【05-03】しゃ、喋った?

【address:CB:06N:59W:303P:-?L】


 地下通路を平行移動、久しぶりにマルヴァのメンバーがオフィスに集結した。

 と言ってもエンジさんは帰帆組ビルでの戦闘で左腕の骨折と内臓に多大なダメージが残りまだ入院中である。スオウさんはアルマロスとズタボロになるまでの死闘の末に、ビルから飛び降りてエンジさんのクッションになって本当に潰れた肉片になったとのこと。しかし供血によって再生されて、ヴァンプロイドの頑丈さと回復力でピンピンしてるらしい。しかしドナーとは離れられないのでエンジさんに付き添うこととなり、二人とも今日は欠席である。

 アサヒさんはシノノメさんが庇ったこともあり軽傷、わたしもあれだけの戦闘に立ち会いながら奇跡的に大きな怪我もなかった。シノノメさんとナデシコも問題なく復帰。……いや、ヴァンプロイドの立ち直り速度が異常すぎて、改めて怖いわ。

 問題は虎姫さんだった。背後から蕨手刀による刺突と大量出血、それから戦闘継続して両手首を折られて強引な吸血による失血状態。九死に一生を得たとしても、今まで通りとはいかないだろう。望みは薄い……。

「やっほー。みんな久しぶりだね。元気そうで何より。最近は忙しいのが続いてたから、ちょっと良い休暇になったかな?」

 虎姫さんの快活な姿はいつも通りだった。え、嘘でしょ? エンジさんより酷い負傷でしたよね?

「……虎姫さん、大丈夫なんですか?」

「え? ああ、休んでた分も手当てが出るから減給の心配はないよ。お金については安心して」

「そ、そうじゃなくてー! あれだけの怪我で、なんでケロリとしてるんですか?」

「なんだ、そっちか。最新の医療技術ってやっぱすごいねー。傷とか全然残ってないんだよ。見る?」

 そう言うと虎姫さんはネクタイをずらし、シャツのボタンを一つ外すとその隙間から白い胸元が……って、ほぎゃあーっ! 無自覚えっちの不意打ちにわたしは狼狽する。秘すれば花どころか宇宙の神秘がビッグバンしてわたしの脳汁は沸騰しそうになった。ドキがムネムネである!


 ……落ち着け落ち着け別のことを考えるんだ、現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。かかる世界は作られたものから作るものへと動き行く世界でなければならない。それは従来の物理学においてのように、不変的原子の相互作用によって成立する、即ち多の一として考えられる世界ではない。爾考えるならば、世界は同じ世界の繰返しに過ぎない。またそれを合目的的世界として全体的一の発展と考えることもできない。もし然らば、個物と個物とが相働くということはない。それは多の一としても、一の多としても考えられない世界でなければならない。何処までも与えられたものは作られたものとして、即ち弁証法的に与えられたものとして、自己否定的に作られたものから作るものへと動いて行く世界でなければならない。基体としてその底に全体的一というものを考えることもできない、また個物的多というものを考えることもできない。現象即実在として真に自己自身によって動き行く創造的世界は、右の如き世界でなければならない。現実にあるものは何処までも決定せられたものとして有でありながら、それはまた何処までも作られたものとして、変じ行くものであり、亡び行くものである、有即無ということができる。故にこれを絶対無の世界といい、また無限なる動の世界として限定するものなき限定の世界ともいったのである。……ふう、落ち着いてきた。


「虎姫さん、わかりました。もう大丈夫です。わたしは大丈夫です」

「そう、よくわかんないけど良かった」

 危ないところだった。ツェラーの公式を暗算できるわたしの頭脳は絶対矛盾的自己同一の冒頭を咄嗟に反芻はんすうして動揺を拭い去り、絶対無の境地へ達することに成功したのだ。これこそが鋼の意志、理性の極みである。たかがおっぱいで判断力が鈍ってはいけない。わたしは少しだけ垂れた鼻血を拭った。


