訓練編
【03-01】ヴァンプロイドって、なんですか?
【03】
目を覚ませば見知らぬ天井、というわけでもなかった。はっきり思い出せないが懐かしい匂いがする。ベッドに横たわるわたしには何箇所も包帯が巻かれ、カテーテルと点滴のチューブがつけられていた。入室した看護士さんが、もぞもぞと動くわたしに気づき話しかけた。
ここは血液公社付属中央病院入院病棟の一室。わたしは擦り傷と打ち身があるがすぐに日常生活に戻れることと、一週間の検査入院を済ませれば退院できるのだと言う。この病棟は特別関係者専用の区画であり、警護が厚いためマスターブラッドを狙うような犯罪者は一切立ち入れないという説明も受けて安心した。
そうか、ここはわたしが人生の大半を過ごした病院だった。あんなに必死に逃げ回ったのに、この場所に戻ってきてしまうとは虚しくも面白かった。人生は奇妙の連続だ。
退院後、どうなるのだろう。虎姫さんは言っていた。血税局ヴァンプロイド部隊がどうのこうの。いやいや、あれは本当に現実だったのだろうか。大量のヤクザを皆殺しに駆け回ったあの少女、ナデシコ。何度殺しても立ち上がってきた猟奇的殺人鬼、アルマロス。何もかもが悪夢としか思えなかった。
もしかしたら、わたしはずっと夢を見ていたのかもしれない。移植手術も家出も地下生活も全部なかったのだ。きっと今まで読んだ小説がごちゃ混ぜになってそんな夢を見させたのだろう。苦労はしないけど不自由か、苦労はするが自由なのか。どちらの世界もハッピーではなかった。もう少しマシな夢を見させてくれ。
虎姫さんの声が聞きたかった。ドライブでも地獄でも連れて行って欲しかった。
【この気持ちは夢じゃない】
「元気そうでなにより」
退院日当日、虎姫さんが迎えに来た。話を聞くと今日まで事後処理に忙殺されていたそうだ。
わたしといえば多くの検査をクリアし、たまにやってくる警保局の事情聴取にテキトーな応答をする他にすることはなく、足を伸ばせるフカフカのベッドと毎日三食の健康的な食事で以前よりも回復し体重も増えていた。
「君は顔に出やすいね」
「えっ」
彼女に会えて、わたしは無意識にどんな表情をしたのだろう。虎姫さんは笑って教えてくれない。
「ボタンちゃんの私物はほとんどなかったけど、コレだけは返しておくね」
差し出されたのは、ツツジと分け合った一対のイヤリングだった。耳のほうはもう腐ってしまうので処分したのだそう。やはり現実のことだったのだ。わたしは唯一の所有物を大事に受け取った。覚悟を決めて、二つとも両耳に取り付ける。もう秋月組はいないからつける必要はない。けれど身に着けていれば、彼女と共に生きている気がした。
「さて、これからは新生活だよ。まずはコレ」
渡されたのは厚めのカードと折りたたみパスケースだった。カードには私の顔写真と名前、そして『血税局血液取締部起動二課所属特別研修生』と記載されていた。
「ブラッドパスカード、身分証を兼ねた
薄い名刺のようなカードには昔の携帯電話のように様々な便利機能が詰め込まれた電子端末として、また静脈認証と併用する個人証明書として普及しているのはなんとなく知っていた。携帯性の小型化と画面の大型化のジレンマにより商品開発は低迷していたが、網膜投影装置と指向性スピーカーが導入されてからは操作用のタッチパッドのための最小面積だけを残してこのような形に落ち着いたらしい。
身分証、銀行口座、なにもかもが始めてだ。お金を貯めても盗まれない。わたしの所有物が増えていくとは不思議な感覚だった。
「あと制服だね。防刃スーツ、倉庫から一番小さいの持ってきたけど合うかな? ベルトと靴と靴下はとりあえずの官給品だけど選択自由、ダサいと思ったら好きなの買って。ネクタイは普段つけなくてもワタシは怒らないけど、これから偉い人と会議だからオフィシャルなときはつけてね」
見た目は普通のビジネススーツでよく見る白いワイシャツと黒いスラックスで、薄くて動きやすいが特殊な繊維で丈夫らしい。サイズはピッタリだった。ネクタイの巻き方は情報として知っていたが、知らないフリをしてつけてもらった。虎姫さんの腕が私の首に回る。顔が近い。良い匂いがする。
