黒糖ミルクティーとレモンハイを交換する、あるいは私と四角の話
■はまさしく■であった。いや、鏡が無いから自分が■なのかもわからない。けれど手足が無いから、やっぱり■だとは思う。じゃあ■は今どこでこれを考えているのだろう。脳?ならば■は■じゃなくて、首なんだろうか。でも生きてる。心臓はある?自我はある。自我があっても、生きてるとは限らない。ならばやっぱり■は■なのだ。
■は周りを見渡す。見覚えのある人間の死体がいくつもいくつも転がっていた。死体のバリエーションは沢山、心臓を雑にナイフで刺されていたり、はたまた身を焦がしていたり。でもやっぱり刃物による犯行が多いかな。……バリエーションが多いとか言ったけど、あれは嘘。やっぱり少ないや。水死体とか腐った死体とかも用意しろっつーの。
そこではたと気づく。■は、■ではなくなる。腕が生えてきた。いやだな、■の方がよっぽど綺麗じゃない。ひとの形なんて、気持ち悪いだけだ。
■はもぞもぞと動いて、見覚えのある人間の死体からナイフを引き抜く。ナイフなんて刺したことも刺されたこともないからわからないけど、「すぽっ」なんて音がするわけない、とは思う。じゃあこれって、現実じゃないんだね。
そこではたと気づく。足が生えてきた。ってことは、胴、あったんだ。もう■ですらなかったじゃん。ああ、気持ち悪い気持ち悪い。■という存在があること自体、いやだ。
ナイフを■に向ける。殺してしまえ、こんな■じゃないもの。
そうして、■を■にする。刺して刺して、でも現実じゃないから痛くはない。
痛くは無いのに、ひどくつらくて、ひどく落ち着く。
このままずっとここにいられないだろうか。
彫刻家みたいに、ただただ削り、何か崇高なものを作るために邁進する。
「(いや、一緒にしちゃ失礼だ。■は――――――)」
■は。なににもなれない。なにも為せない。何かを生み出せない。
一生ここで自傷して、自殺して、日を過ごすのだ―――――――
「――――――――あ、いた。」
ふいに、■と死体だらけの世界に声がした。まるでカーテンでも捲るように、暗闇を捲って青年が現れた。知らないひとだ。
「………だれ?」
「ええと、あなたのお姉さんに頼まれて迎えに来ました。…………わあ」
青年はあたりを見渡し、無表情のまま「ずいぶんと殺しましたね」と呟いた。
「う、――――――――うん。■は、殺したよ、」
「自分を、ですか」
■はあたりを見渡す。脳が自分の中に生まれる感覚がある。いや、思考してるんだから脳くらいあるか。ともあれ脳で考えた結果、■の周囲にあるものは全部、「咲川菜菜子」のものだと理解した。ぼんやりと。
「………■って、咲川菜菜子なの?」
「そうらしいっす。今はちょっと見た目が違うけど、魂までは変えられないし」
「………いまの■、どんなかたちしてるの?」
「砂ですね」
驚いた。「わたし」は四角ですらなかったらしい。青年は私に目線を会わせるようにしゃがみこんで、言った。
「自分の元のかたち、わかります?」
「わかる。死体を見れば――――――――あっ」
振り返れば、そこに山のようにあった死体が全部無くなっていた。私はオロオロとしてしまう。どうしよう、このままじゃお手本が無い。
「た、たすけて。私、わからない、わたし」
「自分のかたちが、わからない?」
「うん」
わたしはわたしがどんなかたちをしていたのかわからない。きれいだった?みにくかった?かわいかった?気持ち悪かった?どれも違う気がする。なんだか涙が出そうだった。
「どうしよう。自分のこと、殺し過ぎたのかな。自分が、わからないや」
「んー」
青年は無表情の中でも、ちょっと困ったような色をじわりと、1ミリくらい滲ませた。やがて少し考えるような素振りを見せて、ようやく言葉の続きを発する。
「こういう時、僕が成形できたらいいんですけど――――――残念ながら菜菜子さん、あなたのことは写真でしか知らないっす。ごめんなさい」
「写真があれば、あなたでも私を作れるんじゃないの?」
「無理っす。大体僕、こういうの苦手だし。小学校の美術の時間、粘土細工でクリーチャーを生み出した実績があるんで」
「いいじゃんクリーチャー、かっこいい」
「なりたいですか、クリーチャー」
「うん。………でも、何を作ろうとしてそうなったの?」
「うさぎ」
「…………………」
