序:1st FRAGMENT【吸血機関統治社会】

掌編(試し読み短編)

【One Day or Day One】血腥い日常

【One Day or Day One】


 わたしはめちゃくちゃ後悔していた。


『――というわけで、今回は二人にお嬢様学校へ潜入捜査してもらいます』

『おじょおさまがっこお?』

 回想するは女上司の何気ない一言だが、これまでの任務の中でもかなり無茶ぶりな案件だった。なんならいつもみたいに犯罪者が溜まる路地裏や地下街に圏外領域、ヤクザの事務所周辺や極秘情報の行き交う高級クラブや訳アリの銭湯、要観察対象の出入りする金融機関へ出向くほうがまだ気が楽だ。乙女の花園だなんて、太陽光の届かない深海よりも太陽系外の宇宙よりもさらにさらに未知の場所である。

 と、そんな不安に引きるわたしの表情を見て察したのか、彼女は続ける。

『ボタンちゃんとナデシコの可愛い制服姿、見てみたいんだな~』

 はいはい、そんな安っぽい口車に乗せられるわたしじゃないですよ。もっと合理的な作戦を考えるべきです。

『やります』

 口から飛び出す言葉と心はちぐはぐである。こんな自分に対してもため息が出る。なんて安っぽい女なのだ。

『期待通りのとても良い返事です。はいコレ参考資料ね。違和感ないように特訓しといてね。では、ごめんあそばせ~』

 今時、そんな言葉づかいを日常でも使うものか。いや、お嬢様というのは薔薇ばらを食べて脳みそがマシュマロらしい。とにかく渡された資料を熟読しよう。

 ――ただの少女漫画だった。まずは瞳に星を輝かせることから始めないといけない。

 回想終わり。



「――ですから、吸血機関【ヴァンパイアエンジン】の開発によって発電の基盤が整い、効率良く血液を集めるモデル運用をまず始めたのがこの湖上都市、淡海府おうみふなんですね。

 供血すると付与される血液対価【ドロップ】も、最初は納税の足しにする程度のポイントでした。それが吸血機関で発電されたエネルギーも買えるように制度が緩和されると、経済は一気にドロップを扱うようになりました。そうなるれば国民も順応なものです。

 ヘラクレイオン協定によって火力発電に使われる化石燃料の多くが輸入できなくなったとき、この国は絶望に青ざめました。他国と違い、原子力は封印されてますし、自然エネルギーは発電量が安定しませんからね。理想を掲げるだけでは暮らせません。

 あなたたちが産まれる前、混乱した日蝕時代のことですから実感がないでしょうが、吸血機関を政府が導入したのはとても衝撃的でしたし、今よりも反対意見のほうが大きかった。

 しかし始まってみれば、どうでしょう。血液がこれだけ集まりやすくなると医療面でも多くの人が救われ、期限切れの血液もエネルギー産業で活用される。供血した人にはお金も配られて経済も潤う。これだけ社会的影響力を持つ発明はそうありません。みなさんも適齢期を迎えたら、ぜひこの国を豊かにする一員になってくださいね」


 淡海府湖西区にある猩々緋しょうじょうひ女学園高等学校淡海校舎の教室の片隅で、わたしは女子高生のフリをして社会科の授業を受けていた。

 猩々緋女学園は元々、大都を拠点にする歴史の長い由緒ある私立教育系グループだ。開発と移住著しいこの都市に新しい中高一貫の分校を、地価の高騰するこの区域に開校。すると移転してきた企業家や資産家から政治家などのご息女たちの応募が殺到し、すぐに人気学校となった。その歴史はまだ浅すぎるものの、行政庁舎と同じくネオクラシシズムに肖った古風な建築デザインの校舎は荘厳な雰囲気を醸し出していた。

 その学校ブランドに恥じないよう、昼前の空腹で集中力が吹っ飛ぶわたしとは違い、周りのクラスメイトは背筋をしっかり伸ばして教師の解説を聞き板書に忙しなかった。自分たちは有名大学に進学して人脈を築き、少し働いた後に有益な結婚をして家柄を保ち続けることに使命感を燃やす少女たち。

 わたしなんて場違いすぎて、その熱量にちょっと引いていた。だってわたしが夢中になれるものといえば競艇と読書とラーメンと、『あの人』くらいだから。楽をして生きたいもんよね。


 もう一人の場違い、わたしの妹という設定のナデシコはすぐ後の席で爆睡し、その寝息には教師も気づいていた。しかし何も言ってこない。転入してきて最初こそ注意されたが、彼女はそれでも全く起きないし、無理矢理起こそうとすれば不機嫌なまま暴れだして授業が中断された。もう半月が過ぎて、懲りた教師たちは触らぬ神にたたりナシとばかりに生徒も含めて皆がその存在を黙認していた。

「ふにゃふにゃふにゃ~」

 猫が鳴いたかと思えば、当然そんなわけはなくナデシコの大きな寝言だった。生徒たちも動揺して、視線がわたしの背後へと集中する。クスクスと小さな笑い声が零れると、さすがに教師も咳払いをした。

「志賀ボタンさん、ご家庭でもう少しナデシコさんの指導のほどを……」

「はあ、すみません」

「ぶっころ!」

 ビクリと肩を震わせた。教師に絡まれるわたしをナデシコが威嚇いかくしたのかと思って慌てて振り返るが、大声の主は寝惚けているだけだった。日向で微睡まどろむ猫のような寝顔に癒される。こんな状況じゃなければね!

