このコンビニに謂れはありません


同僚の影井さんは、ちょっと怖い。

まず、愛想というものがまるでない。その表情筋はとっくの昔に死滅しているかのように動かないし、こう、店員さんとして大事なものが根こそぎ欠けている感じだ。そして足りない愛想は、丁寧で淡々とした仕事ぶりで補われている……ような気がする。

次に、その耳に付いたピアスの数だ。耳たぶに三つ、軟骨に一つ、それとインダストリアル。あとよくわからない場所にも付いているので、正直いくつあるのか把握しきれてはいない。好奇心はあれど、「ピアスの数を数えさせてくれませんか?」なんて言えるほど私たちは親しくもなんともなく、というかまず怖いしチャラそうだしお近づきになれない。あと痛そう。

よく店長も怒らないよなあ、なんて思うけれど、そもそもここの採用ラインなんてゆるゆるもゆるゆるなのだ。来るもの拒まず去るもの追わず、まあ仕事が出来てればOKです、くらい。


で、怖い理由その三。

「(………影井さん、休みの日とか何してんだろ)」

このコンビニで、というか私が出会った誰よりもプライベートを想像しにくい人だ。この人が遊んでいるところやはしゃいでいるところ、力を抜いているところが1ミリも想像できない。多少隙を見せてくれれば私も落ち着くのだけど、どっこいそんな隙すらない。

最大の怖い理由としては、その大きさだ。休憩室の扉を少し頭を屈めて通っていく唯一の人間。店長から「影井くんって身長高いよねえ~、って聞いてみたらさ、180近くあるんだって。バレーの選手みたいだね」などと聞いた時、私は驚いて目を丸くしてしまった。うちの父親より遥かにでかい。

そんな大きくて怖い人に、黒い瞳でじっと見られると。何をしてもしていなくても恐縮してしまう。


何より私は、男の人が苦手だ。


特にコンビニでバイトをしていると、結構な確率で絡んでくるタイプのお客さんが多い。適当にあしらうのも苦手だ。

毎度毎度相手の言い分を聞いてしまいがちだから、たまに列を作ってしまうこともある。これも、悩みの一つ。

あとは怒鳴られたりだとか、酔っぱらってたりだとか。もちろんまともな男のお客さんだっているし、ヤバめの女のお客さんだっている。

けれど、そういう人って――――自分の中で、とにかく「目立つ」。

存在感を膨らまし、恐怖や嫌悪が広がっていく。それはきっと、自分が受け取ったものを肥大化させて恐れているだけなのだろう―――――……

そう、自分の冷静な部分はちゃんと思考できているのだが。なんとも情けない話、どうしても男の人を見ると体が強張り、冷静さも思考もどっかに行ってしまうのだ。

………それは、いわゆる味方であるレジの内側の人にまで及んでいる。



今日のシフトは影井さんと一緒だった。影井さんは休憩のたびに喫煙スペースに行ってしまうので、ひとりでこっそり休憩室の机に突っ伏して休んでいた。

「(………疲れた、な………)」

………別に、極度に接客が出来なくなるわけじゃないから、仕事に影響が出てるわけじゃないから。………いいんだけど。それでも、気疲れというのは相当にあって。負担は体力をごりごりと削り取っていく。ああもう、眠い。天気悪いのもあるんだろうけど、とにかく疲れた。

「…………と、もう時間か………そろそろ出ないと」

机からふらふらと立ち上がり、休憩室の扉を開ける。気を取り直して、お仕事しなきゃ――――――そう思った瞬間、自分より大きなものにおでこをぶつけてしまった。

「――――――――っきゃ、………わ!?」

「――――――――あ、すんません」

ドアを開けた瞬間、そこには立ちふさがる壁のように―――――例の、影井さんが立っていた。思わず「すみません!」と言いながらさっと避ければ、影井さんは小さく頭を下げて横を通る。そして鞄にライターと煙草を雑に投げて「じゃ、あとちょっと頑張りましょうか」と低い声で言った。

