帰還

道路に女の子が転がっていた。最初は見間違いだと思ったけど、何回目を擦っても瞬きしても消えないあたり、どうやら間違いではないらしい。私以外の通行人は誰も気に留めてなんかいないみたいで、道路の真ん中で転がる女の子に目もくれない。都会は冷たい所だとは聞いていたけど、ここまでとは。いや、私都会生まれ都会育ちだけどさ。

「すみませーん!大丈夫ですかーーー!」

勇気を出して、女の子に向けて声を張り上げてみる。女の子はごろごろしているだけで動きもしない。………どこか変わった人なんだろうか、それとものんびりした自殺志願者?それとも耳が聞こえない?色々な可能性が頭に浮かんでは消え浮かんでは消え、私は困って左右確認をしてしまう。行くなら今がチャンス、かも。

私は歩道から飛び出し、女の子の元へ向かう。通行人が飛び出す私を見た。私に目をやる暇があるんなら女の子の事気にかけてやれっつーの。心の中で毒づきながら、私は道路の真ん中へ向かう。そうしてぽんぽんと女の子の肩を叩いた。

「ねえ、こんな所にいたら危ないよ、轢かれちゃうよ」

「――――――――――……………ひか、れる?」

女の子がぱちぱちと瞬きする。そうしてむくりと起き上がり、「ひかれるの、こわい。ヤダ」

と言った。私はその言葉を聞くと同時に、彼女の手を引いて歩道に戻る。

歩道の人たちは私と彼女のことをじろじろと見ていた。彼女は、私のことをじっと見つめている。なんだか、いいことをしたはずなのに悪い事をしている気分。気まずくなった私は、大通りから人の少ない路地へ彼女の手を引いた。

「わ、」

急に引っ張ったからか、彼女がバランスを崩す。そこでようやく私は力加減を見誤ったと気づいた。焦りが引き、罪悪感が押し寄せる。

「あ―――――――ごめん。ええと、あなた……どうして道路の真ん中で寝てたの?あんなところにいたら危ないよ」

「………………ええと。なんでだっけ………?」

答えを考えあぐねている間に、彼女を見る。ふわふわとしたウェーブがかった、ボブカットの髪はシルバー。伏せられた瞳は青色をしている。すごい、発色良いカラコンだ。どこで買ったんだろう。

身長は私と同じくらい。白いミニワンピに、ハートのアクセサリーが付いたチョーカー。それに――――――裸足。手足は細長い。口元に当てられている指も、また細くて心配になる。

外見こそモデルさんみたいで可愛いのに、所々で心配になる容姿をした女の子だ。

「…………そうだ。あたし、おうちに帰らなきゃいけないの」

「家?」

「うん、ママが待ってるの。だから帰らないと」

「……………………」

どっちかっていうと交番に行った方がいいんじゃないかと思った。迷子の迷子の子猫ちゃんは犬のおまわりさんになんとかしてもらうのが一番だし。そんなことを考えていたら、彼女の大きな瞳から涙がぽたりと溢れ出た。

「え、」

「ママ………ママに会いたい………」

涙は白い肌をすべり、ぽとぽとと大粒のものがあふれ出す。私はどうしたらいいかわからなくなって、つい口をついて無責任が零れ出た。

「だ、大丈夫だよ!私が絶対、ママの所に連れてってあげる!」

「…………ほんと?」

彼女は顔を上げる。私は落ち着かせるみたいに彼女の手を握って、うんうんと頷いてみた。

「…………うれしい!ほんとに、ほんとうにいいの!?」

「う、うん。おうちまでお見送り、するよ」

「やったぁ!おねえさん大好き!」

それじゃあ行こう!と彼女は裏道をずんずんと歩き出した。私の手を握ったまま。

「(………だ、大丈夫かな、これ………)」



「ここ!よくこの公園で遊んだの、そこの滑り台の下がお気に入りよ」

「そ、そうなんだ」

「でも公園はコドモがいっぱいでイヤなの。でも、夕方に行くとおばあちゃんがそこのベンチに座っててね、たまにニボシくれたんだ」

「へえ………」

うきうきしながら話をする彼女に、曖昧に相槌を打つ。勢いで見送るなんて言ったけど、どうしよう。この場合の「どうしよう」ランキングナンバーワンは、「本当に彼女を家まで送っていいのか」だ。裸足のまま飛び出してきたような子を、そのまま家に返していいんだろうか。また飛び出したくなったり、辛い目にあったりはしないだろうか。

「………ねえ、あなた……ええと、名前は?」

「ミルク!」

「ミルクちゃん。えと……ミルクちゃんのママって、どんな人?」

「んーとね、あたしがイタズラすると怒るの。こわい」

「そ、そうなんだ………」

私の中で赤信号と警告音が鳴る。けれど、そのSOSを打ち消すように「でもね」と彼女は続けた。

「あたし、ママが大好き。いつも一緒にいてくれるから」

「………ミルクちゃ、」

「ねえ、おうち、どこなんだろうね。あたしのおうち………」

公園を出る。彼女はまた、その青い瞳にじわりと涙を溜める。どうやらここから先がわからないらしい。私もまた、最初からどうしていいかわからない。私の焦りが手を伝って伝染しないように、「大丈夫だよ」「いざとなったらうち来る?」なんて慰めの言葉を捧げたが、あまり意味はないらしい。零れ落ちる涙を見ながら、私のオロオロは限界に達していた。

「(どうしよう、こういう時どうしたら、)」


「――――――――――黛さん?」


ふと、聞きなれた声がした。

声のする方に振り向く。闇の中から闇の具現化みたいな人――――――バイト先の先輩・影井さんが現れる。

「か、影井さん!?なんでこんなところに………」

グッドタイミングすぎる。困ってしまってどうしようもない所に現れた、救いの天使だ。天使みたいな外見ではけして無いけど。

「それはこっちの台詞っすよ。………どうしたんすか、それ」

影井さんはミルクちゃんに目を向ける。ミルクちゃんは自分よりも遥かに大きいいきものにも臆せずに、じっと見つめていた。っていうか「それ」ってなによ、物じゃあるまいし。

