ふぁーすとこんたくと (2)

 少女をかばって暴漢たちに追い詰められた丸腰の健さん、61歳。というと絶体絶命に見えるが、実のところそれほどでもない。

 相手の体格はまちまちだが、どれも健さんに比べれば貧弱すぎる。動きも素人なうえに怯みがあり、注意するのはスタンガンくらい。集団で女を殴ることしかできない程度の暴力だった。

 だが、健さんも手を出せない。


 ――胸糞悪いが、ガキに大怪我させるわけにゃいかねぇよなぁ。


 五人もいると手加減はできない。


 『未成年に後遺症の残る怪我は御法度』


 長年の教練でそう叩き込まれた健さんは、相手を寝たきりにしてしまうような暴力に踏み切れないでいた。それに、


「おぉいガキぃ。誰のシマ荒らしてるか、わかってんのかぁ」


 大声を出し慣れている者に特有の、低いがよく通る声。それと同時に暴漢が一人、膝蹴りをもらいうずくまった。ダークスーツの男を先頭に、さらに五人。

 健さんからはこの異質な男たちの接近が見えていた。


 暴漢たちが10代からせいぜい二十歳に見えるのに対し、後からやってきた男は皆、三十代以上。服装もスーツ、スウェット、柄シャツとバラけており、一緒にいるのが不思議な集団と言える。

 何より顔つきも雰囲気も、より剣呑で何か大事なものを捨てていた。


 健さんの顔が険しいのはもう一悶着あると思ったからではない。

 自ら用意した車に手際よく詰められていく若者たちを心配したのだ。


「健さん、お疲れ様です」


「「「お疲れ様です!」」」


「この辺でミカジメなんぞ取ってねぇだろうな、元基もとき


 後ろに流した黒髪に皮膚の薄い、日焼けした精悍な顔つきと、肉食獣のような目。小峰元基、松前組幹部。

 健さんの仕事柄よく知る相手であり、松前組を歓楽街から追い出したのは健さんたちの成果だった。

 元基がシマと言ったのが方便だということくらい、健さんにもわかっている。


「今時ケツモチなんざシノギになりませんよ。飯食った帰りでちょうどクルマ探してたんで」


「ありゃお前んとこの若い衆か?」


「よそもんですよ。最近よく見かけるんで、観光案内でもしてやります」


「ほどほどにしろよ」


 組織犯罪と関連のない凶悪事件の捜査は刑事一課の強行犯係が受け持つ。同じ署内でも健さんの耳には入らなかったのだろう。


 若者五人は警察に引き渡すべきだし、一台に十人乗ると法律違反なんだが。そこへ高級セダンが横付けされ、アロハを着た男が後席のドアを開ける。

 元基は乗り込む前に振り返った。


「そういや退職なさったそうで。引退祝いに一席設けさせて下さいよ」


「ヤクザと酒飲むほど暇じゃねぇよ」


 暇だが。

 どんなに荒れた街のヤクザでもマル暴の刑事の前では大人しくなる。だが持ち上げられて気安くしていると痛い目にあうのだ。健さんも後輩に逮捕されたくはない。


 別れ際、元基の短くなった小指を見た。

 生活安全課にいた頃の健さんは『非行少年』だった元基の世話を焼いたものだが、引き留められなかった。

 元基の小指は健さんが積み重ねた後悔の一つだ。


 妻の病気もそうだった。これから楽をさせられる、行きたがってた旅行にも連れて行ってやろう。そう思っていた矢先――いつも気付いた時には手遅れだ。趣味がないことも今頃気付いて後悔している。


