【05-06】頼れる先輩

【長引きそうな梅雨も、今日だけは晴れていた】


 自転車にすら乗ったことないわたしがモトコンポを運転できたのは、後ろのナデシコがうまく重心を調整してバランスをとってくれたからだろう。戸惑いながらも操作に慣れてくると楽しいものだ。車よりもスペースを取らないので混んだ道もスイスイ進める。ただ調子に乗っていたら左折車に巻き込まれかけて死ぬかと思ったのでもう控えることにした。道路カーストで原付は底辺である。めげない! しょげない! 泣いちゃだめ!

 毎度お世話になる血液公社付属中央病院だが、今回はお見舞いだ。関係者専用の病棟の警備をパスするとエンジさんたちのいる病室へ入った。エンジさんは左腕のギプスや各所の包帯が痛々しいものの、もう呼吸器や点滴も外れているし、なにより半身を起こして仕事の書類を睨んでいた。傍らの椅子に腰かけるスオウさんはリンゴを器用にウサギさんにしている。オフィスと変わらない光景である。

「お前らが単独で来れたってことは、試験合格か」

 エンジさんは書類から少しだけ顔を上げて興味なさそうにつぶやいた。

「あー、なんでわたしから言いたいこと奪っちゃうんですか。さあ、後輩を褒め褒めしてください」

「アホ、俺の教えと身体張ったおかげだろうが。見舞いの品は煙草でいいぜ。もう限界だ」

「はい、ココアシガレット。これを機に禁煙を成功させましょう」

「もう何回も成功しるっての」

 エンジさんは悔しそうに差し入れのお菓子をボリボリ食べた。軽口叩けるくらいには元気そうである。

「エンジさんがなかなか復帰しないから仕事を奪いに来ましたよ」

「ヴァンプロイドのアホみたいな治り方と一緒にするな。それにもう骨もくっつく。お前にさせることなんてねーよ」

 そう言うとスオウさんがエンジさんの脇腹を小突く。軽く触ったようだけど、そのダメージにエンジさんは悶絶した。内臓器官はまだ完治してないらしい。

「殺す気かよ!」

「とりあえず尿道カテーテル抜けてからほざけよ。まだ一か月は無理だろ」

 珍しくスオウさんは真面目なトーンで忠告していた。バディでもあるし、兄弟でもあるのだ。本気で心配してるのだろう。

「ま、オレは保管血液切れたら他のドナーに鞍替えしよーっと。なあボタン?」

 詐欺師のような薄っぺらい営業スマイル。やはりスオウさんは軟派で軽い。

「ボクのおねえちゃんに手え出すんじゃねえよ!」

 冗談でも聞き逃せないナデシコがスオウさんの乳首を服の上からつねりあげた。

「やめろ! 変な声出ちゃう! ブヒィ!」

 はあ、なんで男にも乳首ってついてるんだろう。いつか男は不要な乳首が原因で絶滅するんじゃないだろうか。ナデシコとスオウさんは年の離れた兄弟喧嘩のようにわちゃわちゃする。一周して仲良しである。

「おねえちゃん、乳首ってのは大体耳たぶの真下くらいにあるからそれで横軸を見極めることができるんだよ。縦軸は勘だけど、それで座標が見えてくる。乳首当てゲームの必勝法」

 世界一どうでもいい攻略法である。

「マジじゃねーか。これ、ノーベル賞とれんじゃね?」

 スオウさんは感心したのか、何度も自分のモノの位置を確認する。

「それって男の胸筋限定でしょ」

「いや、志賀もナデシコも似たようなもんだろ。少年わんぱく相撲じゃん」

 言ってはならないことを言ってしまったエンジさん。わたしはエンジさんの乳首をつねりあげた。このまま男は乳首が原因で絶滅してしまうかもしれない。自分が恐ろしいわ。ちなみにエンジさんが可愛い声を出したことについては後でアサヒさんに報告しておこう。