「なんで、己の成形は自分でするしかないんです。どれだけ己を殺し尽くしても、生きてる限り自我が残るんだから。再生は、絶対にできるんです」
適当な事言ってるな、と思った。けれど、今「私」はこうして考えてるし、喋っている。自我があるっていうのは本当だ。殺して殺して殺し尽くしたとしても、しょうもない自分は残ってしまう。それさえも殺せたらどれだけ楽か。
でも、殺せない。死ねない。だって、本当に何も無くなってしまったら、と思うと、
―――――――本当に怖いんだ。
「………でも、私、また自分を殺してしまうかも」
「それはしょうがないっす。人間である以上、己を殺す事なんてよくあることなんだから」
「じゃあ、どうすれば」
「―――――――――……………………刺しすぎない、とか」
青年は虚空を、もとい死体があった場所を見やる。
「死体、えげつなかったでしょ。心臓を一突きとか、いっぱい刺しただとか」
「そう?」
「傍から見りゃそうなんすよ。だから、あんなに刺さなくていいんです。痛いでしょ?」
「痛いけど、でも、しょうがないじゃん。ナイフしかないんだから」
「……………ううん。弁が立つ。ディベート大会とか出てみます?」
「素直にやかましいって言いなよ。あとこれは弁が立つんじゃなくて『ああいえばこう言う』って言うの」
「……………やっぱりダメだな、こういうの、苦手だ。人を慰める、みたいなの……」
青年は小さく溜息を吐く。それでも、なんとなく――――――本当になんとなく、だけど。私のために言葉を尽くしてくれようとしている、ように見える。
「口下手なんだね」
「口下手っす。なんなら一日喋らない日もあるくらい。あ、それは盛ったか。『いらっしゃいませ』と『温めますか』しか言わない日もあります」
「……………もしかして、コンビニ店員さん?」
「いかにも」
「……………そっか」
私はさっきよりも目線が高くなっていて、さっきよりも声が明瞭になっていた。自分を助けに来てくれたひとが(頼まれただけだけど)、自分に言葉を尽くしてくれようとした人が(口下手だけど)、そも、誰かと喋れたということが――――――「私」を知らない他人と喋れたことに、喜びを感じているのかもしれない。
「ねえ、今おすすめの商品とかある?私、黒糖が好きなんだけど」
「渋いっすね。そしたら十日に黒糖ミルクティーが来るらしいんで、是非」
「やった」
「………うちのコンビニに来てくれたら、奢りますよ」
「わかった。じゃあ、行くね。色々言って、ごめん」
「色々考えちゃうから、しんどくなるんすよ」
青年は幕を開ける。
「もっとシンプルに行きましょ。」
カーテンのように開いたその先には、真っ白い光が広がっていて――――――――
「――――――――――――あれ?」
「………なな!ねえ、なな、わかる!私だよ、おねーちゃんだよ!?」
――――――――見知らぬ天井と、目に涙をいっぱいに溜めた姉の姿があった。
姉いわく。妹の家に来てみれば、鍵は開けっ放しで本人は倒れていて。すぐさま病院に搬送されたものの、血圧脈拍ともに正常、酸素濃度も正常。外傷もなし、変なところは一切なし。なのに全く以って意識が戻らない私を心配した姉は、友人に相談したんだそうな。友人さんいわく―――――――
『………バイト先に、不思議なことに詳しい人がいるんだけど……菜菜ちゃんのこと、どうにかできるかもしれない』
………と、そんな感じで紹介された結果がこれである。「どうにかできる人」こそ、あのお兄さんだったのだろう。
「………刺しすぎない、殺しすぎない………」
小さく声に出してみる。すぐにはできないかもしれない。けれど綺麗な真四角になれることなんてない。今の私にすぐできるのは、刺した所に絆創膏を貼ってあげること。
歩を進める。自動ドアが開く。
「いらっしゃいませ―――――――――あ、」
青年の胸には「影井」というネームプレートがあった。
彼は少しだけ笑いながら、「いらっしゃいませ」「温めますか」以外の言葉を発した。
「………………おはようございます。こちらでも会えて、嬉しいです」
全然口下手じゃないじゃん、なんて思った。言いたいことぶつけちゃったかもな、と反省した。いいや。それも全部、言おう。ああでも、まずは。
「お兄さん、好きなものはある?お礼に何か、奢ってあげる」
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