそ視界を滲ませた。

 火薬を調合した本人の小炎であれば間違いなく気付いてくれると信じていたが、まさか黒燈まで星羅の放った信号弾に気付いていたとは思いもしなかった。

 せいぜい気まぐれに拾われた程度、自分がいなくなっても代わりはいくらでもいると思っていただけに、彼の言動ひとつひとつが、星羅の胸に激しい波を生じさせた。


「……私が運び人だったから。お父上の死の真相を知る手がかりになるかもしれない、と手元に置いてくださったんですよね」

「――!」

「知っていましたよ」


 星羅の頬を涙が濡らす。

 黒燈は、ただ黙ってそれを見ていた。

 気まずいのは小炎である。

 居心地悪そうに身を捩るも、扉一枚隔てた向こう側に時雨や他の子どもたちがいると思うと、逃げることもままならない。


「騙すつもりはなかった」

「ええ」

「何か情報を知っているのなら、聞き出すつもりだったんだ」


 この国では珍しい黄金色の美しい髪を黒燈の指が絡めとる。

 あの日、彼女に伸ばした手は気まぐれでも打算でも何でもない。

 幼い頃の自分の姿と重なった――ただ、それだけの理由だった。


「でも、できなかった」

「……」

「他人の手を取ることが怖くて怯えているような女に無体を働くほど、落ちぶれちゃいねえんだよ」


 そう言って、黒燈は星羅の身体を腕の中に閉じ込める。

 泣きじゃくる彼女の身体をきつく抱きしめながら、黒燈がここにきて漸く小炎と視線を交差させた。


「…………いつから、居た」

「最初から居ましたケドぉ~?」

「くっ、忘れろ」

「はいはい」

「小炎」

「も~何だヨ。しつこいなァ!」


 一つしかない緋色の眼が、小炎を射抜く。


「礼を言う」

「それなら、しーちゃんに言いなヨ。僕が来たときにはそいつら全員伸びちゃってたし」


 そいつら、と小炎が称したのは、星羅と黒燈の足元に散らばった男たちである。

 時雨の蓮が何らかの攻撃を施したらしい。

 ぴくぴくと陸に打ち上げられたばかりの魚のように身体を揺らす彼らに、黒燈の顔が僅かに曇った。


「これを、時雨が?」

「……は、はい。一瞬だったので何をしたのかまでは見えませんでしたが、」


 未だ潤んだ瞳でしゃくりながらそう答えた星羅に、黒燈はため息を一つ吐き出す。

 ぐ、と腰を引き寄せて、再び己の腕の中に彼女を閉じ込めると、その顔が小炎に見えないよう半歩身体を捻った。


「いい加減、泣き止め」

「む、無理です。だって、その、」


 嬉しくて。


 蚊の鳴くような声で告げられたそれに、黒燈は唸った。

 それを見た小炎が、彼の背中へと力強く掌を打ち付ける。


「い゛ッ!?」

「後のことは任せて、さっさと店に戻りなヨ」

「……そうする」

「星羅も、落ち着いたらでいいから知っていること、また教えてね」


 泣きすぎて目玉が溶けてしまうのではないかと思うほど目元を真っ赤に染めた星羅の髪を軽く撫でると、小炎は扉に手をかけた。

 ひらひら、と後ろ手に黒燈たちへと手を振って、建物の中に身体を滑り込ませる。

 

