【02-03】地図に載らない場所

【負けた人間はいつもの場所へ】


 惨敗したわたしたち。再度挑戦する者もいれば諦めて酒を煽る者も、そして手元に何も残らない人間が行く場所はだいたい決まっている。

 競艇場前の南五条通りを東へずっと進み、人気も少なくなるところで路地裏へ。ここらへんは行政側の都合により開発計画が一時停止になってしまい、工事業者が撤退し建造中のビルや道路が中途半端なまま十年近く放置されていた。コンテナの倉庫やプレハブ仮設住宅が無造作に並び、他区画から出た産業廃棄物の不法投棄も目立つ。寂れた空白地帯には浮浪者や闇業者が住み着くようになり、地上では数少ないスコッタースポットである。まっとうな府民からは地図に載らない場所として、地下区画と同じ扱いである【圏外領域】とも呼ばれる。


 何度も通路を曲がり、とある外壁の施工が途中のままになっているビルへ。裏口は開けっ放しなのでそのまま進入する。途中、監視カメラに手を振る。動かないエレベーターの隣にある非常階段へ。三階の扉を手順通りにノックすると許諾の返事が聞こえたので取っ手を回す。目的地に辿り着いた。

「しばらく来なかったくせに、大負けしたのか?」

「まさかの1号艇転覆。今回きりでしょ」

「負け惜しみだな」

 淡海府南区を主に仕切る湖南会、その中でも勢力を誇る【秋月組】、そこに属する闇医者の一人がハギだった。ここはハギ医師の隠れ診療所で、良いこと悪いことなんでもやっている。かつてのわたしの父と似たようなものだった。


 南区に来てまず、ツツジにはこのハギ医師と診療所を紹介された。資金作りはまず売血が早いと。正規の採血であれば年齢も体重もクリアしないわたしでも、ここでは平等に扱ってくれる。しかし手数料は高くつくので差し引かれた血液対価【ドロップ】はなんとか腹を満たせる程度だ。まあ、困ったら何度も採血してもらえばいい。ここは回数制限もない。わたしも【ドロッパー】と呼ばれる供血収入を頼りに生きる人間になっていた。労働はクソである。

 血液センターで正式に採血すれば大体四百ドロップ前後は受け取れるらしい。個人の血液状態や血液市場全体のバランスによって変動はあるものの、公務員の平均的な初任給の五分の一と言われているので、安くはない小遣いだろう。しかしながらこういう不正な採血は足元を見られてとことん安く買い叩かれる。でも不正だからこそ、何回でも抜いてもらえば稼げるのだ。

「若さで誤魔化せるだろうが、回数重ねて血が黄色くなったら価値はないからな」

 小言をぼやきながらハギ医師は準備を進める。わたしは左腕を差し出し拳を握る。ベルトが巻かれて消毒されて、チューブの先の針がスッと内肘に突き刺さる。力を緩めれば血液がパックに吸い込まれていった。


 競艇場近くにも違法な採血所はいくらでもあるが、そこは素人が見よう見真似でやっているので処置は手荒く、傷口が悪化しやすいし体調も優れなくなる。その点、ハギ医師はちゃんと医者としての経験があるのでそこは信頼でき、少し遠かろうとここまで足を運ぶ理由があるのだ。

 しかし昔、勤めていた医局の薬品の一部をヤクザに横流ししたことで業界を追放された。医局は警保局への通報はせず内部で事件を揉み消したもののハギ医師はブラックリスト入り、医学会への再就職は禁じられ、そうしてヤクザに拾われて闇医者の仲間入りを果たした男であることも忘れてはならない。この地下にまともな人間はいない。


「最近、妙な女がここらへんを嗅ぎまわっているらしいぞ」

「地下には妙な人間しかいない」

「そうだな。まあ用心しとけよ。もしかしたら血税局かもしれん」

「血税局?」

「苛斂誅求の吸血鬼どもだよ。ヤバそうなら俺はすぐ逃げる」

 かれんちゅうきゅう、知らない言葉はまた調べよう。


 吸血鬼呼ばわりされる徴税人たちの噂はなんとなく聞いていた。

 この地下は血液を巡る犯罪者【ブラッドサッカー】の巣窟であるが、地上ではそれらを取り締まる【血税局】なる公的組織があると。国民生活の治安維持が目的の警保局よりも血液犯罪に専門的で容赦がない。捕まったブラッドサッカーたちはその場で血を抜かれるだの、犯罪組織が全滅するまでは地獄の底まで追いかけてくるだの、どちらが犯罪者かわからない。


