【02-10】月白の吸血鬼
【無我夢中で闇を切り裂け】
バックミラーに虎姫さんとアルマロスの姿も見えなくなった。あの不死身な男とどうやって彼女は戦うのか不安だったが、それよりも自分の心配だ。虎姫さんの仲間とやらには無事に会えるのだろうか。無限に汗が流れる。呼吸が苦しい。どこまで進めばいいのだろう。
「あっ」
視界正面に車を捉えたときにはもう遅かった。
しかも、わたしはブレーキとアクセルを踏み間違えてさらに加速したのだ。
正面衝突する。
【大破】
今度は鋼鉄と鋼鉄がぶつかりあい、互いにとことん歪ませるとエネルギーが爆散した。
ボンネットは湾曲し、フロントガラスは砕け散る。
いくつもの部品が粉々に飛散していった。
ステアリングから飛び出したエアバッグに顔面をぶん殴られて、何も見えなくなる。
衝撃音もゆっくりと伸ばされて遠のいていく。
ただ、身体が宙に浮かぶ感覚だけがはっきりわかった。
こういうときに意識は研ぎ澄まされて時間の過ぎ方がやけに遅く感じる。
――あれ? 対向車のほうからぶつかってこなかったか? 確かにわたしはギリギリながらも中央線をはみ出さないように運転してたはずだ。相手は居眠りか不注意か。もしくはこちらを止める意図があった。そんなことするのは誰か。味方がこんな手荒い真似をするわけがない。だとしたら――。
そこで時間は正常さを取り戻す。横転する車もろとも、わたしは地面に激しく叩きつけられた。
【※※※※※※※※※※】
「アカンやろ! 車がお
「阿呆、ちょっとぶつけるつもりで脅しゃエエものをよう」
「ちゃうわ、向こうから突っ込んできよった! 獲物殺したらそれこそ
「
「ちょっと待てえ。なんや他ん車がぎょーさん来とる。ハイエナやんか。回収してさっさとズラかるで」
「ますたーぶらっどっちゅう噂ほんまやったねんなあ」
遠く、誰か複数人の話し声で意識を取り戻した。わたしは自分の身体が五体満足なのを確認する。全身が痛むが骨折はなさそうだ。ところどころ擦り剥いて血が滲むが我慢できないことはない。口内も切ったのか血の味がした。
ここはどこだ? 周囲を確認すれば、区切りも曖昧な広い更地に廃車や廃材が無造作に放置されていた。廃棄物の無許可投棄場だった。わたしを吐き出した霊柩車は、腹を見せて煙を吐きながらほぼ鉄屑と化していた。運転席が潰される直前にドアが外れたのが幸いしたのか、わたしは放り出されて地面に横たわっていたのだった。相手の車も、もう少し離れた場所で似たような惨事だった。いくつかのタイヤが転がっていくのを眺めながら、生きているのが不思議なくらいだと場違いな感動をしていた。
頭を打った衝撃のせいか、遠方を見てもピントが合わない。向こうの車の近くで何人かの人影が
『――暴力団、潜んでいる海外マフィア、半グレ、武装した血液カルテル、匂いを嗅ぎつけたモスキートたちが動き始める。手に入れるために手段は選ばない。特にグリゴリの連中に目をつけられたら戦争ね』
虎姫さんの声が頭の中で再生された。そうか、あいつら全員敵だ。その数、約百人。わたし一人に馬鹿みたいな人数寄越しやがって。そして絶対絶命だ。逃走手段も戦う武器もない。虎姫さんもいない。
――そういえば彼女は何かを言い残していた気がする。棺がどうとか。
わたしは霊柩車に視線を向けると、大破した後部座席とトランク部分から突出している黒い箱のようなものが見えた。片足を引きずりながら近づき、手をかけて車から引っ張り出した。人一人収まりそうなソレはよっぽど頑丈なのか、傷一つない。
【型式一番乙種】
シンプルな文字列だけが表面に刻印されていた。これが敵を殲滅させるという血税局の秘密兵器なのか? 指の腹でなぞると薄っすらとした継ぎ目があることが判明した。辿っていくと数箇所に留め具がついている。ロックを解除すると密封空間に空気が入り込んだ。蓋を開けながら、パンドラの箱の話を思い出した。この中身は希望か災いか。そして姿を現す。
【その美しい人形は、天使のような少女だった】
拍子抜けした。こんな地獄のような状況に場違いすぎるだろう。
箱の中にはわたしよりも小柄な少女が横たわっていた。白磁のように透き通る肌と彫刻作品のように完成した造形。着ているのは雪のように白いワンピースのみで、手術着のように乏しく白無垢衣装のように華やかだった。寝ているだけか遺体なのかはわからない。ただ、伏せている長い
「とっ捕まえるのが先やろが!」
至福の時間は束の間、すぐに現実に引き戻される。ヤクザたちは互いに潰しあっており、そのまま全滅しないだろうかとも願ったが、群衆は接近しつつあった。
流れ弾がわたしの足元で弾ける。
武器の種類と数も見えてきた。