「ナデシコはともかく、わたしは将来期待大ですから。これ以上怒らせたら尿道カテーテルをグリグリしながら引き抜きますからね」

「…………やめてくれ」

 意外な反応だった。怪我した以上に、股間に異物がこんにちはしてるのが堪えてるらしい。エンジさんでも痩せ我慢しきれないものがあるのか。なんて表情、後でアサヒさんに報告しておこう。

「ふざけるのはこれくらいにして、マジで仕事の話しましょうよ。先輩」

「おう、そうだな。今日の会議で色々決まったんだろ?」

 わたしは大真面目に、唐崎グレンからのひそひそ話以外を正確に伝えた。口の中がカラカラに乾くまで、長い時間喋った。案の定、ナデシコとスオウさんはエンジさんの隣に寝転んで、いびきをかき始めた。見るからに狭そうなのに、エンジさんは余計なリアクションなどせずに静かにわたしの話を聞いてくれた。……いや、ちょっとは驚いてよ。わたしは魚籠多博士の娘で、これから国家中枢にこっそり喧嘩売るんですよ?

「――というわけで、わたしとナデシコは闇市商會に売られます」

「ふーん、ご愁傷様だな」

「ちょっと、何を呑気な! 助けてくれるんですよね? 手塩にかけて育てた後輩ですよ?」

「俺が昔サキモリにいたとき、ブラッドサッカー相手にもう何人仲間が死んだと思う? 俺たちは消耗品なんだよ」

「そうだとしても、無駄死にだけは嫌です。……こんなこと頼みたくないんですけど、職務復帰したら訓練してください。わたしはまだ強くなりたい」

「俺はアルマロスにコテンパンにされてこんな惨めなことになってるのに、教えを乞うのか?」

「わたしがもっと強くあれば、周りにもこんな被害を出さずに済んだ。誘拐されなければ……」

「気負うな。俺たちは消耗品だが、逆に言うと全滅しない限り負けることはない。次に繋ぐことができる。強くなるべきは、チーム全体だな」

 エンジさんは人差し指の腹を、わたしのおでこにくっつけた。

「待ってろ」

「待ってます」

 エンジさんなりの励ましらしい。表現が苦手な、頼れる先輩だ。でも今はそれだけで十分だった。

「そうだ、仕事を奪いに来たんだよな。ほら、コレ。追跡継続してほしい血液ブローカーのリストに指定暴力団たちによるここ最近の購入物の傾向分析、税資料調査課からの聞き込み案件と税徴収部から北区のとあるゴミ屋敷を片付けて差し押さえしてこいって通達。あと俺が戻るまでに毎日の二時間以上の走り込みと基礎筋トレのメニューを欠かさず、あと自分より体格の大きい相手とのスパーリングを、そうだ起動一課に難癖つけて喧嘩してこい。それから――」

「本日は閉店しました~! ほーたーるのひーかーりーまどーのーゆーきー」

 大声で無理矢理遮る。黙っていれば延々と厄介事を押し付けられそうだった。もう十分ですから!

「あ、そうだ。河瀬さんから、アルマロスが咥えていた血液煙草を誰か回収していないかって」

「あん? スオウが握り潰したやつだろ? あの状況じゃあ破片なんか気にしてられん」

 確かに帰帆組事務所の戦闘では現物がそのまま残っているわけがなかった。志賀医院ではそのまま吐き捨てていたが、それも未回収。やはり誰も拾ってはいないだろう。

「河瀬さんが気にしてたみたいなんですけど、ないなら仕方ないですね。また報告しときます。じゃあ見回りに行ってきますね! お大事にー!」

「おい、まだ話の途中だぞ! 河瀬技官は誰から――」

 わたしはナデシコを引っ張って、逃げるように退出した。いつまでも先輩の後ろを着いていくだけじゃダメなのだ。高ぶる気持ちが足を動かした。

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