【02-08】鮮血を好む悪魔

【そこには、が立っていた】


「――おい」

 臓物はらわたを掴まれたように身体がり、恐怖が体中に伝染した。その重低音の声の持ち主は、こんなところにいるはずがなかった。

 あの日の光景がフラッシュバックする。降り積もる雪、白い世界。北区の医院、暗く重苦しかった採血部屋。血だまり、血しぶき。何もかもが鮮やかな赤に染まる。倒れて死んだはずの、長身長髪の黒コート男。

「……誰だ?」

 情けない姿で振り返ったハギ医師も、その男から放たれる異様な迫力に呑まれていた。


「アルマロス、悪魔を解放しに来ただけだ」


 獲物に狙いを定めた肉食獣のような目つきで、こちらを静かに見据えていた。かざした右手の甲には相変わらず、あの悪魔的な刺青いれずみが刻まれていた。記憶と違うのは、欠損していたはずの左目と左手が生え揃っていることだ。


 わたしは呼吸を忘れて、ただただ震えていた。声も出ない。痙攣けいれんが身体中の神経を支配していた。鈍い記憶が、強制的に脳の奥から呼び起こされるばかり。

 ――あのとき、確かに殺したはずなのに。亡霊が現れたとしか思えない。

「マスターブラッドの娘を返してもらおう」

「返す? 秋月組の領分に手を出したらどうなるか」

「この場所を聞き出すために組の事務所に立ち寄ってきた。用済みになった者は皆殺しにするのがオレのルールだ」

「虚言癖のイカレ野郎か?」

 男は足元の何かを蹴って寄こした。転がるソレは人の頭くらいの大きさで、歪なボールかと思った。しかし、違う。

「確かめろ。お前の言うオレの妄想ってやつだ」

「……若頭かしら?」

 前に見かけたことがある。遠くからツツジが指差して紹介してくれた。秋月組の若頭はキレると容赦なく暴れるから、部下も敵も再起不能になったとかなんとか。その狂犬と呼ばれたヤクザの、生首だったのだ――。


 わたしの神経はもう麻痺していて、涙目になりながら笑うしかなかった。もう頭がおかしくなりそうだ。いっそ意識を失いたかった。

「……それがお前の悪魔か?」

 アルマロスは音もなく、一瞬でハギ医師との距離を詰めていた。

 男の右手はいつの間にかハギ医師の股間部分を根元から掴んでいる。

 ジョークではないとハギ医師は気づき、その顔面から血の気が失せる。

 男の手の甲から、骨と血管が盛り上がり始める。


【粉砕】


「おい、マジでやめろよ……。やめろ! やめろやめろやめう゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 ブチュブチュと柔らかい果物を握り潰すような音が聞こえた。

 ハギ医師の顔が苦悶に歪み、荒々しい絶叫が響く。

「弱い悪魔は淘汰される。強い悪魔しか生き残れない」

 アルマロスの手の中には千切られた男根と睾丸が原型を留めない状態にまでなっていた。

 指の隙間から肉片と体液がボトボトと床に落ちる。

 ハギ医師はその場に倒れこんで、陸に打ち上げられた魚のように身をくねらせてのたうち回っていた。

 悶絶も切れ切れになっていく。わたしには想像できない激痛だった。

 さらに、男はハギ医師に馬乗りになり臀部を押さえつける。

 男の指はハギ医師の肛門に突っ込まれると、それを縦に裂き、そこに陰茎だったモノを無理矢理に挿入した。

 意味のわからない行為だが、もうハギ医師に意識はなく白目を剥いて泡を吹いていた。

「儀式は終わりだ。逝け」

 アルマロスはハギ医師の頭部と肩を掴むと、瓶の蓋を開けるような手つきで半回転させた。

 パキンと骨が折れる音がすると、ハギ医師の首はブラリと垂れ下がり、一切の動きを止めて静かになった。


「お前の悪魔は強かった。久しぶりだな、志賀ボタン」

 男はしゃがんでわたしに目線を合わせた。血と肉にまみれた掌をベロリと舐めている。頭が狂っているとしか思えない所業だ。

「悪魔に犯された後は、全ての痛みが快楽になるのだ。あのとき、お前は見事にオレを殺した」

「……なぜ生きている?」

「地獄から追い返された。そして最強の身体に蘇生されたのだ。原因と結果を与えたお前たち親子には感謝している」

 支離滅裂な発言だ。もうこの世界は滅茶苦茶だ。耳だけのツツジ、ヤクザの生首、陰部をがれたハギ医師、そして目の前には鮮血を好む悪魔。もう生きていたくない。


「殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して」


 発狂する寸前、アルマロスがわたしの口唇を掌握し塞いだ。声が出なくなる。わたしの目玉は零れ落ちそうなほど見開いて、垂れ流れる体液が男の手首を伝う。しかしあやめられることはなく、男は衝撃の一言を放つ。


「父親に会わせてやろう」


 パニック状態から急に頭が冴えてきた。わたしは生きなければならないことを思い出す。家出の理由、父親を探すと言う使命。真相を知らなければ死ぬわけにはいかないのだ。

 思考停止すると脳への負荷が消えて楽になった。男は手を離して歩き出す。わたしは立ち、黙って男に着いて行く。非常階段を降りて、裏口の扉を開けて、外へ――。

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