【02-05】世界はちっとも易しくない

【人生で初めてのドライブは誘拐の恐れがあった】


「手動運転だからってビビらないでね。ワタシたちは職業上、普段から身体使って車を動かすのに慣らしておかないと、いざというときに逃走犯とカーチェイスなんてできないからね」

 目的地は特に決めずに、信号のない環状型バイパス道路に乗り込んだ。淡海府内の内側寄り主要地域を結んでおり、自動車であれば一巡するのに二時間とかからない。

「緊張しないで、別にどっかに連れて行こうってわけじゃない。一周する間に済ませるから。聞かれたくない話は移動する車内に限るって、好きな映画の影響でね」

 助手席に座るわたしは居心地の良すぎるシートや見慣れない景色、何より虎姫さんが何を聞きだしたいのか思惑を巡らせて落ち着かなかった。シート背後からは間仕切りされて隠されおり、荷室には何が積み込まれているか確認できない。


「ねえ、血税局ってどんなイメージ?」

「苛斂誅求の吸血鬼、って噂ですよ」

「難しい言葉知ってるね。そんなひどいもんじゃないよ。一応特別司法執行職員ではあるけど、警保局みたいに無闇に乱暴したりしない。特に血液資本のこの時代じゃ、流血沙汰が一番嫌われるからね。血税局という名前の通り、血と税を適切に回収しルール違反を取り締まるお仕事」

「脱税してると罰として血を抜かれるとかなんとかって」

「なんじゃそりゃ。ワタシたちに医療行為はできないよ。採血は血液公社がするの。ワタシたちは置き換わったドロップを税として回収するだけ」

「税金って、地上の人たちが嫌ってるやつですよね?」

「まあ、そう言わないでよ。学校の授業でなんて説明してるの?」

 わたしは黙って首を横に振る。もちろん図書館の本の中で情報としては知っているが、払ったこともないので実感がない。


「……そうね。これはワタシ独自の説明だから絶対正しいとは思わないでね、簡潔に言うから。

 ワタシたちは国という集団で暮らしている。みんなで使えるものはみんなで使ったほうが個々で持つより安上がりだし便利だし、困っているときはお互いに助け合ったほうが生存確率が上がるし集団が継続できる。

 そういうことを代表して行うのが政府であって、そのために必要な財源の一つが税金。資産が全くない人から取るのは不可能だから、ある程度余裕を持って所有する人から徴税することにしてる。労働で得た売り上げから必要経費を差し引いた所得とか資産運用の収益、会社、土地、家、車、買った商品などなど。酒や煙草なんか贅沢品は特にね。

 そうして集めたお金は政府の運営資金であり、公共事業やインフラ整備に福祉・教育エトセトラ、そして富を再分配して経済格差を是正し、みんなが住みやすい国を目指す、はずなんだけどね。

 徴税した金額で国民全ての願いを叶えられるわけがないし、予算の使い方を決める政治家の判断は完璧じゃない。謎の圧力によって訳の分からない名目の納税義務も増えた。……だからって税の仕組みそのものは否定できない。問題を摩り替えて、何をしても文句言う国民は必ずいるもの。自分一人きりで生きてるつもりなら、無人島でサバイバルでもしてもらいたいわ」


 儲け過ぎたドロップはブン捕られる。地上も地下も変わらないみたいだ。

「でも国がお金を発行するなら、徴税する必要がないのでは?」

「大事なのはね、お金そのものよりも物資や労働力、特に今は血液なの。お金はあくまでそれらの交換券、平等な権利ね。国のために働いてもらうため政府はお金を使う。

 国の資源は有限なのに交換券だけ無限に刷り続けたらどうなるか。戦後、借金返済のためにそういうことして、お金が紙切れになった国が山ほどあった。お金の価値がなくなるということは政府が機能しなくなるということ。現存する資源に対して適切量のお金を流通させないといけない。そうやってバランスとるのも税金の役目ね。資源と金が同時に増えればいいんだけど。日蝕時代の前政権は物価上昇の中で増税して、相当バッシングされた後に失脚。今の血税党はそこらへんは賢くやってるみたい。無駄な公共事業と言われても、消費者層にお金が回って経済が動き出せば無駄じゃない。厄介なのは中間搾取する輩が貯金ばかりするところね。