「呼吸荒いけど大丈夫? 苦しい?」
「だ、大丈夫でしゅ!」
「そう、あと防弾レイドジャケット。一般市民と職員を区別したり、任務で敵の中に紛れたときに同士討ちを避けるための目印ね。背中のロゴは発光繊維で表示させてるから、目立たせたくないときは消せるよ。銃弾も防ぐ衝撃硬化プレートと衝撃緩和パッドを仕込んでるから、命拾いしたかったら暑くても着ててね」
無光沢の黒一色で、背面には大きく『血税局』という文字とロゴマークであるアマリリスの花がプリントされていたが、内部のスイッチで表示のオンオフができた。サイズは少し大きめだが問題ない。虎姫さんなど課長以上の階級では丈の長いコートタイプになるんだそうだ。
余談だが、血税局のアマリリスについては、働き者の少女が恋を叶えるために流した血から生えたというエピソードが由来らしい。採用理由が悪趣味であると思った。
「他の装備品に関してはまた後日にしましょう。必要最低限を携えて、行きましょうか」
「どこへですか?」
「血税局の審議会」
「昔、あそこに入院してたことあるんですよ」
バックミラーに写る血統閣が小さくなっていくのを眺めながら、ぼそりと呟いた。
「湖北のお父さんの医院じゃなくて?」
「その前に、です。産まれて少ししてからと手術する12歳まで、ずっと外に出ずあの中で過ごしていました。わたし、血を移植する手術でマスターブラッドってやつになったんですよ」
「あれ? 元々じゃなかったんだ」
「そうです。父もあの病院に勤めていたんですが、ほぼわたしのためで。移植が成功すると辞職して自分の病院を持つようになりました。そして北区に。そして半年くらい前から、左目と左手のない
「……中央病院にあなたの入院履歴はなかったし近親者の就労データも発見できなかった。記録がないというよりは、意図的に抹消されている可能性が……? そこにグリゴリのアルマロスが関与してるとなると……」
軽い雑談をするつもりが、虎姫さんは急に思考整理に集中し始めた。怖い顔をして、ハンドルを指でトントンと小刻みに叩き続ける。沈黙が長く続くとわたしは緊張してきた。
「…………あの、質問いいですか?」
頃合をみて声をかけてみた。
「どうぞ」
虎姫さんは考えを休めたのか、先ほどよりもリラックスしている。
「ヴァンプロイドって、なんですか?」
今抱く最大の疑問だった。あの夜、暴れまわった美少女はなんだったのか。
「表向きには最新式のロボットって説明してる。実際は……、なんだと思う?」
虎姫さんは試すように問いを返す。
「人間、ではないですよね? でも人形だとすると動くメカニズムがわからない。あのサイズであの駆動力は技術的にまだ不可能でしょう。あの皮膚の感触や喋り方は、……恐ろしく人間みたいでした」
「ロボットの定義を、鉄や樹脂を材料にした機械人形とすると範囲が狭くならない? 蛋白質で構築したナノマシンもある意味ではロボットなのかも」
「じゃあ……?」
「そう、有機材料を使った血液仕掛けの機械人形。隠しても仕方ないから告げるけど、原理としては人間の
現実感を欠いた説明だった。いくもの疑問符が頭上に浮かび上がる。
「死体を? それに吸血機関って建物サイズですよね」
「そもそも吸血機関のベースは体内用医療デバイスの電源として開発されたバイオ燃料電池だったからね。まずは大型ユニットを製造してから小型化していく計画は順調に進んでいる。まだコンセプトモデルだけど吸血機関自動車も製造されて移動できるようになったしね。そして、いずれは人間に実装するのが最終目標らしい。ペースメーカーなどに活用されるだけじゃない、電脳や電動義肢の主電源にもなる。手持ちの電化製品は体内から送電すれば充電切れを起こさない。まるでSF小説ね。さて、そんな未来になっても人々は血税を納めると思う?」
「確かに、誰にも頼らず生きていけるなら与え合う意味はない……? いや、結局は公共のリソースを使わざるを得ないし、それを運営するためには血税義務はなくならないんじゃ」
「そのとおり。自分一人幸せで満たされても、納税や献血は廃れずに社会全体を平均化してきた。ノブレスオブリージュ、
「でも、それでどうして死体を? 死者蘇生が可能になったってことですか?」
虎姫さんは少し哀しそうに微笑んだ。
「動物実験では具体的なデータが取れないし、生きた人間にいきなり試すにはリスクが大きすぎる。ということで『法的に死んだ人間』にまず搭載しテストされた。
……詳細は私にもわからないけど、厳密には生き返ったわけじゃない。魂という器官が失われたから、自意識はなく身体の記憶と周囲の環境を学習して人間を演じている。見た目は人間そっくりだけど、造血能力は持たないから他者からの輸血が必要。しかし血を与え続ける限り、活動や形状を維持し続ける。爆発に巻き込まれてもすぐに細胞を再生して元気そのもの。伝説の吸血鬼というよりは、キョンシーやネクロマンシーと言ったものに近いかもね。
そして21グラムの特性として、人間と同じように献体の生前血液と同型のみ受け付けるということ。型が違うと拒絶反応を起こすからね。そしてヴァンプロイドはドナーを一人登録すると、その人間を命懸けで守るし命令に対して絶対服従になる。一度願えば取消不可能で、果たすまで効力が尽きない呪い。この主従契約を血盟勅令【ブラッドドライブ】と呼んでいる。だから型式一番は今、ボタンちゃん専用機になったってわけ」
物語の吸血鬼と違うのは、人間のほうが主人だということだ。しかし丈夫な身体と不死とも呼べる体質はフィクションのそれの通り、日光や銀の杭は弱点なのだろうか。
「あの子は今どうしてるんですか?」
「
「でも、血液型が四種類ならわたし以外でも適任者がいるのでは?」
「そう、確かにドナーの上書きは可能なことが確認されている。しかしナデシコの血液型は無型であるマスターブラッド、国内に適合者は確認できなかった。あなた以外にね」
「え? マスターブラッド保持者は国内では発見されなかったって」
「事情があって血液公社には登録しなかったの」
どうやらわたしがナデシコを再起動できたのも、偶然というより虎姫さんの思惑通りだったらしい。保護した後にわたしの血を利用する算段だったのだろうが、アクシデントが重なりタイミングが早まったのだろう。しかし更なる疑問も思いつく。
「じゃあ、今まで輸血はどうしてたんですか?」
「適合する血液型を持った前任者がいたんだけど、事故によって造血能力が低下してしまった。ヴァンプロイドに分け与えるどころか、出歩くときは事前に預血して出先で摂取しないと生きていけない身体になってしまったの。――こんな風にね」
そう言うと虎姫さんはトレードマークの首から下げたスキットルを呷った。
「あ!」
「お酒じゃないよ。血小板を抜いて精製した保管血液」
アルコール中毒のやばい人ではなかった。しかし、そんな身体状況でも仕事を続けるのは狂気さえ感じる。
「ナデシコはワタシの妹だったモノ。ワタシの血がなければ停止するのに、ワタシは十分に血を造れなくなってしまった。グリゴリのマスターブラッド狩りによって世界中探しても手に入らなくなり、絶望しかなかった。でも最近になりマスターブラッドの情報が届き、結果としてボタンちゃんが助けてくれた。これでナデシコは生き続ける。御礼を申し上げます」
そうだったのか。マスターブラッドを忌まわしく思ったことは数あれど、誰かの役に立ち感謝されるとは思っていなかった。そして、まさか意中の人と同じ超希少血液型って、奇跡すぎてときめきませんか?
「――もし、ワタシが死にそうになることがあったら、助けてね」
わたしの視線は虎姫さんの麗しい唇に釘付けになった。どうして輸血を経口摂取しているのかは疑問に思わなかった。むしろ今それを否定する理由は邪魔である。
ピンチが来て欲しいような欲しくないような、もどかしい気持ちがわたしを内側からくすぐった。この約束は死んでも守ろうと内心に誓った。
この後、心底肝を冷やすとは知らず、わたしの気分は浮かれたまま目的地に辿り着いた。
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