「推す」ってなーに?(2)

「あー、女オタの場合、腹から声出すように気を付けるのですが……トラさんは口先から・・・・声出すとちょうどいいんじゃないかと」


「面目ない……」


「あとペンラで人斬らないでください」


「斬ってねぇよ」


「人の海は割れましたよ。モーセに改名ですか」


 事故の責任を感じた二人は退場し、特典会もスキップした。今は『狸ビル』一階のそば屋『きら星』で反省会を行っている。

 トラさんはざる蕎麦、五条はカツ丼、お会計はトラさん持ちだ。


「とりあえず推しからのレスは置いといて、ライブを自然に楽しめるところを目指しましょうか」


「そもそもだな、俺は別に白亜ちゃんが特別好きって訳じゃないぜ?」


「やっぱりいるひ推しにします?」


「そうじゃなくてな、いい歳して若い娘が好きなんて……気恥ずかしい、じゃねぇかよ……」


「ナニかわいいこと言ってんだよジジイ」


「あ゛ん?」


 自覚はあるが五条に言われるとムッとするトラさんだった。

 トラさんも年齢なりに自意識が控えめなので、中学生のように恥ずかしがっているのとは違う。好きだの嫌いだのという感情を意識しない時間が長すぎたのかもしれない。


「んんっ……オタクの好きって、そういうのと違くないですか?」


「俺に聞くなよ」


「違うんですよ、推しに対する愛っていうのは。期待しない、報われない、独占しないという『オタク三原則』がありまして」


「非核三原則みたいに言われてもな」


「とにかく! 『アイドルしてる時のアイドル』を応援するのが正しいオタクじゃないですか!」


「だから俺に聞くなよ……」


 早口で熱く語る五条にトラさんがちょっと引いた。ごはん粒が飛んだからだ。

 五条の話はトラさんのイメージと何かが違った。


「じゃあ『アイドルと結婚したい』なんて奴、今時はいないのか?」


「まぁガチ恋とか親目線とかP目線とかもありますけど。楽しみ方の違いでしかないと思ってますよ」


 ガチ恋はトラさんのイメージに近い。親目線は推しの成長を喜びつつも、接触の度に食生活などにいらぬ心配をする。P目線はライブの演出などに口を出したがるが、地下アイドルの運営がトップオタにプロモーション方法を相談することは実際にある。


 ざる蕎麦を食べ終えたトラさんは蕎麦猪口にそば湯を注ぎながらぼやいた。


「冷めてるんだか熱心なんだか、よくわからんな」


「――あなたが一番応援している相手、それが推しですよ」


「うわっ、宮越さん! いたんですか?」


 五条の隣で天ざるを食べ終えた紳士がメガネを拭いていた。

 ロマンスグレーを真ん中分けにし、口髭も整えられている。資産家で、現場ではまず見ない高そうなスーツを着ていた。

 ちなみにトラさんは今日もよれよれのジャケット、五条は赤いパーカーだ。


 トラさん同様、場違いな外見ではあるがステグリ結成直後からの古参で、宮越はオタネームだ。トラさんとは割と歳が近いことから、前回の現場で五条に紹介され、互いに素性も明かしている。

 宮越がここにいるということは、特典会が終わったのだ。


「人を応援するのに恥ずかしいことなどありませんよね」


 宮越は温和に続ける。五条はビール三つと揚げそばとだし巻き玉子を追加した。

 トラさんも宮越からにじむ善人オーラに対応が丁寧だったりする。


「そういえば宮越さんはどの子が好きなんですか?」


「好きというなら、僕は五人とも好きですね」


「『古参箱推しの宮越』ですもんね」


 五条はお通しの枝豆を生ビールで流し込んだ。

 箱推しとはグループを全体的に推す楽しみ方だ。

 だが宮越は口髭に付いた泡を拭うと、


「実は僕、響さん推しなんですよ。ただ五推しまで決まってると箱推しに見えるみたいで」


「ご、五人とも推し……? それは箱推しじゃないのか?」


「う~ん……箱推しと違うのは推しに順位があることですかね。単推しの私には正直想像もつかない修羅……いや、博愛? ていうか響推しなんて初耳なんですけど!?」


 摘んでいた揚げ蕎麦は五条の指の中で砕けた。

 単推しとはただ一人を推すスタイルだ。二番目、三番目のお気に入りがいれば、それをニ推し、三推しと呼ぶ。無論、推しの数だけ経済力が必要だった。


「宮越さんが余裕あるのはわかるが、どうしてそんなややこしいことに?」


「ふむ……あれは相続した土地建物の管理のために大学の仕事を辞めて、地元こっちへ帰ってきた頃のことです――野外ステージでステグリを見かけましてね」


 語り出した宮越を見て、五条は焼き鳥とビールのおかわりを注文した。

 宮越は元々、芸能史を研究する大学講師だったそうだ。研究の一環で地下アイドルについて調査したこともあり、以来ちょっとしたドルオタを自認していたという。


「まぁ、ゆるオタでしたけどね」


「高尚オタだ……で、どうして響なんですか?」


「ひと目見て頭の良さそうな子だな、あんな子が教え子にいたらな、と……思えば、まだ学問に未練があったのかもしれません」


「ひと目、見ただけでですか?」


 全ては必然、と言わんばかりの宮越に、トラさんのだし巻き玉子も箸から落ちた。さすが大学の先生だな、と。


「ええ。あれほど白衣とメガネが似合いそうな子なら、と確信しました」


「頭悪そうな理由ですねー」


「……」


 本当に頭の悪そうな理由だが、ニヤリとした宮越は冗談を言ったようにも見えた。

 ちなみに宮越本人はメガネで白衣も似合う紳士だ。


「推す理由なんてそんなものですよ。本当の理由は無いのかもしれない。響さんを追いかけるうちに他のメンバーにも興味を持ちましてね。やはり響さんに一番身近な四人ですから、四人を知ることは響さんを知ることでもあるんです」


「なぁ、五条……」


「はい……」


(いい話のはずなんだが……)

(この人、響以外のメンバーと握手しながら、その向こうに響を見てるんですね)

(確かに箱推しとは言えないな……)

((やっぱり大学の先生って――))


「「サイコパスですね」」


「えぇっ!? なんです、いきなり!?」

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