ふぁーすとこんたくと (5)

 ライブ会場が『ミルキィウェイ』の場合、ロビーが物販会場となる。楽屋へ続くドアの前に長机を並べ、スタッフがグッズを販売するのだ。地下アイドルであるStella☆Gri-LaのCDは通販と一部の委託販売を除けば、ここでしか手に入らない。


「なぁ、俺は別にグッズを買うつもりは――」


「一昨日は先行販売がなかったし今日は遅刻でしたからね、気合い入れて行きますよ!」


「もしかして、お前一昨日も来てたのか?」


「え? 今年は皆勤賞に決まってるじゃないですか、そのために警官辞めたんですから。むしろ毎日会いたい! いや、一緒に住みたい!」


「むしろ、どうして警察官になったんだ」


『あまね10枚』


『あまね、10枚ですね』


 列が進み健さんにも物販の様子が見えてきた。

 最前の客はあまねの写真がジャケットになった同じ・・CDを10枚受け取っている。

 スタッフも平然と対応しているが、CDとは消耗品だっただろうか。


「おい、あの客。あんなに買って何に使うんだ?」


「もうすぐ始まりますよ」


「何が?」


「お待たせしましたー、特典会始めまーす」


「「「「「よろしくお願いします」」」」」


 メガネを掛けた体格のいい男性スタッフの声で、先行物販に間に合ったオタクたちが動く。

 長机の向こうから『ステグリ』のメンバーが現れると、それぞれの前に列を作り始めた。先程の客が並んだ列の先頭では、栗山あまねとの握手が始まっている。


『今日もかわいいよ、あまねちゃん』


『会いに来てくれてありがとう、今日はちゃんとあまねだけ見てくれた?』


「グッズに付いてる特典券一枚につき、五秒間握手できるんですよ」


「五秒……」


「スタッフがストップウォッチ持ってるので、時間になったらきっちり剥がされます。だから10枚くらいまとめて買わないと、推しとの接触が『こんにちは』で終わりますよ。列が長いときは一度に四枚までとかありますけどね」


「ヤクザの仕切りじゃねぇよな、ここ?」


「んなわけないでしょう。ちなみに誰のCDを買っても入ってる曲は一緒です」


「的屋がかわいく見えてくるな……」


「でもほら、すごーく幸せそうでしょう?」


 五条に促されてそちらを見ると、アイドルと握手をするオタクたちはいずれも鼻の下を伸ばしていた。真冬に熱々の肉まんにありついた人のような顔の緩みようだ。


「あれか、キャバクラで手ぇ握られて本気になっちまう――」


「アイドルとキャバクラを一緒にしないでくださいっ、これだから刑事は!」


「お、おう、すまん……」


「まぁ確かにー、推しの手の柔らかさとかー、ライブで上がった体温を感じられる握手会は尊いものですよー。よこしまな気持ちを抱くオタクもいるでしょう、アイドルかわいいから。アイドル汗かいてもいい匂いするから!」


「お前、前科マエ作ってないだろうな……?」


 五条の目が欲望でギラついたように見え、健さんは少し引いた。ちなみに五条に前科はない。ちょっと好きなものを語る時に早口になるだけだ。


「でもね、大抵のオタクは下心なく、ただうれしいんです。握手会はオタクにとって貴重な成分を摂取する、いわば点滴……!」


「点滴受けることを前提に生きるなよ」


「推しが! 自分のためだけに! 時間を使ってくれるんですよ!?」


「買うんだろ?」


「5秒で千円です」


「……」


「私も今日は先行物販を逃したので――いるひ、10枚!」


 次は健さんの番となり、目の前には女性スタッフが注文を聞き逃すまいと待ち構えている。その視線が場違いな客を非難しているようにも見えて、健さんは気付いた。


 ――どうして今まで並んでたんだ、俺?


「じゃ、じゃあ……白亜ちゃんのシングル1枚……」


「千円でーす」


 あっさり買えて拍子抜けしたが、エロ本を買いにきた中学生ではないので買えて当然だった。

 物販列を離れてホッとした健さんは、そもそも買うつもりもなかったことを忘れた。その背後に忍び寄る、五条。


「……おやおやぁ? 虎杖浜さん、早速推し変ですかぁ」


「……あん?」


「ガラ悪っ!? 推し変というのはですね、推しメンを変えることですよ。ちなみに私はいるひ一筋です」


「変えるも何も、俺は初めて来たんだぞ?」


「だってほら、ずっと赤振ってたじゃないですか」


 五条は健さんのポケットから覗くサイリウムを指差した。いるひ推しの五条が渡したものなので、当然いるひを応援するための装備だ。


 健さんは会場で見たペンライトの光が赤・白・青・紫・黄の五色だったことを思い出す。他のオタクたちも五条のように自分の推しを応援するためにペンライトを振っていたはずだ。

 そしてアイドルの衣装にも、白亜以外はメンバーごとに違った差し色が使われていた。健さんが振っていたサイリウムは『いるひの赤』だ。ということは――


「五条、わざと黙ってやがったな!?」


「推しメンを変えると元推しと気まずくなったり、元推しと今推しが気まずくなったり……浮気心で現場に行きづらくなるオタクが毎年発生するとかしないとか」


「むっ……」


「なーんてのは常連になって顔覚えられてからですよ、『お前、いつもいんな』が挨拶になったら一人前です」


 珍しく動揺した健さんを見て、五条は満足げにニヤリとした。しかし健さんはいっそ清々しい、という表情で平静に戻る。


「……今、警備会社で働いてるんだってな、五条」


「なんで知ってるんですか、こわっ!?」


「その会社から俺にもオファーがあってな、『顧問をやらないか』って言われてんだが――」


 元警官とはいえ、五条は下っ端だ。そこへ健さんが幹部としてやってきたら。

 有給が足りず欠勤までしている五条のハッピーライフが、地獄に変わる。

 だから五条は光の速さで頭を下げた。物販会場じゃなければ土下座していた。


「すんませんでしたーっ! 後生だからどうか老後は気ままにお過ごしください! どうしても……どうしてもウチに来るなら、私に無限の有給を下さいっ!!」


「それ仕事に来ないってことだろう……いいか、五条。俺に『推し』とやらはいない」


「ハイ!」


「だからその『推し変』とやらも関係ない。赤い棒だったのは……交通整理だ」


「ハイ!」


「よし、じゃあ次はどうすればいいんだ?」


「真ん中の列に並んでホシイデアリマス! 私は隣の列にイッテマイリマス!」


「健闘を祈る!」


 よく訓練されたオタク、五条はいるひの握手列に向かい、健さんは白亜に並ぶ。いるひの列が最も長いため、五条とは随分と離れた。オタクたちの緊張は列先頭から三人目になると顕著に伝わってくる。


 健さんには一人の心細さや作法が分からない戸惑いはあるものの、ここで緊張するようなタマではない。長くマル暴の前線に立ち、そういう機微はとっくに壊れていた。


 そもそもCDを買ったからといって並ぶ必要は無いのだが、そのことには気付かないまま、ついに健さんの番が来た。

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