「それと、もう少し我が校に相応ふさわしい言葉遣いを……」

「はあ、すみません」

 そこで授業終了を告げるチャイムが鳴る。わたしは冷や汗を拭って安堵した。

「今日はここまでにしましょう。では、委員長」

「はい、みなさん! 起立、礼、ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 クラスメイト全員が同じ調子で品良く復唱する。お嬢様学校特有の挨拶も、清楚なデザインかつ寸分狂いなく膝丈に揃えられた制服のスカートも、どうにもわたしには馴染めなかった。振り返れば、涎を垂らしながら机に突っ伏しているナデシコ。起こそうと肩を揺する。全然起きる気配がないんですけど。

 それにしても、『本当の』姉に似て美しい横顔だった。涎垂らしてるけど! 自然とため息が出た。


 教室から逃げるように、わたしたちは中庭の端っこにあるベンチに腰掛けていた。そのまま教室にいれば目立ってしまう。話しかけられるのも面倒くさい。

 それでも中庭を通り過ぎる生徒たちはこちらを見ては指差してお喋りをしていたし、ナデシコの美貌を確認しにわざわざ足を運ぶ者までいた。

 ナデシコは授業態度こそ最悪だが、その人形じみた顔の造形は必ず人の目を引いてしまうし、退屈しない体育の授業では人間離れした身体能力を発揮して体力測定の平均値を押し上げて球技は一人勝ちしてしまった。

 わたしも地味な存在に徹していたはずなのに、この前初めて受けた学力試験にて平均点になるようわざと何問か誤答を書き込んだのだが、それでも学年で五番以内の順位に入ってしまったのだ。それが最大の誤算だった。


 あれだけ上司たちから目立つなと念を押されて、わたしも少女漫画で『お嬢様』をとことん予習したはずなのに、今では学内で一番噂の姉妹になってしまっていた。

 遠巻きにライバル視されたり、勝手に憧れられたりしている。全然知らない、話したこともない女の子たちから告白されたり、決闘を申し込まれたり、ストーカーされたり、想像以上にお嬢様学校は面倒くさかった。わたしはそんなスクールライフのために、こんなところに通っているのではないのだ!

「おねえちゃーん、お腹すいたー」

「我慢してっていつも言ってるでしょ」

 この学校の規則はかなり厳しく、頭髪服装について教師たちは常に目を光らせていた。スカート丈からヘアピンや髪ゴムの色味まで厳しくチェックされ、違反者へのシゴキも相当だ。さらに抜き打ちの所持品検査では鞄の中からポケットに至るまで徹底的に調べられる。武器の携帯なんてもちろん論外だし、ナデシコの食料となる『アレ』だって持ち込めるわけがなかった。

 それでも緊急の連絡手段としてイヤーカフ型の超小型C無線機だけは隠し持っていた。いざという時には口の中に放り込んで隠し通すのだ。なんだかやっていることが忍者みたい。ま、潜入捜査なんだから仕方ないんだけど。

 ナデシコは急に悪戯を思いついたみたいにニヤリと笑うと、わたしの肩に手をかけて耳元にグッと唇を近づけて囁いた。

「ねえ、どっか隠れてさ、直接チュウチュウさせてよ」

 ウィスパーボイスがふわりと耳を撫でて、不意に背筋を震わせた。ちょっと、変な気持ちにさせないで!

「バカ! いつどこで誰に見られたり聞かれたりしてるかわかんないんだから。そういう発言もダメ」

 わたしは声を殺して叱る。もし、誰かに聞かれて変な風に解釈されても厄介だ。それでもナデシコは猫撫で声で続ける。

「でもぉ、最初にチュウしてきたのはおねえちゃんのほうだよ?」

「いやいや、あれは事故というか気の迷いというかそうしなきゃいけなかったというか……。もーっ! とにかく喋らないで」

「また、したくなったらいつでもしていいのに。ほら、おねえちゃんが読んでた少女漫画みたいに『うるさい口だな』って言ってチュウで塞ぐやつ、やってもよろしくってよ?」

「バカ!」

 どうか変な風に解釈しないでください。わたしは清純可憐潔白で、淫らな女じゃございませんわ。わたしはナデシコのほっぺをつねってむにむにしてアッチョンブリケした。

「うー、愛に飢えてるのですよ」

「お腹すいてるだけでしょうが」

 登校から下校まで何も口にできないナデシコは可哀想だが、事情が事情なので仕方ない。彼女は諦めて、エネルギー節約のためにまた眠り始めた。わたしは任務のために買い貯めてある携行食糧のゼリー飲料で素早く腹を満たす。自由時間はできるだけ捜査に専念したい。ナデシコはもう寝てるけどな……。


「ごきげんよう。お隣よろしくて?」

 いつも話しかけてくるこの娘は同学年の安曇川あどがわアズキ、学園長の孫娘でスクールカースト最上位の一人だった。生粋きっすいのお嬢様オブお嬢様。常に後光が差しているみたいで、ドブネズミのようなわたしは浄化されないように必死だった。気を抜いたら蒸発してしまっておかしくないくらい、彼女からは聖なるオーラが解き放たれていた。

「そういうお食事、うちの婆やが見たら卒倒してしまうわ」

 動物園の動物を観察するような物言いだが、本人に悪気はない。住む世界が違うのだ、価値観も当然違う。ラーメンのスープをオカズに白米を食うなど絶対にしないだろう。あれうまいんだよ。

 お嬢様学校の同調圧力は凄まじい。馴染めないわたしたちは異質な存在として浮いていたし、そこに気兼ねなく踏み込んでくるのは自信に満ち溢れた人物くらいだ。まあ、交友関係が広い人物からは何か情報が得られると思い、話しかけられても無視はしなかった。