「…………は、はい」

やっぱりちょっと怖い。悪い人じゃないんだけど。


………そういえば影井さんの年って聞いたことが無い。けどたぶん、私よりも年上……だと思う。影井さんは基本、誰にでも崩れた敬語を使う。その上あの雰囲気なので、実年齢が掴めないのだ。正直高校生と言っても、アラサーと言っても納得できてしまう。

「(………うう、やだなあ。なんかずっと影井さんのこと考えちゃう………)」

意識しなければいいのだけれど、どうも苦手だと更に意識してしまう。堂々巡りだ。

私は自分の頬をひっ叩きたい衝動に駆られながら、店内へと向かった。



「………今日、雨すごいですね………」

思わず口に出た言葉は、図らずも他愛もない雑談と化した。

ゲリラ豪雨、と言えばいいのだろう。外はバケツをひっくり返したような激しい雨で、そんなものだから客足だってまばらだった。たまに来たとしても雨宿り程度。これはシフト終わるまでレジ入らなくて済むかも……なんて思いながら、誰もいない濡れた床をひたすらモップでふき取っていた。誰もかれもびしょぬれの状態で来るから、当然床はびったびただ。一通り拭き終えた私の一言を、検品中の影井さんが拾った。

「そうっすね。…………帰んのだるいな」

「影井さん、いつも何で通勤してるんでしたっけ」

「もっぱらバイクっすね。…………黛さんは?」

「私は……駅から徒歩です。この雨だと帰るのもしんどそうですね、あはは………」


―――――――――気まずい。


天気の話しかできない自分にげんなりしてしまう。もちろん仕事中だしこのぐらいでいいんだろうけど――――……でも、もうちょっとなんとかならないのか?とは思うのだ、自分に対して。思わず息を吐いて、もう一度窓の外を見た。


「―――――――――――あれ?」


ぱちくりと瞬きをしても、「それ」は微動だにせず外に立っている。ざああと降りしきる雨のカーテンの向こう………駐車場に、ひとつ人影が見えるのだ。いや、それ自体は珍しい事じゃない。けれど。

「あの人、どうしたんだろ………傘もささずに。寒くないのかな………」

「………………」

思わず漏れた独り言が聞こえたとは思えない。が、が、私の言葉と共にその人影はゆっくりとこちらに近づいてきた。

「(うわわ、来た……!ど、どうしよう、きっと足先までびしょぬれだよね………タオルとか持ってきた方がいいのかな……?)」

さすがに全身びしょぬれの人が来店したことは無い。いや、訂正。サマーシーズンは海で遊んできた観光客がそのまま来ることはある。

けれど、雨に濡れてるって話が別だ。そういう人って訳ありだったり、濡れたい気分だったりして、………その足でコンビニに行くか、とはならないいいだろう。

じゃあ、あの人は何?

「(……って、いけない。……もしかしたら、フツーに傘買いに来た人かもしれないし)」

そうして、私の思考の隙間にも。「その人」は店へと一歩、また一歩と近づき――――……自動ドアは、その人を受け入れた。


「いらっしゃいま………――――――ひッ」


思わず、息を呑む。

声が、掠れる。


その人は―――――……「溶けて」いた。


びしょぬれなんかじゃない、体のいたるところに硫酸を掛けられたように、皮が、肉がぐずぐずに溶けている。それらは現在進行形で溶けていっているので、ぼたぼたと床に体のパーツとおぼしきなにかが落ちていく。生ごみと錆を混ぜたような、ひどい匂いがその人から立ち上る。

顔は上から横についた鼻、三つある目、五つある口という趣味の悪い福笑いのような出来をしている。一応かたちは人間、だ。腕もある、顔もある、足もある、胴体もある。ただすべては溶けているし、足に至ってはドロドロになった二本がくっついて一本だけに見えているような、そんな風体だ。


人?…………じゃない、人ではない、確実に………!


