【04-07】唯一の遺産が君だ

【夢から醒める】


 目を見開くと、無機質な部屋のベッドに寝転がされていた。上体を起こして、掌を見つめる。多少の擦り傷や打ち身の鈍痛があるものの、五体満足である。わたしはあの爆発から生き延びたのか。

 それにしても変な夢を見た。自分ではない誰かの記憶を覗き込んだようである。詳細な内容は思い出せないが、ただただ頭が重かった。

「おはよう」

「…………え?」

 隣の椅子に腰かけているのは、わたしの父、失踪していた志賀ヒイロだった。

「元気そうで何よりだよ」

 懐かしい柔らかい声で笑いかけてくる。わたしは反射的に激情がこみ上げて、彼の胸倉を掴んで一気に壁まで押し付けた。椅子が倒れて、甲高い金属音が室内に響く。

「どういうつもり!」

「……ちょっと、苦しいって」

「勝手に家を出たこと、アルマロスのこと、それから魚籠多博士について。っていうかここはどこ!」

「……質問は一つずつ。……まず離して」

 わたしが力を緩めると、父は床に跪いて軽く咳き込んだ。

「ずいぶん、たくましくなったみたいだ……」

 倒れた椅子を直して再び腰掛ける。相変わらず自分のペースを崩さない。わたしも思わずベッドに腰を下ろした。

「勝手に家を空けたことは本当に申し訳なかった。不安にさせたと思う。地下のあちこちを巡って準備することが色々あってね。ただアルマロスに子守を頼むべきじゃなかった、とても反省している。帰ってきたらまさか彼のほうが死んでるとはね……。そりゃあボタンも家出しちゃうよなあ。自分で仕組んどいてなんだけど、IISも反応しないから捜索は大変だったよ。ただ、こうやって二人また自宅に戻ってくることができた」

「自宅?」

「ここは北区の医院だよ。とは言っても最近、僕が離れている隙に上階ではサキモリの襲撃があったらしく、暮雪組はみんな処理されて、あらゆるものが押収された後だったね。ここは地下に作っておいた秘密のセーフスペースだ。バレなくて安心したよ。大事なものがいっぱいあるからね。ただ、ここもそろそろ引き上げ時のようだ」

 父が肘を置いている机には大量の書類や医療器具が散らばっており、それを大きな鞄に詰めいてる途中のようだった。

「アルマロスとはどういう関係? 脅されてるのか、それともヴァンプロイドのドナーにでもなったの?」

 ヴァンプロイド、という単語に反応したのか父の顔が一瞬険しくなった。

「……血税局、しかもマルヴァに拾われたんだってね。流石に色々知らされているか。……彼とは一時的な協力関係だよ。互いに利害が一致したから契約した。あれはイレギュラーすぎてブラッドドライブも権限偽装【ダミードライブ】でも制御不可能だよ」

「ダミードライブ?」

「供血者とは別にドナーを偽装登録させる技術。魚籠多博士が傀儡技研に残さなかったノウハウはまだまだあるよ。ディオダティ断章二次計画の詳細については御前会議もロクに知らないままだからね」

「……ちょっと待って。そもそも魚籠多博士とはどういう繋がり?」

 父は一瞬だけ言葉に詰まり、先に机上の散らばった書類から一枚の写真を抜き出した。

「見てもらったほうが早いだろう。かなり古いけど、それがこの世で唯一現存する魚籠多博士の外観を記録した写真だ」

 そこに写るのは、意外にも一人の女性だった。白衣姿で何かの実験器具に向かっている。そして粒子が荒いため顔の表情はうまく読み取れないものの、その顔立ちにはとても見覚えがあった。毎日見る、鏡に反射する人物。

「君もこのまま成長すれば、いずれ彼女と変わらぬ姿になるだろう」

「…………どういうこと?」

 写真を持つわたしの手が小刻みに震えていた。


「生物学的には彼女はメスで、遺伝的には君の母親に当たる人物だ」

 ――わたしが、魚籠多博士の娘?


 動揺するわたしに、父はさらに言葉を畳みかける。

「物理的な記録も痕跡も残さなかった彼女の、唯一の遺産が君だ。恐らくブラッドドライブを応用した記憶継承処理がされているはず」

「何言ってるの? わたしは何も知らない!」

「本当かい? 例えば、自分じゃない誰かの視点を追体験するような夢を見たことはないかい?」

「それは……」

 ――経験がある。つい先ほどのことや、さらに輸血に頼っていた時期にも覚えがあった。

 父はわたしの表情から思考を読み取る。

「心当たり、アリか。しかしまだブロックが固い。メモリーをアンロックするワードがあるはずだ。滅多に他人が口にすることない、関係者でも一部しか知らないような、例えば――」

 眉間にしわを寄せた父は思案して、思いついた単語を一つポツリと呟いた。


「【ミメーシス細胞】」


 わたしには、当然聞き覚えのない言葉だった。

 しかし、ドクンと心臓が大きく鼓動する。

 脳内には、突如として断片的な情報の津波が押し寄せてきた――!


【ミメーシス細胞】【フランケンシュタイン】【スカーレット・ドライ=レンフィールド】【吸血機関】【血税法】【血液対価ドロップ】【人口適正化演算装置】【神託機械:ハレルヤ】【枢密院】【型式零番】【始祖:吸血女王】【IIS:インサイティングインシデントシステム】【血統閣】【21グラムオーバー】【バーミリオン・ツヴァイ=ノスフェラトゥ】【眷属:吸血機関自動人形ヴァンプロイド】【不活性状態】【八百比丘尼】【血液通信:血盟勅令ブラッドドライブ】【グノーシス】【女王支配:マスターブラッド】【権限偽装:ダミードライブ】【ディオダティ断章計画】【万国大戦】【淡海御所】【吸血鬼争奪グレートゲーム】【三色盤上遊戯】【万国連盟パノプティコン条約機構軍情報監理特務部隊ヴォンデンベルグ】【吸血鬼封印】【御前会議】【レッド・アインス=ツェペシュ】【極東列島諸国連邦】【ヘラクレイオン協定】【日蝕恐慌】【国家延命計画】【一次計画承認】【天使教団鉄槌騎士団】【血税党】【寄付金還元疑惑】【企業連合】【巨額脱税疑惑】【ルージュ・アハト=セワード】【賄賂】【闇市商會】【密輸】【血液公社】【クリムゾン・ゼクス=ヘルシング】【血液需要増加問題】【必要悪】【ブラッドサッカー】【調停人】【パンドラ案件】【裏帳簿】【血判詔書】【エルピス文書】【二次計画否決】【有機材料工学研究所】【準備室】【三次計画未提示】【アナザーチルドレンの選別と出荷】【あだばな園事件】【ルビィ・ヌル=カーミラ】【レッドマーケット】【オルガノイド総研】【傀儡技研】【アンダースタディの双子】【助けて】【助ける】


【幸運】【約束】【独占】【復讐】


【※※※※※のために世界を書き換える】


 …………ブツン。

 永くも一瞬のように、脈絡のない情報量がわたしの脳を焼き切った。しばらく呼吸困難になり、まさに溺れた。鼻血が噴き出したが、父がすぐに止血処理をした。音は聞こえるのに言葉として理解できないように、輪郭の曖昧な虚像が頭の中にずっと残る。嘔吐感が思考を鈍らせる。自分の知らない言語を扱う国に、たった一人置き去りにされたような不安感。

「これは……、なんなの? 意味の分からない誰かの記憶が……」

「博士が持っていた情報の圧縮量だ。暗号化された記憶と言えるだろう。解凍すれば一気に処理が追い付かなくなる。少しずつでいいから、時間をかけて読み込んでいこう」

「……教えて。一体何が起こっているの?」

 ひたすら困惑しており、鉛が詰まったように重い頭を両手で支えるのに必死だった。

「僕の知っていることを話そう。その上で判断して、できれば協力してほしい」

 父は淡々と語り出す。伝えるべきことは、ずっと前から整理されていたかのように。


「僕は魚籠多博士の代理人を務めていた。そして彼女の研究成果は、この国を大きく変えていったんだ――」

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