ふぁーすとこんたくと (6)

 事件後の被害者マルガイの様子を見に行く、程度のつもりだった。

 怒鳴り散らすヤクザに一歩も引かないくらいは胆力があるつもりだった。

 武装した男に素手で組み付くときも緊張はしなかった。しかし。


「ぅ、ぉ、よう、元気そうだ」


 一昨日、通りすがりに助けた少女は今、アイドルとして健さんの目の前に立っていた。

 たったそれだけで、言葉が出ない。

 要するに健さんは緊張していた。機微は壊れてなかった。


「来てくれてびっくり。いるひじゃなくて、わたしに並んでくれたんだね?」


「あ、あれは五条の奴が……」


「ライブ中も一緒にいたけど五条さんのお友達?」


「見えてたか……俺も久し振りに出くわしたんだよ。やっぱり五条は有名なの?」


「うん、有名オタ……常連のお客さんだからね。ステグリの初ライブからずっと来てくれて」


 白亜の対応には先日よりも余裕があった。これが本来の『アイドル 星置白亜』なのだろう。


 ――これがアイドルってやつか……同じ生き物とは思えん。テレビ映りもいいんだろうな。


 再び白亜を間近にした健さんの感想は月並みだが、初めて感じるものだった。

 犯罪者や興味のない相手に対し「違う生き物か」という感想を持ったことはあるが、それとは違う。思えば健さんが知るテレビに出そうな人間など、容疑者か警察署長だけだ。なお、地下アイドルがそうそうテレビに出ないことを健さんは知らない。

 ふと白亜が一瞬、素の表情らしきものを見せた。


「あ、おじさまで最後だから、ちゃんとお礼できるね、社長呼ぶね!」


「お、おじさま……?」


 人生初のおじさま呼びに動揺していると、さっきのガタイのいい男が来た。


「先日はうちの所属アイドルを助けて頂きまして、ありがとうございました」


「ファンのみんなからはステラゴリラって呼ばれてます!」


 白亜の補足は言い得て妙だった。

 受け取った名刺にはタヌキプロダクション社長 田貫誠たぬき まこととある。Stella☆Gri-Laの所属事務所、兼所属レーベルの社長、兼この狸ビルのオーナーだ。


「アイドルにもお客様にも危険が及んだかもしれない事態でした。すべて私の勉強不足が原因です」


「ほんとはね、あの日はビラ配り無しって言われてたんだけど、私が勝手に出ちゃったの。ビラ配り禁止だったんだよね」


「二人とも、そんな気にせんで下さい。ああいう連中はどこにでもいるもんだ」


「いやぁ、今後はよく知らない箱を使うのはやめました。歓楽街はまだまだ怖いもんですよ」


「ああ、そりゃあ警察の至らないところで申し訳ない――」


「え? どうしておじさまが謝るの?」


「あのー、ひょっとして警察関係の方ですか?」


「!……ああ、いや。定年退職したただのジジイですよ、虎杖浜といいます」


 ついクセで余計なことを口走った。

 後ろめたいところがなくても、客商売は警察関係者の出入りを嫌う。

 それをよく知っていた健さんは誤魔化した。聞かれてもいないのに名乗ってまで。

 すると白亜は、


「虎杖浜さんかぁ……じゃあ『トラさん』!」


「トラさん……?」


「オタネームとかハンドルネームとか……あだ名だよ。本名を明かす人は少ないから」


 日本全国を失恋して回っていた往年の風来坊みたいなオタネームだが、当然白亜は知らない世代だ。

 SNSやアイドルのブログへの書き込みを推しから認知されたいオタクでも、個人情報は大切なので別名を名乗る人が多い。五条は本名だ。


 会心のオタネームだったのか満足げな白亜に、健さんはもぞもぞする気持ちを抑えられない。健さんにとって『虎』といえば、『マル暴の虎』だった。それを親しみを込めて呼ぶ者などいなかった。

 悪い気分じゃない。いつの間にか老後の不安も、左膝の痛みも忘れていた。


 ――この歳で新しいあだ名を付けられるってのは、こそばゆいもんだなぁ。


 それもそのはず。オタネームを推しに付けてもらえるオタクなど、この世にそうはいないのだから。

 ここで田貫が動いた。


「よーし白亜、ご新規無料チェキ撮るぞ。今日はお礼だ、何枚でも撮ってやる! ポスターも付けるぞ、白亜はサインを書け」


(どうした運営、変なもん喰ったか?)

(渋チン運営が神対応……雪か、春の大雪か!?)

(推しと同じ空気吸ってるだけで金取ろうとするのに)

(((あのお大尽は何者だ??)))


「お、社長太っ腹! トラさん、ポーズはどうしよう。ハートでいい?」


 どよめくオタクたちをよそに白亜が健さんの隣へ出てきた。

 二人の手指を合わせて作るハート、ここで並んでる間に知った健さんだが、当然抵抗がある。ぶっちゃけ恥ずかしい。

 ためらう健さんに白亜は代案を出した。


「じゃーぁ、敬礼!」


「!」


 敬礼は、姿勢を正し、右手を上げ、指を接して伸ばし、ひとさし指と中指とを帽子の前ひさしの右端に当て、たなごころを少し外方に向け、ひじを肩の方向にほぼその高さに上げ、受礼者に注目して行う。(警察礼式 第二十一条より要約)


 足裏から頭の先まで、すっと背筋が伸びる。

 固くなった肩に負担のかかる感覚。

 退職後初めての敬礼に気が引き締まる。

 隣の白亜もまずまずの出来だ。警官の制服も着せてみたい。


「さすが本職、かっこいい! せっかくだからもう一枚くらい撮ろうよ、好きなポーズで。はい、チーズ!」


 白亜に促され、今度は健さんも自然な笑顔でピースをした。一枚目は緊張していたのだと、今更気付く。できたチェキを見ると白亜は右手で爪を立てるふり、左手は猫の手だった。


「うふふっ、トラ・・さん。大事にしてね」


 ――かわいいじゃねぇか……。


      ***


「ふぅ……」


 健さんはぼんやりしながら外、地上へ出た。時刻は20時ちょうど。

 これからステグリのメンバーは着替えや反省会をするだろう。18歳未満の労働は22時までと法律で決まっているから、25分間のライブはギリギリなのかもしれない。


 白亜がサインを入れたチェキを取り出す。外に出ても消えないから、あれは夢じゃなかった。健さんは夜の空気でふと現実に帰る。


 ――こいつは人に見せられねぇな……。


「――お楽しみでしたね」


「うぉっ、いたのか!?」


「顔緩んじゃってまー。渋チン運営のあんな対応初めて見ましたよ。弱みでも握ってるんですか?」


 ニヤニヤ顔の赤いパーカー、五条に見られた。ご機嫌の理由はいるひと接触した直後だからでもあるだろう。

 健さんはそれに答えず、ビラを見ながら言った。


「次のライブ、火曜の昼間か。来るんだろ?」


「当然休み取ってます――え、来るんだろって……虎杖浜さんこそ来るんですか!?」


「なかなかどうして、いい趣味になるかもしれないだろ。おい、おごってやるからネット予約の操作教えろ」


 言ったが早いか、『小料理 ぬまた』の方角へ歩き出す。

 推しに貢ぐため普段は酒も飲まない五条はもちろんついて行くが。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 焼肉ですか寿司ですか!?」


「言えば出てくるだろ。あと俺のことは今日から――」


「――トラさんですね、わかります」


 春の夜は草いきれと花の香りが風に混ざる。

 今夜この街に61歳のドルオタ(レベル1)、トラさんが誕生した。


ふぁーすとこんたくと・終わり

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