拳銃、マシンガン、ショットガン、ライフル、警棒、鉄パイプ、鍋の蓋、電動工具、蝿叩き、ヌンチャク、包丁、ハサミ、カッター、ナイフ、ドス、キリ、などなど。
まるで喧嘩の展示会だ。
お飾りの人形だけで、どうやって戦えと言うのだ。
今日一日、感情のジェットコースターに乗り回されてわたしの脳みそは疲弊しきっていた。どうせ、この中の誰かに
もう何も考えたくなかった。過去の思い出だけに浸っていたい。ツツジともしもの未来を語りたい――。
『ねえ、ハグとキスしてる間は、苦しいこと全部忘れられるんだよ』
わたしは人形をツツジだと思い込み、抱きしめて接吻する。
唇を離すと、わたしの吐血が人形の口から一筋垂れた。
わたしは赤い線を指で拭うと、彼女の唇に紅を塗った。
まるで生きてるみたい。
初めての人形遊びは楽しかった。
そうだ、イヤリングをつけてあげよう。
わたしはポケットからガーゼを取り出す。
中にはお揃いのイヤリング、――ツツジの右耳。
……震える手で握り締める。
思い出した、ここはディストピア。
銃声と喧騒が迫ってくる中、なにをやっているのだろう……。
揺れる心。
緩む涙腺。
こみ上げる言葉を、叫ばせてくれ。
「…………奪うな。これ以上、わたしから、奪うなぁー!」
【覚醒】
――誰かがわたしの頬を撫でる。
見ると、人形が動いている。
指ですくった涙を舐めた。
「供血者【ドナー】を承認、血盟勅令【ブラッドドライブ】の極印完了。……おはよう、おねえちゃん」
開眼した人形が甘く幼い声で話しかける。
大きな瞳が、まっすぐわたしを見据えてくる。
「……あなたは誰?」
「ボクはナデシコ。あなたのためのヴァンプロイド」
「……助けてくれるの?」
「お望みのままに!」
人形は威勢良く立ち上がると、華奢な腕で棺の蓋を持ち上げる。
「ぶっころー!」
彼女は敵の大群に向かってそのまま走り始めた。
手始めにこちらに一番接近していたチンピラの頭に蓋を振り落とす。
鈍い音、気絶したチンピラその一は泡を吹いて卒倒する。
周囲の人間も異変に気づき、彼女を攻撃しようも振り回された蓋に迎撃された。
血気盛んなチンピラたちの猛攻を、子供と鬼ごっこしているかのように身軽に避けていく。
たった三分ほどで既に十二人はなぎ倒していた。白い悪魔の伝説を思い出す。
異様な少女が一人無双しているのにヤクザたちも気づき拳銃を発砲した。
弾丸は盾にした蓋で兆弾され、彼女に群がる有象無象の身体を貫いた。
彼女はボコボコに使い倒された蓋を捨てると、足元に落ちていたナイフを投射して発砲したヤクザのうち一人の眉間に突き刺した。
それでも銃弾の雨は病まない。
雑技団のような身のこなしでハンドスプリングやバク転など回転技を繰り出しながら回避しつつも迫り拳銃を一丁奪うと、正確な射撃でさらに周囲の敵の急所を射抜いていく。
弾切れになると、さらにまた敵から武器を奪って殺す、暴力の永久機関だった。
武器が手元になくとも徒手格闘や
華麗に障害物をすり抜けていき、誰も彼女を視認できない。
しかし彼女は
まるで一方的な狩りだった。
やがて敵全体は勢力同士での小競り合いを止めて、全員で少女に立ち向かっていった。
しかし抵抗虚しく、機関銃掃射で血祭りにされていく。
ひどく残酷で気味の悪い光景なのに、わたしは内心で『やっちまえ』と彼女を応援し気分は高揚していた。
少女の白い肌と服も、返り血で赤く紅く丹く赫く朱く緋く汚染されていた。
百人ほどいた武装勢力もほとんどが横たわる屍と成り果てて、残り一人のみが立っているのみである。
「ち、近づいたら道連れだぞ!」
彼女はその滑稽さに甲高く笑った。そして狂喜乱舞とばかりに走り出した。
「ギャハハハハハハハ!」
「来るなって言ってんだろチクショー!」
ピンを抜かれた手榴弾が彼女に向かって投擲されるも、あっさりキャッチされてしまった。
それどころか彼女は男に接近すると、ブツを掴んだ拳をそのまま男の口に捻じ込むのだ。
男は少女の手首を必死に引き抜こうとするも無理らしい。
顔中の穴という穴から体液を撒き散らしながら、絶望のあまり男はそのまま失神した。
「――連れてってみてよ。地獄ってところまで」
【爆発】
幾重の閃光が闇に散らばった。
そして強烈な風が音を連れて全方位を圧迫する。
見えない衝撃が身体を芯から揺さぶった。
爆炎と煙と土埃が舞い上がる中、少女は無傷のまま拳を突き上げて仁王立ちしている。
まるで勝利宣言されたボクサーのように。
「ゲーム、クリアー!」
――闇夜にて輝く、あれは月白の吸血鬼だ
あまりの威風堂々とした姿と現実離れの惨状に、わたしは感嘆として無意識のうちに大きな拍手をしていた。ブラボー!