「ねえ、志賀さんたちは『和邇わに家』のご親戚で、あの立派なお屋敷に住んでいるのでしょう? お弁当を持たされないの?」

「えーっと、自主性? 自立心? そういうのを大事にする教育方針だから自分でなんとかしろだって。面倒くさいからわたしは買って済ませるけど」

「甘やかさないのが一族の誇りだと思うわ。さすが戦前から将官や閣僚を多く輩出する名門ね」

 屋敷どころか普段は地下空間で幽閉に近い住まいなわけでほとんど嘘なんだが、入学試験に学力だけでなく家柄まで調査されるので先輩に協力してもらい和邇家に口裏を合わせてもらった。仕事とは言え、あのエンジさんに借りを作るのは釈然としなかった。この学園においてなかなか合格例のない転入試験、アサヒさんの偽装工作とこの件がなければ不可能だっただろう。

「そうそう。この前、送迎の運転手の方を校門でお見かけしたわ。随分と素敵な殿方ね。ファン倶楽部が密かにできてるって噂よ。それにしても、どうしていつもお二人が同伴していらっしゃるのかしら? それにいつも五時きっかりでしょ?」

 まさに、その二人が和邇エンジさんとスオウさんのことだ。やはりあの二人が教師役で潜入する案はナシになって良かった。悔しいくらい顔立ちが良いのだから余計に目立つ。いやわたしたちも悪目立ちしてるので強く言えないんだけど。

「詳しくは知らないけど、そういう決まりなんだってさ」

「そうなの。ねえ、放課後に時間を持て余しているのなら倶楽部活動はなさらないの? ナデシコさんの体育の成績が素晴らしいって。運動部からのスカウトもあったでしょう」

「まあねえ。でもほら、いつもこうやって寝ちゃうから。断るしかないよ」

「ボタンさんはいかが? うちは文化部も充実してるわよ」

 競艇研究部があれば考えてやらんこともない。勉強に集中したいとテキトーな返答をした。

「とっても個性的で面白いわ。この学園生活に少し退屈していたから、あなたたちは新鮮で刺激的。ナデシコさんも流行りの『貧血女子』かしら」

 学校、その閉鎖空間では大人の感性では計れない非合理で妙なものが流行り出す。なんでも最近は貧血で病弱そうな女子が人気らしく、級友たちや慕う先輩の『お姉さま』が気にかけてくれるからだそうだ。色白になるために日光を極端に嫌ったり、わざと朝食を抜く生徒もいるのだそう。

 みんなで同じようなことをして楽しさを共有するのが青春の醍醐味だいごみらしい。しかし我々にそんな暇はない、部活なんぞに打ち込む時間なんて以ての外だ。

「……でも、ちょっと気になっている倶楽部はあるかも」

「あら、すぐに紹介してあげますわ! 部長たちはみーんな私のお友達ですもの」

 喜ぶ彼女の、満天の夜空のようにキラキラした目を覗き込んだ。


「――『血華倶楽部けっかくらぶ』って、本当にあるのかな?」


「……あなたみたいな聡明なお方でも、そんな噂を信じるなんて」

 アズキ令嬢は驚き、少し顔を背けた。学園側としてはマイナスな噂だ。


 血華倶楽部、もちろん学校公認の倶楽部活動ではない。いずれ大人になれば国への供血を強いられる少女たちが、今この瞬間の若い血液を抜き神様に捧げると願いが叶うという信仰だ。血液資本主義のこの時代にそんな無駄な流血をしていればもちろん違法である。しかし少女たちは秘密と少しの悪行に憧れるし、そんな話があれば共犯者たちとの絆を確かめ合いたい衝動が芽生える。秘密倶楽部への加入方法は不明。しかしそこに相応しいと判断されれば、自ずと声を掛けられると言う。その特別感にも酔いしれたいのだろう。貧血女子とやらも、周囲に血華倶楽部の一員であると嘘でも匂わせたいがためである。少女という生き物はなんとも度し難い。……いや、一応わたしも十五歳の思春期真っ最中なのは本当なんですけどね。

 こんな噂話、普通に考えれば大真面目に扱うものではないと思う。しかし心配になった保護者たちは国にとっての有権者であり、うちの上層部に圧力が掛かり、結局しわ寄せがわたしたち末端部署に押し付けられたのだ。さっさと片付けて通常任務に戻らなければならない。ある程度潜って、シロでしたという報告書を作成するだけだが、一応不審な箇所は漁る。学園に脱税案件があれば我々の新しい手柄になるからだ。

「意味もなく血抜きなんて、良くないわ。あなたも不良なの?」

「……ちょっと秘密があって、誰にも言わないでくれる?」

 こういう言い方をすれば親密度がアップするらしい。少女漫画で得たテクニックだった。彼女はコクリと頷いた。

「わたしの中に流れる血は特別。全ての血液型に輸血できる万能血液【マスターブラッド】。奪われる前に、自分から捧げたいの」

「……それこそ伝説の話ですわ」

 わたしは黙って肯定した。捧げるって何にだよって感じだが、それ以外は本当。上手な嘘をつくには程よく真実を紛れ込ませることだ、アサヒさん曰く。

「二人だけの秘密だからね」

 わたしは念を押して、ナデシコを連れてその場を去った。たぶんすぐにれるだろうけど、それこそわたしの狙いだった。


 それから午後も眠気に耐える。ようやく一日の授業が終わって解放された。夕方のお迎えが来るまで、できるかぎり調査を進める。教職員や事務員たちの動向だ。真面目に仕事をこなしているように見えて、何か妙な雰囲気があった。しかしわたしの勘は当てにならないことは競艇で後悔するほど実感している。

