影井游守とその周辺
缶津メメ
ビニールパックに詰まったアイスカフェラテ氷入り
「暑っ…………」
私は、涼を求めて彷徨っていた。
照りつける日差しは人の身を焼いて焦がして地面と一体化しかねないもので、これ以上歩き続けていたら絶対に死ぬわ、みたいな温度だった。視線を横にずらせば、立ち並ぶビル群はいつもより高く遠く見える。あのビルって確かスタバ入ってるビルだよな。あんなでっかかったっけ?いや、もしかしたら暑さで頭が朦朧としているのかも。いつも働かせている脳味噌はとっくに茹っていて、このままじゃ午後の業務なんてとてもじゃないができやしない。
ああ、少しの間だけでいい。この暑さを忘れられる場所があったなら―――――――
「あ」
その時、視界の端に一軒のコンビニが映った。よかったあ、という安堵感と同時に、数ミリの違和感に気づく。
「……………初めて見た。何だこのお店」
看板を見る―――――巷で良く見るメジャーなコンビニではない。都会のコンビニにもこんなマイナーコンビニがあるんだな、なんて不思議な気持ちになった。
改めて看板を見てみれば、ライトグリーンを基調とした外観に「ゆみさかい」とひらがなで書いてある。単語の意味が分からないが、この暑さの中ではそれについて深く考えることすら億劫だ。私は一も二もなく、ふらふらと入口に近づく。扉は私を受け入れるように自動で開き、来訪者を迎え入れてくれた。
「あー……すずし……」
入った瞬間、少し寒いくらいの冷風が体を包み込む。思わずはあ、と息を吐いてあたりを見渡すと、内装自体は普通のコンビニと同じでほっとする。その代わりにレジには行列と言っていいほどの人が並んでいる―――――なにかのキャンペーン中なんだろうか。
「(っていうか今、昼時だっけ?)」
くう、と腹の音が聞こえる。ちらりと店内の時計を見てみれば、そこには針が無かった。なんだ、ここのコンビニは針は品切れなんだ。気を取り直して店内を物色してみる。
小さな化粧品売り場には孔雀色のリップが並んでいるし、雑誌のタイトルはどう考えても文字化けしている。表紙のグラビアの女性の頭部は電卓になっていて、ドリンクコーナーに至っては「日本酒 ねこまねき」だとか「ヒッチコックソーダ ピューマ味」というラインナップである。なんだこれ、なんて思いながらも物珍しさで店の中を歩いていると、ようやく手を取りやすそうな商品が目に飛び込んできた。
「なにこれ……おいしそう」
それはいわゆるパックドリンクだった。大きめの透明なビニールパックの中に、きれいなグラデーションを描いたカフェオレがぎっしり詰まっている。丸っこい氷がたくさん入っていて、頭の部分には黄色いストローが差し込まれていた。見た目も可愛らしいし、なによりこんな暑い日には有難い。これとサンドイッチ買っちゃおうかな、と手に取った瞬間、伸ばした手に第三者の手が重ねられた。
「え、」
それはまるで私を遮るかのように――――驚いて、私はその手の主に目をやった。
「お客さん、すんません。これはお客さんには売れないっす」
そこに立っていたのは――――――眉毛が隠れるくらい長い前髪に、細いアーモンドアイ。耳にはシルバーのピアスをいくつも付けた、背の高い男性だった。……多分。
しばらくその人の容姿に釘付けになっていた私だったが、ハッと今の状況に気づく。よく見ればその人はここのコンビニの制服らしきものを着ている。だとすれば、客が何を買おうが自由なはずだ。店員さんに止められる筋合いはない。というかこれじゃ、まるで私が万引きしようとしてた感じじゃないか。抗議を込めて「な、なんですか…………いいじゃないですか、何を買ったって……」と言えば店員さんは息を吐き、すっと手を離した。
「………つか、お客さん。なんでここにいるんすか?」
「は?私はただ―――――――」
「…………あ、繋がっちゃっただけ、か……たまにいるんすよね、あの世とこの世の境目に、夢で繋がっちゃう人。まあ寝ることは一種の死だとも言われてるし、あながち間違いではないのかも」
「?」
この人が何を言っているのかわからない。あの世?この世?………つまり、私は。
「………もしかして私、夢見てるの?これ、夢の中?」
「呑み込みが早いすね」
