【02-07】無意味だってわかるだろ

【何も知らないままのほうが、まだ幸せだったかもしれない】


 寝床から出かける気力が失われていた。もしツツジが帰ってきて入れ違いになったら、二度と会えない気がしたからだ。

 それも三日目で気持ちが負けた。どこかでツツジが倒れてやしないか、地下も地上も歩き回って隈なく探した。顔見知りの地下住民たちに聞いても首を横に振るばかりだ。そうだ、体力が落ちていたならハギ医師のところで療養しているのかもしれない。すでに深夜ではあったが、わたしはさっそく診療所へ向かった。


「お前もずいぶんとやつれたな」

 ハギ医師は何か書類作業をしていた。

「ツツジ、来ませんでしたか?」

「来たよ」

「どこにいるんですか?」

「ここにはいない」

「どこにいるんですか!」

 ハギ医師はゆっくりと顔を上げて、わたしを哀れむように眺めた。

「知っても何も得しないぞ」

「知らないほうが、嫌だ」

「……言ったな」

 ハギ医師は紙の束から一枚を探して引き抜くと、その内容を読み上げた。

「えーっと、合衆国に六点、ユ連にも六点、欧州方面に四点と、南半球のどこかに三点ほど。残りは国内で処理するみたいだ。詳細は知らん」

 何を話しているか理解できなかった。海外旅行にでも出かけたというのか。いや、そんな呑気な話ではないだろう。

「そうだ、アレだけは残っていたはず」

 ハギ医師は思い出したように立ち上がり、奥の治療室からガーゼに包まれたものを差し出してきた。わたしの手のひらに置かれたソレの中身を、恐る恐る確認する。内部は赤黒く変色している。


 見覚えのある四葉のクローバーのイヤリング、――に頭部から切除された耳がついていた。


「ひっ」


 驚いて思わず手元から落としてしまった。見間違いだと思い、もう一度拾って注視する。残念ながら、間違いなく、ツツジの右耳だった。

「……なんですかコレ。ツツジはどうしたんですか」

「見ての通りだ。ツツジは先日、客と揉めたらしくてな。そもそも薬漬けにして借金膨らませて逃げないようにしていたが、ついに精神崩壊したみたいだ。商売道具にならないのなら必要ない。仲介した組の連中も、もう潮時だと思い処分を決めた。あいつも最後にまともな精神が働いて、貯めてた金を抱えて逃げようとし、結局捕まったとさ。まあ、俺のところに運ばれてきたときにはもう死んでいたけどな。バラして売りさばいた。若い女ってだけでやはりいい金額になったよ」


 ツツジの仕事についても、依存性の高い危ない薬をやってることもなんとなく勘付いてはいた。それでも、他人の口から事実を告げられるとショックだった。


「さあ、次はお前の番だぜ」

「えっ?」

「ツツジの仕事引き継いで、変態の相手するんだよ。あと、お前の血液もいい商売になる。組はまだ気づいていないが、価値がわかる取引相手に一部を横流しする算段がついている。お前は知恵が回らないよう薬で馬鹿にするから安心しろ」

「……わたしが?」

「とぼけるなよ。その耳飾は秋月組の商品って意味だろうが。地下にいながら襲われず犯されないってのは、それのおかげだ。ツツジも、その母親も、その前の奴のもっと前から続いてるんだ。嫌ならお前も身代わりを用意するんだな。まあツツジたちがどうなったかを見れば無意味だってわかるだろ」


 そうだ、この地下社会は人間を消耗品のように扱って売り買いされる。でもわたしは、どこかで自分とは関係のない話だと思っていた。血を売って、余裕があれば競艇して、帰ればツツジと馬鹿話するような生活が続くなんて、やはりそんな甘い話があるわけなかった。閉じ込められた病院から場所が変わっただけでずっと抜け出せない境遇、どこまでもディストピアだ。


 ツツジは正直で賢かった。わたしみたいな馬鹿を身代わりに捕まえて、イチ抜けしようとしたのだった。あんなに地下から逃げられないと念をおしてきたくせに、ちゃっかり自分だけ逃げる段取りをつけていたとは。わたしに留守番させたのも、あの寝床のどこかに現金を隠していたのだろう。騙されたことに怒りも悲しみもなく、自分の平和ボケした頭にただただ呆れた。乾いた笑いがこみあげた。


「そうだ、一発練習しとくか? ツツジに隠れて目立たなかったが、お前も中々悪くない」

 ハギ医師は腰ベルトの金具に手をかけて立ち上がった。わたしは男性特有の圧力に怯えて後退しようとしたが、つまずいて尻餅をついた。

『この地下にまともな人間はいない』

 自分で言っておきながら自分に突き刺さってくるとは。残酷な現実が受け入れられず、ただひたすらツツジの耳を両手で握り締めていた。相変わらずわたしの脳内はお花畑で、天に願いなんか届くはずがないのに祈るばかりだ。

 たった一度しか会ったことがない、あの人を想って。


 ――虎姫さん、助けて!


 そのとき、非常扉が開いて人影が忍び込んできた。

 驚愕きょうがくして頭が真っ白になった。嘘だ、ありえない。

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