「――やあ、君が志賀ボタンくんだね? 背負われているのがナデシコくん、だね?」

 人気のない渡り廊下で話しかけてきたのは、成人男性くらい背の高いスラリとした先輩だった。中性的で端正な顔立ち、少女漫画的に言うと王子様キャラって奴だ。そういえば総会でも生徒会長として壇上で喋っており、その人気とカリスマ性は生徒の反応を見れば嫌でもわかった。

「演劇部部長の舞子ハネズだ、よろしく。単刀直入に言うと、ぜひ二人とも演劇部にどうかなって」

 見た目だけじゃなく声まで堂々と勇ましかった。疾風のように耳まで届き、あっという間に心奪われそうな美声。しかし、わたしはそんなに尻軽ではない。

「いや、そんなに興味ないんですけど……」

「役者だけじゃなく裏方なら照明、音響、舞台美術、衣装、制作など色々あるさ。そう、シェイクスピアの戯曲では何が好きかな?」

「うーん。強いて言うなら、リチャード三世です」

「なるほど、普通はロミジュリとか夏の夜の夢、四大悲劇を答える子が多いんだけど。渋い趣味してるねえ。ますます気に入ったよ」

 うーん、本当はシェイクスピアよりもモリエールとかゴーゴリみたいなのが好みなんだが、ややこしくなりそうなので黙っておこう。

「見学だけでもどうかな? ふふ、オスカー・ワイルドの『サロメ』は知っているかい?」

「まあ」

「――ヨカナーンの首があるよ。気になるだろ?」

 ただの小道具の話をしているのではない、というのはその含み笑いで勘付いた。王女サロメは恋したヨカナーンに接吻せっぷんしたいがために、踊りの返礼にその首を欲したのだ。わたしが欲しいモノを知っているのか?

「誰にも言わないでくれるかい? 二人だけの秘密」

 昼休みにわたしが言った科白セリフをそのまま回ってくるとは。全く、女子のお喋り好きというのは恐ろしいぜ。公然の秘密ってやつか。わたしは眠ったナデシコを背負ったまま、先輩の後ろを歩き始めた。


 案内されたの学園の講堂は、ゲストの講演会から演劇部や舞踊部の本番でも使われるイベントホールだった。舞台の上手袖かみてそで下手袖しもてそでを繋ぐ裏側の通路には楽屋が並ぶが、その中の一つは地下通路への入り口だった。

「倉庫に入りきらない備品を置かせてもらったり、機構のメンテナンスで業者が立ち寄る場所なんだけど、普段は滅多に誰も来ない場所だよ」

 薄暗い階段を下りる。ホコリを被った様々な荷物の間をすり抜けていくと、舞台装置のパネルで区切ったスペースが白熱灯の絞った明かりでぼんやりと照らされていた。

「講堂や稽古場が他の用事で使えなかったり、本番前でどうしても部活動時間外に稽古するための秘密の練習場。というのは建前でね、人目忍ぶ逢瀬おうせに対して貸してあげているのさ」

「いらっしゃい」

 中道具のアンティークな椅子に腰掛けていたのは妙齢な女性、学校の保健医だった。


「血華倶楽部へようこそ」


 ハネズ先輩が客引きのようなことをして、保健医が採血担当と言ったところか。生徒だけでは血抜きなんて不可能だろうと推測はしていたが、大人が絡めばもう若気の至りじゃ済まされないぞ。

「ここには悩み多き乙女たちか、密やかな愛を確かめたいカップルがやってくるのに。噂のお転婆てんばコンビをチョイスするなんて、どういうつもり?」

「たまにはこういうタイプも面白いでしょ?」

 二人ともお上品に笑っている。わたしは断じてお転婆じゃありません。それに、わたしとナデシコの関係にいちいち儀式など必要ないのだ。

「わたしにカウンセリングとか要りませんから。さあ、やりましょう」

「せっかちさんねえ」

 演劇部のセットであろうベッドの上に敷かれたマットレスに寝転んだ。とにかく、医療目的でないし血液公社以外の採血現場さえ押さえれば、血税法違反で有罪確定だ。主犯格さえわかれば、あとは芋づる式である。

 慣れた手つきでわたしの腕にチューブが巻かれて、さっと内肘に針が刺さり、血液がパックに向かって吸い込まれていく。

「どれくらいの人数が来られるんですか?」

「一日一組に限定しているから、そんなに多くはないさ。それでも学校創立からの伝統になりつつあるからね。私もそろそろ後継者を決めないと」

 甘く凛々しい誘いで何人も落としてきたのだろう。血を抜きながら適当に悩みなんか聞いて、幸福感と背徳感で女生徒たちを虜にするのだな。

「君は何を望むのかな? 卒業後の進学先、素敵な結婚相手、父親の会社を救済する方法、表沙汰にならない取引情報、憎い人のスキャンダル。学園の人脈で用意できないものはないよ。君の血液がそれに値すればね」

 ――なるほど、こういう密謀取引が本当の目的か。少女たちの血液が大人たちの策略に利用されている。そして学園は価値ある血液をどこに流しているのか。ヘマトフィリアたちは若い処女の血への執着が異常だ。そして、その裏には闇オークションなど見えざる大金の動きがある。この問題は根深いぞ。

「転入手続きで渡した健康診断資料は見ましたよね? わたしの血液型について」

「もちろん、君は特別さ」

「じゃあ一回きりってことはないですよね? 次回までに願い事を考えてきます」

 先輩は頷いた。とりあえず今日は帰って現状報告し、制圧調査ガサの準備が整うまで通うとしよう。


 当たり障りのない会話をしていれば採血が終わった。

「さあ、次は妹さんの番だね」

 ――しまった。それはまずい。しかし断る言い訳が思いつかない。わたしと入れ代わりにベッドへ寝転がされるナデシコにも採血針が迫る。

「……どういうこと?」

 保健医が困惑していた。どこを刺しても血液が出てこないからだ。保健医の手際が悪いでも、ナデシコが魔女だからでもない。朝一の供血以降、何も摂取していない彼女の身体は乾ききるギリギリの状態で、余分な流血はできないのだ。人間とは違う内部構造、彼女の秘密。


