【03-12】血税局血液取締部は白血球の役目
【わたしたちのすぐ近くで、血液が強奪されようとしていた】
――バチンと頬を叩かれたような衝撃があった。まさか血液強盗とは、タイミングが良いのか悪いのか。
『通報はまだないけどIISが
「手遅れ?」
『東区の総合病院の緊急手術で輸血要請が来てる。他のところからじゃ間に合わないからすぐにでもそこから運び出したい。マジで命に関わるよ』
「了解した。引き続き情報をくれ」
無線を切るとエンジさんはわたしたちを見回した。
「車で行くと勘付かれる。このまま走って向かうぞ。正面は俺とスオウ、裏口は志賀とナデシコで。人命優先だ。犯人も殺すなよ」
「おうよ」
「あいあいさー」
スオウさんもナデシコも順応していた。
「ちょっと待ってください! わたし、こんな現場初めてですよ」
「訓練はしてきた。やるべきことはわかるだろ?」
ぐうの音も出ない。ここで仕事できなきゃ実技試験だって合格できないんだ。短く息を吐いて、現場へと走り出した。
「おい! お前ら逃げるのかよ」
そういえばこのヤクザのことを忘れていた。今はそれどころではないのだ。
「すぐにお前らの家に遊びに行ってやるから待ってろよ」
エンジさんは拳を握って親指を下に向けて突き下ろした。
まだ現場封鎖もされていないので外見上の血液センターは通常と変わらない雰囲気だった。しかしガラス越しに見える屋内の風景は、職員利用者全員が緊張して動けなくなっているという異常な事態だった。犯人たちは目だけを出した覆面に地味な作業服という恰好だ。手元には銃かナイフか、わかりやすい恐怖をチラつかせてその場にいる者を従わせている。受付の職員が、犯人たちが用意した大型の保冷バッグに血液パックを詰め込んでいるところだった。強盗なら血液よりも金を求めそうだが、ドロップは利用者のブラッドパスカードに電子決済で振り込まれるよう原則として定められているので、センターに現金の蓄えはほとんどないのだ。
「犯行グループは作業にも不慣れでチームの連帯感もなさそうだな。しかし素人ほど逆上して何をしでかすかわからない。スピード勝負だ。ブツが収まったバッグを持って外に出てきた瞬間に確保するぞ」
二手に別れて待機態勢になる。ほぼほぼの確率で犯人たちは表のワゴンに戻ってくるだろう。しかし異変に気付いて裏へ回る可能性もあるため、わたしたちはそちらに配備される。裏手には窓がないため、もう中の様子はわからないが、とにかく裏口の関係者用ドアから犯人が飛び出して来たらとっ捕まえるだけだ。人質もいなければ暴力マシーンのナデシコにでも任せられる。
緊張のあまりゴクリと唾を飲み込むと、C無線からエンジさんの一声が飛び込んできた。
『来た。制圧する』
【突撃】
その後のことはスイッチロックされたエンジさんのC無線から届く音声のみでしか状況を把握できないが、足音と打撃音と短い悲鳴が四連続聞こえてきて、瞬く間に静寂が支配した。
『制圧完了した』
職人技である。文字にすれば百文字にも満たない、武装した相手にこれだけ時間をかけないのは見事としか言いようがない。性格は気に喰わなくても仕事ぶりだけは信頼できる二人だった。とにかく、これで一安心だ。
『……待て。血液を詰めたバッグがない。志賀はそこから動くな。裏から誰も外へ出すな』
――その瞬間、裏口からあの管理課長がバッグを持って飛び出してきた。わたしは反射的に立ち塞がる。
「待ってください! け、血税局です。あなたには血液の不正横領の容疑がかけられています」
焦って少しだけセリフを噛んだ。正直言うとまだ完全に裏を取れたわけじゃないので逮捕令状も何もないが、このまま行かせるわけにはいかなかった。
たった今思いついた、わたしの中だけの推測であるが、恐らくこのおっさんはトランクケースに収まらない血液量を強盗にカモフラージュさせて運ばせようとしたんじゃないだろうか。強盗を雇ったのはヤクザのほうかもしれないが、とにかく自身からボロが出ないように全部仕込みだ。しかし強盗が乗ってきたワゴン車でノコノコ帰ったのではレッドアイでさっさと捕捉されるのがオチなのは明らか。恐らくワゴン車はわざと印象に残し囮に、どこかで車を乗り換えるか、別動隊に血液を受け渡すか。特に今日は運悪くデモの影響で大規模渋滞だ。フットワークの軽いバイクの運び屋を手配しているかもしれない。が、さらに運悪く表の強盗たちはたまたま居合わせた血税局に捕まってしまった。このままでは取引失敗だ。焦った課長はリスクを承知で奪われるはずの血液を持ってとりあえず裏口から出てきた。プランBとして、トラブルがあったときはこちら側で別動隊に受け渡すのかもしれない。
