【04-06】暗闇の向こうへと消えていく

【それは惨たらしい肉弾戦だった】


 ヴァンプロイド同士が本気で殴りあったらどうなるか。人間の限界など無視した、想像を超えた肉の弾けあいだった。

 いきなりだが、クロスカウンターが決まった。

 両者とも下顎がえぐれて吹き飛ぶ。が、すぐに再生が始まる。

 二人とも距離を取るという発想がないのか、そのまま殴り続ける。

 一切の防御ナシ、攻撃あるのみ。

 まるで各々の拳骨が鉄塊であるかのように、重い破壊力を放っていた。

 スオウさんの右肩が削げる。

 アルマロスの左脇腹に風穴が突き抜ける。

 双方の拳が勢いのまま接触すると、エネルギーが相殺されるように手首同士が爆散する。

 それでも肉体は、急成長する植物のように元の姿へと復活するのだ。

 痛みを訴える器官もオーバーワークでショートしたのだろう。

 ただただ怪力を繰り出すだけのマシンたちが、互いの皮を剥ぎ、互いの肉をちぎり、互いの骨を断っていた。

 バケツに入ったペンキをぶちまけたように、血をまき散らす牙をむいた闘争本能の獣たち。

 血液切れを起こすまで、両者止まる気配はない。

 これは、野生動物が命を奪い合う原始的な光景だ。

 幾度となく、血肉が散らばり骨が砕ける音が耳に残る。

 とても残酷なのに、極めて美しかった。

 生命の躍動が生み出す芸術だった。


 ――魅入ってる場合ではない。わたしたちはアイツから逃げるのが目的だ。

「あの、虎姫さんの回収は」

「お前が非常階段まで着いたら俺が向かう。……今だ、行くぞ!」

 暴力の台風たちと絶妙な距離が生まれた瞬間、エンジさんはわたしの背中を掴んで走り出した。

 わたしも置いてかれないように、必死で足を動かす。

 アルマロスと間隔を取るために最短距離のルートは選択できず、屋上の淵ギリギリを進んだ。

 自分の鼓動がうるさくて、他の雑音が何も聞こえなかった。

 転びそうになりながら、ひたすら前に進んだ。

 一秒が長く、心拍数が極限まで細かく刻まれる。

 非常階段が近づいてきた。

 大丈夫、あと少し……!

「煙草の礼に、アドバイスだ。ヴァンプロイドを手際良く破壊するにはなあ……」

 急に、アルマロスの声がはっきりと轟いた。

 ねっとりと、耳の奥から消えないような粘り気のある声が。

 何故だ?

 視覚が遅れて状況を認識する。

 アイツはサイドステップで音もなく、エンジさんの真横まで急接近していた。

 スオウさんは反応が遅れたのか、半歩遅れてダッシュしている。


「――まずはドナーを殺すことだ」


 アルマロスは加速したまま、振りかぶった鉄槌てっつい打ちの拳をエンジさんに叩き込む。

 エンジさんは手元のナックルウーファーで受け止めるも、馬鹿げた怪力は銃をそのまま空高く跳ね上げる。

 アルマロスは回転力を殺さぬまま、後ろ蹴りを繰り出してきた。

 エンジさんは反射的に左腕で受け止めるも、アルマロスの砲弾の如く破壊力をもつ靴底は、エンジさんの左尺骨を砕きながら腹部へとめり込んでいく。

 ダメージを受けきったら内臓が破裂して死ぬ、吐血しながらエンジさんは訓練の習慣で脱力呼吸をしてしまう。

 ――それが仇となった。踏ん張りの利かない身体は、屋上外へと飛び出してしまった。

「クソがあっ!」

 エンジさんとスオウさん、二人一緒に叫んだ気がする。

 スオウさんは衣服が破けて、皮膚も剥がれて赤い筋肉が痛々しく露出していた。

 もう再生能力もあまり残っていないだろう。

 それでも、最後の気力を振り絞って、エンジさんへと手を伸ばす。

 エンジさんは声にならない声で何かを口走っていた。

 たぶん、わたしを守れとかアルマロスを殺せとか、そういう類だろう。

 しかし、ヴァンプロイドは命令よりもドナーの保護を優先してしまう。

 ここは四階建てビルの屋上、つまり五階相当の高さ。

 そこから落下して助かる人間は、奇跡でも起こらない限りいない。

 奇跡のように、落下地点にクッションのようなものがなければ。

 ……スオウさんはそうなる覚悟だ。

 二人の姿が、スローモーションのようにゆっくりと落ちて、消えていった。

 何もない空白をただ眺めているしかなかった。

 間を置いて、中身の詰まったゴミ袋を落としたような、鈍い落下音が地上から聞こえた。

 二人がどうなったかは、怖くて確認できなかった。


 わたしがいるから、エンジさんは存分に戦闘ができなかった。スオウさんも、ナデシコも、シノノメさんも、そして虎姫さんも。……わたしのせいだ。先ほどまでアルマロスに向けていた憎悪は、すっかりわたしを幻滅させていた。結局、何もできなかったじゃないか。


「……煙草がないと、さすがにしんどいな」

 アルマロスもいつもの黒コートが何か所も裂けて、身体の各所には大小様々な傷が残ったまま疲労感を漂わせていた。スオウさんはこの男に健闘したのだ。それでも、倒せなかった。


 せめて、この悪魔から逃げないと、これまでの行為が無駄になる。なのに、わたしは動けなかった。もう一度頭部へ攻撃を仕掛けてみるか、今度こそ目か口を狙って。いや、同じ手は二度と喰わないだろうし、何をしても対応される気がした。……結局、最初から何をしようと無駄だったのだ。溜息も出ない。