 ……まあ、財政批判は専門じゃないから、一つの意見を鵜呑みにせず多角的に勉強しといて」


 ある程度喋ると虎姫さんは一旦区切り、右手をハンドルに置いたまま左手のみでスキットルのフタを空けて少し舐めた。公務員が堂々と飲酒運転してる。

「それ、お酒ですよね?」

「ワタシにとっての燃料みたいなもんだよ、安心して。むしろ呑まなかったほうが事故る」

 余計に安心できるかい。とは言え虎姫さんの運転は落ち着き払って快適そのものだった。車は地図で言うと右回り、とっくに南区を抜けて西区の夕焼けを反射するビル郡を抜けていく。


「もう少しだけ補足。魚籠多びくた博士たちが開発した吸血機関が社会の仕組みを変えていった。エネルギーもお金も、血液を変換して産まれるモノ。潤滑に徴税するためには、人々が供血しやすい仕組みを守らなきゃならない。血税法に違反し、不正な血液売買ルートを持つブラッドサッカーたちを調査し取り締まる組織が必要だった。本来なら血液公社が徴収するはずの血液が、犯罪者たちに易々と盗まれるなんて許されないからね。

 だけど内務省保安局は基本的に事件事故の発生まで動けない。そもそも現代において血液とは医療資源なのか燃料なのか税金なのか、その定義で議会は揉めまくったよ。厚生省医務局も商工省燃料局も大蔵省主税局も管轄争いばかりで抜本的解決はたらい回し。血液犯罪の危機に直面していた淡海府は腰の重い政府に見切りをつけて、試験的に地方税務局の業務と血液取締の権限を統合した新組織である『血税局』を配下に置いたってわけ。結果は上々、府知事の勅許のおかげで捜査がし易く検挙率は高水準をキープしてる。元々、脱税を入り口に犯罪組織を捕まえてた実績もあるしね。それでも街が平和にならないのは悔しいけど。

 ワタシの所属する起動捜査部隊は、特に血液の密売組織をメインターゲットにしてる、ちょっとだけ血腥い部署ね。やってることは麻薬取締官に似ているかも」


 気づけば日は暮れて、霊柩車は湖北区の工場地帯を走っていた。配管や煙突が絡みつく巨大な建造物たちは星を散りばめたようにその輪郭を光らせている。無機質な静かな夜だった。車内では虎姫さんの声と走行音だけが空気を震わせている。


「――さて、そろそろ本題に入りましょうか。常日頃から血液ブローカーやバックにいる暴力団の動向を色々探っているんだけどね。ここ最近で押収した血液の中に珍しいブツが紛れていた。血液型の中でも黄金の血とも呼ばれる万能血液、もしくはマスターブラッドと呼ばれるもの。鍵で言えばマスターキーのようにどの身体にも適合する超希少血液。血液公社のデータでは国内に登録者はなし。南区の圏外領域が出所っぽいんだけど、何か心当たりある?」

「……なんのことだか」

「正直ね。もう少し嘘つく訓練しないと。しかし少しは自覚してもらいたいな。質より量でしか血液を計らない、ザルなヤクザたちはまだ気づいていないからいいものを。存在に気づいた医療機関や愛好家ならたとえ少量でもとんでもない値段をつけるでしょう。闇市場でそこまで派手な需要が目立つとなると秋月組だけの話じゃなくなる。湖南会の範疇でも収まらないだろうね。湖周県や国内からシマを増やしてきた暴力団、潜んでいる海外マフィア、半グレ、武装した血液カルテル、匂いを嗅ぎつけたモスキートたちが動き始める。手に入れるために手段は選ばない。特にグリゴリの連中に目をつけられたら戦争ね」

「……グリゴリ?」

 どこかで聞いた単語だった。そうだ、わたしがいた北区の医院で殺したあの男が口にしていたはずだ。

「知ってるの?」

「……いや、何かで聞いたかもってくらいです」

「関わったら最後。堕天派悪魔崇拝結社っていう新興の武装カルト宗教団体で、リスクを恐れずに無差別な血液徴収を繰り返して、荒稼ぎと勢力拡大している。任侠や面子にこだわるヤクザのほうがまだ行動が予測できるけど、連中は本当に暴力もタブーも躊躇せず、何をしでかすかわからない。特に幹部のアルマロスって男は暗黙の不戦協定も無視して――って、話が逸れたね」

「……結局、わたしにどうしろって言うんですか?」

 虎姫さんは視線だけをこちらに向けた。


「我々の手で保護させていただきたい」


「えっ?」

 意外な回答だった。地下生活から解放されるなんてこれっぽっちも期待していないかったらから。

「もちろん、あなたの出自についても調査して考慮します。何かから逃げて地下に行ったのなら、それから守る。しばらく血税局の護衛がつくけど、新しい身分で学校にも通える」