「―――――――――…………」

五つある口の三個が、にちゃ、と音を立てて動く。何かを喋ったようにも聞こえた。

「え、何………ですか………?」

怖い。怖い。指先が冷たくなり、寒気が全身に広がっていく。けれどそんな状態でも、私は反射的に「お客様」への反応をしてしまった。返してくれるわけでも、ないのに。

でも、いつもそうじゃないか。

怖くたってなんだって、お客様なのだから。対応しなきゃいけないし、理不尽に怒ってはいけないし、怒号に、罵倒に泣いちゃいけない。もはや本能のように、へらりと笑う。怒らせちゃいけない。怖いものは、特に。

「―――――――――――」

「その人」は私を一瞥する。そしてその進みづらそうな一本足を跳ねさせるように、ぺたし、ぺたし、とこちらへ近づく。五個の口のうち四つが歯を見せて笑っている。そのうちのひとつからぽろりと何かが落ちた。

「――――――――――あ、ぇ、………………ッ」

同時に、視線も落ちる。からん、と軽い音がして床を見る。赤錆色の液体にまみれた白いかけら――――――陶器?食器?歯?

違う、どれも違う、ばあちゃんの葬式で見たことある。


あれ、骨だ。骨のかけらだ。


おはしで抓めないほど小さくて、最後に刷毛でまとめて骨壺に入れられるくらいの大きさの。わからない。脈絡が無い。人間ではないことは確かだけど、じゃあどうすればいいのかがわからない。怖い。でも、やらなきゃ。なにを?怖い。怖い。こわい、こわい………………



「―――――――――……黛さんは、もうちょっとテキトーでいいと思うんすよね」


「……………え?」

いつの間にか、影井さんが後ろに立っていた。かげいさ、と名を呼ぼうとした瞬間、その大きな手のひらで口を塞がれる。私の頭はもうとっくにパニックになっていた。脳の冷静な部分はかろうじて動いたかと思えば「影井さん案外指細いな」とか関係ないことを考えている始末だ。

「しっ。………すいません、っす。しばらく声出さないで」

何が何だかわからないが、こくこくと頷く。影井さんはそんな私を見て、ひとつ頷いた。

みじろぎもせずに、ただ私の呼吸音は影井さんの手の中に吸い込まれていく。「その人」は何かを確認するかのように私たちに手を伸ばし、奇妙な動きを繰り返す。

「(いや、これ………なんか掴もうとしてる…………?)」

しかし、いくら掌を動かしてもその手に触れるものはない。空を切るばかりと気づいたのか、何か別のことを理解したのか、「その人」はゆっくりと出口方面へ向かう。そうして自動ドアは、その人のためだけに事務的に開き、そして閉まった。


「―――――――――……もう、大丈夫っすよ」

「ッ……………ぷっはぁ!はー、はー………………」

「あ、すんません。苦しかったっすか」

「そりゃあ、あ、いや、そんなことより。何………?影井さん、は………『あの人』のこと、知ってるの………?」

どう考えても人間ではないものに、目の前の人は淡々と、顔色一つ変えずに相対していた。商品を並べている時やレジをしている時と同じように、そこに全く違いなんかないって顔して――――――

「………知ってる、っつーか。なんつーか………すげー雨が降ってる時って、ああいうのが紛れやすいんすよ」

「……………?」

「………まあ、つまり……アレは、相手にすると面倒くさいやつです。酔っ払いのおっさんと一緒。むしろ、応えようとすればするほど厄介になります。………だから、さっきも言いましたけど。…………」


黛さんはもう少しテキトーでいいんすよ。


そう、彼は言った。

「…………………――――――――」

なんだか、力が抜けていく。

自覚しているのと、人に言われるのは違う。私がいっぱいいっぱいだったって、気づいてたのかな――――――影井さん。

「………でも、そういうめんどくせーとも逃げずに対応しようとするのは、その、スゲーって思いますよ。尊敬します」

「………はは…………そう、ですかね……?」

「ハイ。………でも、もし。しんどいなーとか、やべえの来たら、………僕が対応するんで」

だから、まあ。なんかあったら頼ってください。と。

変わらぬ表情で言った影井さんは、本当にいつも通り表情は動くことが無かったけれど―――――――私はそれに、確かにあたたかなものを感じた。


「(……怖いなって思ってて、ごめんなさい)」


「………じゃ、アレの通った跡掃除しましょうか」

「………はい!ありがとうございます!」



雨は降る。お客さんの影は、しばらく見えず。

私は、私が安堵していることを自覚していた。




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