【01-02】涙は血球のない血
【12歳】
わたしはまだ死んでなかった。相変わらず体内には他人の血が流れ続ける。その必要量も増えていく。父の金銭的な負担も具体的にわかるようになった。自殺は何回も失敗に終わった。わたしはもう喋る気力もなかった。それでも父は毎日話しかけてくれた。
嬉しいような哀しいような、そんな表情で今日の父は口を開いた。
『造血幹細胞のドナーが見つかった。与える人になるために、挑んで欲しい』
造血幹細胞を拒絶反応なく移植する場合は、血液型とは別に一致したHLA型を保有する必要があり、一般的にその適合率は恐ろしく低かった。唯一の血縁者である父とも合わなかったわたしは、骨髄バンク登録に適合者が現れるのを十年以上も待っていたのだ。
そして今日がその日となった。人生が変わるのかもしれない。これでダメだったら今度こそ死のう。父をこの呪いから解放してあげたかった。
免疫抑制など数多くの事前処置の後に移植が開始された。麻酔が効いて意識が遠のく。瞬きのつもりだった。
――覚醒したときには、もう手術は終わっていた。身体に問題はなく、移植された誰かの造血幹細胞はわたしに馴染んでくれたようだ。
涙は血球のない血だと父が教えてくれて以降、わたしは無駄に血液を消費しないよう泣くのをずっと我慢していた。でも今日は、今日だけは産まれた時のように
落ち着いてからドナーについて訊ねると、父は首を横に振った。
『ドナーについては決まりで何も教えられないし、恐らくもう二度と会うこともないだろう』
会うこともない、その意味を熟考する前に父は言葉を紡いだ。
『……チスイコウモリという動物がいる。文字通り他の動物の血液を食料にするコウモリだ。群れで生活する彼女らだが、全員が毎日食事にありつけるわけじゃない。運良く吸血できる者もいればそうでない者も。ずっと吸血できなければそのまま餓死するだろう。そうなると仲間のために血を分け与える個体が現れるそうだ。その個体が吸血できなかった日は、また別の個体が助けてくれる。なかなか他の個体に分けようとしないコウモリは嫌われて、自分が空腹時になると仲間からは見向きもされないらしい。獣と言えば本能だけで利己的だという先入観があるが、意外とこういった利他的生存戦略の調査結果は他にもある。ええっと、そんな難しい話をするつもりじゃなかったんだ。例え話は苦手で……』
父は恥ずかしそうに鼻の頭をかいて、わたしに向き直った。
『今度こそ、命の使い方をしっかり考えて生きてくれ。奪う人より与える人に』
誰かから受け継いだ命だった。簡単に死んではならないと、強く決心した。
わたしの退院と同時に、父も病院を辞めた。湖北のほうに自分の医院を開業するのだそうだ。
初めて外に出て気づいた。わたしがいたのは血液公社本部タワービルこと血統閣に隣接する中央病院、発展する淡海府の中心地にずっと暮らしていたのだ。わたしがずっとディストピアと憎んだ場所は、この国の人たちにとって希望のユートピアだった。血液公社の、救世主の血を受けたという伝説の聖杯をモチーフにしたロゴマークの旗が風に
さようなら。
お世話になった病院の人々に手を振って、私はこの場所を去った。
――それは、夢のように朧げな記憶だった。
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