里帰りの記憶
夏休みに、家族みんなでじいちゃんばあちゃんの家に遊びに行くことになった。
まさに自然に満ち溢れた田舎、という感じの町。外に出れば田畑が広がっていて、空は心なしかいつもより高い気がする。Wi-Fiが無いのとコンビニが遠いのは難点だけど、それを差し引いてもなお良いところだと思う。滞在日は三日間。一日目は従兄弟と思う存分外で遊んですべての体力を使い切って、夜はぐっすり眠る――――なんて、いちばん楽しいことをしてしまった。
そして、次の日のことだ。
「うわっ……………!」
一人で外をぶらついていた時、ざあっと強い雨が降ってきた。当然散歩感覚で出てきたものだから傘は持っておらず、かといって家まで走って戻るのは辛い―――――そう思わせるような雨。僕は内心げんなりとしながらも、水たまりを蹴ってばしゃばしゃと音を立て、数メートル先にあった小屋型のバス停に逃げ込んだ。
「はー…………」
思わずついてしまった溜息と共に、世界にはバス停の屋根に打ち付ける激しい音が加わる。勢いで入ってきてしまったが、随分雰囲気のあるバス停だ。屋根も壁もあるので雨風はしのげるが、いかんせん古い。………ちょっとだけ怖い。
雨漏りしないといいけど、なんて思いながら外を見た。
「…………早く止まないかなあ」
「当分無理だろうね」
「――――――――――わあっ!?」
―――――――視界の端には、先客がいた。
黒髪のショートカット、白くて長いワンピース。そしてその身長は―――――――あまりにも、高すぎた。父さんよりずっと高い。瞳の色も真っ黒で、肌の色は真っ白。その姿はまるで――――――――
「――――――――は、八尺、さま…………!?」
「違うよ」
秒で否定されてしまった。思わず出かけていた涙が引っ込んで、喉元までせりあがっていた悲鳴は飲み込んだ。ちがうの、ともう一度、確認のために聞いてしまう。背の高いお姉さんは足を組みつつ、ひとつ息を吐いた。
「違うって。………そもそも僕、八尺様より小さいよ」
「え………充分大きいと思うけど………」
「成長期にたくさん伸びたから」
「白いワンピース着てるし…………」
「ワンピース楽なんだよね」
「……………なんで『僕』なの?」
「別によくない?」
「……………はあ」
なんだかつかみどころのない人だ。普通のおねえさん………なんだろうか。頭から順番に見ていくと、雨で張り付いた服や大きな胸が目の中に飛び込んできて―――――僕は思わず顔を背けた。おねえさんはそんなこと気にせずにベンチに座り足を投げ出して、「君も災難だね」と呟いた。
「え?ああ…………うん」
「このへんの子?」
「ううん。夏休みだから、じいちゃんばあちゃんちに泊まりに来たの」
「そっか。僕と一緒だ」
「お姉ちゃんも?」
「ん。大学が休みだから帰ってきた」
実家に帰ると文化的なごはんが食べられるから助かるよ、と言うおねえさんはなんだか普通の人間みたいだ。なんだかそのやりとりだけで、一気におねえさんに抱いていた不安や恐怖のようなものが抜けきってしまった。
「雨、なかなか止まないねえ」
「……………そうだね」
なんだかどぎまぎ、もじもじしてしまう。このくらいの年の人と、しかもお姉さんと話す機会なんてそうそうない。何を話したら喜んでくれるのか、何を言わない方がいいのかがわからない。いや、そもそもただの雨宿りなのだから無理やり話す必要はないのだけど。
「(でも……………)」
クールな面持ちで雨が降る世界を目に移しているおねえさんのことをもっと知ってみたい―――――――そんな感情が、僕の胸の中で芽生えていた。
おねえさんはいつも、都会でコンビニのバイトをしながら学校に通っているらしい。「みんぞくがく」というお勉強をしているそうだ。僕からしてみれば高校を出たのにまだしたくもない勉強をするのが不思議だったけれど、おねえさん的には「みんぞくがく」に大変興味があったらしい。