「………いや、なんか……現実にしては売り物が見たこと無いのばっかりっていうか……いや、見てる時は違和感無かったんだけど、……言われたらいきなり変だなって思うことが多くて。グラビアとか、ヒッチコックソーダとか」
「ホントになんすかね、あれ」
「あ、でもこのカフェオレは現実味あるよね。なんで?」
「あー、たまにあるんすよ。見るからに『現世の人』が好みそうな食べ物。そういうの、全部罠なんで食べたり飲んだりしちゃダメっすよ。………よもつへぐい、って知ってます?」
「初耳」
「そんじゃ、起きて覚えてたら検索してみてください。……じゃあ、長居すんのもアレなんで戻りましょうか。お姉さん、僕と一緒に来てください」
「う、うん………」
急展開についていけないけど、なんとなく第六感のようなものが「この人についていけば安心だ」と言っている――――ような気がする。ちらり、とレジ前の行列を見た。あの人たちは、ここの食べ物を買える人たち、なのだろうか。ここからでは見えないけれど、あのビニールパックに詰められた美味しそうなカフェオレを持っている人もいるのだろうか。
それはちょっとだけ、羨ましい気がした。
「――――――あの、あなた。そういえばお名前は――――――」
「――――――――――あ」
ピピピピ、という聞きなれた電子音で目が覚める。とっくの昔に動きを止めていた扇風機に、窓から入ってくる朝の心地よい風。私の頭は枕から落っこちていて、背中は汗びっしょりだった。ゆっくり体を起こして、額に滲んだ汗を拭う。
「………夢、か………」
なんか、すごく変な夢を見た気がする。それでも通常の夢と同じく、細部を思い出そうとしてもなかなか鮮明には思い出せない。だけど断片的に頭に浮かぶ言葉がある―――――「コンビニ」「よもつへぐい」。
そして、「おいしそうなアイスカフェオレ」………である。
「暑っ…………」
私は、涼とカフェオレを求めて彷徨っていた。
照りつける日差しは人の身を焼いて焦がして地面と一体化しかねないもので、これ以上歩き続けていたら絶対に死ぬわ、みたいな温度だった。
昼休み、歩いて五分のコンビニへ向かう。とにかくカフェオレを飲みたい、その気持ちだけで歩を進めていた。
「あ、」
視界の端にコンビニが映る。私はほっと息を吐いて、自動で誰でも受容してくれるオアシスへと足を踏み入れた。その心地良い涼しさに、思わず目を細める。季節商品、コスメ、基礎科化粧品、湿布にアイマスク、雑誌、コンビニ本、お菓子コーナー、アイスコーナー、チルドコーナー。そこを抜ければ、カップ系ドリンクの棚へと辿り着く。
「(あった!)」
カップに入ったアイスカフェオレを見つけた瞬間、思わず口角は上がり頭の中にはたくさんの花が咲き乱れた。私は嬉しさを隠し切れずに、そのまま数歩先のサンドイッチを手に取り、レジへと向かった。
「すみません、お願いしま―――――」
「はい」
「…………あっ、」
黒く眉毛が見えないくらい長い前髪。細長いアーモンドアイに、耳を彩る沢山のシルバーピアスの店員が目の前に立っていた。
「――――――――…………あの、………」
「お会計、420円っス。カードとか持ってます?」
「――――――は、はい……」
目線を切って、財布の中から小銭とカードを取り出す。店員さんは私からカードを受け取り、それを読み込んだ。店員さんの手元を見ながら、喉の手前まで疑問が出かかっていることに気づく。
たくさん聞きたいことがあるはずなのに、何も思い出せない。
なんだかまだ夢を見ているみたいだ。いつの間にかレジは終わっていて、私はぼんやりしたままマイバッグに品物を詰める。その時に触れた、指先の結露の冷たさ。カフェオレの冷たさだけが、私を現実に留めている。
「ありがとうございました」
私はコンビニを出る。日差しがまた街を歩く人たちを襲う。
去り際に、あの店員さんの名札を見た。そこには「影井」と書かれていた。
「(………もし、あの時。あれを飲んでいたらどうなってたんだろう。………)」
よもつへぐい。
あとで調べてみよう。そんな風に思いながら私は、職場へと帰っていったのだった。
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