「さて、今回はマルヴァに加えて野須平局長補佐と唐崎局長補佐補佐にもご同席いただきました。ここ最近色々ありすぎたからね。状況報告と今後について、話を共有していきましょう」

 確かに、三週間前わたしたちは帰帆組事務所への制圧調査に向かったのが始まりだった。突然のアルマロス襲撃、わたしは誘拐されて父と再会し、重大告知の後にまた激戦へ……。

 オフィスの会議テーブルにはわたしたちマルヴァ五人と局長補佐組の二人が着席していた。唐崎グレン少女が立ち上がり、調査報告書を読み上げ始める。幼く抑揚の少ない声が、淡々と事実を告げていく。

「マルヴァの皆様が療養中の間、別動隊による調査結果になります。

 帰帆組については血液密売や関連企業の脱税や裏金工作についての指示があったと税査察部や起動一課が実施した関係施設への制圧調査で明らかになりました。外部の関与者については全員逮捕済みです。ただ肝心の帰帆組事務所がアルマロスによって爆破されたため、事件中心となる幹部や証拠品ついては喪失したということになります。つまり、帰帆組単体の犯行ではなく、別の人物ないし組織による関与があったという可能性の追求が難しくなった。……とは言えアルマロス当人を捕縛できたわけです。そこらへんは時間をかけて尋問しましょう。

 そして、それから二日後の志賀医院について。元々志賀医院については半年以上前から暮雪組傘下の特定非営利活動法人が運営するものになっていましたが、先月の審議会の後にサキモリによる家宅捜査が実行されました。しかし闇医者による非合法な医療行為を取り締まるだけで、志賀ヒイロやアルマロスの出入りは確認できないまま捜査を切り上げました。そして今回の志賀ボタン特別研修生誘拐事件です。虎姫統括官と型式一番の早急な追跡でこの場所だと特定、徹底的な捜査でも見つけることができなかった地下の隠し部屋があるとわかりました。しかしココも爆破されることにより、要人や証拠品が失われてしまいました。……ただ、志賀ヒイロらしき遺体が発見されなかったことと、隠し部屋には北区の圏外領域に繋がる地下通路が見つかりました」

「それじゃあ、もしかして――?」

 わたしは反射的に大きな声を出してしまった。唐崎グレンは相変わらず表情を変えないジト目だが、コクリと小さく頷いた。

「志賀ヒイロは生き残っている可能性が高いでしょう」

「つまりアルマロスやグリゴリとの戦闘は、ヤツを逃がす時間稼ぎだったわけだ。アルマロスは捕まりグリゴリは壊滅したものの、目的だけは達成させていた。こちらが勝ったはずなのに悔しいなあ」

 野須平さんは苦い顔をして椅子の背もたれに身体を任せた。一件落着、というわけでもなかったのだ。わたしは正直、喜んでいいのか悲しむべきなのかわからず顔の筋肉が引きっていた。

「あの場にいたサキモリの選抜部隊は比叡隊長含め三分の二以上が死傷、人員の補充と組織再編成が必要なほどの被害です。グリゴリについても、あの場にいたほぼ全員が死亡。数少ない生き残りも薬物による禁断症状が酷いため特別収監しています。現場以外にいたグリゴリの構成員についですが、アルマロス不在で組織は瓦解。逮捕された者や商品を手土産に別組織に身を隠している者もいるみたいですが、悪魔崇拝結社として再び機能することはないでしょう」

 犯罪組織が一つ減ったのは素直に喜ばしいことではある。しかしアサヒさんは眉間にしわを寄せたまま呟く。

「わっかんないな。志賀ヒイロとアルマロスは利害関係の一致とやらで協働していたわけでしょ? だけど一人を逃がすために組織を囮に壊滅覚悟ってのはバランスがおかしい。理由も目的も謎すぎる」