案の定、待ち合わせたようなタイミングで一台のバイクに乗ったフルフェイスヘルメットの男がここまで近づいてきた。エンジンをかけたまま、いつでも発進できるようだ。中型程度のバイクなら渋滞でも車の間を抜けていける。ナデシコがそちらを警戒して間に挟まるように立ち位置を移動する。
「そのバッグの中身は先ほど強盗に脅されて渡すはずだった血液ですよね? どこへ持っていくつもりですか?」
管理課長はバッグの紐を握りしめて腹の痛そうな顔をしている。滲み出る汗。こっちも同じ気持ちだ。早くこんな状況終わらせたい。頼むから襲い掛かってこないでくれ。
「これは……」
沈黙にも耐えきれず、苦しそうに口を開いた。さあ、諦めて大人しく自首してください。
「い、急いで東区の総合病院に運ばなきゃいけないんですよ! 緊急手術で輸血要請があって。そこのバイクの彼はうちの職員です」
――確かに、その情報は真実だ。しかし、今まで散々血液を不正に流してきた人間が今更改心したわけがない。バイクの男だって犯行グループの一人だろう。頭ではわかっている。……なのにわたしは迷っていた。
「早くしないと手術に間に合わなくなります!」
それはわたしだってわかっている! もし彼らが本当に職務を全うして血液を運ぼうというのなら、それを邪魔していい理由などない。すぐに行かせてあげるべきだ。
「人命が懸かっているんですよ! どいてください!」
管理課長が不正をしたのはまだ密告者からの情報でしか得られていない。ヤクザとの取引もまだ未確証だ。クロかシロかはまだはっきりしていない。わたしは自分のしていることに自信がなくなってきた。もしこのまま立ち塞がっていたら、助かるべき命が助からなくなるのでは? 悩んでいる暇などないというのに……。
「――おねえちゃん」
そのとき、ナデシコはわたしのそばに寄って、優しく手を握ってくれた。
「ボクはおねえちゃんが何を選んだとしても、絶対におねえちゃんの味方だよ」
その言葉が、わたしの緊張を和らげた。汗が引いていく。彼女の曇りなき瞳が真っすぐにわたしを射抜いて、この心を奮い立たせた。
常に正しい選択などできないかもしれない。でもせめて、選んだことに後悔はしたくない。選んだ自分に自信を持っていたい。今、わたしは血税局の一員として働いているのだ。その職務を果たすまで。
【覚悟】
「……ありがと。ブラッドドライブ:バイクの男を拘束して」
「おっしゃあ! ぶっころー!」
ナデシコはすぐさま駆け出した。バイクの男は危機を察知して、すぐにターンして走り出す。しかしギアが高速に切り替わるよりも前にナデシコは追いつき、搭乗者を蹴落とした。バイクは転倒し、運転手も横転する。ヘルメットが勢いで外れると、その下は覆面であった。ナデシコは馬乗りになり、男の手首を背面に回して捻り上げた。
「くっそが、どけよ! ヘマするとヤクザに殺されるんだよお!」
管理課長は
結局わたしは低姿勢のまま振り回されるバッグを捌き続けると、その重さに腕を引っ張られて管理課長はバランスを大きく崩して傾倒した。受け身も取れぬまま、頭から地面に激突して気を失ったようだ。
『エンジさん、志賀です。裏口から出てきた管理課長とバイクに乗ってきた犯人の一人を制圧しました。バッグもあります。今からそちらに向かいます』
C無線で現状報告すると、わたしはバッグを担ぎ、おっさんを引きずって裏口から入室した。ナデシコもバイクの男を連れて伴う。
「血液は、我々が責任持って運びますから!」
本心から出た言葉だった。わたしは暴力がしたいんじゃない。誰かを救いたかった。
まだ焦燥感残る待合室ではエンジさんと職員が話し合って利用者を誘導しており、スオウさんが三人の犯人たちを拘束していた。
「裏口で捕まえた管理課長ともう一人の犯人です」
受け渡すと、スオウさんは二人にも拘束具をはめた。
「お手柄じゃんか~。やっぱりこいつらグルだぜ。血液強盗はこいつらの計画じゃない。こいつらは【ダズ】だったよ」
「ダズ?」
「犯罪請負派遣業者って闇バイトだよ。借金まみれの奴とか限界ドロッパーとかが、ヤクザに臓器を売り飛ばされる前に提示されるハローワークだ。今回の仕事は指定された時間に血液を強奪して目的地に持っていけば金がもらえる。それだけだと、こいつら揃って口を割ったよ。雇われなら責任感も仲間意識もないから吐かせるのは楽でいいぜ。依頼者の素性は知らされてないが、このおっさんか帰帆組が雇ったんだろ?」
