【03-13】長い長い溜息

【しかし事件は、解決後のほうが忙しいのだった】


『すぐに戻ってきて!』

 アサヒさんからの悲痛のような連絡に危機を感じ、その後の現場は応援に来た起動一課に引き継いでわたしたちは本部へと戻った。デモは終了しており、あの大渋滞も解消されてスムーズに帰ってくることができた。

「帰ってきてさっそくなんだけど、大量の事務仕事がありまーす」

 アサヒさんは空元気に振舞っているようだ。

「どういうことだ? 今日の報告書なら俺一人で間に合うぞ」

「虎姫さんから連絡があって、明日朝一で戻るからそのまま帰帆組の制圧調査の立件検討会をするって。決まれば明後日、もうガサに行く気らしい」

「立件検討会?」

 聞き慣れない単語だった。

「血液犯罪や巨額悪質な脱税案件に対して超強行的な手段をする制圧調査、通常は立件検討会っていう上層部の会議を通して裁判所や警保局、局内部署から関係省庁の承諾を得て行うものなの」

「でもウチって現場判断で緊急事態ばかりですよね?」

「まあね。二次被害防止のための緊急措置として、ちょっと横暴なことも府知事から勅許されてるから超法規的な権限があるわけなんだけど、まあー周囲は現行犯逮捕の事後報告ばかりだと良い顔しないわな。それこそボタンを確保した南区の事件、虎姫さんが意図的に隠し通して進めていたわけだからバッシングの嵐にアホみたいに作らされた書類の山、同じ血税局内からもネチネチと嫌味をぶつけられて信頼は急落。最近は嫌がらせのように他部署から厄介案件を押し付けらればかりだったしね。それこそ審議会でこってり絞られたでしょ」

 アサヒさんの長い長い溜息はその大変さを物語っていた。確かに、あんなのはもう二度と体験したくない。

「事前準備は何事にも必要だな。俺は常に捜査資料はいつでも報告できるように清書してある。夏休みの宿題は初日に全部終わらせて、残りの日数で二学期の予習をしてきたからな」

 エンジさんの言い方はいつも何か鼻につくな。そしてその夏休みは本当に楽しい思い出になるのか?

「優秀なエンジさ~ん、それからボタンもね、私の分を手伝って欲しいんだな~」

「……どれくらいあるんですか?」

「ウフフ、何も知らないかつ面倒くさがりの幹部のおっさんどもを納得させる調査資料よん。確実に立件できるだけの説得力が必要、ってことで疑問点全てをクリアしなくちゃ。帰帆組の設立概要から主要な構成人物リストとそれら一人ずつ関わる経歴に特殊関係人から取引状況と資金繰りの詳細、と傘下の企業それぞれの金の流れから口座情報や領収書や手形の一覧、地下街に路地裏や圏外領域で出入りする血液ブローカーと顧客たちの行動履歴、それから今あった血液センターとのやりとりや管理課長の証言記録などなど、~を全部要約して会議用にまとめなきゃいけない。初見でもわかりやすく、帰帆組は絶対にクロなんで調べさせてくださいって感じに。明日の朝までに」

 アサヒさんはポンポンと書類の山を叩いた。それはアサヒさんのデスクからはみ出してわたしやエンジさんのところまで雪崩のように侵略しており、なんなら打ち合わせに使う共用の大きいテーブルまで埋め尽くしている。

「なんで日頃から整理しておかないんだ!」

「だって今日いきなりこんな決定打になる事件があるなんてわかるわけないじゃん! 虎姫さんも出張を切り上げてまで急いで戻るって、ついさっき言ってきたし」

「そりゃそうだ。さっきの血液強盗逮捕と金庫番への接触はすぐに帰帆組に伝わる。すでに別動隊が関係各位をマークして下手な持ち出しはないだろうが、急がないと重要証拠を隠滅させられる。スピード勝負だ。もたもた準備して、いざ調査したらもぬけの殻で大外れとかシャレにならん」

 三人で長い長い溜息をついた。

「……とりあえず、それぞれに机の上にある分を片付けて行こう」

 時間はすでに夕方に差し迫っていた。わたしは企業ごとの入出金記録とペーパーカンパニーなどを使った脱税の疑いある箇所などを取りまとめていった。ナデシコには積み上がった領収書のコピーを宛名や但し書きに仕分けさせて日付順に並べてもらうがすぐに飽きたようだ。エンジさんは淡々と手際よく作業をこなし、スオウさんは意外にも飲食の手配や雑務のフォローを手厚くしてくれた。大雑把な性格のようで、けっこう面倒見がいいので憎み切れない。アサヒさんは暴言のような独り言をぼやきながらも手を休めず、シノノメさんも単独で共用テーブルの分を黙々と処理していった。

「何十年も前から紙の書類は電子化しましょうって言われてますよね? 会議用にも事前にデータをメールすれば済むはず。なんでこんなに大量にプリントアウトしなきゃ……」

「お役所にはどうしても紙の記録を残しましょうって言う謎の勢力がいるの、特に印紙税絡みで。それに会議に出るおっさんたちは端末の電源を入れることすら躊躇するから、直接渡さない限り見向きもしないってわけ。ま、紙も電子も一長一短よ。そして停電と火事が同時に起こったらどっちもおしまい」

 確かに紙の本がなくなれば図書館という場所もなくなるかもしれない。それは少し寂しい気もするが、個人的な感覚の問題だ。血液対価のドロップもまだ一部では紙幣が印刷されている。それは記録の残らないカネとして犯罪を助長させてしまっている。でも災害や停電などの非常時には現金を持っていたほうが絶対にいい。一長一短だ。


 すっかり深夜になる頃、それぞれの作業も落ち着き始めていた。しかしここから統合し全体のチェックや細かい校正が続く。とにかくエンジさんの指摘が厳しくて捗らないし、アサヒさんも譲らない場面が多いので情報の取捨選択が決まらない。眠気がやばくて、ところどころ記憶がなかった。

 夜が明け始めたころ、ようやく検討会用資料が完成した。あれだけ膨大な資料から必要な情報のみを捻りだしたのに、結局は拳の厚さくらいあるページ数だ。エンジさんとアサヒさんは溺れた人間が空気を求めて水面まで必死に泳ぐように、煙草を吸いに喫煙所へと駆け出した。スオウさんとナデシコはすでに床に寝転がっていびきをかいている。わたしも疲労感で限界に来ており、椅子に深く体を預けた。シノノメさんは黙って疑似窓に映る景色を眺めている。

「……あの、シノノメさんってどうして喋らないんですか?」

 シノノメさんはこちらを見ると、出来上がった書類をトントンと小突き、その指で口にチャックするようなジェスチャーをした。それだけで、また疑似窓に顔を向けた。虎姫さんもミステリアスな女性だが、この小柄な初老男性も謎多きヴァンプロイドだ。

 ゴチャゴチャと考える余裕はなく、眠気には勝てずに、わたしはそのまま寝落ちした。

 現場では体を張り、帰っても頭脳仕事とは、本当に大変な仕事だ――。

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