【04-05】ブラッドドライブ:全てを懸けろ

【悪魔は勝ち誇るかのように、その両手を高く掲げた】


 右手には沈黙するナデシコ。左手には窒息寸前のわたしが藻掻もがいている。

「首から下が動かなくなるのは面白い体験だった。小手先調べのつもりで遊んでみたが、まさかここまで追いつめられるとはな。志賀ボタン、お前こそ悪魔になるべきだ」

 ナデシコの背中から突き出す、アルマロスの右手の甲に刻まれた翼の文様が、血と肉片にまみれていた。

「……殺す!」

「さて、遊びはお終いだ。オレはお前を連れて行く」

 もう手足の末端が痺れて抵抗する力も失ってきた。わたしは薄れていく意識の中で、何ができるか必死に計算する。

 ――なにもなかった。

 わたし一人じゃ成す術がなかった。

 わたし一人なら……。


【衝撃】


 突如、アルマロスの左手が不可視のエネルギーに弾かれたように跳ね上がる。

 緩んだ握力から解放されたわたしは地面に落ちた。

 不足した酸素を取り戻すように、大きく息を吸い込む。

 パニックにならないように落ち着いて胸を膨らませた。


 アルマロスの視線の先は、隣のビルの屋上だった。給水塔の物陰から少しだけ銃先を覗かせいるDSR-1式狙撃銃型ナックルウーファーを構えたままのシノノメさんがギリギリで視認できた。すぐ隣には観測手スポッターをするアサヒさんも。素人目線だが、これだけの距離で、しかも動いている標的を正確に射抜くとは凄腕の狙撃技術だ。もしかしたら遠距離射撃に関してはエンジさんやスオウさんよりもシノノメさんのほうが上かもしれない。


 しかし狙撃は奇襲の一発目でほとんどの勝負が決まる。残念ながらヒットしたのは左腕であるため、アルマロス自体の機動力は停止できていない。

 ――反撃される。男は銃など飛び道具らしきものは今まで使用せず、虎姫さんを刺殺した刀剣も今は手放したままだ。それでも油断はならない。何をしでかすかわからないということが、この悪魔の一番恐ろしいところだ。


 ――強烈な獣の臭いがした。

 危険なフェロモンのようなものが分泌されている。

 今まではただの戯れだったのだ。

 アルマロスの中で別のスイッチが入ったのだろう。

 獲物を狩る動物の目つきだった。


 アルマロスは掲げたままの右手を大きく振り下ろした。

 拳がズルリとナデシコから抜ける。

 ほんの一瞬だけ空中を漂う彼女。

 さらに男は一歩踏み込んで、回転を加えた右ストレートを撃ち込んだ。

 爆薬でも仕込んでいたのかと見間違うくらいに、まるで弾丸のようにナデシコの身体は吹き飛ぶ。

 空気の壁を切り裂くようにぶち破っていく。

 直線状、シノノメさんがいる位置まで着弾、そして衝突。

 土煙が舞い上がり、瓦礫の破片が飛散する。

 向こうの状況はわからないが、ナデシコもシノノメさんも無事じゃないのは確かだ。

 ……ありえない、無茶苦茶な怪力技を見せつけられた。


「殺し屋よりもサーカスのほうが似合うんじゃねーかー?」

 強張った空気が破られた。声がすると同時に、スオウさんが屋上出入口からウーファーを連射しながら走りこんできたのだ。アルマロスは距離を取りながら体勢を整え直す。同じタイミングで、わたしのそばにエンジさんが駆け寄ってきた。

「永原、大丈夫か? こっちへの援護はもういい。車で待機、緊急要請した起動一課とサキモリを誘導してくれ。志賀、遅くなってすまない。作戦は中止だ。逃げるぞ」

「逃げる? 虎姫さんもナデシコも滅茶苦茶にしたアイツは、殺さなきゃ!」

「落ち着け! ヤツの目的がお前の誘拐なら、その阻止が最優先だ。理由はわからないが、それがヤツにとって不利益なる。それにあの男は半年前にマルヴァを襲撃してきた。前任のヴァンプロイド型式三番と四番は破壊され、そのドナーは二人とも殺された。虎姫さんも両腕を切断され、ナデシコも半壊だったらしい。それでヤツに与えられたダメージは左腕と左目のみ。そして、まだその時点でアルマロスはただの人間だった。……わかるか? 絶望的なくらい今のアイツは強い。俺たちは、圧倒的準備不足を認めざるを得ない」