「志賀ヒイロについて新情報は志賀ボタン特別研修生から後で話していただくとして、アルマロス自身についてもう少し調査情報を共有しましょう。まず虎姫統括官から」

「ノーコメント」

 ピシャリと叩きつけるように虎姫さんは発言を拒んだ。わたしは彼女の手袋を思わず見てしまうも、その無表情は崩れない。天使教団鉄槌騎士団という暗殺部隊に二人はかつて所属していたという情報はマルヴァの中でも伏せておきたいのか。唐崎グレンは想定済みと言わんばかりに気にする素振りもなく事務的に進行していく。

「では私から。新興カルト宗教系武装組織、堕天派悪魔崇拝結社グリゴリの幹部級構成員であるアルマロス、本名は膳所ぜぜクロアケ。年齢や出自について詳細不明。子供時代はあだばな園で過ごしたようですが、その後は天使教団の鉄槌騎士団に引き取られて『殺し屋殺し』の異名で呼ばれるほど裏社会では影響力があったそうです。しかし例のあだばな園事件や不祥事から教団内部での派閥争いにより、関わっていた幹部や鉄槌騎士団はまとめてスケープゴートとして排除されました。ここで比良ギショウなる人物と結託して、追われたメンバーとグリゴリを組織したようです。後は知られている通り、闇市商會の規律をも守らず邪道の中の外道を突っ走る存在となりました。ヴァンプロイドとなった経緯は不明ですが、それも尋問で割り出しましょう。ヴァンプロイドの絶対条件である対となるドナーについても不明、なんならグリゴリの商品や敵対者から血液型関係なく無差別に吸血もするほど異常さが確認されています。野須平局長補佐、捕捉はありますか?」

「アイツを野放しにしたままだったらあと百人は死んでいてもおかしくなかった。捕縛成功は大手柄だよ。ただ警保局が身柄を渡せとしつこい。そりゃ向こうはサキモリを潰されて面目ないし、血税局に横取りされたと思っている。比叡隊長とはうまく付き合ってたんだけど、お友達作戦やり直しだねー」

 IISによって全国警察から内務省内局へと組織縮小された警保局と、血液犯罪対策として権限拡大された血税局との軋轢は修復不能とまで噂に聞いていた。野須平さんがだいぶ潤滑に修正していたようだが、今回の事件でまたさらに溝が深まったのだろう。

「局長補佐のお仕事頑張ってください。志賀ボタン特別研修生からアルマロスについて、ありますか?」

「血液大好きなヘマトフィリアおじさんって自称していました。自分のことアルマロスとか名乗るの、中二病重症で痛すぎですね。心底気持ち悪いと軽蔑します」

「……そういう私見はいらないです。封印しますよ?」

 唐崎グレンに冗談は通じない。アルマロスは大嫌いだが、それに対して口の悪くなる虎姫さんには内心ドキドキした。普段静かで優しい人の暴言というギャップって、だいぶエロいよね。そういう私見はいらないですか?

「次の議題に行きましょう。志賀ボタン特別研修生から、再会した父親である志賀ヒイロとのやりとりについて、報告をお願いします」

「ああ、はい」

 わたしは正直に、思い出せる限り正確に、父の長い独白を思い出しながら語った。


【省略】


 全員、途中で質問することなく黙々と聞き入ってくれた。隣のナデシコについては船を漕いでいたが、それ以外のメンバーは驚愕とも納得とも読み取れない表情だ。わたしが話し終えても、しばらく沈黙が続いた。

「つまり、ですよ?」

 アサヒさんが開口して、手元の書き出していたメモ用紙をまとめ直す。

「志賀ボタンは魚籠多博士の娘だった。博士の膨大な情報を受け継いでる可能性あり。

 志賀ヒイロは万国連盟のヴォンデンベルグという組織の一員で魚籠多博士の代理人を務めていた。ディオダティ断章計画なる博士の意志を継承して行動していると。ミメーシス細胞とやらを材料に吸血機関とヴァンプロイド、そして三次計画の何かが実行されれば平和な世の中になる?