ちなみに男のほうは下半身だけがかろうじて形を残して消し炭になっているのに、なぜ彼女は何事もないかのように立ち振る舞っているのかは考えもしなかった。もう思考が完全に麻痺していたのだ。
「おねえちゃん! やったよ! ボク、すごい?」
「すごい! 最強! かわいい!」
「じゃーあ、ご褒美。いいかな?」
「……ご褒美?」
「ボク、太い血管から直接ナマでいくのが大好きなんだあ」
歩み寄ってくる少女は口角を上げて、その不気味な笑みから鋭い
「いただきまーっす」
「んあっ……」
あっという間に彼女はわたしの首筋に噛み付いていた。手首を掴まれて抵抗する術もないし、なんなら指を絡めてくる。血管に尖った牙が入り込み、濡れた舌先が零れる血液を舐め回していく。刺激的な痛みと体外へ放出される快楽に、わたしの頭が真っ白に溶けていく。ツツジと過ごした最期の夜みたいに――。
「お楽しみの最中、失礼」
誰かの声で意識を醒ました。気づけば、吸血少女は大柄な男性二人組によって引き剥がされていた。
「何すんだ、お前ら!」
彼女はすぐ攻撃態勢に立て直す。
「型式一番を制圧する。射撃始め!」
男二人は銃身の長い火器のようなものを少女に向けた。
しかし弾が発射されていないのに彼女の身体は跳ね上がり倒れる。
それでも手足を震わせながらまた立ち上がろうとする。
「おいおい、常人なら即気絶の出力だぜ」
「頑丈さと再生能力はお前が身を以って知っているだろ。とにかく燃料切れまで続けるぞ」
二人組は発砲のような行為を交互に繰り返す。少女の身体はどんどん弱っていくようだ。
「やめて!」
「――あなたも動かないで」
女性の声と後頭部に当たる鉄の感触。気配に気づけないまま、背後に誰かいた。
「両手を挙げて。さもなければ問答無用で気絶させる」
言われた通りにする。抵抗の意思のなさを示しながら、ゆっくり首を回して後ろの人物を確認する。こちらも背の高い無表情な女性だった。片手で拳銃のようなものを構えながら、耳元に手を当てて喋りだした。
「永原です。虎姫さん、聞こえますか? ……型式一番の再起動を確認。エンジとスオウがナックルウーファー二丁で制圧中。ドナーと思われる少女も確保。どちらにも大きな損傷はありません。ただし型式一番の暴走に巻き込まれたブラッドサッカーが百人ほど、死んでいるか行動不能でしょう」
「……見えてるよ。彼女は脅さなくても大丈夫だから、スコーカー下ろして」
虎姫さんが姿を現した。冷静に周囲状況を観察している。わたしの後ろの女性は銃口を下げたものの、警戒は緩めていない。アマリリスの花と【血税局】の文字を組み合わせたロゴマークを背負う黒い制服を来た人間たちに、すっかりわたしは囲まれた。
「お疲れ様です。秋月組の事務所はやはり全滅でした。事後処理に手間取り合流遅れて申し訳ありません」
「仕方ないよ。こっちも想定外で、逃した魚は大きかった。それにあの身体の変化、事によっちゃ
「まさか、アルマロスにその可能性が……?」
「さあね、楽しい議論は帰ってからにしよう。
「了解」
女性は暗闇へと去っていった。あの少女人形は完全停止したらしく、男性二人に拘束具をはめられていた。
「……虎姫さん」
わたしはようやく声が出せた。
「ごめんね、ボタンちゃん。そして流石だね。休眠していた人形を再起動させてブラッドサッカーどもを百人斬り。求人要件を満たすどころか、もう一仕事達成とは恐れ入ったよ」
「あ、あの子は一体何なんですか?」
「簡単に説明すると、ヒト型汎用実務代行吸血機関自動人形【ヴァンプロイド】。供血者をただ一人に限定する代わりに死んでも命令を遂行する魂のないお人形さん。そしてアレは型式一番、コールサインはナデシコ。魚籠多博士が最期に残した最高傑作。かつての異名は起動戦艦。そしてドナーに選ばれたあなたのバディ」
「バディ?」
「仕事の相棒よ。状況変動による緊急措置として、あなたを型式一番の取扱責任者に任命します。約束していた保護には変わりないけど、学校はしばらく諦めて」
「どういうことですか?」
「採用のお知らせってこと。ようこそ、淡海府血税局血液取締部起動二課
――拝啓、お父さん。わたしは義務教育より先に吸血鬼の一員になってしまいました。奪う人より与える人へ、そんな目標から一歩遠のいた娘をお許しください。
「安定の公務員だから安心して。でも、これからは
わたしの人生、本当に幸せになれる日は来るのだろうか。
「地獄の門を、一緒に叩きましょう」
最高にキュートで最悪なスマイルにわたしの心は奪われる。
【
ああ、わたしはこの人が好きなんだと死ぬほど後悔した。
夜明け差す光が眩しい。わたしは疲労と眠気と安堵と貧血で、瞬く間に意識が暗転した――。
【※※※※※※※※※※】
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