 やはり、運命というのは変えられないのか。わたし自身がどう足掻こうと、結末は変わらないのではないか。血税局の起動官になるという希望は打ち砕かれる。また幽閉されて、血を抜かれる日々へ逆戻りだ――。


【絶望】


「――サプライズするのは好きなんだけど、されるのは大嫌いなの」


 突如、驚くほど澄んだ声が、凪いだ水面を波立たせるように、失意という静寂の中に落とされた。

 同時に、紫電一閃の太刀筋が、悪魔の首を横一文字に斬り抜けた。


【斬首】


 

 首から下は前のめりに倒れこむ。

 転がった頭部は、切断箇所を地面に押し当てるようにして踏みつけられた。

 ――いったい何が起こったのだ?

 その背後から現れたのは、アルマロスの黒い刀剣を持つ虎姫シンク統括官だった。胸から下を鮮血に染め上げている以外に異変はないかのように、勇ましく立ち続けている。

「……虎姫、さん? どうして?」

「急所は外れてたから、なんとか命は繋いだ。とはいえ、刺されたままだったら動けなかったからね。助かったよ。ありがと」

 気が付けば、ビルの周りが騒がしかった。緊急車両のサイレンや、号令を飛ばす野太い声、雑踏。応援要請した起動一課やサキモリの車両が到着した気配だろう。続々と階段を駆け上ってくる足音がする。


『勝機はある。そのためには時間と人数が必要なんだ』


 エンジさんの言ったとおりだ。我々の力があれば、策を練れば、今度こそ悪魔を討伐できる。

「それにしても、コレ。蕨手刀わらびてとう型ナックルツイーターとでも言うべきかな。たぶん工業用の高周波ブレードを手持ちできるようにしたんだろうね。自衛軍のレンジャー部隊がダガータイプを採用予定らしいけど、コレはコンセプトモデルでも盗んだのか。なんにせよ、ウチの防弾防刃スーツがこうもあっさりとはね。開発競争のいたちごっこだよ」

 流暢に喋っているが、虎姫さんの傷口や鼻と口からも流血は溢れ続けていた。

「虎姫さん! 出血がやばいですって」

「そうね、とりあえず仲間の救助を急ぎましょうか」

 虎姫さんは持っていた蕨手刀を逆手に持ち替えると、足元のアルマロスの頭部へ地面ごと串刺しにした。とりあえずの封印措置なのだろう。

 わたしは虎姫さんに肩を貸そうと歩み寄ろうとした。そのときだった。


「……ヴァンプロイドはなあ、


 わたしと虎姫さんをの間を阻むように、黒い巨体が立ち上がる。

 首を落とされたはずのアルマロスが、陽炎のように揺らめいていた。

 デュラハンという首無しの怪物が存在したら、きっとこんな感じなのだろうか。

 首の切断面から頭蓋骨が、筋肉が、皮膚が、そして煩わしい黒い長髪が蘇る。

「元気百倍だ」

「嘘、残機1ってところね」

「ご明察、そしてお前もな」

 アルマロスの串刺しにされていたほうの頭部は、いつの間にかアイスクリームのようにドロドロと液状化していた。ヴァンプロイドは肉体を切断されたとき、接合可能な距離であれば繋がって復元するが、離れすぎていると新たに代替の部位を生やして本体以外は選択消滅アポトーシスするようだ。


 アルマロスは蕨手刀の柄頭に右手をかけていた。しかし引き抜きはせず、杖のように身体を支えていた。

「まだやる気?」

 虎姫さんも自前のナックルスコーカーを構える。撃つのが先か、斬るのが先か。

「ここまで長引くとは予想外だ。お前を殺しても、残りの雑魚狩りがある。蟻も、その数で象を倒すことがあるらしい。……さて、賭けをしてみないか?」

「賭け?」

 男は懐からライターのような小さな器具を左手で取り出した。上部のスイッチであろう箇所に親指をかけている。

「このボロいビルの躯体くたいに爆薬をいくつも仕掛けてある。同時点火であっという間に倒壊だ。生き残るのは、オレか、お前か」

「そんなハッタリで逃げようって? 悪魔も吸血鬼が怖いのね」

「……脅しだと思うか? 本当にやるぜ」

「……やれよ」


 わたしから見える、アルマロスの背中越し、虎姫さんは邪悪な笑みを浮かべていた。

 そして、わたしのほうに視線を移すと、唇だけを動かした。

 声にならない言葉を理解したとき、戦慄して背中から寒気がした。

 ――まさか、ここまでも、これからも、だというのか?


 ガチンと、起爆装置にアルマロスの指が押し込まれた。


【崩壊】


 腹を殴られたような鈍い衝撃。

 ビルのあちこちのフロアで爆発音が炸裂すると、轟音と共に建物は地面へと吸い込まれていく。

 屋上の床面にも亀裂が入り、火炎と煙が舞い上がる。

「虎姫さん!」

 駆け出して手を伸ばそうとしたが、届かなかった。

 踏み込んだ足は崩れ始めた床面を蹴り、わたしの身体は瓦礫と共に重力に引っ張られる。

 熱風が全身を覆い、呼吸ができなくなった。

 虎姫さんもアルマロスの姿も、暗闇の向こうへと消えていく。


 ――まるで、地獄の景色じゃないか!


 視界と共に意識もブラックアウトした。

 落下する感覚もないまま、わたしの掠れた悲鳴だけが脳裏にこだまし続けた――。


【※※※※※※※※※※】

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