「そんなこと急に言われても……」

「もちろん、今すぐという話じゃない。こっちも急に動いたら危ないから、ブラッドサッカーたちを刺激しないよう入念に準備を進める必要があるし」

 こんな甘い話を信じてもいいのだろうか。お金を貯めなくても幸せになれるだなんて。よくいる大人たちが同じことを言ってもわたしは疑っただろう。しかし不思議なことに、この人の言葉はまっすぐにわたしの心へ届いてきたのだ。全然合理的判断じゃないのに、わたしは少し迷いながらもさらに注文する。

「……できれば、もう一人も」

「友達? いいよ」

 半信半疑だったけど、言うだけ言っておこうと思った。どん底のわたしの人生にハッピーエンドがやってきたのだと、胸の奥が高鳴ってきた。

 車はすでに北東エリアの倉庫街を後にして、東区の殺風景な田園地帯を進んでいた。


「さてと、今度はあなたの自己紹介。ウチの分析官けっこう優秀なんだけど、それでも情報がなかなか出てこなくてね。お名前は?」

「志賀ボタンです」

「いつから地下に? 前はどこにいたの?」

「こっちに来たのは数ヶ月前くらいで、前は北区にある父の医院にいました。けれど父が失踪して、そこにヤクザがやってきて、それで家出しました。母はわたしを産むときに亡くなったらしいです。ずっと一人だったけど、今は友達もいて。でも、家を出てくるときに、その、人を一人こ……」

 そこで声が詰まってしまった。暖房が効いている車内のせいか、強張った身体が和らいで無意識に涙が零れてきた。激しい呼吸の乱れを堪えるも、それからしばらくは何も話せなくなってしまった。

「……そっか。とりあえず、その北区の医院も調べてみるかね」

 虎姫さんはわたしの沈黙に付き合ってくれた。ドライブはもうすぐ終わろうとする。


「…………あの、父が言っていたんですけど、奪う人より与える人になれって。わたしはずっと奪い、奪われ続ける人生でした。与える人なんて、なれると思いますか?」

 ツツジにも伝えたことない心の内を、何故か初対面の虎姫さんに吐き出してしまった。彼女は口元に指を当てたまま、しばらく考え込んでいた。

「人生観や哲学を語るのは苦手なんだけどね。銀食器を盗んだジャン・バルジャンに司教様が何て言葉をかけてあげたか。奪うとか与えるとか、結局は本人たちがどう解釈するかだよ。……これは主観だけど、世界はちっとも易しくない。ワタシは産まれたときからずっと地獄みたいなところにいて、与えられることを期待しなかった。奪われるなら、その前に相手から奪うのみ。もしかしたら、奪い続けた人間だけが最後の最後に、与える人間ってやつになれるのかもしれない」

「なんか、強いですね」

 虎姫さんは、少しの無言を挟んでから口を開いた。

「……ワタシね、妹のために全ての血液犯罪者【ブラッドサッカー】を叩き潰したいの。地獄から遠く、安心できる世界に。そのためなら手段を選ばず容赦しないって決めてる」

 独り言のように、もしくは自身に言い聞かせるように零れ落ちた言葉だった。妹さんに何があったのかは、その表情を見たら聞けなかった。愛と怒りと哀しみと、そのどれかのようでどれでもない美しい横顔。


「あ、あの、全然関係ないですけど、なんで霊柩車なんですか?」

「正確には血税局の特別輸送車。うちの秘密兵器積んでるの。たぶん、いつかあなたを守る力になる。さーてと、そろそろ戻ってきたね」

 窓から差し込む光が増してきた。街灯の多さから南区に戻ってきたことに気付く。バイパスを降りてしばらく走り、話しかけられた図書館近くの公園に駐車した。

「ちょっと遅くなっちゃったかな。明日からも調査のためにここらへん巡回してるし、用意でき次第また声かけるね。くれぐれも、その友達以外に他言無用でよろしく」

 わたしは頷いて車を降りた。座っていただけなのに身体は疲労感でクタクタになってる。車が去る直前、虎姫さんは窓ガラスを下げて声をかけてきた。

「そういえば耳のソレ、かわいいね。四葉のクローバーの花言葉って、幸運、約束、……あとなんだっけ? ド忘れしちゃった。じゃあね」

 引っかかるようなことを言い残し、霊柩車と虎姫さんの姿は夜の闇に紛れて見えなくなった。静寂から街の喧騒が蘇る。全部が幻のような出来事だったのかもしれない。わたしは少し冷たい空気を吸い込んで歩き出した。顔の熱さは冷めないまま、頭の中はぼんやりしていた。

 胸の中が、ずっとドキドキしている。こんな温かい気持ちは初めてだった。

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