「か、影井さん。この子、迷子になっちゃったみたいで……おうちに帰りたいらしいんですけど、家がわからないらしくて」

「へえ………」

影井さんはじっとミルクちゃんを見つめた後に、「ちょっと失礼」と彼女の首に手を伸ばした。止める間もなく、彼の手は彼女のチョーカーへと触れる。

「か、影井さん!?」

「……………………………ああ」

影井さんはチョーカーに付いてるハートのアクセサリーを指で弄ぶと、「僕、この子の家知ってるかもです」と呟いた。

「え、そうなんですか………!?」

「……………」

「はい。…………僕も同行させてもらっていいですか?」

「はい、それはもう!………ミルクちゃんは、それでもいい?」

「うん………」

ミルクちゃんは私の手どころか腕に捕まりながら、訝し気な目で先輩を見ている。私はミルクちゃんに小声で囁いた。

「ちょっと怖いけど、大丈夫だよ。頼りになる人なの」

「……………」

ミルクちゃんは影井さんをじろじろと見た後、すん、と匂いを嗅いだ。

「…………おねえさん?いや………おにいさん?………へんな匂い」

「み、ミルクちゃん!」

なんだこの失礼と無礼のぶつかり合いは。白い女の子と黒いお兄さんはお互い遠慮みたいなのを知らない。見てるこっちがひやひやしちゃう。

「…………野生の勘…………」

「え?」

「いや、なんでもないです。とにかく行きましょう、遅くなってもいけないし」

影井さんはそう言いながら、薄手のカーディガンを脱ぐ。脱いだそれを、ミルクちゃんの肩に掛けた。

「…………剥き出しじゃ寒いでしょ」

「…………………」

ミルクちゃんは無言で肩に掛けられたそれに袖を通すと、どうだ、みたいな顔をした。彼のカーディガンはミルクちゃんにはぶかぶかで、似合ってるかどうかと問われれば口を噤む感じだったのだけど―――――――

「似合ってるよ、かわいいね、ミルクちゃん」

そんな言葉が、自然と口から零れ出たのだった。



影井さんが先導し、私はミルクちゃんと手を繋ぎながら夜の住宅街を進んでいく。電柱にはテレクラやデリヘルの小さい広告が張り付けられている。そんな広告の間に、手作りのチラシがあるのを見つけた。

「(猫、探しています………)」

通り過ぎながら見ただけだから、全文は読めていないけれど。手書きと思しきそれは、いなくなった家族をどうにかして探したいという悲壮感と必死さはじわじわと伝わって来た。…………私にできることなんか全然ないのに、ああいうのを見るとなんだか苦しくなってしまう。

「(……………と、いけないいけない。今はミルクちゃんを家に届けないと)」

横にいる彼女を見る。ぱちりと目が合う。彼女は嬉しそうに微笑みながら、私を見つめた。

「…………と、この家ですね。着きました」

「!おうちだ!」

ミルクちゃんは私の手をぱっと放して、玄関ドアに踏み出す。そうしてドアを引っ掻きながら「ママ!あたし、帰って来たよ!帰ってこれたよ!」と言った。ちょっと、と止めようとした私を影井さんが遮る。

「ミルクさん、君にはこの扉は大きすぎる。僕が開けるんで、少しだけ下がってて」

静かな彼の言葉に、ミルクちゃんは動きを止める。そうして私の元までススス、と下がった。けれど口元は緩んでいるし、ずっと玄関を見つめている。

チャイムを鳴らす音がする。

「ミルクちゃん、良かったね」

心からの言葉が出た。ミルクちゃんは青い瞳を細めて「うん!」と頷く。

玄関のドアが開く。

「夜分遅くにすみません、影井と言うものですが」

「はい…………、…………え、……あっ……………!」

出てきたのがミルクちゃんのママ、なんだろう。思っていたよりも若い。……というか、私より少し年上くらい?

『ママ!ママだ、会いたかった!』

「――――――――――ミルク?」

「………はい。首輪に書かれてた住所を見て、来ました。黛さん、ミルクちゃんを」

「あ、うん………」

私はママにミルクちゃんを手渡す。渡った瞬間、彼女の姿はどこにもなくて。


「――――――――――――え、」


カーディガンに包まれた、猫の死体がそこにあった。

「…………見つけてくれて、ありがとうございます」

ママは、猫を抱きしめながらはらはらと泣く。泣き顔がそっくりだ、と私は頭の端で思った。




「基本幽霊は死んだ場所から動けないんすよね」

「……………連れてってくれる人を、探してたってこと?」

「はい。それで、たまたまチューニングが合ったのが黛さんなんです」

公園のトイレで手を洗ってから、影井さんの話を聞いた。私の手にはべったりと血が付いていた。そりゃ、人目を引いただろうな。

ふと、猫探しのポスターを思い出した。あれはミルクちゃんだったんだろうか、それとも、また別の猫だったんだろうか。

「…………行方不明のままでいるのと、一番つらい姿で戻ってくるの。どっちの方がいいんですかね」

「見つかる方がよっぽどいいですよ。『いない』ままは、どっちつかずで一番辛い」


ママはきっと、これから先悲しくて、苦しくて、やりきれないのだろう。

けれど―――――――

『――――――――ただいま!』

肉体を離れて、おうちに飛び込んだ彼女の声は弾んでいて、世界一嬉しそうで。


だからきっと、その帰還は正解だったのだ。そう思うことにした。



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