「私は何も知らない! ただの被害者だ」
いつの間にか意識を取り戻した管理課長はまだ
「まーいいや。そこらへんはこれからじっくり調べるからよ」
スオウさんは犯人の覆面を剥ぎ取ると、それで管理課長の頭頂部をベシベシ叩いた。頭髪の薄い箇所がみるみる赤くなっていく。
「おい、課長のデスクの下にあったぞ。ナデシコ、間違いないな?」
エンジさんが例のケースを持って戻ってきた。
「それそれ!」
ナデシコが肯定すると、その中身を確認する。見事に束ねられたドロップ札が綺麗に敷き詰められていた。
「うっひょ~! これ倍にして返すからよお、ちょっとだけ貸せよお」
手を伸ばすスオウさんをエンジさんが制止する。
「管理課長、この現金については血税局としてきっちり調べさせてもらいます。あなたの家宅から疑いのある取引先まで。捜査にご協力、お願いしますよ」
管理課長はついに観念したのか、そのまま黙って俯いた。
「さて、応援が来るまでこいつらと待ちぼうけだな。この渋滞だ、到着までけっこうかかるだろう」
エンジさんがため息をつく。屋内は禁煙なので、余計に苛立っているようだ。
「あの! 血液は?」
わたしの声は思わず大きくなってしまった。
「は?」
「病院で緊急手術、届けなきゃいけないことには変わりありませんよね? 他のセンターからじゃ間に合わないって」
「それはそうだが、俺たちの仕事じゃないぞ」
「何言ってるんですか? 人命優先って言ったじゃないですか」
「この現場はどうする? 犯人たちを置いていくのか」
「エンジさんかスオウさんのどちらかが見張りをして、どちらかが車を運転すればいい」
「ドナーとヴァンプロイドが離れて単独行動することは禁止されている。それにこの渋滞の中、車を動かしたところで無意味だ」
「だったら、わたしとナデシコが裏にあるバイクを使っていきます! 渋滞でもバイクならすり抜けられます」
「無免許運転、それに足も届かないだろ」
「じゃあ走ります!」
「アホか。そもそも研修生の単独行動も禁止だ」
「……え、え、え、エンジさんの頭でっかち! 反対だ禁止だ無意味だって、表でデモしてる人たちと変わりないじゃないですか! わたしたちは目の前の問題を解決しないといけないんですよ!」
何が面白いのかスオウさんは爆笑しだしたが、エンジさんは表情を変えないままだった。
「いったいお前は何をムキになっているんだ」
「……わたしもかつては、常に輸血をしないとすぐに死んでしまうような身体でした。誰かの献血がなければ今ここにいません。奪ってばかりだったわたしが、この仕事で初めて恩返しできるんです。だから、行かせてください!」
「事情はわかったが、規則は規則だ。大人しくしてろ」
わからずや! もうわたしに迷いはなかった。血液の入ったバッグを担ぎ直す。血税局は実力主義で結果が全てだと、虎姫さんも言っていた。規則ばかり気にして何も成せないのでは意味がない。行動で示すべきだ。
「ナデシコ、行くよ」
「うい」
「――動くな」
エンジさんは冷静に、あの妙な拳銃を構えていた。
「お前たちは俺の監視下でしか行動を許されないし、違反行為の兆候がある場合はいつでも制圧することを許可されている。自分たちが何のために試験合格を目指しているのか忘れたのか?」
「そうやって『奪う』ことばかりで、最後に誰が幸せになるっていうんですか? ナデシコ、十秒でいいからわたしを走らせて」
「手段は?」
「問わない」
「一応仲間だけど?」
「ナデシコは誰の味方なの?」
するとナデシコは、最高にキュートで最悪なスマイルを見せた。
「ふっふ~ん。あいしてるぜ。ご褒美ははずんでね」
ナデシコは舌なめずりをして戦闘態勢へと構えた。こりゃ後でめっちゃ血を吸われるな。
「おいおい、一応ドナーの身に危険があるなら、オレはそれを排除しなくちゃならないんだぜ」
スオウさんが口元は笑ったまま、目つきだけ鋭くこちらに寄ってきた。そりゃそうだよな、劣勢である。でも、やらなくちゃいけないんだ。わたしはもう覚悟が決まっている。足に力を込めて、駆け出そうとした――。
【爆音】
「なになになになに! ええ?」
バババババッという連続した打撃音のようなものが空気を振動させ鼓膜を殴り腹を震わせた。まさか、まだ敵がいるのか?