 ――吸血機関で動く自動人形【ヴァンプロイド】、それがこの子の正体だ。


「チクチク痛い!」

 目覚めたナデシコは不機嫌が爆発した。予備動作なく保健医のあごを狙った掌底打ちが突きあがるが、なんとギリギリで避けられた! 弱体化しているとは言えナデシコの不意打ちを回避できた警戒反応速度、ただの職員ではないのか。わたしもすぐに戦闘体勢に切り替える。

「お転婆すぎね!」

 保健医の手元には黒光りする護身用の小型拳銃が握られていた。

 しかし、こちらは丸腰だ。

 不利な状況のまま戦う気はない。

 わたしはナデシコを掴み、ベッドを直角に跳ね上げてその陰に飛び込んだ。

 乾いた銃声がするとベッドに風穴が空く。

 頼りない壁だが、一瞬の時間を作れればいい。

「合図したら飛び出して」

「うい」

 わたしは剥ぎ取ったシーツを丸めて保健医に投げつける。

 そのまま低姿勢で疾走、今抜かれたばかりの血液パックを掴み取る。

「ナデシコ!」

「ほい!」

 放り投げたパック。同じタイミングで駆け出したナデシコ。

 フリスビーをキャッチする犬のように、ナデシコはその血袋を食い破った。これなら直接供血よりも時間を短縮してエネルギー充填ができる。

「げんきひゃくばい!」

 そして、回復したナデシコは超越された動体視力で銃弾も見切ることができるのだ。

 わたしは人形を絶対服従させる血盟勅令【ブラッドドライブ】を唱える。

「とりあえず気絶させて!」

「ぶっころー!」

 拳銃に向かって突っ込む馬鹿はいない。

 しかし、それはまともな人間の常識だ。

 撃たれた弾丸は彼女に当たらない。

 不規則な足の運びに照準が定まらないまま、保健医は突然標的を見失う。

「……どこへ? ――はっ!」

 ナデシコお得意の躰道たいどうの斜上蹴りは、走りこむ勢いのまま上体を相手の視界下方へ一気に落とし、その回転力を活かし下半身を突き上げて相手の顔面を蹴り叩く。

 落雷のような速度と攻撃が炸裂した。

 喰らった本人は何が起きたかわからぬまま失神する。

 一息ついて、ナデシコに向き合う。

「暴力手段は最終手段、っていつも言ってるでしょ」

「悩んで死ぬなら死なないほう優先、ボクは約束守ってるよん」

 確かに、すぐに弁明を思いつかなかったのはわたしの落ち度だ。ナデシコの直感に救われることも多いが、事後処理が面倒なのだ。

「あ、そういえば先輩は……?」

 見るとその場で腰を抜かしてしゃがみこんでいた。箱入り娘は本物の暴力沙汰バイオレンスなんて見たことないのだろう。申し訳ないがこれが現実、直視できないような恐怖はいつ身近に迫るかわからないものだ。

「コレも気絶させよーか?」

「ひいっ!」

 血まみれのナデシコが近づくと先輩も悲鳴を上げて卒倒した。初めて芝居くさくないリアルな声を聞いたような。スタニフラフスキー先生も合格を出すくらいの迫力だ。それにしても口元から首と胸元を真っ赤に染め上げているナデシコの絵図は少女漫画というよりホラー映画だ。見慣れたわたしでもちょっと引く。

「べったりと、汚い。拭いてよ」

「おねえちゃんの血だよ?」

「わたしにとっては排泄物みたいなもん」

「えー? じゃあ美味しくいただいてるボクが変態みたいじゃん、えっちじゃないもん!」

 毎夜わたしの寝床に忍び込み、衣服を剥ぎ血管を探し吸血しようとしてくるくせに。ハレンチである。ナデシコは落ちていたシーツで血を拭った。

「さてと、とりあえず応援を呼びますか」

 わたしはポケットからC無線を取り出して耳に装着し、送信スイッチを押す。

「志賀です。すみません、ちょっと緊急事態です。やらかしました。誰かとれますか?」

 ……しかし応答がない。エンジさんならどんなときでも十秒以内に必ず返事する律儀さなのに。それから何回か呼びかけるも反応はなかった。

「無線壊れてるのかな? それとも地下だからか?」

「二人で競艇に夢中になっているんじゃないのー?」

「スオウさんならそうかもね。まあそろそろ時間だし、迎えには来るでしょ。わたしたちも外に出よう」

「この二人はいいの?」

「うーん、拘束しないで放置はよくないけど。このままここに居続けても進展はないし、バディが離れて単独行動も良くないしね。滅多に人が来ないって情報を信じましょう」

 たぶんこの二人はただの実行犯。指示役が別にいて、そいつこそが黒幕のはずだ。恐らくは学園の中でも立場が良く、かなりの情報通。そしてここ最近、わたしたちについて探ってきた人物となると……。

 わたしは歩き出したが、やけに床がふわふわした。視界も白くチカチカと点滅する。うん? おかしいな。血の気と体温が一気に下がる感覚。

 ――ああ、これは貧血だ。

 意識に反して力が抜けていき、わたしはそのまま座り込んだ。

「おねえちゃん!」

「あー、やっぱ採血直後に走り回るんじゃないや。これ、ちょっと動けないわ」

 供血を我慢していた最近のナデシコもこんな感じだったのだろう。これでは普段と立ち振る舞いがすっかり逆転してしまった。

「流行の貧血女子ってやつですね。おねえちゃん」

 悔しいがマジでそうである。戦闘後も体力有り余るナデシコは、わたしをひょいとお姫様抱っこした。凛々しい顔立ちを間近で眺めると、ちょっとだけときめいた。……ちょっとだけな。私たちは地上へと戻る。

