【05-07】血盟団は天地を廻す

【nowhere man】


 病院を出れば、そこは淡海御所だ。この湖上都市淡海府の中心地の広場である。血液公社本部タワービルである血統閣、府営地下鉄や蓬莱鉄道の中央駅、官庁街へと繋がる大通り、東西南北の幹線道路が交差する交通要所など、常に人々が行き交っていた。イベント会場が特設される日はさらに賑わうが、今日は通常通り、ただただ多くの通行人で溢れていた。

 ふと、医院で父が別れ際に放った言葉を思い出した。

『淡海御所でまた会おう』

 わたしはモトコンポを手押ししていたが、その足を止めた。

「おねえちゃん?」

 隣を歩いていたナデシコが数歩進んでから振り返る。

「……いや、なんでもない。次はどこへ向かおうか?」

 父は生きている可能性が高い。だからこそ再会の約束をしてきた。しかし日時の指定がないのだ。その機会はもう過ぎてしまったのかもしれないし、全然先のことかもしれない。実は今日のことかもしれない。

「久しぶりにさー、競艇場行かない? ゲームしたい!」

「いいね、外出も久しぶりだし。仕事も息抜きしながらやっていかなきゃね」

 しかし今日の会議報告では、父の戦力は皆無に等しかった。ディオダティ断章計画を承認させるためにエルピス文章を手に入れて御前会議を陥れる。来る日の廻天血戦とは、実現可能なのか……?

 唐崎グレンは忠告してきた。内通者が存在するかもしれない。しかし、誰だ? 審議会に出席していた人物? 全員が怪しすぎるが、全員がアルマロスやグリゴリの被害を被ってないか? 血税局も警保局もヤツとの戦闘で疲弊していた。それ以前に父たちへ情報を流すのに適した人間とは、いったい。IISという監視網に怪しまれずに接触するなんて不可能に近いだろう。

「あ」

 方法がないことはなかった。この足元のさらに下、暗黒街や地下通路など圏外領域だ。そこならIISの防犯カメラもどうしても手薄になってしまう。だからこそ犯罪の温床だ。逆に、そこを頻繁に捜査する人間ならその経路も熟知している。志賀医院の隠し通路、マルヴァのオフィスや傀儡技研、官庁や企業の建物にも網目のように地下は繋がっている。やはり内通者の線は濃厚か。誰かの手引きさえあれば、父はどこへでも侵入できそうだ。何かが、繋がっていく。

「……ナデシコ、アルマロスの血液煙草はどれくらいの人間が目撃していた?」

「え? そりゃあの暴力団事務所の屋上にいた人間と、医院の戦闘に立ち会った人間でしょ? ボクもよく覚えてないから、人の話で知ったけど」

「そう、前者で言えば、ナデシコを隣ビルまで吹き飛ばした後に取り出したから、対峙していたのはわたしとエンジさんとスオウさん。虎姫さんに意識があったかどうかは微妙だけど、それ以外の暴力団の連中は全員気絶か死んでいたからね。後者も、わたしたちやサキモリの人たちくらいだよね。でも、赤い煙は見ていても、それが血液由来と知る者は限られる。つまり、河瀬さんは誰から血液煙草のことを聞いたんだろう?」

「……どういうこと? 別に課長や和邇組と話す機会くらいあったでしょ」

「それならわたしたちに聞いて回ってくれなんて頼まないはず。虎姫さんもエンジさんたちも、そんな小道具の存在をわたしに指摘されるまで忘れていた反応だった。わたしだってあんな過酷な状況がショックすぎて、そんな細かいことを忘れていたし」

「じゃあ、アルマロス本人が喋ったとか……?」

「ヤツは完全封印された状態で傀儡技研に運び込まれた。厳重な尋問までは再起動を禁止されているし、尋問はこれから。他に考えられるのは、わたしたちが血液煙草を知る以前から、河瀬さんはそれを知っていた」

「アレって、あの悪魔が本気の戦闘するときだけ出すんでしょ? そんなタイミング中々ないよ」

「逆に、。以前からヤツらと面識があって、その繋がりが露見するのを恐れて現物を回収したがっているのだとしたら――」

「じゃあ、あのメガネがガサの情報を流した内通者か……!」

 もちろん推測だけの仮説の域を出ない。河瀬さんが犯人ホシだと断定できる情報が、まだ少ないからだ。しかし、わたしの脳内はバチバチと発火現象を繰り返していた。


 父とは大学時代の先輩後輩の関係だった。

 吸血機関やヴァンプロイドの研究で再会することになった。

 多くの人間が実態を把握できていなかった魚籠多博士のことを『』と呼んでいた。

 初めてわたしの顔を見たとき、


 整理すればするほど、魚籠多博士の代理人だった父から情報を得ていたとしか思えない。それに父は、わたしが血税局に残ると宣言したときも不思議と拒んでこなかった。それは、すぐ近くに監視者がいるという余裕からではないか?