 問題は依然として山積みのままだった。



 小炎から連絡を受けた東雲が戻ってきたのは、その翌日のことだった。

 眼前にずらりと並んだ蓮宿の子どもたちを見て、眉間に青い筋がくっきりと浮かんでいる。


「……どうすんだよ、これ」

「どうしようネェ~」


 呑気に茶を啜る小炎に、東雲は深いため息を漏らした。


「当分の間は、うちで面倒見てやるよ」


 ふぅ、と口から煙を吐き出した黒燈が片眉を上げながらそう言った。


「お前、ガキは苦手なんじゃなかったか?」

「……誰がいつ俺が直接面倒見るって言ったよ。星羅やうちの連中に任せるに決まってんだろ」

「ああ、なるほど。それなら安心だな」


 東雲が納得したように頷けば、黒燈は「おいコラどういう意味だクソガキ」と眉間に濃い皺を刻んだ。


「星羅に任せておけば、大抵のガキは元の形に戻るからな」


 東雲の視線の先には、星羅と時雨が居た。

 屋敷を抜け出してから一ヶ月。

 ガリガリにやせ細っていた時雨の身体は、今はすっかりと子どもらしい丸みを帯びた健康的なそれへと変化している。


「子どもたちのことは黒燈に任せるとして、問題はあの連中だよネ」

「アイツらは多分構成員だろうな。一向に口を破る気配がねえ」


 面倒臭そうに顔を顰めた小炎と黒燈に東雲が首を傾げた。


「なんだ? 白蜂会の連中でも捕まえたのか?」

「ああ。だが、俺の顔を見ても何の反応もないところを見るに、最近入った連中か、所属が違う奴だと思うんだが」

「へえ」


 東雲の目に不穏な光が宿る。

 それを見た小炎が「げ」と面の下で顔を顰めたが、黒燈がそれに気付くわけもない。


「どこに居るんだ?」

「とりあえず、ふん縛って地下室に転がしてあるが……」

「案内してくれ」

「あ、ちょっと東雲! 待ちなヨ!」


 黒燈の腕を半ば強引に引っ張りながら、東雲は地下室へと足を向けた。

 慌ててその背中を負った小炎だったが、その胸中は穏やかではない。


「…………何をされても喋らねえぞ」


 掠れた声でそういった男の目には憎悪と怒りだけが宿っている。

 もう一人は既に反抗する気力もないのか、力無く地面に横たわっていた。

 水や食料に手を付けた様子はない。

 毒を警戒してのことだろう、と東雲は口角を僅かに持ち上げた。


「黒燈の旦那が優しく聞いている内に答えておくんだったな」

「はあ?」

「俺はこっちの連中みたいに優しくもなければ、気も長くないんだ」


 手短にいこう。

 そう言うと、地面に転がっていたもう一人の首根っこを無理やり掴んで、反抗的な態度を取っている男の前に突きつける。


「知っていることを全部教えろ」

「嫌だと言ったら?」

「こいつの骨を一本ずつ折っていく」


 そう言って笑った東雲は、宣言通り男の仲間の右手の小指を折った。


「ぐああっ!?」


 痛みのあまり悶絶する仲間の姿に、男が「ひっ」と上擦った悲鳴を漏らす。


「自分の立場を理解したか?」


 嬉々とした表情で男に尋問を始めた東雲の姿に、黒燈は無言で小炎を睨んだ。


「そんな顔しないでヨォ。ドンのあれはストレス発散も兼ねているから質が悪いんだ。だから止めたのに……」

「そういうことはもっと早く説明しろ。うちで流血沙汰は勘弁してくれよ。血の匂いが商品に移ったら、出禁にするからな」

「はいはい。おーい、ドン。汚さないように気をつけてネ」


 出禁になっちゃうカラ~、と間伸びした声で告げた小炎に、東雲は「おう」と短く良いお返事を返す。


「返事だけは良いんだよナ」

「てめえが言うなっての」

「てへ」


 東雲の拷問はそれからきっちり二時間は続けられた。

 地下室からほくほくとした顔で戻ってきた彼の姿に、小炎がそっと視線を逸らす。


「念の為、聞くけどサ。殺してないよネ??」

「当たり前だろ。殺さない程度に骨折ってきた」

「うわあ……」

「言っとくが、お前にだけは文句を言われる筋合いはない」

「それさっき黒燈にも似たようなこと言われたァ」


 えーんと下手な泣き真似を披露した小炎の頭を乱暴に叩くと、こちらに駆け寄ってきた時雨の姿を視界に収める。


「時雨、ストップだ。そこで止まれ」

「どうして?」

「俺は今、汚れている」

「?」

「おい。いつもじゃん、みたいな顔するな。俺だって傷付くんだぞ」

「だって、東雲お風呂嫌いだからいっつも煙臭いよ」

「う、ぐっ」


 事実を突きつけられて東雲は唸ることしかできない。

 けれども、今はこの少女にこれ以上傍へ寄られることはどうしても避けねばならなかった。

 途中で喀血した男の返り血を真面に浴びてしまったからである。

 服に染み付いた煙草の匂いで血臭は誤魔化せても、所々に散った返り血は誤魔化せない。

 時雨にはそんな汚いものを見せたくはなかった。


「……諦めてお風呂に入るんだネ。はいっ。しーちゃん! あとは任せたヨ!」


 小炎がそれに気付いて、東雲の上着を乱暴に引っ張った。


「おいっ!」

「これはこっちで処分してあげるから、偶にはちゃんとお風呂に入ってきナ」

「……」

「じゃないとそのうち抱っこもさせて貰えなくなるヨ?」


 小声で耳元に囁かれたそれに、東雲は今度こそ言葉を失った。

 彼の頭に垂れた犬耳が見えるようで、小炎がクスクスと笑い声を上げる。

 そんな大人たちのやりとりを不思議そうに見守っていた時雨が、項垂れている東雲の手をぎゅっと掴んだ。


「お風呂、一緒に入ってあげるから泣かないで」

「……泣いてねぇよっ!」

「だいじょーぶ。怖くないからね」

「おい、時雨! 泣いてねぇからな!」

「うんうん。ほら、こっちだよ」


 すっかり東雲のお世話を焼く姿が板についている。

 これではどちらが保護者か分からなかった。

 小さな母親に手を引かれて風呂場に連れて行かれた大きな子どもの後ろ姿を見送って、小炎は黒燈の元へ向かった。

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