「あれー、どっちだっけ?」

 階段を昇った後、出口がどちらの方向かわからなくなった。ウロウロしていると、講堂の舞台部分に足を踏み入れていた。

「あら? ボタンさんにナデシコさん。どうかされました?」

 客席の中央には何故かアズキ嬢がいたのだ。地下であったことは知られたくない。……さて、なんて言い訳をしようか。

「えっと、演劇部の体験入部に誘われたんだけど、秘密の発声練習で疲れちゃって貧血気味に」

「あらあら、それはいけませんわ。すぐに保健室へ行かないと」

 それもマズイな。保健医は地下でのびている。

「いや、しばらくじっとしていればすぐに治るから」

「そうですわね、じっとしていただけるとこちらも助かりますわ。――せっかく見つけたねずみですもの」

 彼女の眼光が鋭くなると同時に、舞台の両袖と客席に銃を構えた教職員が十数人も現れた。非現実的すぎて逆に驚かない、何の冗談だ。

「我が学園で採用している教師たちは全員、生徒を強盗や誘拐から守るために防犯の心得として軍隊や傭兵の訓練を修めているのですよ」

 銃刀法の規制がある中、防犯目的でマジのチャカまで持たせるなんて、そりゃおっかない学校だ。どうりであの保健医の動きも素人じゃなかったわけだ。なんなら、わたしたちが地下で何してたかもすっかりお見通しか。

「わたしたちは噂の血華倶楽部について調査しに来ただけ。むしろこの学校の治安に貢献する」

「それこそ困りますわ。お祖父様の一大事業を潰されるなんて」

 ――ああ、そうかい。指示役自らご登場とは手間が省けた。やはり、あの二人だけが主犯格じゃなかった。

 血華倶楽部とは、この学校運営自体が仕組んだものなのだ!

 最悪のパターン、きっとわたしたちは最初から転入してこなかったことにされる。秘密捜査だから『ウチ』だって大事にはできない。なんとしても生きて帰らなければ。

「ナデシコ、この状況を突破できる?」

「さすがに両手塞がってちゃ無理」

「じゃあ、わたしを置いてって」

「それはもっと無理。ブラッドドライブは命令よりドナーの保護を優先するから」

 変なところで融通の利かない人形である。それにしても八方塞だ。もう一度C無線に触れるが反応はない。

「舞台鑑賞の妨げにならぬように、この講堂には電波遮断装置を発動させてますわ。お迎えの方へのご連絡もお控えなさって」

 静かにすべきコンサートホールなどでは携帯電話基地局の電波をジャミングする装置がよく導入されている。外部を経由するIP無線方式もそれには抗えない。

 わたしはC無線を外してポケットにしまい、一つの賭けに出た。天井の構造をよく観察する。後はできるだけ時間を稼ぐ。

「それにしても、ですわ。私たちは湖西会を仕切る極道の方々にちゃんとご挨拶して、血抜きの領分を任せてもらってますの。そこに手を出して来たあなた方はどんなお馬鹿さんですの? こんな可愛らしい刺客を用意してくるなんて、恐ろしい組がいたものですわ」

 お嬢様が暴力団の話をしているのは滑稽だな。しかしわたしたちが血液犯罪者【ブラッドサッカー】と同類に思われているのは心外だ。相手が痺れを切らすギリギリまで沈黙する。

「まあ、どこの誰だろうと関係ありませんわ。あなたたちは、このまま何も残さずに消えてしまいますもの。この淡海府で、ヒエラルキー上部に座る猩々緋学園が根回しすれば、誰もが口をつぐんでしまいますわ」

 舐められたものだ。今までシバいてきたヤクザや半グレ、海外マフィアに血液カルテルたち皆が似たような発言をしてきた。自分たちのバックにはヤバい奴がいると。大歓迎、獲物が向こうからやって来るなんて手間が省ける。

「――闇市場【レッドマーケット】で血液を非合法に徴収するモスキート、脱税した金で腹を肥やし犯罪者に資金援助するヒル、悪戯やテロ行為で血税運営に攻撃をふっかけてくるノミダニ。でもね、この国ではそんな小動物よりもヤバイ奴らが暴れているのを、世間知らずなお嬢様はご存知かしら~?」

