親切な隣人
その部屋は家賃が他と比べて格段に安い。と言うとまるで事故物件のように聞こえるが、大家いわく「その部屋で何か起こったことは無い」のだと言う。ではなぜ安いのか。更に大家はこう続けた。
「その部屋に住んだ人、一か月も経たないうちによそに引っ越しちゃうんだよね。だからさあ、なんだか気味が悪くって………」
立地よし、日当たりよし。部屋は狭いが、一人暮らしならまあそこまで気にするほどでも無いだろう。そんな風に思いながら生活していると、ぴんぽんとベルが鳴る。がちゃりとドアを開ければ、そこには隣人の女性が佇んでいた。
「あの、これ。よかったら――――――」
女性の手にはタッパーがひとつ。女性いわく、「料理を作りすぎてしまうのが癖で」「捨てるのももったいないし、よろしければ食べていただけませんか」と言う。こちらも女性と同じく、こちらも一人暮らしだ。おまけに自炊というものをほとんどしないため、基本的にバイト先の廃棄弁当やおにぎりを貰って生活をしている。なので同じく一人暮らしの女性が手作りの料理を持ってきてくれるというのは、栄養的な面でもそうでない面でも「得をした」と思うのである。彼女にお礼をして、玄関ドアを閉める。さて、一体彼女は何を差し入れてくれたのか。煮物か、カレーか、それとも。
逸る胸を抑えながら蓋を開けてみると、そこには――――――――
「――――――泥団子が詰め込まれていたそうですよ」
「ええ、そんな王道オチある?」
「?王道?店長、それどういう意味なんです?」
「あれ、黛ちゃん知らない?昔話とか伝承ではよくあるパターンでね、『美人に付いて行って行った先でご馳走を振舞われたが、朝起きてみるとそれはすべて泥や汚いものだった。畜生!まんまと騙された!』……………要は化かされるってやつ」
「じゃあ、影井さんが今してくれた話って…………幽霊話じゃなくて、そっち系ってこと?」
「まあ、そうなるっすね」
「ええ…………影井さんのことだからとんでもない怖い話があるの期待したのに」
「まあまあ、僕は好きだよ。現代にもそういう存在がいるの、逆に安心しちゃうな。あやかしは形を変えて、今もなお人間を誑かしたり騙したり、あるいはからかったりしてくれているんだ」
「そういうもんすかね…………」
「そういうものだったら良いよね。その隣人は狐だったのかな、狸だったのかな。それとも化け猫?」
「さあ」
「―――――――あ、というかこれ。影井さんの話じゃないですよね?」
「違うけど。なんで?」
「だって影井さん、よく期限切れのお弁当とか山ほど抱えて帰るじゃないですか。だったらこれ、実話怪談かなって」
「さあ」
「あっはぐらかした」
「…………影井さん、コンビニ弁ばっか食べてたら栄養偏りますよ?………あの、良かったら、………なんですけど…………わたし、作りましょうか?」
「お!いいじゃない。黛ちゃん、お料理得意なの?」
「は、はい。一応…………」
「あー………お気持ちは嬉しいんスけど。手間がかかっちゃうし、大丈夫ですよ。それに」
「それに?」
「…………ダブると多分、めんどくさいことになるんで…………」
■■■
―――――――――あろうことか、この男は。私の作ったものをそのまま突っ返してきたのである。「バレバレなんスよ」とか言って、そのままドアを閉めて。そりゃあ、私も狐の中では若い方だけど。でも今まで一度もバレたことはないし、みんな朝までだらしない笑顔で騙されてくれた。私はそんな人間のリアクションを見ながら笑って酒を飲むのがものすごく好きなのだ。なのに、ただのマンションの隣人に看破されたなんて――――――なんだか、すごく悔しい。このままじゃ酒も美味しく飲めやしない。狐の沽券に関わる。
だから私は―――――――――
「ユーリちゃん♡お姉さんの作ったお弁当、食べない?」
正攻法で行くことにしたのである。猫撫で声で(狐だけど)上目遣いをしながらずいずいとタッパーを押し付ける。彼は真顔でそのタッパーを見た後に「いやです」と言ってドアを閉めた。わずか数秒で私は玄関先にポツンとひとり、いや一匹残された。
――――――さすがに一瞥されて断られるのは、ちょっと悔しい。尻尾も垂れ下がってしまう、というものだ。……………でも、私は諦めない。私の化かしを見抜いたこのいけすかない、すました人間を―――――どうにかぎゃふんと言わせたいのだ。けれど毎日げてものを持っていくのは味気ない。ならば、手段を少し変えてみるのはどうだ?そう、いっそのこと「美味しいお料理を差し入れてくれるお隣の素敵なお姉さん」として攻める。これしかない。どうせろくな食生活を送っていないのだ。このお弁当責めを続けていれば、いつしか彼の胃袋は私によって支配される。その時、このすました人間は私なしでは生きられなくなるのだ。それは一晩の愉悦よりも長期的で面倒臭いけど、時間をかけただけ、思いが強くなるだけ結果も最高のものになる。私は再びお酒を美味しく飲めるのだ。
――――――――…………なんか最初の目的からズレてる?私もちょっとだけそう思う。
けれど、この現代社会で。毎日毎日私に構ってくれる人間なんてそうそういない。ましてや狐だと知ったうえで、なんてそれこそ希少だろう。だから私は、この隣人が私のことを嫌になって引っ越すまでは――――――この茶番劇を、続けていきたいと思っているのだ。
「でも勿体ないなあ。せっかく私の大好物のネズミの生肉詰めたのに。ユーリちゃんてばグルメねえ。…………ま、いいか。これは私の晩御飯にしよ。明日は……そうだな、兎なんてどうかしら?ユーリちゃん、どう?兎好き?」
ドアの隙間から「根本から間違ってるんスよ………」というあきれ声が聞こえたが。まあ、聞こえないふりをしておこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます