【04-08】せめて【悪の敵】にはなれると思ったよ

【独白】


 無機質な室内で、時々点滅するやや薄暗い照明の中、父は灰色の床面を見つめながら言葉の粒を零していった。


「魚籠多博士が基礎理論から開発と運用まで手掛けた最高傑作である吸血機関とヴァンプロイド。一体この未知のテクノロジーは何で構成されているのか。その答えが【ミメーシス細胞】だ。特徴は二つ。一つ目は人間の血液を栄養源として吸収分解して、そこからエネルギーを取り出して増殖や分化をすること。もう一つは周辺のヒト細胞を学習し、その外観から機能に至るまでを完璧に模倣し擬態すること。後者が名前の由来でもある。ただし食料となる血液細胞や造血幹細胞には擬態できない。

 そう、この細胞群体生物は人間に寄生している。生物界では珍しい話じゃない。ミトコンドリアも腸内細菌も毛穴に潜む寄生虫も、人間とうまく共存共生しているんだ。ミメーシス細胞がいつから人間と同居を始めたかはまだわからないが、変動する地球環境の歴史の中でうまく生き残っている人間を宿主に選んだことだけは間違いない。不活性状態、活動が鈍ければ宿主に悪い影響はない。彼女らだって吸血のしすぎで自分の住処を食糧難にしたくない。むしろ死滅したヒト細胞の代用をすることもあり、健康に貢献しているのかもしれない。もちろん宿主たる人間が死亡すれば栄養供給が断たれて体内のミメーシス細胞も活動停止する。

 問題は活性化、暴走状態になったときだ。宿主の血液を吸い上げて、さらに別の人間からも血を奪おうと脳を支配し宿主操作をする。宿主を生かそうとするあまり、死滅したヒト細胞に成り代わりを続けて最終的には全てがミメーシス細胞と入れ替わってしまう。テセウスの船というべきかスワンプマンというべきか。……これこそが不死の怪物、吸血鬼伝説の正体だったというわけだ。

 さて、完璧に擬態する細胞を探し当てるだなんて砂糖の山から塩を一粒を手探りで探すようなものだが、博士は見つけたんだ。そしてそれを培養して数を増やして研究を続けた。現存する最後の吸血鬼:【型式零番】から抽出したミメーシス細胞を内核にして外殻の発電ユニットと組み合わせた【吸血機関】。ミメーシス細胞を人間の死体に取り込ませて、その身体情報を書き換えた【吸血機関自動人形】。そう、ヴァンプロイドに関してはヒト型吸血機関という呼び方が正しいのかもしれない。あれは吸血機関の内核そのものだからね。

 不活性と活性化が切り替わる条件は謎のままだが、博士は体内含有量約21グラムをオーバーすればヴァンプロイドに完全変態すると観測した。超小型吸血機関21グラムとは変身条件の呼称なんだ。つまり21グラム以下の天然のミメーシス細胞を持っているヴァンプロイド候補の一般人は、この世に存在するかもしれない。ただし確かめる術はない。もし活性化していれば、殺しても死なないという確証くらいだからね。古来から伝承されるアンデッドの元凶はそれかもしれない。ちなみに、空気感染や軽度の接触によるヒト同士での感染はないみたいだ。

 また、ミメーシス細胞には血液細胞やその他ヒト細胞などから情報を読み込むことも観測されている。ただエネルギーを取り出すだけの吸血機関内核の初期細胞とは違い、ヴァンプロイドの誘導分化された細胞は他者の血液から記憶や感情さえも理解するという高度な機能を有する。血液通信、もしくは血盟勅令【ブラッドドライブ】と呼ばれる現象だが、ヴァンプロイドはそうやって血液供給の【ドナー】に忠実になることで自身の生存戦略にしているのだろう。記憶というのは、脳だけが所持する特権じゃなかったんだ。

 博士のミメーシス細胞研究データと、それらを社会的に活用する予測理論書は【ディオダティ断章計画】としてまとめられた。と言っても公的な記録資料はなく、博士の口上にすぎない。博士そのものが断章計画の媒体となっていた。


 実用化されれば、計り知れない影響力を持つ技術だ。当然、エネルギー問題や労働人口に悩む国とっては喉から手が出るほど欲しいし、独占もしたい。当時はまだデータも少なく構想段階であり、博士の絵空事だと馬鹿にして相手にしない者もいたが、価値と将来性を見抜いた多くの学者が支持した。そして博士と材料たる吸血鬼を巡る奪い合いが続き戦場は拡大、三度の【万国大戦】に至ったたよ。もちろん表向きは産業革命からなる帝国主義の領土拡大が理由だ。しかし、結局のところ時の権力者の願望は不老不死に辿り着く。やがて成り立った国際機関である【万国連盟】はこの元凶を封印することにしたよ。中立的立場で侵略難易度の高い極東列島諸国連邦に裏ルートで型式零番、博士を移送した。吸血鬼管理委員会の委任を受けて【パノプティコン条約機構軍情報監理特務部隊ヴォンデンベルグ】が監視の任務に就く。戦後しばらくは安泰だったよ。しかし時代と共に各国の内情や関係性も、万国連盟の在り方も徐々に変わってくる。

 寝耳に水だった。突然のヴォンデンベルグ解体と抹消の指令。ヘラクレイオン協定による化石燃料の禁輸によって極東連邦の弱体化。三色盤上遊戯、吸血鬼争奪のグレートゲームが再開された。この国に勝ち目なんて、ほぼなかったよ。日蝕恐慌の悲惨な飢餓状態。どこでもいいから降伏して、早く楽になりたいと考えたこともあった。しかし、生き残ったヴォンデンベルグのメンバーは極東政府と手を組み、世界に対して反逆することにしたんだ。あの封印すべきディオダティ断章計画を使って。……結果は、君も知っての通りだ。この国は新しい平和を勝ち取ったよ。


 ――少し話は変わるが、僕のことを話そう。

 僕は医師免許を持ちつつ医療工学分野の研究にも関わっていた。洗練された高度なテーマを取り上げて優秀な発表を繰り返す京洛大学の有機材料工学研究所の魚籠多博士に憧れていてね。同じ大学だったけど接点は皆無で謎多き人物だったが、とにかく成果を出し続ければ近づけるんじゃないかと思っていた。当時の日蝕恐慌もあり、慈善団体のボランティア活動にも多く参加していたよ。奪う人より与える人であれば、人間の営みや性善説は守られると信じていた。

 ある日、先輩の知り合いの知り合いという方から後任の仕事を紹介されて、そして魚籠多博士と会うことになった。ヴォンデンベルグという組織に所属して博士と関係各位との仲介役をしろと。博士は世界から身柄を狙われる重要人物だと知らされた。とにかく会える人間はヴォンデンベルグの中でも数人のみらしく、何故僕が選ばれたのかも不思議でならなかった。

 博士はとにかく偉大な人だったよ。聡明で非の打ち所がない思考に、研究以外は全て切り捨ててる姿勢は天才そのものだった。自分が今まで煮詰めて考えてきたことがいかに視野が狭く稚拙だったかを思い知らされた。彼女は完璧だ。神だとさえ思った。崇拝の域だったよ。なにがなんでもディオダティ断章計画を完遂させてこの国を豊かにしようと思った。そのためだったら命も惜しくなかったよ。熱狂的な信者と呼ばれるかもしれないが、とにかく博士と共に行動したよ。たくさんの仕事をした。

 断章の一次計画である吸血機関の生産と血税法の発布による【吸血機関統治社会】は承認されて基盤となる【淡海島】の建造が着工された。しかし、次に開示された二次計画:【ヴァンプロイドの普及】は御前会議に否決されたんだ。ありえない話だったよ。多くの医療課題や少子高齢化による労働力不足の問題を解決する唯一の手立てだというのに。彼ら曰く、倫理観への懸念や血液需要の増加を言い訳として並べた。しかし、それは建前だ。結局は時の権力者の考えることは同じ、不老不死の技術を独占したいだけなんだ。それどころかミメーシス細胞についても徹底的な箝口令が敷かれて、国民に公表されることはなかった。自分たちを中心に利権が回らないと気が済まない。我儘で利己的な老人たちめ!

 【御前会議】、それは裏の政治活動だ。議会はあくまで民衆向けのパフォーマンスに過ぎない。この国はよく『指導者なき独裁政治』なんて言われたりする。国民を統率するのは『世間』だってね。じゃあ世間なんてものを演出しているのは誰か。集合的無意識じゃない。御前会議だ。国の最高意思決定機関である【枢密院】を軸に、血税党の大津総理、血液公社の米原総裁、淡海府の草津知事、自衛軍の彦根総監、企業連合の長浜総帥、天使教団の堅田総統、闇市商會の瀬田総長、その他表と裏社会の重鎮によって舵取りが行われているんだ。そして真のフィクサーは【調停人】と呼ばれるエージェント、そいつが全てのバランス取りをしているらしい。あらゆる政治的根回しを完璧に済ませて、国民の思想をコントロールしている。厄介な法案を通すために、全然関係のない人間のスキャンダルを工作して報道の注目を逸らすなんて序の口だ。

 博士は三次計画まで実行されて断章計画は完全に機能すると訴えたが、御前会議には聞く耳を持たなかった。僕も同調したけど、所詮は下っ端の遠吠えだ。ヴォンデンベルグもお役目御免と組織実態をなくし、博士も血液公社へと幽閉され、事故で死んだと発表された。どちらも用済みということだろう。僕も血液公社の監視下で医者として働くようになった。

 そして半端な形で進行し始めた計画は歪んだ結果を生み出す。【血液不足】だ。計画以上の吸血機関増産を御前会議は推し進めて、予測していた血液供給量よりも需要が上回ってしまった。血税法で採血意識が飛躍的に向上しても限界はあった。恐らく、博士は三次計画で【人工血液】を開示するつもりだったんじゃないかと僕は推測している。だが、もうその真否を知ることはできない。結局、御前会議は血液公社以外の違法な血液収集を暗黙の了解とすることにした。つまり、闇市商會の配下である暴力団や犯罪組織たちの悪行を認可するということだ。買収されやすい保安局はもちろん、容赦ナシと言われる血税局の捜査範囲も上層部によってコントロールされている。狼が全ての羊を食べ尽くさないのと同じ、まさかの政府が国民を餌に犯罪者を泳がしているという現状だ。なんと、【国】が【悪】を飼い慣らしている。必要悪って言うのかい?


 ――強き者が奪い、弱き者が奪われる。そんな支配体制を【平和】と呼び、それを守ることが【正義】だと言うのか? ……こんな話は、絶対に許されないっ!


 ……慈善事業をしてるときから思い知らされていたよ。弱者をいくら助けても報わないんだって。

 さらにこんなこともあった。困窮者に飯を与えても、それが当たり前になると文句を言いだした。住居を与えてもまた同じ。自立を促すと見殺しにするのかと怒鳴り散らされたよ。被害者だったらなんでも正当化されるのか? 感謝もされれば癒されるが、そんなフリーライダーたちに出くわすと自分のしていることは無意味なんじゃないかって心底疲れた気分になるんだ。本当の善人、与える人間ならそんなことすら思わず人助けを続けるだろう。

 ……でも、僕はそこまで強くなかった。そうだ、弱者とか強者とか関係なく、奪う人間と奪われる人間が存在してしまう。ディオダティ断章計画が本当のカタチで実行されれば、与える人間のための世界に書き換わる。僕は【正義の味方】にはなれなかったけど、せめて【悪の敵】にはなれると思ったよ。君を連れて、血液公社から逃げ出す算段をつけた。やれることをやろうと、深く決心したんだ。何がなんでも、奪う側の人間を徹底的に【排除】しようと。


 ――僕の最終目標は御前会議の強制解体、そして枢密院にディオダティ断章計画を全て承認させる。


 逃走先であるこの医院で闇医者の真似事をしながら地下関係者と接点を持ち、協力してくれる仲間を集めたんだ。アルマロス率いる新興犯罪組織のグリゴリにはヤクザたちの勢力図をかき乱してもらい、環境テロリストのガイア群体統一機構には企業連合に揺さぶりをかけてもらっている。もちろん、要人を処理して全てが解決するとは思っていない。組織なんてのはトップが変わったところで代わりがいくらでも用意されるからね。ただ、システムにほんのちょっとだけ隙ができればいいんだ。来る日、我ら【血盟団】は廻天血戦【ガンパウダーヴァレンタイン】を実行する。この国はヴァンプロイドの存在を認めざるを得なくなるんだ。


 ――そしてボタン、君こそがクーデターの切り札だ。やはり博士は保険として、ディオダティ断章計画を遺していたんだ」


 父は最後まで語り尽くすと、ようやく顔を上げてわたしの眼を覗き込んだ。父の瞳は曇りなく綺麗に澄んでいた。迷いなき暴力が、この国を襲うというのか――?

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