 しかし御前会議とかいう政府の裏組織が吸血機関のみを採用して残りは実行せず。中途半端な計画は血液不足や血液犯罪の黙許を生む事態に。都合の悪い者は削除。公式発表では事故死したはずの博士は生きている可能性があるが幽閉状態? 志賀ヒイロが環境保護団体のガイアや犯罪組織のグリゴリを使った血盟団というクーデターで御前会議を脅して計画を完遂させてやろうと……、大体こんな感じ?」

 わたし自身喋っている内に何を言っているのかわからなくなってきたが、アサヒさんはうまく要約してくれた。客観的に語られるほど嘘みたいな話だ。

「博士の記憶が伝承されてるってのは本当なの?」

 虎姫さんが問うてくる。

「わたしのものじゃない誰かの情報が頭の中にあるのは確かです。ただ、モヤモヤとうまく言語化できず、翻訳機能がまだ足りていないような状態なんです」

「じゃあ志賀ヒイロがまた接触してくる可能性は大いにアリね。しかし彼が三次計画は『人工血液』と推測のは浅はかね。博士であれば最初にソレを開発して、それから吸血機関とヴァンプロイドの運用をすればややこしい血税政策も不要で順序的にスムーズなはず。どうして最終目標を開示しなかったのか。御前会議もそこを疑念に感じたのかもしれない。――博士の真意とは?」

「が、頑張って思い出します……」

 虎姫さんの言う通りだ。人工血液さえ最初に開発されれば医療もエネルギーも全ての問題が解決する。そうしないのは博士の理論でもそれが不可能なのか、先に二つを為すべき理由があったのか。父はまだ何か隠している気がする。答えはわたしの脳みそにかかっているのだ。

「そもそも父が敵と想定している御前会議ってのは本当にあるものなんですか? 妙なリアリティも感じますけど、わたしには突飛な陰謀論にしか思えなくて」

 わたしは前提となる疑問を投げかけた。全部父の妄想であったらと、わたしはまだ性善説を信じたかった。

「パンドラ案件ってやつだよ、ボタン。この国の政治や経済の仕組みは綺麗ごとだけで成り立っているわけじゃない。世間ではなんとなく知られているけど、具体的な証拠もないし、なにより現政権の悪行を暴いたところで代わりとなれる政治家がいない。みんな日蝕恐慌のような悪夢を恐れて、『暴走する正義』より『制御された悪』を黙認することにした。正しくはないけどマシなほうを選ぶ、ってのが今の国民性ね。無闇に表沙汰せず、見て見ぬフリしてなんとなくやり過ごせれば良いという空気。閉鎖的で停滞する組織では不平不正が相次ぐも、自分さえ被害者にならなければ他はどーでもいいのよ」

 アサヒさんは乾いた目つきだった。これまでに多くの書類や事件を見てきたのだろう。それら全てが世に出ないことも悟っている。

「自分の命や家族、この先の人生で手に入るはずの幸福な日々。深く突っ込めばそういうの平気で奪ってくる連中よ。それでも知りたい?」

「……知りたい、です。それに、わたしに失うものなんてないですし」

「そりゃそうか! そう考えるとマルヴァはこの件に関してうってつけだにゃー」

 アサヒさんは神妙な面持ちから急に明るく笑いだした。

「キャリア組の二人もよろしくて?」

「知らないでいるほうが無理だろ」

「仕事優先ですから」

「いい覚悟っすね。私も詳細は知らないから、じゃあ深く突っ込みすぎて一度死んだ人から語ってもらいましょうか。おじいちゃん、ブラッドドライブ:喋っていいよ」

「…………はあ、最初の言いつけが口封じとは、酷な孫だよ、まったく」

 そのしゃがれた声はシノノメさんから聞こえてきた。しゃ、喋った? ずっと黙っていたのはブラッドドライブで国家機密を漏らさないためだったのか。余計な被害を増やさないための配慮、なのか? 今はいちいち驚いている場合ではない。

「さて、お嬢ちゃん。どこから知りたい? ワシも口下手だからあまり長く話したくはない」

「よくわかんないので全部お願いします」

「……長くなるぞい。みんな仲良く修羅の道だ」

 わたしを見据えるシノノメさんの目元の皺が、さらに深くなる。

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