 そう語るエンジさんの表情には怒りと悔しさが滲んでいた。プライドの高いこの人が、犯罪者を目の前にして逃げるしかないと諦めている。わたしも怒り沸騰していたというのに、同じ感情の人間を横にすると急に熱が冷めてきた。息を整えながら、今すべきことを考える。

「再生するヴァンプロイドにも弱点はある。勝機はある。そのためには時間と人数が必要なんだ。とにかくお前を逃がせれば、ひとまずゲームは終了だ。立って走れるか?」

「……はい、なんとか。走れなくなったときは、死ぬときですから」

「これまでの訓練は無駄じゃない。いいか? スオウの足止めも長くは持たない。戻って屋内通路をちまちま移動してれば、すぐに追いつかれる。あの向こうにある非常階段で一気に駆け下りるぞ」

 わたしは頷く。非常階段までは少し距離があった。普通に走るだけではアルマロスに捕獲される。タイミングが重要だ。


 スオウさんは銃撃でアルマロスを牽制し続けている。

 アルマロスは小走りにそれを躱していたが、急にターンを決めると一気に加速してスオウさんまで距離を詰めた。

 リーチのある後ろ回し蹴りがスオウさんの側面に叩き込まれる。

 吹き飛ばされるまま屋上から落ちそうになるのスオウさんを、エンジさんが飛び込んで抱き留め、ギリギリで踏みとどまった。

 わたしも咄嗟に駆け寄る。


 アルマロスは軽い疲れを癒すかのように、懐から電子煙草を取り出す。思い切り吸って、奇妙な赤い煙を長い時間かけて吐き出した。スオウさんは半身を起こしながら男を睨む。

「洒落たもん吸ってんじゃねーかー。初めて見るヤクだぜ」

「ヤクではない、血液リキッドだ。血を飲むよりも吸収が早い。ヴァンプロイドにはオススメだ。買うか?」

「いくら?」

「志賀ボタンと交換だ。もしくは百億万ドロップ」

「ほざけ。ドナーも連れてこれないクソぼっちのチンコもぎもぎ野郎。オレのタマをその黒いだんびらでちょん切ってみろよ」

「素手で抜いてやるのがオレの礼儀だ。気持ちよくしてやろう」

「ステゴロ上等だオラアッ! お前のケツ穴、フィストファックでガバガバにしてやるよ!」

 最低な罵りあいを遮るように、エンジさんは自分の手首でスオウさんの口を塞いだ。

「むぐう」

「ブラッドドライブ:無血制圧の制限解除。ブラッドドライブ:禁則事項の殺傷行為を限定解除。ブラッドドライブ:供血の無制限許可。ブラッドドライブ……、全てを懸けろ」

 インターバルが終わると第二ラウンド開始だった。吸血を終えたスオウさんは銃を持たずに立ち上がる。目は血走り、筋肉は隆々と脈打っている。肌から湯気が立ち昇るほど、熱気が溢れていた。こちらも狩りをする獣だ。ジークンドーの構えに一切の隙はない。反面アルマロスは、余裕そうに煙草を吹かしていた。

 ビュン、と風を切る音。

 瞬間的に間合いを詰めたスオウさんの拳が、アルマロスの横顔を掠めた。

 躱されたのか、狙い通りなのか。

 スオウさんの手中には、いつの間にか赤い煙を昇らせる煙草が握り潰されていた。

「長生きしたいなら禁煙しろよ、オッサン」

「よし、健康的な運動をしよう。ヴァンプロイドらしくな」


 そして、存在しないゴングが鳴った。

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