ふぁーすとこんたくと (3)

「そば屋……?」


 四月十五日 土曜日。

 健さんは例のビラを手にStella☆Gri-Laのホーム会場、『イベントスペース ミルキィウェイ』へ足を運んだ。


 一階のそば屋を見て間違えたかとも考えたが、すぐに地下への階段を見つける。ビル名も住所の通り、『狸ビル』だった。刑事は道に迷わないのだ。

 健さんが知らない場所ということは、事件を起こしていないということでもある。


「当日1500円になりまーす」


「安いな」


「……?」


 降りてすぐの受付でチケットを買うと、スタッフの女性は引きつった笑顔を見せた。500円増しの当日チケットはあまり売れないようだ。

 頼りない知識ながら健さんは5000円くらいを見込んでいたので、海鮮丼くらいの値段なら安いと感じる。


 時刻は17時45分、開演15分前は早すぎたのか、周囲に人は少ない。

 黄ばんだ壁にはStella☆Gri-Laのポスターと『先行物販完売』という貼り紙がある。

 健さんは「映画のパンフレットみたいなもんか」と、売り切れを少し残念に思った。映画ではパンフレットを買うタイプだ。

 完売なら会場内は混雑しているのでは、と分厚い防音扉を開ける。


「……」


 前室同様古びた会場は健さんの想像よりも狭い。手を付かずに上がれそうな低いステージが余計にそう思わせた。

 ミルキィウェイはオールスタンディングでの収容250人(公称)の小箱だ。

 そこで開演を待つ客は100人ほど。地下アイドルとして多いのか少ないのか、健さんにはわからないが土曜の夜だ。これがStella☆Gri-Laの最大集客力ということになる。

 客層の特徴として女性アイドルにしては女オタが多いのだが、健さんには普通がわからない。

 手持ち無沙汰を感じつつ出入り口付近にいると、


「お」


 照明が落ちてステージが照らされた。開演だ。

 と同時に前列を中心に野太い歓声が上がった。女オタもいるのに野太かった。会場内の温度が急に上がったように感じる。


 ――暑苦しいな……これがオタクというやつか。


 当然観客はほぼオタクだ。若い刑事にはいたのかもしれないが、パソコン操作にも苦労しなかった健さんには縁がなかった。逮捕したこともない。


「みんなおっはよー! 一昨日はちょっと怖い場所だったけど、来てくれた人ありがとう」

「今日は久々のホームだから、のびーっとやっちゃうよ!」

「のびーって何よ」

「のびーのびー」


 一昨日の少女、星置白亜ほしおき はくあがMCをリードする。

 ゆるく波打つ黒髪と美しい声。衣装はあの時と同じ白い女子校制服風だ。近寄りがたいほどの美少女なのに人を安心させる雰囲気があった。

 零れるような笑顔を見るに、あのショックで男性恐怖症などにはならなかったようだ。


 その隣、五人の中央に立つ少女が白亜に答え、二人が頷きあう。その姿に誰もが心を和ませた。

 確かにアイドルだ。健さんは風俗嬢と間違えたのを申し訳なく思った。


 もっと近くで見たい。

 ドアの脇にいた健さんも気が付くと客席中央、観客オタクたちの最後尾まで進んでいた。どうせならもっと前に出たい……が、身体を滑り込ませる空きは見つからない。


 ――この気迫、まるでベテランの機動隊員……!


 健さんは学生運動時代の機動隊が作り出す人の壁を思い出した。なお年齢的に健さんも当事者ではない。


 ――ここの観客は現場検証の野次馬とは肝の据わり方が違うようだな……。


 健さんが思わずオタクたちの背中を睨みつけると、殺気を感じたのかオタクたちの動きが少し乱れた。

 場違いな行動に見かね、後ろの女性客が健さんの肩を叩く。


「こらこら、前列行くなら事前にネットで整理券……を……こ、虎杖浜警部!?」


「ん? 誰だ……あ、お前、交番勤務の」


 赤いパーカーを着たショートヘアの目つきが悪い女は、振り返った健さんを見て固まった。

 五条美波ごじょうみなみ元巡査、趣味がどうとか言って四年くらい前に辞めたと、健さんは記憶している。在職中の接点は少なかったが、自分の娘より少し下くらいなので覚えていた。


「五条、お前。趣味ってこれか……」


「ちょ、ちょっと待ってください吐きそう……」


「人の顔見て失礼な奴だな」


「ハァハァ……まぁ趣味は紆余曲折ありまして……ていうか、ここで警部にビックリされるの理不尽じゃないですかね? まさかガサ入れ!?」


「刑事は定年だよ。これはまぁ、なんとなくだ」


「そっかー老後の趣味はドルオタですかー……顔とのミスマッチすごいですね」


「なぁ五条、これもっと前で見れねぇのか?」


「スルーかよ、メンタル強っ! さすがマル暴、強っ!……はぁ、見たけりゃネット予約で整番とって開場前から並んで下さい。私だって仕事が押さなきゃ……むしろ休みたいっ、休みが足りないっ!」


「お前、よく警官になれたよ……」


 と、話し込んでいる間に音楽が始まった。

 オタクたちが訓練された動きで光る棒を振る。赤・白・青・紫・黄の五色だ。


「虎杖浜さんの相手してたらMC聞き逃したじゃないですか! あれ、キンブレ持ってないんですか?」


「光る警棒のことか? 手帳と手錠すらねぇよ」


「しょーがないなぁ……新入りの虎杖浜さんに予備のサイリウム分けてあげますよ。あと警棒じゃないです」


「おぅ、悪いな」


 五条は赤のサイリウムを二本、折って渡した。ちなみに色を変えられるペンライト、キンブレは赤に設定して二本手に持ち、腰に予備も差している。警棒でも交通整理でもない。


「みんなー、コールよろしくぅ」


「いるひーっ!!」


 ステージ上のアイドルの声を受けて五条が叫び、それを合図にはしてないが最初の曲が始まる。

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