「あの……ありがとうございます」


 まだ怯えの残る少女の声に、そちらを見る。すっかり忘れていた。

 健さんの眼力をして育ちが良いと見える。風俗嬢以外の道はなかったのかとため息が出る容姿だ。

 そして、やはり『あの娘』に似ていた。


「怪我してないかい、嬢ちゃん。警察は呼ばなくていいね?」


 へたり込んでいたので健さんも中腰になって目の高さを合わせる。夜回りしていた頃の癖だ。

 少女は目が合うとビクリと肩を震わせたが、なかなか胆力があるのか落ちたビラを手早くかき集めて立ち上がった。


「そう……ですね。あの、さっきのお友達の方にも、ありがとうございましたって――」


「友達じゃないんだけどね。それよりここはね、危ないしビラ配り禁止だからね。店長にも言っておいてくれるかい」


「え、店長? あ、ごめんなさい! ビラ配り禁止の場所なんてあるんですね、気を付けないと……」


 子供というか無垢というか、歓楽街で働いているとは思えない発言だ。現役時代、この街で注意されて素直に「ごめんなさい」と言う子を見たことがなかった。


 それに少女の声には透明感と張りがある。元基とは違った意味で大声を出すことに喉が慣れている。


 健さんはまだ一枚だけ落ちていたビラを拾い上げた。大きく書かれたStella☆Gri-Laステラ グリラとは風俗店の名前ではなかったようだ。


「あぁ、アイドルってやつか」


 この場に生活安全課の刑事でもいれば、「風俗店の制服がアイドルの衣装を真似ている」のだと教えてくれただろう。

 いかがわしい店ではなかったことに、健さんはなぜかホッとした。それに『あの娘』ならアイドルやってる歳でもない。


「はい! いつもは違う会場なんですけど改装中で。今日のライブはそこの地下を使わせて頂くんです」


 少女が指差したのは地下にライブハウスのある古いビルだった。健さんは薬物の摘発で家宅捜索がさいれに入ったことがある。


「ああいう所、初めてなんですけど……大人な雰囲気ですね! これがわたしです、よかったら聴きに来てくださいね!」


 少女がビラを指差すと、そこには笑顔でポーズを取った少女がおり、『星置白亜ほしおき はくあ』と書かれていた。


      ***


「はい健さん、引退祝いの一杯」


 歓楽街の隅っこにある『小料理 ぬまた』。健さんの馴染みの店だ。

 カウンターで女将の酌を受けた健さんは、きゅうりとイカのぬたを肴に冷酒を流し込んで大きく息をつく。


「まったく……今日は出てくるんじゃなかった」


「うちは来てくれてありがたいわ。そのアイドルの子も助かったじゃない……あら、かわいい」


 ビラは結局ここまで持ってきてしまった。女将は健さんからそれを奪い、しげしげと眺める。

 しっとりとした美人だが、昔荒れていた時期があり健さんも何度か補導した。板前と結婚して店を持っても、やんちゃなところは無くならない。


「五人組なのね。健さん確か……おニャン子クラブより斉藤由貴の方が好きだったわよね?」


「よく覚えてたな!?」


「覚えてるわよ。私がアイドルグッズ万引きして健さんに捕まった時のお説教で聞いたもの」


「……夏目雅子も好きだったなぁ」


「あのね、私の歳でもその人たち。よく知らないからね?」


「祥子ちゃん、そんな若かったか?」


「もう水しか出さないわよ」


 祥子は40歳、娘という程離れてはいないが、健さんにとっては似たようなものだった。

 こんな言葉の叩き合いも安心してできる相手だ。


「こんな田舎のアイドルなのに、ワンマンライブなんてすごいじゃない。健さん行ってみたら? 明後日、定期公演だって」


「ええ、俺が?」


「退職してから二週間も閉じこもって。外出ないとカビちゃうわよ。みっともないわ、カビの生えたジジイなんて」


 改めてビラを見る。普段の会場はこの街から五分ほど歩いたところにある商店街にあった。アニメショップやメイドカフェが集まる、健さんにも警察にも縁の無い場所だ。


「ジジイが出入りする場所じゃないぜ」


「行ってみなさいよ、いい趣味が見つかるかもよ?」

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