 自分でも悪趣味な煽り方だと思う。でも、今は少しでもこちらに注目を集めておきたいのだ。

「……この地区の警保局なら買収済みよ」

 それも最初から想定内だ。こちらの余裕ぶりに、アズキ嬢は警戒する。そろそろネタバレとしましょうか。


「それはただの犬ッコロ。――わたしたちは、この国で最も血に貪欲どんよく渇望かつぼうする組織、血税局【ヴァンパイア】よ!」


 わたしたちを囲む全員の血相が変わった。わかりやすく警戒レベルを上げたのが空気の乾きでわかる。

「絶対に生かして帰さない!」

 お嬢様からの殺害許可が下りると、全員が引き金に指をかける。こちらに策はない、万事休すだ。――わたしたち、二人だけならね。

「ごめんあそばせ~」

 最後までお嬢様言葉の使い方がわからなかったが、これは決め科白として言ってみたかったのだ。賭け事は苦手だが、勝利が確定した瞬間の激しい高揚感は大好きだ。

「――うぐっ!」

 見えざる音速音圧の弾丸が、アズキ嬢のすぐ隣にいた男性教員を気絶させた。

 教職員たちには動揺の波が広がる。

 出入り口、客席の隙間、しかし死角には誰もいない。

 それでも一人、また一人と失神させられていく。

 敵はどこからか、何人いるのか、見えない恐怖に場が支配されていく。

「上だ! 上からだ!」

 ようやく誰かが気づいたようだ。

 この講堂には上空のバトンパイプから吊るした照明や舞台美術の調整作業のために天井からキャットウォークと呼ばれる高所用足場が備え付けられている。

 わたしの仲間たちはそこから狙撃していたのだ。

 ただ発砲位置に気づけたところで上下関係の有利不利は決定的だった。

 キャットウォークのどこに潜んでいるのかは下から見上げてもわからない。

 攻撃の瞬間は身体を乗り出してくるので辛うじて目標を捉えられるが、見つけたときにはもう向こうは撃ち終わるのであっさり負けている。

 バタバタと倒れていく学校チームの内、誰かがひらめいた。

「う、動けないあいつらを人質に!」

 皆、意識を上空からわたしたちに向ける。

 しかし時既に遅し。

 わたしも少し血の巡りが回復して歩けるようになったし、仲間が上空から落としてくれた『武器』を二人とも手にしていた。

「ナデシコ、ゲームスタート」

「ぶっころー!」

 自分の身は自分で守れる。ドナーであるわたしが大丈夫だとわかると、枷の外れたナデシコは首輪を外された狂犬の如く敵に喰らいついていった。


 アクロバティックな立ち回りと格闘術に加えて、彼女は両手に掴む非致死性の二丁拳銃マンドレイカーを振り回す。

 訓練された人間も、相手が通常規格の人間であれば応戦できただろう。

 しかし相手が悪すぎた。

 彼女はかつて『起動戦艦』と恐れられた重火力と電光石火を併せ持つ戦闘人形だ。

 彼女が舞台で踊れば、蜘蛛の子を散らすようにエキストラが倒れていく。

 あの子は主役がふさわしい。

 圧倒的破壊力にじ伏せられていく。

 ナデシコは威風堂々とそこに立つ。

 バミリがなくても、彼女はスポットライトに照らされ輝くのだ。

 内心で拍手喝采を送る。


 わたしは、客席通路を屈みながら出入り口へ逃げようとする安曇川アズキの後頭部に、銃口を突きつけた。

「動かないで」

「……どうやって仲間を?」

「電波遮断装置のせいで電波が敷地外を経由するIP無線方式は使えない。でもこのC無線は、基地局を介さずに機種同士で送受信するデジタル簡易無線方式にも切り替えられる。IP無線のように広範囲には使えないけど、時間通りに仲間が敷地内に来れば、周波数の違う妨害されない電波は仲間に届く」

「でも、あなたは一言も喋ってない」

「ボタンを押せば喋っていなくてもホワイトノイズが流れる。それをモールス信号の要領でトンツーを組み合わせて状況を知らせた。ポケットの中でカチカチとね」

 しかし間に合う確率は半分以下、危険な賭けだった。焦らず表情に出さないというのはやはり難しい。せっかくだから演劇部で表情筋を鍛えたかったな。

「……流石さすがだわ。学年トップクラスの学力保持者なだけはあるわね」

「学校生活、何もかもが新鮮で楽しかったよ。こんな社会や立場じゃなければ、あなたとは本当の友達になれていたかも」

「ふん、完敗よ。このまま生きていれば猩々緋グループの恥、さっさと殺しなさい」

「殺しはやらないよ。わたしたちは、国家の血栓を取り除くだけなんだから」

「……ねえ、本当のところ、あなたは何者なの?」

「淡海府血税局血液取締部起動二課、通称【マルヴァ】。そこに所属する新人起動官。二度と会わないことを願っているわ」

「それもそうね。ごきげんよう――」

 拳銃型ナックルスコーカーの引き金を絞る。彼女は最後までお嬢様らしく気高かった。標的の意識をぶっ飛ばし、制圧を完了する。

「ゲームクリアー!」

 ナデシコの勝利宣言が構内に響く。もう敵は誰も立っていなかった。突撃銃型ナックルウーファーを携えたエンジさんとスオウさんがキャットウォークから降りてきた。

「準備不足の状態ですぐに行動を起こすなといつも言っているだろう! 俺たちが時間通りに来てホワイトノイズも信号だとすぐに気づけたから応援に駆け付けられたがもしもの場合お前たちは――」

 延々と小言を垂れるエンジさん。自分だって想定外の緊急事態には弱いくせに!

「生き残ったのはお前たちの運が良かったからだな! 武装集団相手に良くやったぜ。しかし二人のお嬢様制服も見納めとなるとオレとしてはちょっと寂しいな。もう少し通えば?」

 テキトーなことを言うスオウさん。最初は馬子にも衣裳と笑ってたくせに!