しかし、待合室から見えるガラスの外側、センター前の道路を挟んである広場に一台のヘリコプターが着陸するのが見えた。プロペラが巻き起こす強烈な旋風は周囲を暴力的に揺さぶっている。機体には見慣れた聖杯マーク、血液公社所属であることを示していた。そこから一人の隊員が降り立ち、こちらに向かって一目散に駆けてくる。
「血液公社緊急移送部隊です! 血液の受け取りに参りました」
「お待ちしてました。ほら、志賀、渡せ」
「ええ? あ、はい!」
言われるがまま、バッグを渡すと隊員は短く敬礼した後に颯爽と立ち去り、ヘリもすぐに離陸してあっという間に見えなくなった。突然の出来事に、呆気にとられたまま茫然と立ち尽くす。風が止むと、エンジさんは煙草を咥えて火をつけた。
「……何を勘違いしてたか知らないがな、例えるなら血液公社は赤血球の役目を担い、血税局血液取締部は白血球の役目といったところか。それぞれの仕事にプライド持ってやってるんだよ。そこに変な干渉はしない」
「ヘリが来るって知ってたんですか?」
「知ってるも何も、手配したのは俺だ」
「……いつも言葉が足りないんですよ」
「思い込みと先走りは子供の特権だな」
エンジさんは副流煙をわたしに吹き付けてきた。セクハラでパワハラだ!
「この世界はこんなブラッドサッカーみたいなクズで『奪う』ことばかりの利己的な連中がいる。でもな、その先に待ってる破滅を防ごうと働く利他的な大人だって確かにいるんだ。そういう人間の存在を、もう少し信じてくれてもいいんじゃないか」
「いったい何が言いたいんですか?」
「お前は一人じゃないってこと」
そのとき、ちょっとだけ、本当にちょっとだけだけど、エンジさんが格好良く見えた。
「……エンジさん」
「なんだよ」
「屋内禁煙ですよ」
でも、ゲロを吐かされてきた憎しみが消えたわけじゃない。仕返しできるとこはするのだ。
「ほんっとに、かわいくねえなあ」
エンジさんはまた苦々しい顔をして煙草を揉み消す。
「規則ですよ、きーそーくー」
軽口を叩いていると、センターの職員が一人近づいてきて頭を下げた。
「あの、助かりました。本当にありがとうございました!」
「俺たちは誰かの通報でたまたま現場の近くにいただけです。感謝するなら、勇気を持って横領について密告してくれた方に、ですよ」
すると、その職員は唇を噛みしめて泣きそうな表情をした。
「あ! まさか、バレたのはお前が――」
管理課長が何かに気付いて怒号を上げようとしたが、すぐにスオウさんが覆面を口に突っ込んで喋れなくした。
「――本当に、ありがとうございました」
もう一度、深々と頭を下げられた。血液と税金を徴収して回る、悪人から恨まれてばかりの仕事で、こうやって感謝されることなど数少ないだろう。胸の奥から、こみ上げてくる高揚感があった。労働って、そんなにクソじゃないのかもね。
「ねえねえ、おねえちゃん」
ナデシコがわたしの袖を引っ張ってくる。
「なあに?」
「ご褒美の血液なんですけど、たっぷり吸わせてくれるって」
「何言ってんの? 何もなかったからノーカンでしょ」
「ええええええ? そんなあ!」
「あ、じゃあこっそり現金ケースをパクろうとしてるスオウさん捕まえてよ」
「ああ!」
スオウさんとナデシコは同時に叫んだ。結局、起動一課と保安局が来るまでヴァンプロイド同士の本気の鬼ごっこは続いたのだ。
――それと後日談、病院に輸血は無事に届き手術も成功したそうだ。
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