「終わりだ。水飲んで、そこの駄賃持ってけ」

 ハギ医師は器具を外していく。わたしは腕を押さえながら、置かれた百ドロップ札を一枚受け取った。

「あとコレ。ツツジに渡しとけ」

「何?」

「体力とか回復するやつだ。仕事詰め込んで、それでも血を売りに来る。忙殺すぎて体調やばそうだろ」

 確かに、最近のツツジはやつれた印象がある。前までは飲酒していれば翌日には元気なフリをしていたが、この頃はそれも誤魔化しきれない。何かを焦っているのか。

 わたしは粉薬の入った袋をポケットにしまい、非常扉へ向かった。


【address:home】


 日も暮れる頃、わたしは帰宅した。わたしたちのお城で、ツツジはまだ寝転がってイビキをかいていた。腕も足も、出会った頃より骨ばっている。エサに飢えている野良猫みたいだ。

「……んあっ。あれ、もう夜?」

 わたしの足音でツツジは目を覚ます。化粧をしていない肌は不健康な色をしている。

「今日、どうだったの?」

「1号艇転覆で全部溶けた。とりあえず血売ってきたけど、しらばくレースないから厳しい」

「ふーん、まあまあ、なんとかなるでしょ」

 ツツジは着替えながら受け答えする。これから仕事なのだ。

「そうだ、ハギさんから預かった。コレ」

「……これ何なのか聞いた?」

「体力を回復するとかなんとか」

「まあ、合ってるっちゃ合ってる、か」

「あと、なんか妙な女がうろついてるって。注意しろとさ」

「この地下には訳アリしかいないぜ」

「わたしもそう言った。もしかしたら血税局かもだって」

「あーん? 国のお役人? だったら秋月組潰しちゃってよ」

 ツツジは大胆不敵な毒舌をよく呟く。いつ関係者に聞かれるかもわからないというのに。

「そんなこと、ありえる話?」

「ムリ無理むり! ここらへんの保安局と一緒、金渡されて見なかったことにされるだけ」

「そりゃそうだよね」


 珍しい話ではなかった。この地下社会がなければ、発展を続ける淡海府が成り立たない側面もあるし、地下を牛耳りそれなりの秩序を保たせているのは暴力団の役割だった。代わりに悪行を見逃してやることが利口なバランスのとり方だ。法に守られない人間たちにとっての正義と平和、それを乱す者こそ真の悪だ。


「今度競艇で当てたらさ、前みたいにラーメン食べに行こうよ」

「また福仙楼? ボタン好きだよね」

「万舟出たらさ、ここを出て地上のアパートとか借りてさ。別の仕事しながら二人で暮らそうよ」

「だから、そんな大金持ってたら組の輩にぶんどられるんだって。それに私たち身分証ないじゃん」

「そりゃニンベン屋とかになんとかしてもらって。お金さえあれば、なんでもできるよ」

「叶わない夢は悲しくなるだけだよ。その日食べるだけの金さえありゃいいの。じゃあね」

 準備の整ったツツジは颯爽と出かけていった。

「いってらっしゃい」


 わたしだってそんなのわかっている。毎日生きてるだけで幸せだ。それにわたしはツツジとの地下生活がけっこう気に入っていた。いつまでも続けばいいとも思っている。

 それでも、人間は満たされると、さらに高望みしてしまうものだ。欲深くなった人間はその行き過ぎた行いで破滅するのが昔話の教訓だ。

 しかし、夢見るくらいは許して欲しい。本当の幸せになれなくても、幸せなことを考えている間は幸せになれるのだから。


『人生、もうここで安定しただろう。そう思ったときに意外とひっくり返されるもんよ』


 その日の夢の中で、競艇場の妖精がまた語りかけてきた。嫌な夢だ。

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