 そして、客席後方出入口の中央扉が開かれた。眩い光が差し込む。

「ご苦労様でした。ワタシの出番はナシみたいだね」

 我々の上司である虎姫シンク課長統括官のご入場である。今日も相変わらず美しい。しかし、わざわざ虎姫さんが足を運んでくるなんて。

「現場封鎖、三課にも応援要請を出したから。実は別件でアサヒちゃんたちと湖西会落雁らくがん組の取引ついて漁っていたら、裏オークションにやたらと純血ブランドが流れているのを発見。怪しくて地下マーケット以外の協力者を探してたら、ここに行き着いたの。――そういうことでしょ?」

「はい、血華倶楽部という名前で一部の少女たちを誘惑して採血する、代わりに学園の人脈で対価報酬を与えるという仕組みを学園長の孫娘が直々に仕切っていました。教職員も筋金入りのグルです。……しかし、早急な制圧調査を招いてしまい申し訳ありません」

「結果良ければ全て良しだよ。どうせナデシコがまた暴力ふるっちゃったんでしょ」

「ボクのはせーとーぼーえーですー」

 ナデシコに反省の色はない。

「寝起きが悪かったみたいです」

「はいはい、とりあえず潜入捜査してた二人はお疲れ様でした。……ボタンちゃん、顔色悪いね」

「あ、実は採血された直後に戦闘になってしまって貧血気味に」

 と、今まで気張ってなんとか立っていたのだが力が緩み、わたしはふらついてしまった。

「おっとっと」

 すぐに虎姫さんが抱き留めてくれた。いや、下心とかではなく不可抗力だからな。虎姫さんの背中に手を回して、大人の女性の豊かな胸囲に顔を押し付ける。不可抗力だから仕方ないネ! 深呼吸も必要だ。クンクンクンクン……。んああ~、柔らかい良い匂いに癒される。せっかくなので肺の奥まで溜め込んでおこう。おっぱい助かる~。幸せでござる~。貧血女子ってのも悪くないかもね~。頭に血が回らなくて知能指数がどんどん低下しちゃうの~。あわよくばこのまま頭撫でてほしいなあ~……チラッ。

「とりあえず現場はエンジくんたちに任せる。ボタンちゃん。呼吸も苦しそうだね。病院行って、回復してから詳細報告を」

「……すみません」

 上目遣いで甘えを表現してみたものの効果はなかった。そのままナデシコに担がれて、虎姫さんの車まで運ばれた。後部座席に寝転がされ、ナデシコの膝枕にお世話になる。

「ボクの匂いはクンクンしなくていいの?」

「うっさい」

 虎姫さんはギアを入れてアクセルを踏む。ベレットが発進する。


「ねえ、潜入捜査とは言え学校生活、どうだった?」

「同年代がいっぱいというのは楽しくも疲れました。子供のくせに大人ぶって、でも中身は全然子供で。あとお嬢様たちに合わせるのはもうコリゴリです。見栄えだけの世界ですよ。甘い言葉の過剰摂取で脳みそが溶けました」

「ふーん、まあボタンちゃんを保護したときは、学校に通わせるって約束だったからね。せめてもの罪滅ぼしになればと」

「わたしは仕事してるほうが合ってますよ」

 だってそのほうが虎姫さんと一緒にいられる時間が長くなる。マルヴァなら一緒に競艇で盛り上がりラーメンを食べに行ける仲間がいる。

「でも、得るものもあったでしょ?」

「……お嬢様たちは慕う先輩たちを『お姉さま』と呼んでました」

「そういうの、フィクションだけじゃないんだねー」

「もしよろしければなんですけど、えっとですね、虎姫さんのこともそう呼んでいいですか?」

「……なんて?」

「お姉さまってお呼びしたいです」

「よく聞こえないよ?」

「…………お姉さまぁ!」

 うわあ、恥ずかしすぎる。自分でも何言っているんだと思う。虎姫さんは無言で反応しない。運転のために前方を向いてるから顔が見えない。気まずい沈黙が流れる。……いや、バックミラーに写る彼女は必死に笑いを堪えていた。

「ごめん、むりむり、恥ずかしすぎる。背中むず痒いよ」

「うう、せめて二人きりのときだけでも」

「三人きりでしょ? ナデシコとは常に一緒なんだから」

「おねえちゃんもお姉さまって呼ばれたいの?」

「うっさい」

 きっと虎姫さんにとってわたしはただの子供だ。それでも、少しでも特別な存在になりたい。そのためには仕事で成果を上げることだ。わたしは手を伸ばしてナデシコの頬を摘まむ。

「なーにー?」

「これからも、仲良く頑張りましょうってこと」

「いえーい、ビッグラブだぜ」

 校則違反になるから外していた四葉のクローバーのイヤリングを付け直す。私は左耳、ナデシコは右耳。

 わたしの血を奪ってナデシコは生きる。引き換えに、ナデシコを服従させ、とことん利用してわたしは生きる。それがわたしたちの血盟だ。


 血華倶楽部に通う女生徒たちの意味がわからなかった。密やかな恋とか愛とかなんなのか理解不能だった。でも、わたしだって自分の血液を虎姫さんに捧げたいという思いがあるのに気が付く。ようやくわかった。そうか、好きは好きでも、姉のように慕う以上に、そういう好きなのだ。こんな気持ちが届くのだろうか。届いたとしてどうなりたいのか。

 ――いかん、自覚すると猛烈に胸が高鳴った。悶々として、思考がまとまらず、答えが出ない。これはもう、どうしようもない病気なのだ。発症したら厄介だ。奪いたかったり与えたかったり、心が恋焦がれて忙しい。

「おねえちゃん、顔真っ赤ですよ?」

「夕焼け夕焼け! 眩しいなあ、もう」

「……帰ったら記念写真でも撮っておこうか。二人のお嬢様姿も見納めだしね」

 ナデシコは血だらけで、わたしは体調不良で青ざめた写真は加害者と被害者にしか見えないだろう。それでも虎姫さんは可愛いと言ってくれる。その一言で、またバカみたいに嬉しくて舞い上がっちゃうのだ。

 車は淡海府を横断する幹線道路をまっすぐ突き進む。わたしたち三人を乗せて、これからも、どこまでも行くのだろう。ある日の出来事、そして始まりの日。これがわたしたちの健やかな仕事で、血腥ちなまぐさい日常だ。


【きっとこれからも、わたしは恋のために血を流す】

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