 もちろん、これだけの情報で内通者扱いはできない。しかし警戒はすべきだ。なにより彼は今、アルマロスの近くにいる。わたしの勘で競艇は外しても、こういう嫌な予感は当たるのだ。

 わたしは耳元のC無線に指をかける。すると同時に着信があった。

『ボタンちゃん! 今どこ?』

「虎姫さん? 淡海御所にいますけど。それより、伝えたいことがあって――!」


『落ち着いて聞いて欲しいの。……アルマロスが、脱獄した』


 雑踏と雑音が消えた。何もかもが遅かったのだ……!

『同時に、ウチの封印していたヴァンプロイドたちも強奪された。それに河瀬さんの姿が見えなくて傀儡技研は混乱している。とにかく、すぐにそちらに応援を寄越すから、周囲に警戒して――』

 突然、虎姫さんの声も聞こえなくなった。理由は簡単だ。音もなく背後に立つ人物が、わたしのC無線を外したからだ。

 氷の手で心臓を掴まれたように、わたしは戦慄わなないた。

 向かい合うナデシコの表情が、絶望と憤怒で歪んだ。

「……また会えたな。嬉しいぜ、志賀ボタン」

 何度聞いても、吐き気がするほど嫌悪する重低音と声の主。振り返らなくてもわかる。最強最悪の血液犯罪者ブラッドサッカー

「アルマロス――!」

 ナデシコは即座に臨戦態勢へと切り替わる。全身の毛が逆立っているようだった。同時にアルマロスはわたしの首、ちょうど頸動脈に指を軽く当てた。それは刃物で脅されるのと同等の行為だった。絞るよな悲鳴が喉の奥で唸る。

「落ち着けよ、機動戦艦。この場での戦闘はよくないだろ? 周りに迷惑をかける」

 ギリギリで攻撃を躱すことができたとしても、この男が暴れ始めたら無関係な一般人が流血沙汰に巻き込まれる。そんな最悪の事態だけは避けたかった。幸いにも広場の人々はわたしたちの絶体絶命的な状況に気付くことなく、周囲を何事もなく通り過ぎていく。わたしもナデシコも、動くことが許されない。硬直一択。

「また、どこへ誘拐しようっていうの……?」

「そんなことはもうしないさ。先生の考えも変わった。それにお前たちマルヴァから会いに来てくれるんだろ? だから、もうその必要もない。せいぜい廻天血戦までに、計画を全部思い出しておくんだな」

「目的はエルピス文章じゃないの? 血戦って何なの!」

「ほう、そこまで知ってるか。だが文章を手に入れるのは手段でしかない。血戦は保険だ。いくつかの予行演習の後に、千を超える悪魔の大行進がこの御所に集結する。火薬まみれの聖祭ガンパウダーヴァレンタインだ。血盟団は天地をまわす」

「……そんな物騒なことは、させないんだから」

「何を言ってやがる。お前の計画が、先生やオレを狂わせたんだ。魚籠多・フランケンシュタイン=カーミラよ」

「違う! わたしは、わたしの名前は、……志賀ボタンだ」

「そうだったな。また戦場で会おう。女王陛下」

 首への圧迫感が消え、悪魔の気配も消えた。しかし、恐怖によって身体が強張ったままのわたしは振り向くこともできず、思い出したように息を吸うので精一杯だった。

 ナデシコが静かに歩み寄って来る。

「おねえちゃん、敵は、どこ……?」

 わたしは言葉に詰まって、答えることがきでなかった。

 アルマロス、志賀ヒイロ、御前会議、調停人……。この街、この国では、亡霊のような悪党たちが諸刃の正義で戦争をしている。いったい誰を捕まえて、誰が裁けるというのだろうか。

 わたしが足を着けている淡海御所は蜃気楼のように実体が感じられなかった。足早に流れていく人混みが、漂う黒煙のようにわたしの視界を覆っていく。

 ――ここはどこなんだろうか?

 鼓動と呼吸が荒くなっていく。先の見えなくなっていく未来が不安で、たまらなく怖くなった……。


「おねえちゃん!」


 視界が晴れた。

 ナデシコが、わたしの頬を両手で覆って覗き込んでいる。互いの顔面はキスできそうなくらい近かった。

「大丈夫だから! わたしがいるから! 怖いもの全部やっつけるから!」

「……ナデシコ」

 気持ちが切り替わっていく。そうだ、あの帰帆組事務所の襲撃でさえ、なんとか乗り切ったではないか。何度も敵と戦ってきたけど、今、ここに、こうして、生きている。

 ――二人でなら、きっと大丈夫だ。

 かつて家出をした大雪の日とは違い、わたしにはもう確かな自信が芽生えていた。やるべきことはわかっている。

「行こう。アイツらの目的を阻止しなきゃ!」

「あいあいさー!」

 わたしたちはモトコンポに乗り込み、アクセルを全力で絞って急発進する。

 たとえ相手が亡霊だろうと、辿り着いてみせる。それが血税法を順守する淡海府血税局の仕事なのだから。もう誰の血も奪わせない。全てのブラッドサッカーを叩き潰す――!


 梅雨はまだ続き、やがて蒸し暑い夏がやってくる。

 どうしてわたしが血税局に所属することになったのか、そんな短い季節の話だった。


【第一部完】

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マルヴァ:血税局血液取締部起動二課吸血機関自動人形【ヴァンプロイド】部隊 柴駱 親澄(しばらくおやすみ) @anroku

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