「ほら、このあたりは色々不思議な話が多いだろ。君もおばあちゃんとかから聞いたこと無い?」
「あー………あるかな………」
例えばそれは手に目がある女の子の話だったり、山の上が白んでいる、霧か何かか―――――と思って目を凝らしてみれば、それはとても大きくのっぺりとした白い男の姿だった、とか。おばあちゃんがよく聞かせてくれる話はどれも不思議で、時に恐ろしく、時に和み、………そして、たまに内心バカにしていた。そんなのあるわけないだろ、さすがに盛りすぎだろ、………という感じで。だからそれを、高校を卒業してもなお好きで勉強しているひとがいるというのは僕にとって意外なことだった。
そうこうしているうちに、雨が上がった。
「ああ、晴れたね」
僕は少しだけ惜しく思った。もう、あと十分だけ続いてほしかったのだけど。
「おうちまで送ってあげる。一緒に行こうか」
「え」
「嫌?」
「い、いやじゃない、いやじゃないです」
おねえさんが差し出す手をきゅっと掴み、僕らは雨上がりの道を手を繋いで歩きだす。まだ雨の匂いがそこらに漂っていて、蒸すような暑さが肌にまとわりついて。なぜだか掌の中にも汗がにじんできて、少しだけ恥ずかしくなった。ちらりと横のおねえさんを見る。おねえさんは顔色一つ変えず、真っすぐ前を見て歩いていた。……こうして見ると、本当に背が高い。そういえば、八尺様よりは小さいと言っていたけれど。そもそも八尺様って身長何センチなんだろう。おねえさんの身長も、一緒に聞いてみていいだろうか。そう思って口を開きかけた瞬間、僕たちを影が覆った。いきなり僕たちだけの日影ができる、なんてことはありえない。そう、僕らよりも大きいものが後ろに立たない限り―――――――
「振り向いたら駄目だよ」
おねえさんは、幾分固い声でそう言った。それでも表情は変わらない。僕は振り向きたくなる気持ちを必死で抑えながら、ぎゅうっとおねえさんの手を握った。
「……………もしかして、八尺様」
「いや、そういうメジャー怪異じゃないよ」
はあ、はあ、と荒い息遣いが背中をじっとりと撫でる。僕は思わずごくりと唾を飲みこんだ。そういうのじゃないならなんなんだ、これは。大きくて、犬と人が混じったような息遣いで、けもののにおいがする。ひとじゃない。じゃあ、これは。
「……………名前を付けると調子に乗るタイプの奴。あと、構うと調子に乗るタイプでもある」
「つ、つまり」
「無視するに限る。…………怖い?」
「そ、そりゃ」
怖いに決まってるじゃないか、と言おうとして、その言葉は喉に張り付いて出なくなった。僕は若干涙目になりながら、こくりと頷く。上からおねえさんが軽く笑う声が聞こえた。
「素直で良い」
馬鹿にされたわけではないらしい。僕は少しだけほっとして、おねえさんと同じく前を向いてひたすら歩いた。おねえさんはその間、ぽつりぽつりと話をしてくれた。
「後ろのやつは子供が――――――特に男の子が好きでね。いたずらをしたり、付き纏うのが好きなんだ。だから女といると手を出してこない」
「………それも、みんぞくがく?」
「いや。これは経験則だ」
おねえさんは結局、僕を玄関口まで送ってくれた。おばあちゃんはおねえさんを見て、少しだけ嫌な顔をして扉を閉めた。おねえさんは扉を閉める直前、小さく手を振っていた。
おばあちゃんは、あのひととはあんまり関わっちゃいけないよ、と言った。どうして?僕のこと助けてくれたんだよ、あのおねえさん。そう言おうとしてぎょっとした。おばあちゃんは僕が今まで見たことが無いほど怖い顔をしていた。
「あれ」は一体何だったのか。
あのおねえさんは、なんだったのか。
何もかもわからなかったけれど、その日の夜は僕の枕元で、はあはあと犬のような、人のような息遣いの「なにか」がずっと僕を見ていたような――――――そんな感覚がしたのは、気のせいだったのだろうか。
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